食べ物を持ち帰るための「談志パック」 食べ物を持ち帰るための「談志パック」
天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

食べ物は決して粗末にせず、残り物も持ち帰り保存していた談志師匠。そんな師匠が大好きだった、あの果物の話。

* * *

今回は、立川談志と食について書いてみよう。

1936年生まれの父は、子供の頃、本当に食べ物が無い時代に育った。父の15、6才頃の日記には、毎日「腹へった」としか書いてない。その為だけではないと思うが、食べ物を異常に大切にしていた。

日本の食文化が豊かになればなるほど、父は毒を吐いていた。テレビなどで紹介された食べ物やお店に、自分の基準をもたない連中が列をつくり高いお金を払っている姿は、戦中戦後の雑炊を命がけで奪い合っていた頃と図式が一緒だと言い、「グルメとは下品な奴の事をいう」とも言っていた。

私が子供の頃に、「もういい」と言ってご飯を残すと、「もう結構です、もう十分です、ご馳走様。と言え」と叱られた。だが同時に、人間の好奇心は止められないとも言っており、父自身も、若い頃から好奇心で海外へ行き、知らない食べ物と本場の味を楽しんでいた。

食べ物を捨てられない父は、何件かの家に5 、6台の冷蔵庫を持っていて、いつも中は満タンだった。頂き物も増えてきて、それらはすべて貴重で美味しいものだったが、父はいつも食べ物に埋もれていた。毎日メモに冷蔵庫の中の食べ物の在庫と、自分がその日に食べた物を調味料まで書き出していた。賞味期限は「知らない奴が決めた事をなんで信じるんだ!」と言って、一切気にしなかった。何年も前の賞味期限切れの物でも、腐っていても食べていた。

母の手料理は美味しかったが、父の作るデンジャラスな料理は、勧められても怖くて食べられなかった。「お前も食ってみろよ、うまいぞ!」と言われて「いらない」と断ると、舌打ちをして、1人で「うめー うめー」とこれみよがしに食べていた。食べ方も汚かった父は、お箸もねじり箸で正しく持てなかった。落語の時のお蕎麦を食べるシーンは扇子で良かったと思う。

家に食べきれない程の食品があることもストレスだった父だが、更に外食、打ち上げ、パーティなどで残った食べ物も意欲的に持ち帰った。刺身のツマの、魚の汁でビチャビチャになった大根を、お弟子さんにビニール袋に入れて持ち帰らせ、次の日に「切らないでいいし出汁も出るから便利だ!」と、味噌汁にしていた。

お店側が持ち帰りを断ると、「手前の処は食い物の残りをまた別の客にだすのか!? それとも客が家に持って帰って食うと食中毒起こすような物を出してんのか!?」と喧嘩ごしになった。

そしてついに父は、『談志パック』という、オリジナルのタッパーウェアを作った。20センチくらいの正方形で、蓋には山藤章二画伯による父の似顔絵が描いてあり、1:食べ物は大切に 2:パーティ・宴会の残り物は持って帰ろう 3:乾杯前に詰め込むのは禁ずる 4:責任は自分で負い、自分のリスクで食え 5:ニセ物には気をつけろ、と書いてあった。父は『談志パック』を友人や知人にプレゼントしていた。

父のことを非難している様に思われるかもしれないが、むしろ逆で、今となっては大賛成だ。飽食過ぎる世の中に私も大分疲れている。

父は水も買わない人だった。水道の水を美味いといい、喉が乾けば駅のホームにあるような給水機で無料の水を飲んでいた。晩年になってからは、お中元に水をリクエストして、ペットボトルの水を持ち歩いていた。

父が自分で買って食べていた物はなんだろう? そうだ! ドリアンだ!

まだ日本ではほとんどドリアンが売っていなかった頃、東南アジアに行くとまずドリアンを買っていた。ホテルには持ち込み禁止のドリアンを、父は汚い路地に座り込み、手づかみで割ってベトベトになりながら「うめー うめー」と食べていた。その姿を私は、まゆをひそめて見ていた。父曰く、ドリアンは果物の王様で、貧乏人にはわからない味だそうで、残念ながら貧乏人の私には、未だドリアンの美味しさは解らない。

私が20才の時、父の知人の方のご招待で、家族4人で香港へ行った。香港に着くとすぐに、父は1人で市場へ出かけてドリアンを丸ごと1個食べた。そして毎日食べ続け、帰る日には名残惜しそうに又、お腹いっぱいにドリアンを食べた。

そして飛行機に乗った。座席に着いた父が、「ガス臭くないか?」と言い出した。確かにガスのような匂いがした。父はCAさんを呼び、ガス臭いと訴えた。CAさん達は急に慌ただしく機内をチェックし始めた。出発時刻を過ぎても飛行機は飛ぶ気配もない。しばらくして、父がゲップをした。臭いのなんのっって、ガスより臭かった。父がいちばん自分のゲップの臭いに驚いて、珍しくバツの悪そうな顔をしていた。異臭の原因は自分だったと、CAさんには言わなかった。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶の対談動画公開中!