左からゆみこ氏、談志師匠、弟の慎太郎氏

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

5ヵ月にわたって続いたこのコラムも、今回で最終回。タイトルにもなっている、ゆみこ氏と談志師匠の「しあわせの基準」とは?

* * *

『しあわせの基準』

今回の、私の初めてのつたないエッセイのタイトルだが、考えれば考えるほど、どんどんわからなくなる。父・立川談志はたくさんの家訓というか、御託を遺してくれていて、『幸福の基準を決めよ』も、その中のひとつなのだ。

「しあわせの基準は自分で決めな!」と父は言っているわけで、どんなとき、どんなことでも、自分がしあわせだと思えればそれでよし......なのはすごく良くわかる。自分勝手な私の人生も、色々な人のおかげで幸せだったと思える。病気になったり、騙されたり、妬まれたり、恋人や友人、夫とケンカをしたりと、あまり幸せとは思えないこともあったけれど、病気の時には心配してくれる家族も友人もいた。それまで会った事もないお医者様や看護師さん達のおかげで病気が治り、命を助けてもらった。それはとても幸せなことだ。騙されたり妬まれたりは、自分の責任と未熟さのせいだと思えるし、ケンカになるのも、相手とそれまでに楽しくかけがえのない時間があったからこそだと思う。  

父が死んだ事がいちばん悲しい事ではあるけれど、10年経って、今はその悲しみは寂しさとなって、感謝の気持ちだけが年々大きくなっていく。父の15才の頃の日記には、毎日「腹が減った」とばかり書いてある。戦中戦後に、おばあちゃんが「かっちゃん(おばあちゃんは父のことをそう呼んでいた)、白いご飯があれば何もいらないね」と言った話は、ずっと私の心の中にある。

人間や生きるもの全て、本当にお腹がペコペコなとき、喉がカラカラなときに口に入る食べ物や水は、言葉にならないほど美味しい。それに勝る旨いものはないはずだ。今は贅沢になり過ぎで、食品も飲み物もスイーツも調味料も何もかもが選びきれないほど溢れている。

それでも貪欲な人間は「美味しいーー」を求め続け、私もそうだが「昨日はイタリアンだったから、今日は和食がいいな」とか「あそこのフランスパンが食べたいなぁ」とか、コロナ禍で緊急事態宣言中でも、その欲求は満たされる。コロナの始まりの頃にマスクやトイレットペーパーが品薄になったが、食べ物がなくなった事はない。

父が伝えたかった『幸福の基準』というのは人間の欲の事で、「これくらいあれば十分だろう、あれもこれも、もっともっとはやめようよ!」「これで十分という基準を自分で決めな!」という事なのだと思う。それは食べ物だけでなく、物欲、全てにおいての事だ。

私は父の人生は幸せだったのだろうと思っている。あの世の方がとてつもなくHAPPYなのかもしれないが、教えてくれないからわからない。

父には落語があった。小学生の頃に落語と出会い、15才で落語の世界に入り、死ぬまで落語家だった。父が亡くなる少し前、まだ小さかった孫娘から「ダンはなんで落語家になったの?」と聞かれ、「落語が好きだったから」と父は答えていた。

喉頭癌で声を失った時に、私が「パパ、落語やりたい?」と聞くと、「うん」とうなずいた。そんなふうに言えるものが、私には何もない。その為か、恋愛依存性のけがある私は、好きな人がいれば幸せだった。

「結婚したら別れるな」。これも父の言葉で、2度も離婚した私は、やっとその意味もわかった。父が亡くなった直後に、弟が父の御託カレンダーを作った。10年間、そのカレンダーは、私の家のトイレに貼ってあり、過激な言葉、笑える言葉、優しい言葉、慰めてくれる言葉、勇気をくれる言葉......。毎日の生活を見守ってくれているその言葉達は、生きる事と死ぬ事さえも楽にしてくれる。

その了見は落語の中にある。落語は人を殺さないし、与太郎を仲間外れにしない。甲斐性のない亭主とでも女房は一緒にいるし、貧乏人もケチでセコい金持ちも、みんな一緒に生きている。そもそも人間なんてダメな生き物で、そのダメな部分を笑っちゃう事で生きていられるんだと。 

生意気だが、それが父が落語を愛した原点なんだと思う。奇才、天才、反逆児、色々な言われ方をされている立川談志は、本当にそんじょそこらにいない優しい人です。

今回、貴重な経験をさせて頂いた、もはやチームゆみことなってくれた編集の方々、子供の作文のような私のエッセイを読んで下さった、まだお会いした事もない皆さまに感謝の涙を送ります!

そして最後にパパへ

「パパの遺言通りに、みんな元気に生きてます。孫娘は大人になって、私達は老けました。ママは幸せな未亡人で、うらやましいくらいです。パパは金正日に会えたの? パパーー! たまにはパパに会いたいよ!」

* * *

「ノンクン有り難う。
弓ちゃんも慎ちゃんも元気でネ!
まゆちゃん、まおちゃん健やかに。
その思いをのりこさんに託します。

遺言のつもり
75才 立川談志」

【編集部注: ノンクン/談志師匠の奥様 弓ちゃん/本コラム著者のゆみこ氏 慎ちゃん/ゆみこ氏の弟の慎太郎氏 まゆちゃん、まおちゃん/談志師匠の孫 のりこさん/慎太郎氏の奥様】


連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶サンボマスター山口隆ダンカン毒蝮三太夫との対談動画公開中!