希代の天才落語家、立川談志(たてかわ・だんし)が亡くなって今年の11月で10年。立川志の輔をして「立川談志の原石を持った人」と言わしめる、立川談志の長女・松岡ゆみこが、父・談志とゆかりのある方々と対談をする不定期連載「ゆみこの部屋」が『週刊プレイボーイ』本誌でスタート。

第1回は、立川談志と深い交流のあった落語家・笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ)が登場。今まで語られなかったディープすぎるエピソードが!

* * *

■立川談志の思い出

鶴瓶 談志師匠が亡くなって今年で10年?

ゆみこ そうなんです、11月で丸10年。

鶴瓶 最初にゆみちゃんに会(お)うたのは、ゆみちゃんがタレントやってたときやね。そのときは談志師匠の娘さんとは知らなかった。

何年かたってラモス(瑠偉)さんの引退パーティで久しぶりに会ったら、ゆみちゃんが談志師匠にタメ口きいてたから「おまえな」と注意したんや。「師匠にそんなしゃべり方したらアカン!」と。そうしたら「だってパパだもん」って。「パパって......おまえ、こんなところでそんなん言うたらアカン!」(笑)。

ゆみこ パパの愛人だと思った?(笑)

鶴瓶 パーティに(ビート)たけし兄さんもおったやろ? (明石家)さんまもいて。

ゆみこ あんまり記憶がない。覚えてるのは鶴瓶さんとデーブ・スペクターだけ(笑)。私が鶴瓶さんに「終わったら遊び行こうよ!」って言ったら、「アカン......、アカンのや!」ってすごく拒絶されたのね。

鶴瓶 それは談志師匠がいてはるからや。そのパーティで、談志師匠に後ろから抱きつかれてる写真があんのよ。師匠は「松鶴【※1】のにおいがする」言うて、ずっと抱きついてた。その後、あなたがやってた銀座のクラブ行ったんやで。覚えてる?

※1......笑福亭松鶴(しょうふくてい・しょかく) 落語家。笑福亭鶴瓶の師匠。「上方落語四天王」のひとり。1986年没。

ゆみこ ......私店にいました?

鶴瓶 ホンマ、この親子はお願いばっかりで何も覚えてないやん! 行ったら店にいてないから、後から来てくれたんや!

ゆみこ あ~。

鶴瓶 全然やん!

ゆみこ いや、お店の話といえば四谷の「おでん屋 匠」のエピソードでしょ。

鶴瓶 そうや、それがすごい話で。うちの宇木(マネジャー)と一緒に四谷にいて、「ひまです」って看板に書いてあるお店を見つけて、オモロイなと思って入ったんよ。そうしたらお店のママが初対面でいきなり「ゆみちゃんが病気だよ」って言うねん。

ゆみこ そのママは、もともと私の知り合いなのね。鶴瓶さんがお店に来たから、とっさに「ゆみちゃんが」って言ったら、鶴瓶さんが「さっきから"ゆみちゃん"って言うけど、俺が知ってるゆみちゃんはひとりしかおらん、松岡ゆみこだけや」って言ったんですって。そうしたらママが「私も松岡ゆみこの話をしてるのよ」って。それで鶴瓶さんが「そんな偶然あるわけないやろ、なら今電話してみ」って言ったと。それで私に電話がかかってきた。

鶴瓶 ゆみちゃんが電話に出て驚いたんやで。でもいきなり「じゃあ、パパに代わるから」って。代わらんでええ!(笑)

ゆみこ だって仲良しだと思ってるもん。

鶴瓶 立川談志という噺家(はなしか)とは、俺はようしゃべらんもん。

ゆみこ でも知り合いでしょ?

鶴瓶 知り合いでしょって......。その世界の娘やったらわかるやろ、自分のお父さんがどんな高い立場にあんのか。

ゆみこ それがあんまりわからなくて。

鶴瓶 談志師匠っていうのは、俺らにとっては崇拝する感じがあるよね。俺とレツゴー三匹師匠で、談志師匠がやってた『やじうま寄席』に出たんや。そこで談志師匠が俺の前説してくれてん。「大阪から来た松鶴の弟子だから、ちゃんと聴いてくれよ」って言うてくれたんやで、うれしかったよ。あとそうや、舞の海の断髪式でも会うたんや。

ゆみこ パパ、舞の海大好きだからね。

鶴瓶 そこで師匠が「今度九州で一緒だからな、頼むよ」って俺に言うねん。でも全然一緒じゃないねん。俺を(桂)文珍兄さんと間違えてんねん(笑)。

ゆみこ 本当に!? 鶴瓶さんと文珍さん似てる?

鶴瓶 噺家・メガネかけてる・ぽっちゃりしてる、あと大阪の人(笑)。

ゆみこ 鶴瓶さんはパパのお見舞いに来てくださったりしてね、私としてはすごく仲良しだと思ってた。

鶴瓶 お見舞いに行ってもこっちは緊張してるがな。(立川)談春が赤プリで真打昇進会やったとき、談志師匠は前田外科に入院してたんやけど、抜け出して参加してたんや。司会の玉置 宏さんが俺を見つけて「乾杯の音頭をしてください」言われて。こんなにたくさんおられるし、俺はようしません言うて、逃げて帰った。それで談志師匠に挨拶(あいさつ)もせずに帰ったから、次の日に病院へ見舞いに行ったんや。

ゆみこ そうだったんだ。

鶴瓶 行ったらちょうど点滴打ってはって。何かしゃべらなあかんと思って談志師匠をずっと笑わしたんや。そうしたら「おまえおもしれえな、これやるよ、祝儀だよ」って。もらった袋見たら「桂 三枝」って書いてあるやん(笑)。

「いくら入ってんだよ?」「5万円です」と。そのあと三枝兄さんに電話して「そんな経緯で、兄さんのお見舞いを私が受け取りましたけど、なんとかしますから」と。ほんなら三枝兄さんが「少なかったのかな......」言わはったわ(笑)。

それでもう一回お見舞いに行って、もらった袋に自分でもう5万円入れて「笑福亭鶴瓶10万円。内、三枝5万円」って書いて渡した(笑)。

ゆみこ 前田外科に入院したときは食道がんだったのね。その頃、前田外科さんでアナウンサーの逸見(政孝)さんが亡くなったじゃないですか? それで病院が叩かれちゃって、そういう人を助けるのが好きなんですよ、父は。

週刊誌に「前田ばかりを責めるんじゃない」って書いたら、医院長がこんなぶ厚い手紙を送ってきたの。「談志師匠のひと言が天からの光です」みたいな内容で。それで前田外科と仲良くなったの。そうしたら自分にがんが見つかって、いざ前田外科で切るってなったらさすがにパパもビビッたわけ。「俺、前田で大丈夫か?」って(笑)。あんなに肩持ってたんだからさ、大丈夫よって言って。

鶴瓶 そらオモロい。

ゆみこ 前田外科もすごくて、「大丈夫です師匠、医者はよそから呼びますから」って(笑)。結局手術は成功して前田外科は汚名返上でさ。でも、パパはまだ死んだりするような状態じゃなくて、誰が切っても成功する程度のがんだったと思うのね。

鶴瓶 やめなさい(笑)。

ゆみこ だって初期のがんなんだからさ。

鶴瓶 だからやめなさい!(笑)

ゆみこ 「師匠の手術は成功しました」って医院長が記者会見して、パパは客寄せパンダみたいになったのよ。なのに退院するときに治療費を請求されて、談志さんは怒ったね(笑)。「俺をパンダみたいに扱っといて金取んのか!」って。

鶴瓶 なんでやねん、それは払えばええやろ(笑)。

ゆみこ だけど、一事が万事でそういう性格の人だっていうのはわかるでしょ?

鶴瓶 わかるわかる。

ゆみこ 鶴瓶さんのことは大好きだったから。ほら、あのチ◯コ出す話あるじゃん?

鶴瓶 チ◯コ出すって......(笑)。あのな、2010年頃に師匠の具合が悪いって聞いて、(月亭)可朝師匠から電話があって「談志さんがおまえに会いたがってるから」って言われて、それで行ったんよ。

ゆみこ 『ディア・ドクター』の映画のDVDを持ってきてくれて。

鶴瓶 談志師匠は映画好きやからね。

ゆみこ 鶴瓶さんが「これで賞とったんや」って。しかもニセ医者の役だっていうから、パパの病室より先にナースステーションに行って、お医者さんの上着から聴診器から全部借りてドクターの格好になってね。それでイタズラに行く気分で病室に入ったら、ちょうど点滴終わったばっかりで危篤状態だったんだよね。

鶴瓶 輸血したばっかりで、体がガーッて震えてはったんよ。大丈夫か?と思ったけど、俺の格好見て婦長さんは笑ろうてはったし、ゆみちゃんとおかみさんは一緒に写真撮って「はい、ピース」とか言うてて、こいつらなんやねんって(笑)。でも師匠はえらいことになってたな、死ぬんちゃうかなと思って。

ゆみこ あのときは本当にヤバかった。

鶴瓶 俺が来てるのをわかってて冗談してはるのかな?とも思ったし、どうすればええねんって。

ゆみこ あれはガチだった。

鶴瓶 ガチの割に家族は陽気やし、俺もなんかせなあかんと思って医者の格好で「松岡さん、大丈夫ですか!」とか言って(笑)。次の日、ゆみちゃんから電話で「パパは鶴瓶さん来てたのわかってたよ」と。それならあらためて行かないと悪いやんか、ドクターの格好で冗談だけしててもね。

次は夜に行ったら、警備の人が入れてくれへんのよ。「談志師匠の所に来ました」言うても「誰ですか?」って。本名なんちゅうたかな......下の名前がわからなくて「松岡さんです」「松岡さんふたりいます」と。「カツヨシさんとケイコさん」。そんなもんカツヨシさんに決まってるやないか!(笑) 

それでなんとか入れてもらって、師匠とふたりきりで沈黙が続いたんや。そしたら急に「うーん......、三枝はち◯ぽこを出せと言っても出さない。たけしは出す。おまえは、出せと言わなくても出す......」。なんのこっちゃねん!(笑)。でも「ああそうですか」とか言って、変な間合いで終わったんや。

ゆみこ その入院は糖尿病でだったけど、鬱(うつ)っぽくなって「死にたい」って言いだして。でも入院したら日に日にご飯も食べるようになって元気になったの。それで復帰会見を紀伊國屋ホールでやったの。

鶴瓶 そこ行ったよ、俺。

ゆみこ あの日? あの会見で「もう一度落語をやろうと思いますが、この声じゃ......」って、だいぶ声が怪しくなっていて。かわいそうなことにもう一回落語をって思ったときには、喉のがんが急に悪くなって。あの後、割とすぐ死んじゃうじゃん?

鶴瓶 死んじゃうじゃんって......この家族はホンマ、俺はもう知らんわ(笑)。

■笑福亭鶴瓶と立川談志の共演

鶴瓶 (桂)米朝師匠【※2】と談志師匠の二人会があったんや。そのときに談志師匠がけえへんかった。

※2......桂 米朝(かつら・べいちょう) 落語家。松鶴と共に「上方落語四天王」のひとり。人間国宝に認定されている。2015年没。

ゆみこ なんで?

鶴瓶 知らない(笑)。談志と米朝よ? 結局途中から来はったんや。それで談志師匠はやいやい毒吐いて。師匠の話はめちゃくちゃウケてんのよ、だけどそれがズルズルッとなってきて。ここで今俺が行ったほうがいいやろと思って、談志師匠に「もうよろしい」言うて、引っ張って高座降りたんよ。

なんぼ爆笑王でも、やりすぎると「もうええで」ってなることもあるのよ。師匠も途中で誰かに止めてほしいところもあんねん。これ以上やったらいやがられるよっていうのも感覚でわかるやん。だから後で師匠から「おまえよくやってくれたね」と言われた。

ゆみこ 助けてくれたんだね。

鶴瓶 師匠に失礼やけど、本人もわかってんねん。もうひとつは、『平成中村座』に談志師匠が来て、大阪で独演会したんや。そこへ(中村)勘三郎【※3】と俺も出て対談するんやけど、談志師匠は『小猿七之助』【※4】やったわ。でも噺の途中でダレてやめたんや、なんでやわからんけど。

※3......中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう) 歌舞伎役者。コクーン歌舞伎や平成中村座など、独自のスタイルの公演多数。2012年没。
※4......『小猿七之助』(こざるしちのすけ) 講談の演目のひとつ。船頭の七之助、芸者のお滝のふたりが乗った船の中で展開する物語。

ゆみこ わかんないことが多いな(笑)。

鶴瓶 そうしたら師匠が俺に「おまえ、なんかやれ」って。

ゆみこ 勝手だね~。

鶴瓶 俺は洋服で司会してるんよ? なんやこの人?と思ったけど、しゃあないからやったがな。

ゆみこ 何やったんですか?

鶴瓶 『子別れ』【※5】やったよ。爆笑よりも人情噺やったろ思うて。笑いなんか全然あらへん噺や。談志がいて勘三郎がおってやな、俺もむちゃ言われて怒ってるし「おまえらそのまま待っとけよ、このまま笑いもなく続くよ」っていうのでやってるわけ。笑わそうとかないねん。「このまま『子別れ』を最後までやり切る!」っていうことだけ。そしたら師匠も「こいつ、やり切るつもりだな」と気づいたんやろ、途中で「もういいよ」って言わはったんや(笑)。

そのときもうひとつ腹立ったのが、引退されてる上岡龍太郎師匠【※6】が客席にいてたんよ。それを談志師匠が「龍太郎!」って呼んで舞台に上げたんや。俺は、「辞めてる人間を上へ上げるな!」と。談志師匠も俺が怒ったのわかってるから、そのときも後ろからガーッと抱きついてきて。

※5......『子別れ』 古典落語の演目のひとつ。『子はかすがい』とも呼ばれる。人情噺の大ネタのひとつ。
※6......上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう) 元タレント。鶴瓶とはフリートーク番組『パペポTV』で11年にわたり共演。現在芸能界は引退している。

ゆみこ 抱きつけば許されると思ってる!(笑)

鶴瓶 そこがめっちゃかわいいよね。鶴瓶か文珍かわからへんやろうけど(笑)。

ゆみこ 話聞いてると本当に勝手で失礼だね、意地が悪いというか。

鶴瓶 意地が悪いことはまったくない。談志は何をしてもいいという雰囲気を歴史の中でつくってきたわけやから。俺ら噺家からしたら、師匠にむちゃ振ってほしいところもあんの。だからそのとき俺も『子別れ』やったわけよ。

ゆみこ そういう話聞くと、人間亡くなった後にはいい思い出ばっかり残ったりするじゃない? 一番ひどいのは母で、死ぬ間際まで「離婚する!」とか言ってたくせに、今じゃ毎日「パパ、どうもありがとう」とか言って、全部いい思い出にすり替わってる(笑)。人間の記憶ってすごいなって。あらためて鶴瓶さんの話聞いてると、パパは本当に勝手でいやな人だったのよ。

鶴瓶 師匠に言わへんかったの? 「みんなに迷惑かけて、あなたはだめなんだよ!」とか。

ゆみこ 私、15、16歳のときに学校行かなくなってグレてたときがあるのね。パパは教育に興味がなくて、気がついたときには子供が不良になってて。それで急に「父親です!」って顔して出てきたの。自分のキャラにない、まるで普通のお父さんみたいに「学校に行きなさい」とか言いだしたわけ。

今思えばそこに私は反抗したんだと思う。「パパそれ嘘じゃん、なんでらしくないこと言ってんの?」って。そのときに死ぬほど文句言ったら、ぶん殴られたんだから。

鶴瓶 ホンマ?

ゆみこ 怖いおっさん使って、当時付き合ってたボーイフレンドを脅したりとか(笑)。パパはそういうことを一生懸命やったんだけど、私は一切言うことを聞かない。だからブチ切れてボコボコに殴られた。

鶴瓶 そんなことあったんや。

ゆみこ 誤解ないように言っておきますけど、パパは生涯、子供は叩くもんじゃないって言ってた人なの。そんな人に手を上げさせたくらい、私がやさぐれてたんだと思う。でも殴ったときに「なんでこいつに腹が立つんだろう? ......俺にそっくりだからだ!」って気がつくの。

鶴瓶 まったくそうや! (立川)志の輔さんが昨日電話で言うてたで、「ゆみちゃんがいちばん談志師匠の原石を持ってる人」やと。

ゆみこ それ、いいものじゃなさそうな気がするんですけど。捨てたい(笑)。

鶴瓶 だけど、俺も中学生の娘に1回だけ手ぇ上げたことがある。俺も娘のことあんまり知らんやんか、家帰ってないから。

ゆみこ 同じパターンだけど大丈夫? 家に帰ってないと何が起きてるかわからないんだよ。

鶴瓶 嫁が「あなたね、気ぃつけないとうちのコ、この頃ちょっと不良になってるよ」って。

ゆみこ 同じですよ。

鶴瓶 あなたほど不良じゃない。

ゆみこ 失礼ね(笑)。

鶴瓶 「夜に男のコらと一緒に出ていって......」とか言いだして。結局はそこらで花火してただけやったけど、俺も頭がこんがらがってきて「夜になんかしとんのか......」とか思いながら(笑)。それで夜、娘が帰ってきたら、ソファで電話しながら足でテレビのリモコンいじっとったんよ。「電話かテレビかどっちかにせい!」って言ったんや。

ゆみこ つまんないこと言ってるね(笑)。

鶴瓶 ケンカの原因があらへんから、こっちからふっかけないとしゃあない。そうしたらじーっと睨(にら)んだんよ。それで俺もカチンときてバチン!殴って。ビックリしたんやろな、ギャーッ!と泣いたんや。そうしたら嫁が来て「何があったの!」って言うから「いや、おまえが言うたからやろ」と(笑)。

ゆみこ それはそうだ。

鶴瓶 俺も娘も正座して、「お父さんは、これから一切殴らないから。手を出したことは本当に悪かった。あんたはこれから、ちゃんと自分で考えて生きていきなさい」って言ったら、娘が座り直して「これからも叩き続けてください!」言うたんやで。

ゆみこ かわいいー! 大人になればなるほど自分のことを??ってくれる人っていなくなるわけじゃん? そういうときに思うよね。

鶴瓶 次の日、娘としゃべりづらいなと思たんや。朝「おはよう」言おうかな思ったら、向こうから「お父さん、おはよう!」言うてきて。あーよかったって。

ゆみこ 優しいし、大人な娘さんだね。

◆後編⇒落語家・立川談志の没後10年特別対談に笑福亭鶴瓶が登場

●立川談志(たてかわ・だんし)  
本名、松岡克由(まつおか かつよし)。「落語立川流」家元。落語家としてだけでなく、一時期は政治家としても活躍。『笑点』を作った人物でもある。2011年11月21日、75歳没。

●笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ) 
落語家。1972年に6代目・笑福亭松鶴に入門。テレビ・ラジオ・映画・舞台と幅広い分野で活躍。17年間にわたり密着したドキュメンタリー映画『バケモン』が、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、大阪・シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開中。

●松岡ゆみこ 
元タレント、クラブ経営者。落語家・立川談志の長女。著書に立川談志が息を引き取るまでの約9ヵ月間を記録した『ザッツ・ア・プレンティー』(亜紀書房)がある。現在、週プレNEWSにて『しあわせの基準―私のパパは立川談志―』を連載中。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶の対談動画公開中!