いつもはあまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく連載コラム『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』が、『週プレ プラス!』にて好評連載中だ。

"カメラマン側から見た視点"が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4話にわたってお送りする。

第4回目のゲストは、先月発売された水湊みお1st写真集『みなとみないと』をはじめ、アイドルからセクシー女優まで、多くの女性タレント写真集を取り下ろしてきた西條彰仁氏。サッカー少年だった学生時代から、グラビアカメラマンに辿り着くまでのキャリアを聞いた。

* * *

――第一話では、カメラマンになるまでのルーツを聞かせてください。まず、学生時代は何をされていたんですか? 

西條 ずっとサッカーをやっていて、高校時代はそれなりの強豪校に入って本気で全国を目指していました。静岡遠征に行った時は、当時高校サッカー界でも有数の武田修宏さんがいた清水東高校とやらせて貰ったり......ボコボコにやられましたけどね(笑)。

ただ、最後の選手権大会を終えてから、燃え尽き症候群みたいな感じになってしまって。まだJリーグもない時代です。周りはみんな、社会人リーグに入ったり、体育教師になったりする人がほとんどでしたが、僕は腰を怪我したこともあって、どうもそっちの道に進む気にはなれなくて。

とはいえ、今までサッカーしかやってこなかったものですから、自分に何ができるのか、何がしたいのかも分からず......。「何者かになりたい」。そんな思いを抱えながら、ひたすら将来を模索していましたね。

――それほどサッカーひと筋で頑張ってこられたんですね。ちなみにその頃、カメラや写真に対する興味はどれくらいあったんですか?

西條 サッカー漬けの日々だったので、カメラなんて触ったことすらなかったですよ。グラビアってところでいうと、男子校だったので、『DUNK』(集英社)や『Momoco』(学習研究社)など、当時のアイドル誌を友達みんなで回し読みしていた記憶はありますね。写真どうこうじゃなく、普通の男子高校生の感覚で。

――そうだったんですね。それで、高校卒業後はどちらに?

西條 とりあえず普通の大学に進学しました。サッカークラブにも入ってみたんですが、高校時代と同じように力を注げる感じでもなかったので、すぐ断念して。

そんなとき、藤原新也さんや沢木耕太郎さんの旅行記に強く影響を受けたんです。僕も、いろんな国を旅して周ってみたいって。だから大学時代は、がむしゃらにアルバイトをして、お金を貯めて、沢木耕太郎さんの『深夜特急』(新潮社/インドのデリーからバスを乗り継ぎ、イギリスのロンドンを目指す紀行小説。バックパッカーのバイブルと言われている)を真似するように、さまざまな国へ足を運びました。

カメラとの出会いもそのときです。旅の道中で出会った人のなかに、自称なのか何なのか、カメラマンを名乗るバックパッカーのお兄さんがいっぱいいて。首からカメラをぶら下げて、「撮ってあげるよ」なんて気さくに声をかけてくれたんですよね。その姿が妙にカッコいいなぁと。それがきっかけで、実家にあったフィルムカメラを手にして、写真を撮るようになったんです。

――カメラを持つきっかけが、それほど偶然的なものだったとは......。

西條 それまでカメラを持っている人というと、鉄道マニアのイメージでした。相当コアな人たちが持つ代物だと思っていたので、何となく距離感のあるものだったんですよ。

でも、世間知らずな若者からすれば、異国の地で見る景色や文化、出会う人、その全てが新鮮で。僕が出会ったバックパッカーのお兄さんたちだって、薄汚れた格好をしていたし、おしゃれってわけでもなかったのに、やっぱりカッコよく映ってしまったんですよね。

――カメラとの出会いによって、「自分は何者なのか」の答えに近づけた感覚はあったんですか?

西條 もともと将来を模索するなかで、"ものづくり"に携わりたい気持ちはどこかにあったんです。親父も職人だったし、学校の美術の授業で何かを作ることは好きだったから、美大への憧れもありましたしね。

ただ、ずっと絵を描いてきた人に、サッカーしかやってこなかった僕が敵うはずもないと諦めていた部分はありました。それでも、カメラと出会ったとき「写真なら何とかやれるんじゃないか」と思ったのは事実ですね。(笑)。

――描画と違って、知識でまかなえる部分も大きいですもんね。

西條 はい。そして旅で親しくなったバックパッカーの人達に「どこの国都市が一番面白かったですか?」と訊くと、殆どの皆さんが口を揃えて「インドとニューヨークには絶対に行ったほうがいい」と言うんですね。とにかくエキサイティングな所だからと。その時はよく意味が分かりませんでしたけど(笑)。

そこから次第にニューヨークという所に興味を持ち出して調べていくと、当時は世界のアートの中心地みたいな所でした。

図書館に行って様々なアーティストの作品を見るうちに自分も行ってみたいと思うようになって、いろいろ調べていたら、とある美術大学で日本人枠の募集があるのを知ったんです。

試験を受けるためには、作品の提出が必須。となると、僕にできることは写真しかないわけで。提出期限まであまり時間がなかったから、無我夢中で写真を撮って、とにかく手を動かして、作品作りに没頭しました。

家電量販店に行って、引き伸ばし機や撮った写真をプリントするための機材を全部揃えて、押入れを改造して暗室(フィルムを現像するための遮光された部屋)を作って、分からないなりに自分でフィルムを現像して。

――す、すごい行動力です。フィルムを現像する技術は、どうやって学んだんですか?

西條 全て独学です。インターネットもない時代でしたから、たくさんの本を読み漁って、やっていくうちに学んでいきましたね。それこそ、そのとき提出した作品も、本で見たものからインスピレーションを受けて作りましたよ。

ロバート・メイプルソープのように、何もない部屋に花を置いて、強い光を当てて撮るとか、アンディ・ウォーホルのコラージュ作品のように、色違いの人物写真をさいのめに切断して、モザイク調に編んでみるとか。憧れのニューヨークに行けるかもしれないと、必死だったんでしょうね。我ながら、ものすごい集中力でした。

――その試験の結果はどうだったんですか?

西條 一応、合格しましたが、お金が足りずにその美術大学には行けずじまいでした(笑)。というのも、在学中の4年間はアルバイトをしちゃいけなくて、4年間暮らせるだけのお金があることを証明しないといけなかったんですよ。親から見せ金を借りても、全然足りないと言われて。

僕からすれば、ニューヨークに行くきっかけがほしかっただけなので、向こうで人間関係を築くためにもアルバイトする気満々だったし、大学自体は2年くらいで辞めようとも考えていたんですけどね。

――作品自体は認められたようなものなのに......。残念ですね。

西條 それでもニューヨークに行きたいという思いは薄れていなかったから、ひとまず写真の基本を学ぼうと、スタジオに入ることにしました。既に25歳。スタジオでは、新人のくせに最年長です。

悔しいことに、スタジオを仕切っていた19歳のチーフにめちゃくちゃコキ使われていましたよ。まず、スタジオに入れてもらえないんですよね。入り口で靴を揃えるとか、スリッパを出すとか、駐車場で車を誘導するとか。半年間くらい、スタジオの外で仕事をしていましたから。「今に見てろよ」って気持ちで(笑)。

――悔しい思いもたくさんされてきたと思います。にもかかわらず、ニューヨークへの思いを捨てなかったのはすごいことですよね。

西條 根本的に、自分の知らない世界を見に行きたい性分なんですよ。スタジオでの勤務を終えたあとも、またインドに出かけて写真を撮っていましたし。

――未知なるものに対する好奇心がとりわけ強かったと。

西條 そうですね。僕は釣りも好きなんですけど、高校生の頃に読んだ開高健さんの『オーパ!』(集英社文庫)は、いまだにテンションが上がる一冊で。

未知なる海魚を獲りに、世界を股にかける様子を綴った釣魚紀行。見たことのない魚のビジュアルもさることながら、現地で開高さんがどんな生活を送られていたかがこと細かに記されていて、全ての情報が衝撃的なんですよ。

僕らの時代は、本や雑誌から得られる情報が全て。旅雑誌なんかを見ていても、ちょっとした切れ端に載っている「おすすめスポット」を調べるために、わざわざ図書館に行って、それ専門の本を借りて読んでいましたから。今の時代、そんな風に調べものをすることってないですよね(笑)。

――そうですね。今だとインターネットで知りたい情報がすぐ手に入りますし、旅動画はYouTubeの人気ジャンルのひとつです。

西條 最近、僕も見ちゃいますよ。「インドの屋台巡ってみました」みたいな動画。でもやっぱり、実際に行ってみないと分からないことってあるじゃないですか。

例えば、インドを旅しているとき、ベナレスにある「死を待つ人々の家」という死体を焼く施設に行ったんですね。ここで焼かれた遺灰をガンジス川に流すことで、輪廻転生できると言われていることから、インド中の人がそこをめがけてやってくるんですけど、その道中で死んでしまう人が大勢いるんですよ。そこら辺りの道端に。それって、完全に藤原新也さんのインド旅行記で読んだまんまの光景で。

本を読むだけでも衝撃的でしたけど、実際に目の当たりにすると、より生死が身近に感じられて、本で見た以上に感じるものがたくさんありましたよ。その時、その場所の匂いや湿度、音なんかが、ものすごくリアルで。

――そ、そうですよね......。それにしても旅行記に影響を受けて旅に出たり、カメラに憧れて暗室を作ってしまわれたり、行動力がすごいです。その原動力となっていたのは、やはり未知なる世界を見てみたい欲求があったからなんでしょうか。

西條 そうだと思いますよ。あと、サッカー以外に何もできない自分の無力さにひどく打ちのめされた経験も大きいでしょうね。何者かになりたいけど、何ができるか分からない。そうやってもがいている時期だったから、とにかく動いてみるしかなかったんだと思います。

●西條彰仁(さいじょう・あきひと)
写真家。1968年生まれ、埼玉県出身。
趣味=釣り、料理
写真家・藤田健五氏に師事し、独立。1998年、西條写真事務所を設立。主な作品は、今年11月に発売された水湊みお1st写真集『みなとみないと』のほか、佐藤寛子『恋文』『水蜜桃』、松浦亜弥『アロハロ!2』、川村ゆきえ『香港果実』、山崎真実『MAMI蔵』『re.』、ほしのあき 『ダブ・ハピ DOUBLE HAPPINESS』、 道重さゆみ『LOVE LETTER』、譜久村聖『うたかた』『glance』(2022年1月発売)、矢島舞美『 Nobody knows23』、森戸知沙希『森戸知沙希』『Say Cheese!』『Crossroads』、石田亜佑美『20th canvas』、大島由香里『モノローグ』など。自然光を活かし、被写体の美しさや色気を滑らかに捉えた作風が特徴

★第2話配信中⇒初めての写真集は、元人気セクシー女優の無名時代だった!?(第2回以降は『週プレ プラス!』にて、会員限定でお読みいただけます)

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