希代の天才落語家、立川談志が亡くなって11月で10年。立川志の輔をして「立川談志の原石を持った人」と言わしめる、立川談志の長女・松岡ゆみこが、父・談志とゆかりのある方々と対談をする不定期連載企画。

第3回は、立川談志の元弟子「立川談かん」であり、ビートたけしの弟子・ダンカンが登場。ほかの人では知りえない、天才ふたりのエピソードを語る。

* * *

■ダンカンの「談かん」修業時代

ダンカン コロナは大丈夫ですか? 俺は昨日、PCR検査を受けたよ、ゲホゲホッ!(せき込む)

ゆみこ 大丈夫ですか?

ダンカン 陽性だったんですよ、っていうふうに(笑)、談志師匠は伝染病とかがあると、必ず高座のまくらでやってたもんね。

ゆみこ 最近コロナに振り回されてるけど、今の時代にいたらなんて言ったかな?

ダンカン 日本で最後のひとりになるまでマスクしないね。よくバンダナしてたけど、おでこのへんにマスクするようなギャグをやってね(笑)。

ゆみこ ダンカンさんはそもそも落語家になろうと思って、立川談志のお弟子さんになったわけですよね?

ダンカン そうです、22歳のとき。20歳過ぎの頃から、師匠のお弟子さんである(立川)談之助兄さんだとか、(林家)しん平兄さんだとか、(三遊亭)圓丈師匠の「実験落語」というのがあって、そこに通わせてもらってたんですよ。

ゆみこ すぐ弟子になれたんですか? 

ダンカン これが、すぐなれたんですね。知り合いに漫画家の高 信太郎(こう・しんたろう)先生がいて。あの人はテレビ演芸の審査員をやっていたから、高先生に「談志師匠の弟子になりたいんだけど」「ああ、知ってるよ」って。で、池袋演芸場にふたりで行って。

忘れもしません、あれは9月13日のことです。当時、談志が出るということでファンが詰めかけて、立ち見まで出る状態。そして高座に師匠が出てきて最初のひと言が、「さっき金原亭(きんげんてい)の馬生(ばしょう)が亡くなったんだよ」って。(古今亭)志ん生師匠の息子さんですよね。「こんな日に弟子入りなんか絶対無理だ」と思って。でも「せっかく来たんだから」ということで楽屋に顔出ししたんです。そうしたら、談志師匠はいつものように小さなコップにビール。

ゆみこ お酒は強くないですね。

ダンカン 上は肌着1枚だったかな? そうしたら高先生が正座して、「高 信太郎と申します、初めまして」って。初めましてだったの(笑)。

でも、談志師匠は「おまえのことは知ってる。マンガはへただけど味があるな」と言って。「打ち上げに行くから。その後、おまえらに会うよ」と言ってくれて。池袋北口の居酒屋さんだったかな。われわれは入り口に近いカウンターの隅で待っていて。そこで師匠に「やる気あるのか?」と聞かれて。「いやー、あんまり」と言うわけにいかないもんね。

ゆみこ そりゃそうだね(笑)。

ダンカン 師匠の機嫌がよかったんだね。「明日から来いや」と言って、そこで入っちゃった。

ゆみこ (立川)志の輔さんより先?

ダンカン 私のほうが先輩です、志の輔を育てた男ですからね(笑)。志の輔は29歳の弟子入りで。師匠のところはしくじると全体責任で、「全員クビ」という空気があった。師匠、あのとき40代頭ぐらいじゃないかな、人間的にもピリピリしてる頃。

ゆみこ ダンカンさんの修業中の話は特に面白いですよね。

ダンカン 師匠の練馬の家は、庭が広いんですよ。ある日師匠に「庭の草抜いとけ」って言われて。俺は草刈りをするために弟子になったわけじゃない......若いからイライラしてたんですよ。古典落語って面白くもなんともないなって。

ゆみこ よく言うよね(笑)。

ダンカン そんなことを思ってたから、「草っていうのはどのぐらいのやつですか?」と聞いて、「このぐらいの、そのへんのやつ!」と言われたもんだから、夕方暮れかかってくるぐらいまで、自分より低い植木は全部抜いて更地にしましたよ(笑)。

ゆみこ 怒ったでしょう?

ダンカン 「何してくれたんだ!」って。さすがに殴られるんじゃないかと思って、武蔵関(むさしせき)の駅のほうに逃げたんですよ。やってることが子供でしょう(笑)。でも、あのへんって植木屋さんの畑が連なっていて、立派な植木がいっぱいあったんです。薄暗くなり始めているから、枝ぶりのいいやつを抜いて。

ゆみこ 泥棒?

ダンカン そういう言い方も世間にはあるみたいですけどね(笑)。公衆電話から「師匠、近所の畑から立派な植木を何十本も手に入れました」って。また怒られるかと思ったら、電話の向こうで「でかした」(笑)。「今からロープを呼ぶから」って。ロープというのは長縄さんという、師匠の当時のマネジャーさん。ロープさんと師匠が車で来て、3人で泥棒ですよ。

ゆみこ じゃあ、今庭にある花の咲かないツツジは?

ダンカン 2代目じゃないかな(笑)。あと、師匠へのお歳暮はひと夏に80個から90個は届くんですけど、その5分の1は俺が勝手に食ってましたから(笑)。師匠はときたま海外の落語会へ行くんですよ。

ゆみこ 旅が多くて留守が多かったですよね。

ダンカン 2週間ぐらいで各国回るんですね。弟子は交代で練馬の家の管理に行くんですけど、師匠が明日帰ってくるというときに俺の番になって。「いいハムが腐っちゃうな」とか、「いい酒があるな」とか思ってるうちに、不思議ですね、人間目の前にあると、いただいちゃうんですね(笑)。だんだんエンジンがかかってきちゃって。そう思ったら、リビングの奥に桐のタンスがあるんですよ。

ゆみこ 衣装が入っているやつ。

ダンカン 開けたら、見たこともない大島紬(つむぎ)の着物とかあるんです。ちょっと着ちゃおうかなと思って。せっかくだからって5枚ぐらい重ねて。帯も4、5本ぐらいして、師匠の自慢のテンガロンハットもかぶって。

ゆみこ 練馬の家で酔っぱらって、遊んでたわけだ。

ダンカン 夜も深くなってきたから「片づけよう」って思ったら、着物が畳めないんだよ。

ゆみこ 教わってなかったの?

ダンカン 着物はどうにかなっても、袴(はかま)が絶対無理。慌てて志の輔に電話したんだけど連絡が取れない。参ったなと思ったけど、しょうがないから開き直って、そこでまた1杯いただいて(笑)。

次の日、昼頃に志の輔から連絡があって。志の輔は自分の人生をかけて弟子入りしてきてるから、全体責任で「全員クビ」というのは一番困る。志の輔が修業中に心がけたことは、俺が師匠の前にいる時間をいかに少なくするかだったのね(笑)。だから志の輔が後始末を全部やってくれた。「いい弟弟子を持った、ありがとう。取りあえずワイン飲むか?」と言っても、さすがに飲まなかったね(笑)。

ゆみこ 志の輔さんはまじめだよね。談志と一緒に地方に行った経験はないの? 

ダンカン 都内は連れていってくれるんですけどね。いざとなると、やっぱり志の輔を連れていくんですよ。

ゆみこ やっぱりね(笑)。

ダンカン あるとき、「東宝名人会」にふたりして電車で行ったんですよ、西武線で。師匠が隣に座っていて、「太鼓を覚えなくちゃいけない、教えてやる。テンツクテンツク......」と聞いてるうちに、のどかでポカポカして気持ちいいなと思った次の瞬間、師匠の声が上から聞こえてくるんだよね。「エッ」と思ったら俺、師匠の膝枕で寝てたんだよ。

ゆみこ 肩じゃなくて膝?

ダンカン 「バカ野郎!」って言われたけど、怒られなかった。

ゆみこ なんなんだろうね、怒られないタイプというか。

ダンカン バカだったんだろうね。でも初めて長女ができたときに師匠のところに連れていったら、すげえ喜んでくれたよ。「3歳までは夫婦交代でもいいからずっと抱け。サルも一緒なんだよ。3歳まで抱くと一生親のことを忘れない」って。うちの子はサルか、と思ったけど(笑)。あと、師匠は機械音痴だったね。

ゆみこ ダンカンさんは得意なんですか?

ダンカン 得意じゃないよ。師匠が「カセットレコーダーを買ったんだけど鳴らない」と言うから「師匠、このONのボタンを押しました?」って聞くと、「なんだそれは」って。ONに入れた瞬間に音が出て、「おまえ、理工学部か?」とか意味のわからないことを言ってた(笑)。

■ビートたけしに弟子入り

ゆみこ その1年の修業の間に、談志の弟子を辞めてビートたけしさんのところに行こうと決めたのは何か理由があるの?

ダンカン なんだろうな、師匠が嫌いということはまったくないし。大好きだったもんね、面白いんだもん。こんな大人見たことない、というふうにドキドキしてた。ただ、こういう大人にはなりたくない、とも同時に思ってる自分もいたけどね。

ゆみこ なるほどね(笑)。

ダンカン たけしさんもまた、談志師匠と同じような感覚だぞって思った。大人なのに面白いと思ったことを素直に言っちゃってるんでね。

ゆみこ たけしさんはツービートの頃?

ダンカン ツービートだね。談志師匠に「たけしさんの弟子になりたい」と言いに行ったら、師匠が洋酒瓶の並んでいる所に行って、パッと1本取って。その様子をのぞいてたほかの弟子たちは、その瓶で俺の頭をカチ割るんだろうなと思った。

でも師匠はその瓶を目の前に出して「これ持ってたけしのところに行け」って。「テレビ朝日の地下の、A控室に今たけしはいるから。マネジャーとも連絡取ってやる。俺の言うことだったら邪険にはしないはずだから。ちゃんとやれよ、恥ずかしい思いさせるなよ」って。

ゆみこ 優しい。そのお酒を持って、たけしさんのところに行ったんですか?

ダンカン すぐ行った。『クイズ!! マガジン』の楽屋だった。

ゆみこ たけしさんのリアクションはどんなだったの?

ダンカン 「おまえはひどい顔してんな」って。

ゆみこ それが第一声?

ダンカン うん。「ヒ素でも食ったか?」って(笑)。「談志師匠に頼まれたら断るわけにいかねえよ。松尾ってのがいるから、それに聞いてよ」って。松尾憲造(現・松尾伴内)が18歳で、高校を出てすぐ弟子入りに、東君(そのまんま東、現・東国原英夫)の後ぐらいに来てるわけですね。

ゆみこ その時点でたけしさんにはお弟子さん何人かいらっしゃったんですか? 

ダンカン 東君と松尾君と、大森君(大森うたえもん)がいたのかな。

ゆみこ 談志とたけしさんの間を平気で渡り歩いたダンカンさんってすごいよね。

ダンカン コウモリの天才だね(笑)。時間を共有させていただくと、ふたりとも似てるところがありましたね、どちらも寂しがり屋で。

ゆみこ 父が亡くなった2011年の夏、ダンカンさんが家にひょっこり来てくれたことがあるじゃないですか、ゼリーを持って。そのとき、家族は父の病気の状態をお弟子さんにも隠していたし、喉に穴を開けてしゃべれなくなった父を人前にさらしたくはなかった時期で。

ダンカン 当然でしょうね、家族としては。

ゆみこ みんなにお見舞いに来ないでくださいと言ってたんだけれども、ダンカンさんがいらしてくださったときに、私と父はふたりきりで部屋にいたんです。「ダンカンさん来たけど」と言ったら、「いいよ、会うよ」と言って。ダンカンさんも、父があんな状況になってるって思ってないじゃない? さぞかしビックリしたと思うんですよ。

ダンカン 喉に穴を開けて、一番大切な声を失ったわけですよね。だけど俺の中では「よく来たな」とか、それくらいの声は出るものだと思ったら、出ない。

ゆみこ そのとき筆談した?

ダンカン ゆみこちゃんが紙を持ってきてくれたんだよね。まず師匠が書いたのは、「たけしに迷惑かけてねえか」って。

ゆみこ 泣けるね。

ダンカン 泣いちゃうね。「大丈夫です」って言ったら、また紙を渡してくれて「子供はちゃんと大切にしてるか」って。「師匠に見てもらった長女からその後、俺はどうにかちゃんと育ててますよ」って。そのふたつのやりとりははっきり覚えてるけど、それ以外ほとんど覚えてない。今でも涙が出るけど、もう字も見たくなかったし、師匠の顔も見られなかった。

ゆみこ ダンカンさんはパパの前で涙を見せないように我慢していたけど、マンションを出たら泣いちゃって。でも、最後にすごくいいお別れができてるね。ほかのお弟子さんがやきもち焼くんじゃないかっていうぐらい。いただいたゼリーも、父が最後に口に入れた数少ない食べ物のひとつですよ。

ダンカン それ聞いたとき、「少しでも役に立った、よかった」と。でも涙を流している場合じゃなくて、師匠が生き方として教えてくれた落語の伝統芸術は、俺は絶対に継承できないけど、師匠の破天荒なような部分についてはつないでいって、若い者に「いいんだよ、こういうバカが世の中にはいても」というのは残していけたらと思うね。

ゆみこ もうひとつ聞きたいのが、ダンカンさんにしかわからないことだけど、談志とたけしさんの関係というか。

ダンカン ふたりともすごく寂しい部分を持っててね。周りに人は寄ってきて楽しい時間を過ごしているんだけど、でも、人間は闘うときはひとりで闘わなくちゃいけないんだよって、ふたりとも教えてくれた気がする。

談志師匠が「おまえ、悪い人間になれ」って言うんですよ。「いい人間のことなんか、誰が世の中に広めてくれるんだ。悪い人間だったら、尾ひれをつけて広めてくれるんだから」って。で、たけしさんのところに行ったら、たけしさんも「欽ちゃん(萩本欽一)いい人だろ。いい人だと大変だぞ」って。例えばもし欽ちゃんが何か事件を起こしたら、みんな一斉に叩くでしょう。でも悪いやつなら「どうせそんなもんだ」と思われると。

ゆみこ 談志がやった、たけしさんがやったといったら「しょうがない」ってなるもんね。

ダンカン ふたりはすごく似てるところもある。でも、そういう覚悟で生きるというのは、ひとりで闘っていくという心構えがないとできないなと感じましたね。

ゆみこ ふたりからそんなにかわいがられたお弟子さんは、本当に珍しいね。

ダンカン でも、俺も談志師匠のところ10回はクビになってるよ。たけし軍団に行ってから、談志師匠のお弟子さんからいきなり電話があって「師匠が『ダンカンはクビだ』って言ってます」と。

心当たりもないし、何がなんだかわからないけど「明日師匠どこにいる?」「上野のなんとかっていう飲み屋で取材を受けてます」と。だから伊勢丹の菓子折りを持っていって、「このたびはすいませんでした」って。何がすいませんかもわからないんだけど(笑)。そうすると、「何しに来たんだ? 1杯飲んでいくか?」って。

ゆみこ 本当に怒っているときもあるでしょうけど、なんか寂しくなって「会いに来いよ」って言う代わりに、そういうふうに呼んでたのかもね。

■今も生き続ける「立川談志」

ゆみこ 最近思うんだけど、父が早い段階から「老いる」ということを意識していて。「死にたい」って60歳ぐらいから言いだして。老いるということが怖かったし、受け入れられずに。精神と肉体のことばっかり語っていた時期があって。精神は大人になっていくけれど、肉体は衰えるからついてこないと。

ダンカン 俺にも話してくれましたよ。

ゆみこ 落語も、今やりたい芸に対して、若いときだったら出た声が出ないだとか、そのギャップのことをノイローゼみたいに言ってた。父が75歳で亡くなって、みんな「早かったですね」って言うけど、私は決して早かったと思ってなくて。あのタイミングを逃して今生きていても、父は幸せじゃなかったんじゃないかなと思っちゃうのね。

ダンカン ......なんだろうな、師匠は、それでもやっぱり生きていてくれたほうが俺はよかったな。それは血がつながってないからかもしれないけど。いくつになっても「バカだな、ダメだよ」って怒ってくれる人がいるほうが幸せだなと思うからね。

ゆみこ だけど最後に会ったときも、もう怒らなくなってたよ。

ダンカン 確かに。

ゆみこ 生き続けるというのはそこが過酷で。あんばいのいい談志のまま80歳や90歳になるというのはできなくて。老いるのがいやだと言ってたから、私は本当にいいところで亡くなれたんだなというふうに......思ってるというか、思おうとしてるのかもしれないけれど。

ダンカン 時代的には一番いい時代でしたよね。

ゆみこ 喉に穴開けて声を失う、その2週間前まで落語をやってたんだもん。それもカッコいいじゃない。生涯現役って本当に言える生き方だったし。

声が出なくなってからも、「まだ落語やりたい?」って聞くと、「うん」って言ってた。思い出すとまた泣けてきちゃうけど、10年たってもこうやって話が尽きないというのは、本当に談志の娘冥利(みょうり)に尽きます。

ダンカン 全国の師匠の被害者の方、たくさんいると思うんでね。「あんなひどい人はいない」って、どんどん募集しましょう(笑)。そうじゃないと、師匠がずっと生きてるっていうことにならないんだ。霊媒師に師匠を降ろしてもらって、みんなで糾弾するっていう。

ゆみこ そういうことがやりたいね(笑)。

●立川談志(たてかわ・だんし) 
本名、松岡克由(まつおか・かつよし)。「落語立川流」家元。落語家としてだけでなく、一時期は政治家としても活躍。『笑点』を作った人物でもある。2011年11月21日、75歳没。

●ダンカン 
1959年1月3日生まれ。22歳で立川談志に弟子入りし、その後ビートたけしに弟子入り。俳優や放送作家としても活躍。現在は(株)TAPの専務取締役も務める。最新刊『ダンカンの企画書』(スモール出版)が好評発売中。

●松岡ゆみこ 
元タレント、クラブ経営者。落語家・立川談志の長女。著書に立川談志が息を引き取るまでの9ヵ月間を記録した『ザッツ・ア・プレンティー』(亜紀書房)がある。週プレNEWSにて『しあわせの基準 私のパパは立川談志』(連載終了)が掲載中。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』(連載終了)が掲載中。

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