新宿のマンションのお風呂に入る、子供のころのゆみこ氏

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

銭湯をこよなく愛し、通い続けた談志師匠。談志師匠とゆみこ氏の、銭湯やお風呂にまつわる思い出の数々。

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『銭湯は裏切らない』

立川談志の御託の中で、私がベスト10に入ると思っている言葉。誰にでもこの意味が判るのかしら? 

銭湯はどんな時に行っても、行かなきゃ良かったと思うことはない。天気が悪かったり、嫌な事があったり、モヤモヤしていたりしていても、銭湯の大きな湯船につかり、気が済むまで全身を洗い流す。脱衣所で涼むもよし、牛乳を一気飲みするもよし。下駄箱から履き物を出して、一歩外に出た時に感じる爽快感は特別な感覚。私は毎回「パパー、やっぱり銭湯は裏切らないねー」と必ず思う。うちの家族がみんな銭湯好きのせいかもしれない。

何故そうなのか? 我が家のお風呂の歴史を思い出してみよう。私が生まれた目黒のアパートに、お風呂があったのかわからない。当時赤ちゃんの私は、プラスチックのベビーバスに入れてもらっていたと思う。

次に家族で住んだ新宿のマンションには、お風呂場があった。「マンション」と言っても、バスタブは木で、狭い洗い場にはすのこが敷いてある。お風呂の入り口に2層式の洗濯機が置かれていて、脱衣所スペースはなかった。ただでさえ狭いお風呂場の奥の角に小さな手洗い用のシンクがあり、そこで家族4人が歯を磨き、顔を洗っていた。お風呂で体と髪を洗うたびに、そのシンクにあちこちぶつけて痛かった。

もちろんシャワーなんてなくて、ガスで沸かした湯船のお湯を洗面器ですくって使っていた。洗濯機の隙間を通り抜けお風呂場から脱出しても、そこはトイレの入り口で、ゆっくり体を拭いたり、髪を乾かしたりなんてことは出来なかった。

そんなせいか、私と弟は小さい頃からいつも母と一緒に銭湯へ行っていた。父はいない事が多かったし、家のお風呂にゆっくり入っていたイメージもなく、きっとカラスの行水だったと思う。父と一緒に銭湯に行った記憶はない。父は自分の都合のよい時間に、1人で銭湯に行っていたのだろう。

母と3人で通った新宿の銭湯は『春日湯』といって、大久保通り沿いにあった。子供が歩いても10分位の所だった。『時間ですよ!』というドラマでもそうだったように、当時の銭湯はとても混んでいた。湯船もカランも、みんなで替わりばんこに使っていた。

銭湯には三助さんという男の人がいて、札を買って入ると女湯にも来て背中を流してくれていた。母はよくお願いしていた。お風呂上がりにコーヒー牛乳やパイゲンCを飲めるのがうれしかった。

父は、練馬の家の近くにある『たつの湯』がお気に入りで、「広くていい銭湯だ!」とよく言っていた。銭湯での入浴シーンも、風呂上がりで機嫌のいい父が銭湯の前でタップダンスを踊っている姿も、ビデオに残っている。

私は一人暮らしを初めても、何処に住んでもほぼ毎日銭湯に行っていた。麻布や武蔵小山にはいい銭湯が沢山あった。今住んでいる銀座にも『銀座湯』があり、父が最初に「ここに銭湯があるよ」と案内して教えてくれた。優しい番台の奥さんと常連のおばちゃん達に、いつも癒やして頂いている。

父が最後に暮らした根津にも、30年くらい前には銭湯がたくさんあった。1番近い『山の湯』が、父が通った最後の銭湯だ。『山の湯』は2011年の地震で壊れて閉店してしまった。ちょうど、父が病気で銭湯に行けなくなった頃だった。父の介護をしていた私も母も、『山の湯』がなくなったので遠くの銭湯まで通っていた。

病気でもう銭湯に行けないのに、父は私達が銭湯から帰ってくるとよろこんでくれた。それくらい銭湯を愛していた。1人でお風呂に入れなくなった父に一度、入浴介護をお願いした。狭いマンションに、バスタブを持って何人もの人がやって来て驚いた。父は「二度とごめんだ」と強く拒否した。

仕方がないので、私が父のお風呂係になった。それまで父と一緒にお風呂に入った記憶はなく、不器用な私が喉に穴の空いてる父をお風呂に入れる事は命懸けだった。最初のショックは、父のおちんちんを見たこと。陰毛に白髪がないのが父の自慢だったが、そんなことより触れなかった。最初は「パパ、おちんちんは自分で洗ってね」とお願いしていたが、だんだん弱ってきた頃には仕方なく私が洗った。父は私の顔を見ると「ゆみこ、風呂入ってやろうか」と、私が父とお風呂に入ることを喜んでいると思っていたみたいだった。

そういえばひとつだけ、父が私をお風呂に入れてくれた記憶がある。私がまだ3歳くらいの時に、突然札幌行きの仕事に「ゆみこを連れて行く!」と、誘拐するように私を連れて行ったらしい。

私の記憶では、雪まつりの滑り台で遊ばせてくれて、屋台で味噌ラーメンを小さな器に取り分けてくれた。そして、ホテルの部屋でタオルをピンと両手で張って、パタパタと髪の毛を乾かしてもらった記憶。きっと、お風呂上がりだったのだろう。

残念ながら、父と銭湯に入った記憶はないのだが、『銭湯は裏切らない』。これは我が家の大事なしあわせの基準なのだ。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

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