坊主頭で野球部出身の体育会系、いつもニコニコ明るい渡部おにぎり、メガネをかけた漫画研究会出身の文科系で知的でクールな桃沢健輔(けんすけ)。キャラクターが対象的なふたりが組む、お笑いコンビ・金の国。
彼らは、9月に放送された今年活躍が期待される芸人を集めた大会『ツギクル芸人グランプリ2021』(フジテレビ)で優勝を果たし、10月16日には、空気階段もトップに立っている『マイナビLaughter Night』(TBSラジオ)のグランドチャンピオン大会でも優勝。役柄が憑依したかのような演技力と独特の着眼点から作られるコントは、お笑いファンの間でも高い評価を得ている。
彼らがコンビを結成したのは2017年。そこから約4年が経った今年、突然頭角を現してきたイメージの彼らが、果たしてこれまでどんな芸人人生を送っていたのか。芸人とライターの二足の草鞋(わらじ)を履く、インタビューマン山下が話を聞いた。
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――最初に、お笑いへ興味を持ったのはいつ頃ですか?
桃沢健輔(以下・桃沢) 僕は、中学生の時に『ゴッドタン』(テレビ東京)を見てお笑いにハマりました。番組の企画で、岩佐真悠子さんとおぎやはぎ・小木さんがケンカしていた頃です。
――『ゴッドタン』は、お笑い通が見る番組のイメージがありますが、スタートから渋いですね。
桃沢 早く寝ないと怒られる家庭だったので、親に見つからないように深夜こっそり起きてテレビを見ないといけなくて。その時に見たのが『ゴッドタン』でした。
――そのテレビの見方は、普通『ギルガメッシュないと』(テレビ東京、1991〜98年)ですよ(笑)。中学までは、お笑いに興味がなかったんですか?
桃沢 興味がなかったというより、お笑いを知らなかったんです。親が厳しくて、「(テレビを)見ちゃダメ」って言われてました。中学ぐらいまで、ダウンタウンさんすら知らなかったぐらいです。
渡部おにぎり(以下・渡部) え! それはスゴい(笑)。
桃沢 周りの友達に「面白い芸人さん誰?」って聞いたら、みんなダウンタウンさんって言うんです。それで、お笑い好きの友達に『ごっつええ感じ』(フジテレビ)のD V Dを勧められて、見るようになりました。
――なんで、ご両親はそんなにテレビを見せてくれなかったんですか?
桃沢 親はバラエティ番組が好きじゃなかったんです。テレビのチャンネル権は親だったから僕も見れなかったんですよ。ただ『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)だけは、見せてくれました。
――いやいや、『ロンドンハーツ』は毎年、「親が子供に見せたくない番組」アンケートで1位になってた番組ですよ(笑)。
桃沢 親は見せないと言いつつ、やっぱり自分が見たかったみたいで(笑)。だから、『ロンドンハーツ』だけは一緒に見ることが許されてたんです。
ーー渡部さんは、どんな環境だったんですか?
渡部 僕もお笑いをあんまり見てなくて、小学生の頃だとテレビをつけて『エンタの神様』(日本テレビ)とかがやってたら見るぐらいです。ずっと野球をやっていたので、お笑いより野球中継ばっかり見てました。
――おふたりはどんなきっかけでお笑い芸人になろうと思ったんですか?
渡部 大学まで野球をやっていて、最初はプロ野球選手を目指してたんですが、自分の実力では難しいとわかっちゃって。でも、有名になりたいという気持ちはあったので、体型や顔も芸人っぽいし、野球部でもいじられたりギャグをやってお笑い担当だったりしたので目指そうと思いました。
桃沢 僕は、中学で芸人をやりたかったんですけど、この頃から性格があまり明るくなかったので、周りに「絶対向いてないから、無理すんな」って止められてばかりいたんです。それで大学卒業後も進路に迷って、半年間友達の家に居候してました。
――桃沢さんは、大学で漫画研究会だったそうで、漫研の先輩のTwitterによると、大学時代に桃沢さんから「芸人になりたい」と言われた時、「絵の才能があるのになんで?」と思って、当時はあまり応援できなかったとのことですが。
桃沢 その先輩は大類浩平さんという「ちばてつや賞」で入選したりしてる漫画家さんで、仲良くさせてもらってます。僕が進路に迷ってた時期、大類さんに漫画家のゴトウユキコ先生(フジテレビでドラマ化された『夫のちんぽが入らない』の作画担当)を紹介していただいてアシスタントを少ししてました。
――プロの漫画家の世界で働いていたんですね。
桃沢 ほんと数回です。そこで、プロの仕事を見たら「ここまで、こだわれないな」と思ったんです。やっぱりお笑いは大好きだったので、芸人という職業だったら「こだわっていけるんじゃないか」と思ってこの道に進みました。
――おふたりは、ワタナベエンターテインメントの養成所で出会って、渡部さんからコンビとして誘ったそうですが、なんで桃沢さんを選んだんですか?
渡部 僕が養成所に入る前に、ちょっとだけ高校の同級生と組んでフリーライブとかに出たりしてたんです。その時の相方が明るめで自分を出したいタイプだったんですが、僕もそうだったんで、スゴいぶつかっちゃったんですよ。
そんなこともあって、相方は暗めの人のほうがバランスいいのかなと思ってて。そしたら、養成所の最初の授業の自己紹介で、桃沢の暗めで声質もいいしゃべり方が、僕が描いていたイメージとドンピシャだったんです。それで、授業が終わってすぐに桃沢に「今度1回組んでみない?」って声を掛けました。
――渡部さんの養成所に入る前のコンビ経験が役に立って、目利きができたんですね。「金の国」の初期はいかがでしたか?
桃沢 渡部は、養成所入所前にコンビを組んでライブに出てた経験者だから、最初は期待したんですけど、当時は特に演技は全然できなかったんです。
――金の国は演技派のコントで注目されてるのに、意外ですね。
桃沢 渡部が書いてくるネタも、字が汚くてバカさが伝わってきてスゴく嫌だったんです。
渡部 僕自身、経験者というプライドもあってネタを書いてたんですけど、それがあんまりウケなくて。それで相方が「今度、俺が書いてくるわ」って書いてもらったら、ウケたんです。そこからは、ずっと相方が書いてますね。
――そうなったのはいつごろですか?
渡部 養成所に入って2、3ヵ月です。
――すぐじゃないですか(笑)。そこからはネタの調子はどうでしたか?
桃沢 最初は、そんなによくなかったですが、少しずつ頑張って最終的には卒業ライブで1位でした。
――スゴいじゃないですか。それで、事務所に所属できたんですね。プロになってからはどうでしたか?
桃沢 僕らは、周りと比べて結構サボらずに頑張ったほうだなと思うんです。1年目から、年末年始以外はほぼ毎日会ってネタを作ったり、ライブも呼んでもらえないのでお金払って出演したりしてました。
――そんな状況から、2021年に入ってすぐのワタナベエンターテインメント所属芸人によるネタの1位を決める大会『お笑いABEMA CUP~ワタナベNo.1決定戦』での初の決勝進出を皮切りに、多数の大会で結果が出るようになりました。何か変化の理由はあるんですか?
桃沢 去年ぐらいから、先輩がライブを紹介してくれるようになって、場数が増えていったのはあります。
渡部 相方は1年目から先輩でも後輩でもネタのアドバイスをもらうんですよ。そのアドバイスを取り入れて、吸収してきたのがちょっとずつ実を結んだのかもしれません。
桃沢 最初の頃は知り合いがいないので、アドバイスも同期からもらうんですよ。ところが、僕らもそうですが、同期もレベルが低いんで(笑)。ここ1年は先輩に引っ張ってもらって、いいメンバーのライブに出れるようにもなって、そこで先輩に相談させてもらったりするんで、やっぱりそれまでとは違った意見が出るんですよ。
――レベルの高いアドバイスをもらえるようになったから、今年に入ってネタの完成度が上がってきたんですかね。
桃沢 きっと、そうなんだと思います。あとは渡部の演技力がめちゃくちゃ伸びました。
渡部 相方に演技を1から10まで教えてもらって、それを吸収できたのかなと言うのはありますね。あと、個人的には今年の2月から本名の渡部恭平から渡部おにぎりに変えて、ちょっと結果が出るようになってきたんです。変えたとたんに「R−1グランプリ」(関西テレビ系)の準決勝まで行けたりして。でも、そこで事件が起きてしまったんですけど(笑)。
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お笑いとは縁遠い幼少期を過ごし、養成所で出会ってから、お互い切磋琢磨し順調に実力をつけてきたふたり。そんな矢先にぶつかった壁とは?
★後編⇒若手の登竜門的大会で次々優勝! ブレイク必至のお笑いコンビ・金の国がしでかした「R-1グランプリ」事件とは?【後編】
●金の国(K I N N O K U N I)
1994年生まれ、神奈川県出身の渡部(わたべ)おにぎり、1993年生まれ、新潟県出身の桃沢健輔(けんすけ)からなるお笑いコンビ。2017年に結成し、本年は『ツギクル芸人グランプリ2021』(フジテレビ)や『マイナビLaughter Night』(TBSラジオ)など、若手の登竜門的な賞を総なめしており、ブレイクが待たれる。金の国YouTubeチャンネル「金の国玉転がしチャンネル」(https://www.youtube.com/channel/UCZlpfTYv4tIKhQQ3vAqxtYw)もチェック
●インタビューマン山下(INTERVIEWMAN YAMASHITA)
1968年、香川県生まれ。92年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも17年に芸人を引退し、ライターに転身。21年、芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している