天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。
前回から、アフリカ旅行の話の続き。アフリカ人青年の村で大歓迎を受けた2人は、その文化の違いに戸惑うのだが......。
* * *
翌日、虫だらけのゲストハウスを出発して、アフリカ観光がスタートした。移動は常にデコボコの道で、車の中で弾みっぱなし。土埃の中、地平線を見渡し動物を探しながら、まずはカバを見に向かった。
最初はシマウマを見て「わー、シマウマだ!」と、いかにもサファリっぽい雰囲気に喜んだが、あまりにも沢山いるのですぐに飽きた。ゾウとかキリンとかライオンが見たいと思った。元々私は動物が苦手だ。父は動物園が好きだったが、それは動物の習性に興味があっただけで、我が家ではペットを飼ったことは1度もない。
同行してくれたアフリカ人は目が凄く良くて、遠くにいる動物を肉眼で見つけていた。「ライオン!」と言われて近づいて行くと、本当にライオンがいた。サファリではハンティングの瞬間を見られたらラッキーらしい。ライオンのハンティングは、メスがフォーメーションを作って獲物を狙っていた。
私達が見たライオンはハネムーン中で、だらしない姿だった。メスを取り合い、勝ったオスのライオンは腹を出して寝ていた。そのカップルの周りを、負けて顔が傷だらけの雄ライオンが順番を待っているみたいにぐるぐる歩いていた。「だらしねーなー。本物のライオンの昼寝だ」と父は言っていた。
カバのいる沼に着くと、小さい木のボートに乗ってカバを間近で見た。カバはバレリーナみたいにつま先で水底を移動するらしく、わりと浅いところに沢山いた。父は珍しく自分でビデオ撮影していた。残念なことに、何本もあったはずのアフリカ旅行のテープが今は見当たらないのだが、以前そのビデオを観て母と弟は大笑いしていた。私が始終不貞腐れていたのが面白かったらしい。
とにかく、移動も含めて毎日8時間くらいサバンナを走っていたのだから、動物は飽きるほど見た。ナクル湖の何千万羽のフラミンゴは、展望台から見たら湖の何割かがピンク色に染まって見えたし、水際を車で走っている間はずーっとフラミンゴショーだった。
父とバルーンに乗って、空から象を見た。ネズミに似ていた。父はハイエナの顔を可愛いと言って、ハイエナ少年の話をしてくれた。ハイエナ少年とは、観光客にみせるショーで、少年が口にソーセージをくわえて、それをハイエナにかじらせるのだそうだ。野生のハイエナは、まれにソーセージだけでなく少年もかじる事があると、ネタのように父が話してくれたがどうやら本当らしい。
アフリカ人のウォルターの実家にも一緒に行った。ウォルターはお土産に瓶のコカコーラをケースで、父は使わなくなった洋服、靴、文房具、ガラクタたちを日本から持って行った。
その村で私達親子は大歓迎を受けた。まず、子供達が大勢並んで歌を歌い出した。ゴスペルだった。それは素晴らしくて父と感激していたが、とにかく長い。だんだん飽きてきて、やっと終わって拍手をすると、次は女性達の部になり、更に大人の男性の部へ。炎天下で金縛りのように動けず、それでも父と私は我慢した。
そして宴会。最初に丸焼きにした仔羊の目玉が父に振る舞われた。この村では1番のご馳走らしいが、私は見ていられなかった。さすがに好奇心旺盛の父も食べなかった。仔羊の肉と主食のウガリ、とうもろこしは日本では飾っているのしか見たことないような、紫色のパサパサの生だった。
何十人もいるウォルターの親戚たちは、老若男女全員がコーラの瓶を歯で開けて飲んでいた。栓抜きはない。私はまたここでも何も食べられなかった。この旅を、何で食いつないでいたのか思い出せない。カップラーメンも日本から持っていっていなかったし、父もこの旅には食材を持っていなかった。
食事が終わると交流タイム。「ジャンボ!」と1人ずつ握手をした。そして、父のお土産の出番がやっときた。父らしいというか、お土産をただ渡すのではなく、子供達にかけっこをさせて1番の子に賞品として、あまりインクの残ってないマジックペンとか、母の踵の高いサンダルなどを渡していた。ちなみにその村では、だれも靴ははいてなかった。父の思いつきではじめた徒競走がやたらと盛り上がった。アフリカの子供はかけっこが速い。「動物相手に命懸けで走るからな」と父が言った。
村の小学校に案内されると、アフリカの言葉から英語、日本語と通訳が入って、何やら私たちに話がはじまった。しばらくすると父が「ゆみこ、これ、売り込みだろ?」と聞いてきた。確かに話の内容は、この村に水道を作って欲しいとか電気が欲しいという内容で、「もし貴方が作ってくれるのなら、この村や道に貴方の名前をつけます!」という話だった。父はアフリカは文明を求めず、独自の文化を大事にしているはずと思っていたようで、勝手な話だがその時がっかりした表情をしていた。
10日間くらいのアフリカ旅行は父と別々のテントに泊まり、夜はとても怖かった。初めて見た動物達、美しい色の蝶や鳥、マサイ族にも会った。私は「オクトパス」というディスコが1番楽しかった。帰りの飛行機の機内食でオムレツが出てきて、それがやたらと美味しかった。ロンドンのホテルに着いて、バスタブに泡をいっぱいにして浸かりながら「パパー、文明は素晴らしいね!」と私が言うと、父も笑った。
連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。
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