プロを本気で目指し、海外でバレエに打ち込んだ青春時代を経て、女優への道を進んだ石橋静河(いしばし・しずか)が、2月7日(月)発売『週刊プレイボーイ8号』の袋とじでグラビアを披露。これまでのキャリアと、盟友と作り上げた初写真集への思いを語る。

女性同士。友人同士。撮られる人と、撮る人。すべて取っ払われたその瞬間は、ふたりだけの聖域だった。

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■留学から帰国後、バイトを転々として

――4歳からバレエを習い、15歳で単身アメリカへバレエ留学に。夢に向かって努力を続けた学生時代だったんですね。

石橋 子供の頃は人見知りな性格もあって、毎回「行きたくない」と泣く泣く母にお稽古へ連れられていました。それでも、音楽に合わせて踊るのは、ものすごく楽しくて。発表会を通して、人前で表現をする面白さを感じては、次第にのめり込んでいきました。

本格的にプロのバレエダンサーを志したのは12歳の頃。業界的には遅めのスタートになってしまった分、学校が終わったら急いで稽古に向かっていましたね。留学を決めたのは自分の意思です。甘えられない環境に追い込んでバレエに集中したいと、親を説得して、ひとりアメリカに渡りました。

――留学生活はどうでした?

石橋 カルチャーショックの連続でした。日本では友達から「一緒に遊ぼう」と声をかけてもらえても、アメリカでは「私はこうしたい」と自己主張ができないと置いていかれてしまう。言語の壁もありましたし、最初の2年ほどは周りについていけず、孤独を感じることも多かったです。寂しさのあまり、ホームシックで、よく母に泣きながら電話をしていました。

――それは心細いですね。

石橋 つらい日々とはいえ、自ら覚悟を決めて選んだ道。結果的に、プロのバレエダンサーにはなれないと諦めて帰国したのは悔しかったですけど、そんな経験があっての今の自分ですから。挑戦してよかったです。

――そこから、どのようにして俳優の道へ?

石橋 日本に帰ってから、バレエの経験を生かし、コンテンポラリーダンサーとしていくつか舞台に立ちました。それだけでは食べていけず、パンの製造や劇場スタッフ、学童保育のアルバイトと、転々としながら、将来を悩み続けていて。そんな生活を送るなか、黒澤明監督の『生きる』という映画に衝撃を受け、日本の映画を積極的に見るようになったんです。

見応えのある演出に触れるうち、興味はだんだん作り手のほうへ。映画のメイキング映像も見るようになって、そこにいる人たちの熱量に圧倒されて、「私も、こんな人たちに会ってみたい!」と思うようになりました。

――彼らと一緒に、自分も作品に出てみたいと?

石橋 新しい挑戦がしたいというよりも、単純に、日本にいる面白い人たちに出会いたい気持ちが強くなったんですよね。それに、ここまでバレエひと筋でやってきたので、何かしらの形で表現を続けたい気持ちもあって。

――10代の大半をそこに費やしてきたわけですもんね。

石橋 ただ、ありがたいことに女優デビュー作となった舞台『銀河鉄道の夜 2015』は、歌とダンスを交えた音楽劇だったんですよ。初めてのお芝居でありながら、早速、今まで続けてきた表現を発揮できたのは、少し自信につながりましたね。当時は、自分ができることの少なさゆえに葛藤もあったんですけど。

――夢叶(かな)わずとも、あの日の頑張りがまた違った夢のステージで結びついたんですね。

石橋 最初がそんな感じでしたし、今となっては「私はこうあるべきだ」と自分を決めつける必要はないと思っています。

例えば、お芝居も音楽も、ボーダーレスに楽しんでいる人ってすてきじゃないですか。だから今後は、お芝居に全力を注ぎながらも余白を持って、面白そうなことには意欲的に挑戦していきたくて。違う世界を知るほど、お芝居の面でも新しい発見があるでしょうし。

――では、またどこかでバレエを踊っている可能性も?

石橋 そういう時期があってもいいかなって(笑)。まぁ、あまり焦らずに、ひとつひとつをじっくり楽しんでいたいですね。

■ふたりでしかない明るい写真集

――初写真集の撮影担当は、モデル兼フォトグラファーのモーガン茉愛羅(まあら)さんです。

石橋 茉愛羅は、いつも私を楽しいところへ連れ出してくれる大切な友達。とてもパワフルで、頭の回転が速くて、面白い人なんです。ご飯に行ったり、スナックに行ったり。都合が合えば、いつでも会っていました。

普段の私は、知らない人が集まる場所が苦手なんですけど、茉愛羅となら全然いけちゃう。お互いに尊重し合えて、なんでも話せる、本当にいい関係だなと思っています。

――そんなふたりで写真集を撮ることになった経緯は?

石橋 茉愛羅から直接連絡があったんですよ。「面白い企画があるから、静河とやりたいんだけど」って。自分が写真集を出すなんて考えたこともなかったです。でも、もともと茉愛羅が撮る写真は大好きだったし、茉愛羅と作品を残せるのは面白いなと思って。

――撮影前は、どんな写真集にしようと?

石橋 私の表現を写すのではなく、茉愛羅が私を撮る、その関係性が写ればいいねって話をしていました。茉愛羅だったら絶対に楽しい時間を生み出してくれる。そんな確信もあったので、私はすべてを委ねていましたね。

――写真を見る限り、お互いに"お仕事"って感じでもないですよね。石橋さんの無防備な姿を、茉愛羅さんが好きに撮っているだけというか。

石橋 お仕事のときは、どんな仕上がりになるのか考えてカメラの前に立ちますが、今回は、茉愛羅がつくり出す空気をただ楽しんでいました。写りを気にするなら、茉愛羅とやる意味がないですから。

一番大事なのは、私と茉愛羅が一緒にいること。写真集には、そんな心持ちだったからこその表情がたくさん写っていると思います。

――笑顔が多めの印象です。

石橋 われながら、どれも楽しそうな顔をしていますね。私、役の影響もあって、暗い印象を持たれがちなんですよ。役者は素の自分を表現するお仕事じゃないから、どんなイメージを持たれても仕方がないにしろ、この写真集で意外とよく笑う一面も知ってもらえるんじゃないですかね。私の中でも、極端に陽な部分ではありますが(笑)。

――撮影中は、ずっと茉愛羅さんとおしゃべりをして?

石橋 完全に女子旅の雰囲気で、笑いっぱなしの2泊3日でした。ただ最終日の朝、「フィルムの残り枚数が10枚だから、感情ごとに表情を変えてみて」と言われて、うれしい顔、寂しい顔、怒っている顔......と、あらゆる場面を想像する瞬間があったんです。そして最後、ふと家族のことを考えたくなったんですね。すると、なぜかふたりで涙を流していて。

――それは、どんな思いで?

石橋 茉愛羅はおなかに命がいて、まさに新しい家族を迎えようとしているタイミングで、私を撮ってくれたんですよね。そんな貴重な機会、もう二度とないかもしれない。そう思うと、全部がめでたい気がしてきて。

5年前でも、5年後でもなく、今だったからこそ、心の窓を全開にして茉愛羅と向き合えたし、ありのままで明るい写真集ができたんだと思います。ここに写っているのは、私と茉愛羅のふたりでしかない。形にできて、本当によかったです。

●石橋静河(いしばし・しずか) 
1994年生まれ。
〇15歳より4年間のバレエ留学から帰国後、舞台『銀河鉄道のよる2015』(2015年)で俳優デビュー。初主演映画『映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ』で第60回ブルーリボン賞ほか、多数の新人賞を受賞。近作に映画『あのこは貴族』ドラマ『東京ラブストーリー』『大豆田とわ子と三人の元夫』などがある。現在、出演する映画『前科者』が公開中。
公式Instagram【@shizuka_isbs】 
プロデュース/イワタ 鈴木満帆吏 
写真集『月刊 石橋静河』(小学館、3月10日〈木〉発売予定)より