笑福亭鶴瓶師匠(左)と松岡ゆみこ(右)の対談が実現

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

先日実現した、笑福亭鶴瓶師匠と松岡ゆみこ氏の特別対談。今回はその時に盛り上がった、ふたりと談志師匠の間でのエピソードについて。

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先日、笑福亭鶴瓶師匠と対談をさせて頂いた。きっかけは、このエッセイを読んでくださっている皆様のおかげ。週刊プレイボーイとYouTube上で、ゲストの方々を呼んで父・立川談志の話をするという企画が持ち上がった。ありがたいことに、初回のゲストをなんと鶴瓶さんが引き受けてくれたのだ。 

鶴瓶さんは、いつもは対談を断わることが多いと言っておられたが、私が直接お願いの電話をすると「何日か前に『家族に乾杯』のロケで埼玉の深谷に行ったんやけど、あそこは談志師匠と関係ある場所なの?」と聞かれた。「パパのお母さんの実家です」と答えると、「縁やな。亡くなって10年、談志師匠の実家の深谷......。なんか呼ばれてるような気がするわ。対談ええで」と言って快く承諾してくれた。

私はもちろん、編集者さんも大喜び。そして1時間強の濃い対談が実現した。鶴瓶さんが私と初めて会ったのは、私が20才でタレントをしていた時だそうだ。私の銀座のお店にも行った事があると言ってくれた。しかし申し訳ないのだが、この2回の出会いをどちらも私は覚えていなかった。一番印象的な出会いは、ラモス瑠偉さんのパーティーで偶然に会った時のエピソードで、鶴瓶さんと会うといつもその話になる。

ラモスさんの引退パーティーだったと思うが、そこへ父と一緒に行った私は、鶴瓶さんを見つけて「終わった後、飲みに行こうよ!」としつこくまとわりついていた。鶴瓶さんにしてみれば、談志の事を「パパ」と呼んでいる私を、何者なんやろ?と思っていたらしい。パパはパパでも、パパ違いで"小指の人"かな?と思ったそうだ。私が談志の娘だと分かり、とても驚いたようだった。結局、その日は鶴瓶さんと飲みに行けなかった。

しばらくはお会いすることがなかったのだが、ある日、鶴瓶さんが「ひまです匠」という、ちょっと変わった看板を出していた四谷のおでん屋に飛び込みで入った。そのおでん屋のママは私の知り合いで、入って来た鶴瓶さんに「ゆみちゃんの話しをしなくっちゃ」と、とっさに思ったそうだ。

初めて入ったおでん屋のママからいきなり「ゆみちゃんがね」と言われた鶴瓶さんは「どこのゆみちゃんの話や? 俺が会いたいのは松岡ゆみこや!」と言った。ママが「そうよ、松岡ゆみこよ」と答えると、「なら電話してみ!」という展開になり、ママから私に電話があった。

鶴瓶さんと「すごい偶然だね」と話して盛り上がり、「パパがいるから替わります」と言うと「替わらんでえぇ!」と鶴瓶さんはマジで拒否していた。 鶴瓶さんは、父が入院した時々に何度もお見舞いに来てくれた。

父が前田外科に入院していた時、お見舞いに来た鶴瓶さんに父が「これ、持っていきな」と、桂三枝さんから頂いたお見舞い金を渡した。困った鶴瓶さんはそのことを三枝さんに伝えると、真面目な三枝さんは「少なかったんやろか?」と言ったそうだ。中には5万円入っていた。

その後、鶴瓶さんは10万円のお見舞いを「笑福亭鶴瓶10万円。内、三枝5万円」と書いて、また父に渡したそうだ。父が糖尿病で日本医大に入院していた時にも鶴瓶さんはお見舞いに来てくれて、私が病院の入り口にお迎えに行った。

2人でエレベーターに乗ると「師匠は映画が好きやろ、この映画で賞をもらったんや」と言って『ディア・ドクター』のDVDをくれた。「お医者さんの役なの?」と尋ねると、「ニセ医師や」と鶴瓶さん。それならばと、エレベーターを降りてナースステーションに2人で入った。コスプレ目的である。ディアドクター、ニセ医者。「お医者さんの格好してパパの病室行ったらウケるじゃん!」と私がけしかけ、鶴瓶さんが持ってきてくれたプリンをナースステーションの方々にお裾分けし、本物のドクターの白衣から聴診器までお借りすると、鶴瓶さんは"本当のニセ医者"に変装した。今思えば、その時ナースステーションにいた方もノリがよかった。

いたずらを仕掛ける子供のように、2人でニコニコしながら父の病室へ行った。トントン、「松岡さーん」と鶴瓶さんが病室のドアを開けると、そこには輸血が終わったばかりで容態が急変している父がいた。本物のドクターとナースが何人も病室に入って来て、「大丈夫ですか?」と父に声をかけていた。ニセ医者の鶴瓶さんもその中に混ざって父の背中をさすっていた。

病室にいた母と母の妹は、父を心配しながらも携帯で鶴瓶さんの写真を撮っていた。妙なお見舞いになってしまった鶴瓶さんを、私は病院の出口まで送った。その時、抗がん剤治療の副作用で鶴瓶さんと同じような髪型になっていた私は、鶴瓶さんが被っていたY-3のおしゃれなニット帽を「ちょーだい!」と言って勝手に貰った。 

翌日も鶴瓶さんは心配して病院に来てくれた。回復した父と病室に2人きり。父にいきなり「チ〇ポ〇を出せと言ったら、三枝は出さない。たけしは出す。お前は言われなくても出す」と言われたそうだ。

鶴瓶さんにはいつもお世話になっている。繊細で厳しいはずなのに、たれ目の笑顔と優しいオーラにずっと甘えさせて頂いている。

つるべさーん! いつもありがとうございます! これからもなつかせていただきまっせ! 

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶の対談動画公開中!