談志師匠の練馬宅。映画や落語のVHSがズラリと並ぶ

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

映画を愛し、数多くの作品を見ていた談志師匠。今回は、師匠の好きだった映画と、ゆみこ氏が師匠と一緒に見た映画の思い出。

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父は映画が好きだった。75年の人生で、どれくらいの作品を観たのだろう? 父は映画の本も出しているし、日常の中で映画にまつわることは話したり書いたりしていた。それこそ沢山の映画時評も残しているが、私と父との映画の思い出を書いてみよう。  

私が子供の頃、毎年大晦日は大久保の狭い家ですき焼きパーティーをしていた。父の友人だった内藤陳さん、ジミー時田さん、松平直樹さん、お寺の住職、築地の鮪問屋の社長、金魚屋さんなど、色々なジャンルの大人達が大勢集まった。

メインのすき焼きは、ガス栓からホースを繋いで、小さな鉄の鍋で代わりばんこに食べていた。ジミーさんのギターで歌を歌い、賑やかすぎる宴会は夜明かし続いた。子供の私は眠くなっても、落語の「寝床」のように寝るスペースもなかった。

ある大晦日、いつもはうるさいすき焼きパーティーなのに、今でいう年末スペシャルだったのか? テレビでヒッチコックの「鳥」という映画を深夜にみんなで観た。30センチくらいのテレビ画面の、白黒の映画を私も観てしまった。すごーく怖かった。これが父と観た最初の映画だったと思う。  

母と弟に、父と観に行った映画の事を聞いてみたが、意外と少ない。即ち、父は1人で映画を観る事が多かった。両親が出会った第一生命ホールには試写室もあって、父は母に頼んでよく映画の試写会にも足を運んでいたそうだ。

父と母がデートで観た映画はフランス映画『アンリエットの巴里祭』や『パリ・カナイユ』だと母が言っていた。両親共に大好きな映画は『幸福への招待』で、私もビデオで観たがほんとうに優しくて素敵な映画だと思っている。

母はヘップバーンが好きで、『ローマの休日』『パリで一緒に』などを私と観に行ったが、ヘップバーンは父のタイプではなかったようだ。家族4人で映画館に行ったことは記憶も曖昧だが、少ない。父がフレッド・アステアの大ファンなのは有名で、しょっちゅう家でもアステアのビデオを観ては大騒ぎしていた。

『ザッツエンターテイメント』という、父が大好きなミュージカル映画の総集編の映画があり、そのパート2を家族4人で観に行った。映画館の真ん中に陣取り、父本人は小声のつもりだと思うが、私の耳元で逐一説明をして、何度も思い切り拍手をする様子に圧倒された。映画の良し悪しはともかく、くたびれてしまった。父が大絶賛し、愛して止まない映画だが私はトラウマになった。『ザッツエンターテイメント』を無理矢理父に見せられた人を、私は何人も知っている。

『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』は面白かったが、『アドベンチャー・ファミリー』はあまりにもつまらなくて、終わった後に「なにがアドベンチャー・ファミリーだ! ただの無計画一家だ!」と父が言い、家族で笑った。

私がグレていた時に更生させようと、両親が私を連れて『さよならミス・ワイコフ』という映画の試写会に行った。女性教師が主役の映画で、私に何かしら良い影響があると思っての事だったらしい。しかし、実際には女性教師が黒人の掃除の男性に犯されるストーリーだった。両親は無言で固まり、3人で最後まで観たが、終わっても無言だった。  

父は試写会で映画を観る事が多く、怒ったり途中で帰ってくる事が多かった。父が褒める映画は少なく、それでも懲りずに映画を見続けていたのは、やはり映画が好きだったのだ。

低い確率で父の気に入った映画があると、談志おすすめ試写会を開いてくれた。『ワンダとダイヤと優しい奴ら』『オーゴット』『ノッティングヒルの恋人』『奇人たちの晩餐会』などなど。この手の映画が私も好きだ。 

父が亡くなる前の闘病中のとき、「ゆきゆきてしんぐんと、ホテル・ルワンダがみたい」と筆談に書いた。レンタルDVDを借りて、実家で一緒に観た。もうすぐ死んでしまう父と観るには重過ぎた。『ゆきゆきて、神軍』は、「ドキュメンタリーの最高傑作」とメモに書いてくれた。あの時の父の気持ちを考えるのが、今でも怖い。

立川談志と映画談議をしながらお酒を一緒に呑んだ方は、たくさんいらっしゃると思う。 父は本当に記憶力がよくて、英語もフランス語も出来なかったのに、監督、俳優、女優の名前をよく覚えていて、眠れない夜に、テーマを決めて羊のかわりに思い出していた。

例えば 「あ」のつく俳優は「アル・パチーノ、アンソニー・ホプキンス......」とか、あいうえお順に思い出す時もあった。その時は五十音の最後まで行ってしまう事が多くて、「眠れねー!」とよく言っていた。眠る手段として、それは間違ってると思っていた。 

最後に父と観た映画は、ジャッキー・チェンの『プロジェクトX』だった。父の病室の小さなテレビで、たまたま家族4人で、喋れない父と黙って見ていた。 

「パパー! 最近面白い映画ないよー! 『鬼滅の刃』じゃダメだよねー(笑)」

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

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