『キン肉マン』『ドラゴンボール』『ジョジョの奇妙な冒険』『ONE PIECE』など、『週刊少年ジャンプ』発のアニメ作品にも数多く携わり、日本のアニメ音楽界を牽引してきた田中公平さんが40年の音楽家活動を経て気づいた、言語の異なる国や地域でもアニメソングが愛される理由とは?
■『キン肉マン』が最初のジャンプ作品
――まずは作曲家活動40周年おめでとうございます。田中さんといえば、ジャンプ作品との関わりが相当深いですよね。
田中 そうなんです。初めて携わったジャンプ作品は『キン肉マン』です。
――『キン肉マン』は今でも『週刊プレイボーイ』で連載していますよ!
田中 ゆでたまご先生はスゴいよね。いくつなのって話だよ(笑)。それが確か1983年だから僕が28歳くらいのとき。『キン肉マン』のキャラクターソングの編曲でした。でも、僕は編曲よりも作曲がしたいから、「『キン肉マン』の曲を1曲作曲させてくれ」ってディレクターに言ってたんですよ。
でも、「もうちょっと我慢して。必ずいい仕事が行くから」と言われ、そして、もらえたのが『ドラゴンボール』の『魔訶不思議アドベンチャー!』の編曲のお仕事でした。ちょうど『夢の星のボタンノーズ』や『エスパー魔美(まみ)』などの劇伴(映画やテレビドラマ、演劇やアニメで流れる伴奏音楽)でちょっとずつ結果を出していたあたりでした。
『ドラゴンボール』は読んでいたので、劇伴を担当したいと思っていたのですがさせてもらえず、その代わりに主題歌のアレンジを任されました。「何をやってもいい」って言われたので、悔しさをぶつける気持ちで、音数がかなり多いテクノの編曲にしたんです。あの時代にあんな曲調をやってる人はひとりもいなかったので衝撃だったと聞きます(笑)。
しばらくは『魔訶不思議アドベンチャー!』の編曲家というイメージがついて、「燃える作曲家」と呼ばれました。エネルギッシュな作曲が得意だと思われて、戦闘シーンの多いロボットものの依頼が数多く来たんです。
で、『勇者エクスカイザー』『機動武闘伝Gガンダム』とかの劇伴を担当させてもらい、ありがたいことにそれらがヒットしたんです。ただ、僕としてはもっと壮大だったり、繊細だったりする曲を作りたいと思っていました。そこに舞い込んできたのが『サクラ大戦』と『ONE PIECE』だったんです。
――『サクラ大戦』は96年にセガから発売されたドラマチックアドベンチャーゲームで、セガサターンオリジナルタイトルとして最高のセールスを記録したヒット作。言わずと知れた『ONE PIECE』は99年にアニメの放送がスタート。そのお仕事が来たときの心境は?
田中 『ONE PIECE』は読者だったので、「やった!」と思いました(笑)。実は読んでいるときから、心情的な音楽が必要になる気がしてました。海賊ものなんだけど、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』とは違う。
壮大な航海の曲や戦闘の曲も必要だけど、それよりも心がアツくなるような音楽。海を前にして若者が抱くような、気持ちの高まりみたいなものを表現する曲が物語に合っているだろう、と思っていたので、実際に作った曲もメロディアスなものが多いんです。
■ハリウッド音楽が作りたかった
――アニメや漫画は昔から好きだったんですか?
田中 実は、アニメや漫画を見始めたのは音楽を生業(なりわい)にし始めてからなんです。僕らの世代にとってアニメは子供のものだったんですよ。子供の頃に『鉄腕アトム』や『鉄人28号』を見ているんだけど、成長したら見なくなる。
ちょうど僕がアニメから離れている時代に『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』のブームが起こったんです。だから僕は見てないんですよ。それがスゴく良かった。
――良かった、というのは?
田中 『ヤマト』とか『ガンダム』って今見てもやっぱりスゴくて。だから、多感な時期に見た人はみんな影響を受けちゃうんです。そうするとそこから離れられなくなる。僕は「ヤマト病」「ガンダム病」と呼んでるんですけど(笑)。『エヴァンゲリオン』や『進撃の巨人』の作者もやっぱり影響を受けている気がします。
ちなみに、音楽業界には「ビートルズ病」があります。ビートルズから離れられない。僕はその時代もクラシックを聴いていたから、ビートルズも知らない。僕が感染しているとすれば「ベートーベン病」です。吸収しやすい時期にみんなが見たり聴いたりしているものを通ってなかったから、僕の書く曲はあまりほかと似てないと思うんです。ルーツが違うから。
――もともとアニメ音楽が作りたかったんですか?
田中 いえ、最初はハリウッドの映画音楽のような、壮大なBGMが書きたかったんです。でも、音楽業界に入って何年かたって気づいたんですよ。「日本の映画に壮大な音楽は必要ない」と。そのくらいスケールの大きな邦画は『ゴジラ』くらいじゃないですか? まあ、製作費の問題がありますからね。それで、「日本じゃ僕の出番はないな」と思っていたらね、そこにアニメがあったんですよ。
――なるほど!
田中 アニメは壮大な世界ばっかりじゃないですか。『ONE PIECE』は海だし、『勇者王ガオガイガー』は宇宙だし。実写映画じゃ日本映画はどうしたってスケールの点でハリウッドには対抗できない。『スター・ウォーズ』には勝てないんです。でも、アニメなら勝てるかもしれない。そうすると音楽もハリウッド音楽に負けないように作らなきゃならないんです。
ハリウッドは音楽にものスゴく愛情があるんです。音楽に費やす製作費もスゴいですし、製作期間も3ヵ月くらいあるんですよ。一方で、邦画は3日で書かなきゃいけなかったりする。ヘタすれば1日とか(笑)。
ただ、アニメは時間も予算もかけてくれる。日本のアニメの多くはCGではなくコマ送りのアニメで、音楽に相当助けてもらっているという制作側の感覚があるんです。だからお互いをリスペクトしている。音楽、映像(演技)、物語が三位一体になっていいものができるという感覚は、ハリウッドに近い相互扶助的な関係なんです。
■音楽配信サービスは「世界を相手にする」ということ
――田中さんが思うアニメソングの魅力は?
田中 ひとつは"アツさ"です。歌謡曲とかポップスとかって、不特定多数に向けて幅広く歌うじゃないですか。それに対して、アニソンはその作品のために作るので、最初から想定している聴き手の幅が狭い。その作品を知らない人には伝わらない部分もあると思います。でも狭い分、濃いんです。そして濃いものはアツいんですよ。
『ウィーアー!』が流れたら『ONE PIECE』ファンは全員「うわー!」ってなるじゃないですか。海外でのコンサートでは、最後に『ウィーアー!』をやるんですけど、みんな立ち上がって日本語で大合唱するんですよ。海外の人でも歌詞を覚えるくらい曲に対する熱があるんです。
もうひとつは"ポジティブさ"。『残酷な天使のテーゼ』みたいな曲ももちろんあるけど(笑)、特にジャンプ作品は友情・努力・勝利じゃないですか。しかも、日本のアニメの多くは"ジャンプイズム"に影響を受けてますからね。
だからアニソンは真っすぐな曲が多いんですよ。そのせいか、アニソンに関わってる人はみんな若い。『ウィーアー!』を歌うきただにひろし君も52歳だけど声が一切衰えてませんからね(笑)。
――これからアニメ音楽はどうなっていくのでしょうか?
田中 CDが売れなくなってきて、音楽家もどんどん大変になっています。これからは音楽配信サービスで聴かれることが増えるのは当たり前で。でもそれは必ずしもマイナスではない。世界中を相手にできるということでもある。少子高齢化もあるし、国内の市場だけじゃ日本のアニメや音楽はなくなってしまうと思います。
今、文化的に世界と勝負できる日本のものはアニメしかないです。『鬼滅の刃』とかスゴいじゃないですか。日本のアニメもアニメソングも世界中の人が見て、聴いてくれている。だからこそ、はじめから世界を目指す気持ちで曲を書かないといけない。
僕はどの曲も世界レベルのものを書くつもりで挑んでいます。『ONE PIECE』みたいに世界中にファンがいるような作品は音楽が拙(つたな)いと、「ショボい」と言われて見られなくなってしまう。だから絶対に世界最高クラスのものを、と思って書いています。
アニソンは配信が主流になればなるほど、もっと存在感を発揮していくと思いますし、そうならないといけないと思っています。
●田中公平(たなか・こうへい)
作曲家、歌手、演奏者。1954年生まれ、大阪府出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業後、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)に勤務。その後、米ボストンのバークリー音楽学院に留学。帰国後、本格的に作・編曲活動を始める。作曲活動のほか歌手、演奏者として国内外でライブを行なう
■『ONE PIECEオーケストラコンサート田中公平作家活動40周年記念』
日時:2022年9月28日(水)予定
会場:サントリーホール 大ホール
出演者:田中公平、西村友(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)、きただにひろし、大槻マキ、野々村彩乃
日本では初となるONE PIECEコンサート。過去に香港、台北、パリ、ロンドン、ミラノでも行なわれており、どこでも会場が満員になるほど盛況だった