希代の天才落語家、立川談志(たてかわ・だんし)が亡くなって2021年11月で10年。立川志の輔をして「立川談志の原石を持った人」と言わしめる、立川談志の長女・松岡ゆみこが、父・談志とゆかりのある方々と対談をする不定期連載企画。

最終回は、立川談志8番目の弟子である立川志の輔(たてかわ・しのすけ)。落語はもちろん、テレビにCMにとマルチに活躍する立川流きっての売れっ子が、師匠について何を語るのか?

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■立川談志のハードディスク

ゆみこ お忙しいなか、『徹子の部屋』の収録終わりでお越しいただいて。

志の輔 1990年に師匠が『徹子の部屋』に出たときの映像を見せてもらいました。トレーナーにバンダナ姿で出演していて。(黒柳)徹子さんがショックだったのは、いくら「普段着でどうぞ」といっても、普通はそれなりの格好してくるじゃない(笑)。だから忘れられないんでしょうね。「おかしな人ね、この人」と言ってました(笑)。

没後10年がたったけど、師匠自身が楽になったことは、頭のハードディスクをやっと止められたこと......いや、まだ上で回っているかもしれないけど。

ゆみこ 「こっちは倍速だよ」なんて言ったりして。

志の輔 寝ている間もハードディスクが回り続けているような師匠だったから。何が面白いか、人は何にビックリするか。「止めないでいいの?」って言いたくなるぐらいに回りっぱなしでしたね。

ゆみこ リラックスするのがヘタで、お酒もそんなに飲めなかったし。パパの人生を考えると、落語協会を急に脱退【※1】して立川流をつくるとか、国会議員に立候補しちゃったりとか、それは思いつきなのか、それとも考えや青写真があったのかというと、私には両方の可能性を感じられるのね。でも、実は確信犯だったんじゃないかなという思いが強くなってきた。

※1......落語協会を急に脱退 1983年、弟子の真打昇進試験の結果に異を唱え、落語協会を脱退。落語立川流を創設した。

志の輔 師匠は色紙に「人生成り行き」って何千枚、何万枚と書いてきましたよね。そのたびに思っていたのは、師匠の人生はちっとも「成り行き」じゃなくて。本人は考えに考え抜いてやってるのに、人には「人生は成り行きだから、適当にやってろ」って......。

ゆみこ 自分のことも「成り行きだ」って言うよ?

志の輔 いや、成り行きじゃないから、成り行きだと思わせようと。

ゆみこ 自分が思いたいんだ。

志の輔 そうとでも言ってないと、あれだけハードディスクが回り続けている状況では持たなかったんだと思いますよ。「師匠はウチではどうなんだ?」と聞くと、弟くん【※2】は「家でも立川談志でした」と。

※2......弟くん 立川談志の長男、松岡慎太郎氏のこと。松岡ゆみこの弟に当たる。

ゆみこ そうなの。お弟子さんたちから「最後は松岡克由(立川談志の本名)に戻って、家族の元に帰ったんですね」と言われるけど、本人ももちろん、私たち家族も誰ひとりそう思ってません。ずっと立川談志のまんま。

志の輔 そうだよね。

ゆみこ だけども、家族のことを誰よりも愛していたというのも、これも本当なわけで。家に帰ってきて松岡克由になるわけではなく、「家族が好きな立川談志」がいるだけなんだよね。

■「師匠が私を呼んだ」

志の輔 師匠が生きている間には絶対言えなかったことがあって。「死んだから言えるんだろう」ということを承知の上で、「僕が師匠の下に来たんじゃなくて、師匠が私を呼んだでしょう」って。

ゆみこ 聞いてみたかった?

志の輔 私は弟子入り前に6年ほど、劇団の養成所に行ったり、広告の世界でサラリーマンをやったりして、回り道をして28歳で落語家になりました。そして半年たったら師匠が落語協会を脱退することになって寄席(よせ)に一度も入ることがなく、世間を騒がすことばっかり続いて。みんなから「そんな厳しい師匠を選んで、バカだね」とか言われたけど、やっていけばいくほど「談志の弟子になってよかった」と思うことの連続なんですけど。

談志と共に30年、そして没後10年、合計40年。とにかく談志師匠が言っていることはひとつひとつ合ってて、落語って何かを教えてくれていた。

ゆみこ 立川流創設後の第1号だもんね、志の輔さんは。

志の輔 どう考えても師匠に「呼ばれた」んだよなと。

ゆみこ でも、ほかにも選択肢はあったでしょう?

志の輔 18歳のときだったらそうかもしれないけど。私は人を楽しませるという芸能か芸術に就きたいと思ってて、まず「劇団昴(すばる)」の養成所の道を自分で選んで、その後広告の世界も選んだ。振り返ってみると養成所に2年、広告に4年いたこの6年って、「志の輔らくご」を形成しているものすごく大きなエレメンツだったんだと思う。

ゆみこ わかる。

志の輔 そして終着点が談志なわけですよ。談志が立川流をつくるまで、ずっと外で待ってたんじゃないかと(笑)。

ゆみこ すごい話。

志の輔 師匠の独特の「いいか、修行というのは理不尽に耐えることだ。腹が立ったりしても、それをおまえの中で乗り越えていく、これが修行だ」って、そういうことを言われながら、ずっとふつふつと「私は呼ばれたんだ」と。

ゆみこ 前座さんと一緒にいるとき、パパはずっとしゃべってるじゃない? あれエネルギーの無駄遣いだと思うんだけど。

志の輔 全然無駄じゃない。私は弟子と一緒にいても、寝るときはぐっすり寝ます。自分の体の状況が大事だから。師匠は一緒に車に乗っていても飛行機でも新幹線でも、一度も寝たことがない。

ゆみこ ずっとしゃべってるんでしょう? うるさい~(笑)。

志の輔 それは娘にしか言えないことだ(笑)。でも、自分が面白いと思っていることや不思議だと思っていることを、全部しゃべってくれる。弟子にまでサービス精神なんだよね。こんな時間を寝るなんてもったいないなと。そのおかげで、師匠というのは人を喜ばせるとか、人を気遣うということにおいて最高の人だと、カバンを持っていてわかったんですよ。

ゆみこ でも、一緒に映画見に行ってもずっとしゃべってるんだから。「ここが一番いいシーンだぞ、見とけ。わかったか? これがああで、こうで......」って全部言っちゃう(笑)。

志の輔 試写会に連れていってもらうことがあって。一番前に師匠が座ってその横でカバンを持っていると、始まって5分もたたないうちに「駄目だ、この映画は」と言って立ち上がっていく。入り口にいる映画会社の人たちが、「今入ったばかりなのに......」(笑)。

ゆみこ 最後まで見ただけで「談志が最後まで見た映画」っていうキャッチがつけられるぐらいだったらしいよ。

志の輔 談志は一切謝らない。「こんなものをよくやるな」という顔をしていく、その後ろから、私が関係者の方々に「申し訳ございません」って(笑)。

ゆみこ 前座を何年やってたんですか?

志の輔 2年。私を早く前座から二つ目にして、二つ目から真打にしないと立川流が......というのは、それはもう私もわかっているわけですよ。

ゆみこ それも含めて「呼ばれた」というか。

志の輔 前座は楽しい時間じゃないから短いほどうれしいけれど、師匠はものすごく焦って。それも含めて私は、今天国に向かって「私を呼びましたね」っていう。

ゆみこ 前座としてパパについていた2年間、私のラジオ【※3】に来たときもそうでしょう?

※3......レギュラー出演していたTBSラジオ『エド山口のまんてんワイド』のこと。

志の輔 そう。娘のラジオの初日を祝いに談志がTBSに行くと。でも、そのラジオはあっという間にやめましたよね?

ゆみこ ラジオだけじゃないよ。私、あのとき飛ばした番組、7、8本あるんだよ(笑)。蝮(まむし)さん(毒蝮三太夫/どくまむし・さんだゆう)と(片岡)鶴太郎さんとやってた生放送にも行かなかった。「まこと(松岡ゆみこの当時の芸名)、どこにいるんだ。連絡くれ」ってふたりがカンペを出したのをテレビで見たの。それで怖くなって、パパに泣きついたのよ。ここぞとばかりに叱られると思っていたら、「心配するな。俺がおまえの代わりに戦ってやる」と。

そのとき初めて「パパカッコいい」と思ったんだから。パパひとりで記者会見やったんだよ。会見に来た人たちは「この親にして、この子あり」って、あきれるしかなかったと思う(笑)。だからパパには毎日お礼しかないの。それが20歳のとき。

志の輔 娘が華々しく芸能界デビューしたのに、「それを半年でやめると言いやがった。こいつは本当に頭がいいから、ラジオとかマスコミなんてろくなもんじゃねえっていうことを半年でわかるんですよ、芸能界の嘘を見抜いたんだ」と。あの言葉が言える父親って、世の中にあの人しかいないでしょう?(笑)

ゆみこ お弟子さんたちは、誰もパパに殴られたことはないよね?

志の輔 ないですね。師匠は手を上げなかった。その分、あなたにいったの?

ゆみこ 男のお弟子さんに手を上げないのに、当時15、16歳の女のコの私をボコボコに殴ったんだよ?

志の輔 徹子さんが「娘さんに手を上げられたそうですね」って聞いたら、「口でどれだけ言ってたって区切りがつかねえ。そういうときにはしょうがない、一発殴って区切りっていうことにするとわかりやすいから、そうしただけのことで」って。

ゆみこ パパの古い音源がYouTubeに出てくるじゃない? 再生したら、その当時の心境を語ってるわけ。なぜ娘を殴ったか? うちの娘は不良になっちゃったと。「親戚の家に泊まってきます」と言ったら、帰ってこなくても腹も立たないと。「修学旅行に行ってます」、それも腹が立たない。じゃあなんで腹が立つんだというと「やっぱり男ですよね。女は傷ものじゃないほうがいい。まっさらなほうが、どこかに行くときに有利だ」とか言ってるの。そんなのをこの年になって聴いてさ。

志の輔 それがYouTubeに上がってるの?

ゆみこ そうよ。それがなかったら、なぜ殴ったかいまだに謎なんだよ。

志の輔 それ、絶対師匠が上から流してるんだと思いますよ(笑)。

■『ためしてガッテン』にクレーム!?

ゆみこ 新作落語【※4】をやったときは最初に相談したの?

※4......新作落語 志の輔が創作した新作落語は「親の顔」「はんどたおる」「ガラガラ」など。

志の輔 うーん、しなかったな。師匠は基本的に、新作はあまり認めてなかったから。でも本当にホメてくれてね。PARCO劇場で、実際に合唱団が60人出てくる「歓喜の歌」という新作落語を、お正月からの1ヵ月、公演をやってた。

ある日、途中で「師匠が来てますよ」と。公演の最後に「今日はうちの師匠が見に来てくれて、ありがたいことで。もう帰ったと思いますけど」と言ったら、「いるよ!」って(笑)。「よろしかったらステージにお願いできませんか?」「めんどくせえな」と言いながら。

ゆみこ 出るのが大好きだからね。

志の輔 「毎年1万人がここに集まって、志の輔の落語を聴きに来るっていうから、嘘つけと思って来たんだけど、これだけのことをやってりゃ来ますわね」という、最高の言い方でホメてくれて。正月早々、どんなにつらいこともこれでご破算になるじゃないですか。

でもその翌週くらいに弟子が「師匠がPARCOのこと話してましたよ、素晴らしかったって。『ああいうことをやれるのは、うちの弟子でもあいつだけだろう。だけどね、落語が終わった後に後ろが開くと合唱団が60人いて歌を歌うなんていうのは、田舎者にしかできませんよ』って言ってました」と(笑)。

ゆみこ 『ためしてガッテン』【※5】のこともあったよね。

※5......『ためしてガッテン』 1995年からNHKで放送された、志の輔が司会を務める生活情報番組。現在はタイトルを『ガッテン!』に変更し放映中。

志の輔 師匠が番組に出てくれたんですよ。NHKもスタジオに呼ぶ勇気はなかったのか、VTRで(笑)。師匠の疑問を番組で解決しようと根津の自宅へカメラが行って。

そうしたら「唐辛子はなぜ辛いんだ。それが不思議でならねえ。ほかの食べ物は熟して甘くなる。それは鳥に食べてもらえるからだ。そいつが飛んでいって糞(ふん)で落としゃ、子孫が世界中に広がる。でも唐辛子は辛かったら、食ってもらえねえじゃねえか。バカなんじゃねえかあいつら」と言われて。それでうちの弟子をメキシコに行かせて。

ゆみこ 調べたの?

志の輔 そう。そうしたら、普通の鳥はやはり唐辛子を食べない。辛いとか甘いとか認識できない鳥が、悠々と唐辛子を食べ、全世界でばらまいている、ということがわかった。

で、そのVTRを流して、私がカメラに向かって「というわけで師匠、ガッテンしていただけましたでしょうか? ああ、ありがとうございます!」と言って番組は進んだわけだけど、終わった後でスタッフルームの電話が鳴って「ああ、談志だけどね。あの程度で俺がガッテンできると思うか?」と。

ゆみこ 本当に?

志の輔 プロデューサーが根津まで謝りに行ったんですよ。そうしたら「悪いね、わざわざ来てくれて。ただ、人間というのは何が一番大事だって、プライドほど大事なものはない。ああやって弟子がカメラに向かって『師匠、ガッテンしていただけましたでしょうか?』と言って、俺があたかもガッテンしたかのごとく番組が進んでいくというのは、いたくプライドを傷つけられた」って。

ゆみこ うわ~。

志の輔 「だから電話で怒鳴ったんだ」って。確かにおっしゃるとおりでしたと。

ゆみこ でも動物ネタも、そういう話が解決することも大好きだよ。

志の輔 ひとつ間違えたのは「師匠、これでガッテンしていただけるかどうかを、後日師匠のところに伺いますのでお願いします」と言えばよかった(笑)。それを「ふざけるな、俺が何も言ってねえのに」と。

ゆみこ 細かいというか、ウザいというか(笑)。

志の輔 でも、ドキドキしながらお茶菓子持っていって、「てめえら!」ぐらいのことを言われるのかと思っていたら、小さい声で「悪いね、わざわざ来てくれて」って。NHKの人たちも全員が「素晴らしい師匠ですね」と、本当にそう思って帰ってくるんだから。

■談志師匠の「理不尽」

ゆみこ 親子会【※6】を新橋演舞場でやったよね。そのときパパは機嫌がよくなかったね。

※6......親子会 2006年に開催された、談志・志の輔の師弟による、親子落語会のこと。

志の輔 よくなかった。

ゆみこ 私も一緒にいて、「今日のは俺の客じゃない」って言い出したわけ。演舞場だから、きれいな着物を着たお客さまが多くて、「それは志の輔の客だろう」と、はなからふてくされ気味で。それで花道から登場して第一声、「お〇んこ!」ですよ。きれいに着物を着てきた品のいいお客さまたちをドン引きさせて(笑)。

志の輔 でも、自分の弟子の晴れの日に「俺の客じゃねえ、こいつの客ばっかりじゃねえか」なんてことを正直に吐露する師匠はほかに絶対いないですよ。後にも先にも、おそらく落語界の歴史の中でも。

もっといったら、歌舞伎界だろうがどこだろうが、そんなこと言う人います?(笑)。本当はそんなこと、ものともしないんだもん。談志ワールドでどうにでもできる。なのにカメラが回っていたりすると、「師匠をイライラさせるぐらいに、志の輔はお客さんを呼んだんだ」というふうに、見ている人が思うようにやってるんじゃないか、と思うほど。結果的にはちゃんと落語を2席やってくれて。

ゆみこ ほかに理不尽なことされなかった?

志の輔 入門して何日後かな? 山手線が止まって遅刻したんですよ。「山手線が止まって遅れまして、誠に申し訳ございませんでした」と正座して言ったんです。私がついこの間までいたサラリーマンの世界では十分通用する言い訳ですよ。でも師匠は「いいか、動いてるものは止まることがあるっていうことをよく覚えておかなきゃいけないんだ」と(笑)。そこからがすべての始まりですからね。

ゆみこ すごいね。

志の輔 「大変だったな」じゃないんですよ。会社だったら「よくこの時間に来られたな」って、ホメてもらえるくらいなのに。

ゆみこ 私が幼稚園で朝出かけるときに、「車に気をつけて行っておいで」と言うのが普通じゃない? でもその当時、ママがすごいの。「パパ、どんなに子供が気をつけてたって、頭のおかしな運転手がいることもあるわよね」と言ったら、「そういうことなんだよ」って(笑)。子供が幼稚園に行くお見送りがそれだから。

志の輔 やっぱり松岡家はおかしい(笑)。お父さんと釣り合いが取れるぐらいに、お母さんも素晴らしいですもんね。

私たちはおかみさんのほうにつきたいなと思ったことがあって。師匠は弟子によく「掃除しとけと言ったろ。なんでやっておかないんだ!」って言うの。そう言いながらも、落語のマクラになると「ウチの女房が変わっててね、『掃除したらどうだ?』と言うと『埃(ほこり)なんて右から左へずらしてるだけで地球のどこかにあるわけでしょう? どこにあったって同じなんだから、うちに置いておいてあげたいのよ』って言うんだよ」と。この考えを許すんだったら、弟子が掃除しなかったことも許してくれよと(笑)。 

ゆみこ パパがよく「死にたい、死にたい」言ってるから、「私は理想を言えば、パパより先に死にたい」と言ったら、普通の親だったら怒るじゃない? そうじゃなくて「わかるよ、ゆみこ」と言った後に、「でもな、俺より先に死なないでほしい」と言ったの。やっぱりちょっと特別だね。

あと、パパの日記。パパの10代の頃の日記が、本になりました。で、あの慎ちゃん【※7】がそれを見て変わっちゃったの。その日記があまりにも純真で優しいから「本当に優しい人だったんだね」と言うようになって。立川談志像がさらにグレードアップされて、訳わからなくなってきてる。

※7......慎ちゃん 前出の松岡慎太郎氏のこと。

志の輔 だけどおかしくない? 没後10年というときに、息子が10代の日記を探し出して読むというのも。これもまた全部上からの指令だと思いますよ、どう考えたってタイミングが良すぎるもの(笑)。

●立川談志(たてかわ・だんし) 
本名、松岡克由(まつおか かつよし)。「落語立川流」家元。落語家だけでなく、一時期は政治家としても活躍。『笑点』を作った人物でもある。2011年11月21日、75歳没。

●立川志の輔(たてかわ・しのすけ) 
1954年2月15日生まれ、富山県出身。明治大学を卒業後、劇団や広告代理店勤務を経て、28歳で立川談志に弟子入り。2015年に紫綬褒章を受章。2022年1月5日~31日、渋谷・PARCO劇場にて「志の輔らくご 伊能図完成200+1年記念『大河への道』」を上演予定。

●松岡ゆみこ 
元タレント、クラブ経営者。落語家・立川談志の長女。著書に立川談志が息を引き取るまでの9カ月間を記録した『ザッツ・ア・プレンティー』(亜紀書房)がある。週プレNEWSにて『しあわせの基準 私のパパは立川談志』(連載終了)が公開中。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』(連載終了)全33回が公開中。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶サンボマスター山口隆ダンカン毒蝮三太夫との対談動画公開中!