高崎かなみ『カナミノナカミ』を撮影したカメラマン・佐藤裕之氏のルーツとはーー?

いつもはあまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく連載コラム『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』が、『週プレ プラス!』にて好評連載中だ。

"カメラマン側から見た視点"が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4話にわたってお送りする。

今月のゲストは、2021年7月に発売された高崎かなみ1st写真集『カナミノナカミ』のカメラマンを務めた佐藤裕之氏。カメラマンになるまでの苦楽を振り返りながら、"女の子の表情や景色をナチュラルに捉え、静かに影を落とす"個性的な作風のルーツに迫る。

* * *

――第一話では、カメラマンになるまでのお話を聞かせていただければと思います。まず、佐藤さんが写真に興味を持ったのはいつ頃だったんでしょうか?

佐藤 興味を持ったというよりも、僕らが子どもだった時代は、写真がものすごく身近な存在だったんですよ。コンビニに行けば「写ルンです」が売られていたし、一家に一台、必ずと言っていいほど一眼レフがあったし。息子として、何かと親父に写真を撮られていましたから。無意識的にカメラや写真に触れる機会は多かったと思います。

――そうだったんですね。今の仕事に直結するようなアイドル写真集やグラビア誌なんかも当時から見られていましたか?

佐藤 自分で買うことはなかったですけど、よくある話、親父が買ってきた週刊誌に載っているヌード写真を見たり、道端に落ちているビショビショのエロ本を友達と拾って読んだりしたことはありました(笑)。

ただ当時は、自分がカメラマンや写真に携わる仕事に就くなんて考えてもいませんでした。将来の目標もなく学生時代を過ごし、大学を卒業したあとは普通に物流会社に就職したので。

――え、サラリーマンだったんですか!?

佐藤 はい。3年ほど会社員をしていました。「一部上場企業で給料も悪くないし、ずっとここで働いて、いつかは結婚して、幸せな家庭を築くのかなぁ......」と、フワッとした考えで働いていましたね。

――そうだったんですね。

佐藤 まぁ、その生活に生き甲斐を感じていなかったのも事実で。そんなとき、夏休みに10日間も休暇をもらえたんですよ。せっかく自由に使える時間だし、学生時代に一度も海外旅行をしなかったことも心残りだったので、ひとり旅でもしようかなって。アフリカにあるケニアという国に行ってきました。

――なぜ、ケニアに?

佐藤 子どもの頃から、テレビで流れているアフリカの映像に漠然と興味を持っていたんですよ。で、やっぱりアフリカに行くからには、写真を撮って帰りたいと思うじゃないですか。そこで、親父が使っていたキヤノンのA-1という型の一眼レフを引っ張り出してきて。

失敗したくなかったから事前に本を買って、たくさん付いているダイヤルの意味やその合わせ方などを勉強してから行きました。安い旅行代理店を使ったので、片道48時間くらいかかったんですけどね(笑)。

――それでも、10日間あれば十分楽しめそうですね。

佐藤 ケニアに着いてからいっぱい写真を撮りましたよ。今と違って当時はフィルムしかなかったから、現像するまでどんな写真が撮れているか確認できなかったんですけど、旅行自体はすごく楽しくて。

帰国後、すぐに写真を現像しに行きました。そしたら、全然うまく撮れていなくて、あまりに自分のイメージとかけ離れた写真があがってきたんです。かろうじて「いいな」と思える写真は、何百枚かのうち1?2枚あるかないかで。

――それは凹みますね......。

佐藤 「何がダメだったんだろう?」と思っていたとき、恵比寿にある東京都写真美術館でネイチャー誌『ナショナルジオグラフィック』の写真展が開催されていて、テーマがたまたま「アフリカ」だったんです。動物や自然など、アフリカの風景を収めた美しい写真がズラリと並んでいて。

それを見たとき、自分が撮った写真とのレベルの違いに愕然としました。そりゃ、違って当然なんですけど(笑)。でもこれを機に、写真のことをもう少しちゃんと学びたいと思うようになったんですよね。それで、サラリーマンをしながらでも通える夜間のカルチャースクールを見つけて。

――そんな学校があったんですね。

佐藤 夜間だったので、生徒のほとんどが仕事終わりのOLさんでした。男は僕ひとりくらいのもので。今も昔も、写真好きは女の子の方が多いんですかね?

――どうなんでしょう。とはいえ、スクールに通われたのは、やはりプロのカメラマンになりたい気持ちが僅かにでも芽生えはじめていたからですか?

佐藤 いや、全く(笑)。そんな簡単になれるものじゃないと分かっていたし、純粋に写真を勉強したかっただけですね。教わっていたのも、基本中の基本みたいな内容でした。

そんな感じで通いはじめて3ヶ月くらい経った頃、カルチャースクールの先生が「やる気あるなら、アシスタントやってみる?」と言ってくださったんですよ。恐らく、周りはみんなOLさんだったし、僕がいちばん声をかけやすかったんでしょうね。アシスタントをお願いするなら、多少コキ使いやすい人間の方が都合がいいですし。

と言いつつも、先生は普段、車や化粧品などのブツ撮りをメインに活動しているプロのカメラマンでもあったので、僕からしたら貴重なお声がけだったわけです。思い切って会社を辞めて、先生のアシスタントにつくことにしました。

――会社を辞めるってなかなかの決断ですね!

佐藤 魔が差したんでしょうね(笑)。今だったらもうちょっと慎重になっていたと思います。当然ながら、親にも反対されました。「お前、カメラマンで食っていく気なのか?」って。真っ当な意見ですよね。

会社を辞めた手前、この道で頑張っていく覚悟を決めないとなぁと思いながらも、どんなカメラマンになりたいかまでは考えずに、ただアシスタント業務を楽しんでいました。

――アシスタント時代はどのようなことを?

佐藤 広告系の仕事が多かったので、8×10(エイトバイテン)の大判カメラの扱い方や、フィルムのシビアな露光の測り方などを教わりながら、撮影のサポートをしていました。あとは、カルチャースクールの手伝いなんかもしていましたね

――どれくらいの期間、アシスタントをやられていたんですか?

佐藤 3年くらいですかね。会社員を3年、アシスタントを3年やって、年齢も30近くになって。本格的に、カメラマンとしてどうなっていくかを考えないといけない時期に差し掛かった頃、スタジオを取り仕切っていたマネージャーさんから「もし本気でカメラマンになりたいんだったら、ここにいない方がいいよ」って言われたんです。

言ってしまえば、カルチャースクールの先生をやられているってことは、カメラマン業界の一流ではないわけで。プロのカメラマンを目指すなら、一流と呼ばれる人のところで学んだ方がいいよっていう助言ですよね。

それで、『コマーシャル・フォト』(玄光社)という業界誌の最後のページにいろんなカメラマンの「アシスタント募集ページ」があったので、そこに載っていた写真家の宮澤正明さんのもとに行ってみることにしました。

――宮澤さんといえば、菅野美穂さんのヌード写真集 「NUDITY ヌーディティ」を撮影されたカメラマンさんですね。実際に佐藤さんの師匠となる方でもありますが、なぜ宮澤さんのところへ?

佐藤 まぁ「有名だし、行ってみるか」って感じでしたね(笑)。当時、宮澤さんが、カメラマンとしてはじめて『情熱大陸』(1999年)に出演されていて、たまたまその放送を見ていたんですよ。

カルチャースクールのいち生徒だった僕をアシスタントに誘っていただいたことに感謝はしていたのですが、そのアシスタント現場で見た景色と宮澤さんがカメラを構える現場では、華やかさが全く違っていて。

――これが一流のカメラマンなんだと。それにしても、宮澤さんのアシスタントにつけるって相当なことじゃないですか? アシスタントの採用率がどれほどかは分かりませんが......。

佐藤 そうですよね。運が良かったんだと思います。面接には、アフリカの写真や友人を撮ったポートレートをブックにして持って行ったんですけど、後々聞いた話によると、それらの写真を評価してくださっていたみたいです。加えて、当時ドレッドヘアだったから「おかしなやつが来たな」って、印象に残ったのかもしれないですね(笑)。

――宮澤さんのもとでは、どんなことを学ばれたんですか?

佐藤 宮澤さんは、広告やファッションなどを満遍なく撮られているカメラマンで。僕がアシスタントにつかせてもらっていた時代は、グラビアが多かったんですよね。これまで僕が体験してきたのはブツ撮りの現場だったから、最初は、人物を撮るグラビア現場のスピード感に着いていくのに必死でした。

女の子の一瞬の動きを逃さないようシャッターを切る必要があるから、そのタイミングにあわせてフィルムチェンジをして、太陽の出入りも見つつカメラの設定をして、場合によってはレフ板を当てて......。

一気に色んなことをやらなきゃいけなかったし、フィルムを巻くのも遅かったので、かなり厳しく言われていましたね。しかも、テンパりながらポジフィルムのシビアな露光を調整していたので、ちゃんと綺麗に写真があがってくるか毎回ドキドキでした。

だから学んだことでいうと、このスピード感と緊張感を体感したこと、それから、どれほど慌ただしい現場でも、みなさんに「いい」と思ってもらえる作品を作り上げる責任感でしょうかね。

――それだけ大変だと、正直、辞めたくなる瞬間もありそうですね。

佐藤 いっぱいありましたよ(笑)。重い機材を毎日運んで腰を悪くしましたしね。でも、ここで辞めたら全部が台無しになってしまうし、辞めるわけにもいかなかった。カメラマンとして行けるところまで行くしかないんだって自分に言い聞かせながら、なんとか踏ん張りました。

――そのスピード感も次第に慣れてくると思うのですが、そこからはいかがでしたか?

佐藤 宮澤さんは技術を言葉で教える方ではなく、全部自分で感じ取って学べ、というスタンスでした。だからアシスタントには、ホスピタリティの塊として、現場を俯瞰で見渡せるようになることを求めていた実感があるんですけど、おっしゃる通り、場数を踏めば慣れてくるもので。

あるときから、ふと宮澤さんが撮影している背中を見られる余裕ができてきたんです。そこから少しずつ、「今ものすごく薄い雲が入ってきたな」っていう天候の動きや、現場の空気みたいなものを肌で感じられるようになりましたかね。

まぁ、それでもまだ、自分がどんな写真を撮るカメラマンになりたいかってところまで、気持ちは定まっていなかったんですけど。


●佐藤裕之(さとう・ひろゆき)
写真家。1972年生まれ、東京都出身。
趣味=トレーニング・ランニング
写真家・宮澤正明氏に師事し独立。2007年、写真新世紀 荒木経惟賞 受賞
主な作品に、今年7月に発売された高崎かなみ1st写真集『カナミノナカミ』のほか、沢井美優『ひととき』、半井小絵『雲の向こうへ』、中村愛美『LYIN' EYES』、松岡菜摘『追伸』、イ・ボミ『イ・ボミSTYLE』、高山一実『恋かもしれない』、中山莉子『中山莉子の写真集。』、逢田梨香子『R.A.』、高橋朱里『曖昧な自分』、夏川椎菜『ぬけがら』、奥山かずさ『かずさ』、永尾まりや『JOSHUA』などがある。また、乃木坂46の5thシングル『君の名は希望』のCDジャケット撮影も担当。しっとりとした、リアリティのある作風が特徴

★第2話、緊縛師の出会いが氏の人生を変える……? (第2回以降は『週プレ プラス!』にて、会員限定でお読みいただけます)

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