2015年に本屋大賞を受賞した上橋菜穂子さんのベストセラーを映像化した新作アニメ映画『鹿の王 ユナと約束の旅』が2月より全国公開中だ。

本作の監督を務めたのはスタジオジブリ出身で、宮崎駿監督の『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』、今敏監督の『パプリカ』や新海誠監督の『君の名は。』など、国内外で高く評価される作品を作画監督として支えてきたアニメーターの安藤雅司さん。今回が監督デビューとなる(宮地昌幸さんとの共同監督)。

インタビュー前編では、「このまま生涯、アニメーターとして仕事をしていくと思っていた」と語る安藤さんに、53歳にして初となった監督への挑戦について語っていただいた。

■『ナウシカ』の衝撃からアニメの世界へ

――個人的な話で恐縮なんですが、私、実は大学の後輩なんです。

安藤 日芸(日本大学芸術学部)ですか。

――そうです。まさに安藤さんと同じ映画学科でした。どちらかといえば実写志望の人が多い学校ですよね。アニメーションを目指して入学する人は多くない。

安藤 僕のときも一緒でしたよ。「アニメーションをやりたいんです」と言ったら、「珍しいね」と。

――子どもの頃からアニメーションに興味が?

安藤 いえ、もともと絵を描くことが好きで、最初は漫画を描いてみたりしました。でも、中学生で宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』を観て衝撃を受けて。そこからですね、アニメーションに興味を持ったのは。

それで大学受験のときに調べたら、日芸の映像コースにアニメーションの授業があるのを見つけたんです。名前を知っている監督やアニメーターの方も講師でいらっしゃったので、ここに入ろうと受験しました。ただ、実は日芸以外は普通の大学を受けていたんですよ。もしあのとき合格していなかったら、アニメーションを仕事にはしていなかったかもしれません。

――それは意外でした。スタジオジブリには大学在学中の21歳で入られていますよね。

安藤 ジブリの新人募集に応募したんです。養成期間が3カ月ほどあって、それに合格して正式に入社しました。だから、大学は中退ですね。

――それから30年以上アニメーターとして活躍され、ついに本作で監督デビューとなりました。以前から監督をやりたいと思われていたのでしょうか?

安藤 もちろん、宮崎さんにあこがれてアニメの世界に入ったくらいですから、若い頃は監督業に興味はありました。しかし、いざ実際に仕事をしてみると、監督を志しているなんて、とてもじゃないけど言えなくなりました。自分に宮崎さんみたいなことができるとは思えない。だから、そんな意志は潰え去りましたね。

――では、ジブリ入社以降はアニメーターとしての腕を磨いてく方向に舵を切って。

安藤 もともと作家志向はそれほどなかったんだと思います。ただ、僕は「いい絵が描ければいい」というタイプでもない。作品に惚れ込むというか、いい作品にアニメーターとして関わっていたいタイプなんです。だから、自分がいいと思える作品で仕事ができるようになろうというのが最初のモチベーションでした。

正直、『鹿の王』のお話をいただくまでは、作品全体を絵の面から見ることができる作画監督という仕事にやりがいも感じていたので、このまま生涯アニメーターとしてやっていこうと思っていました。でも今回、何の因果か監督をやることになって、自分でも驚いています。

多くの名作アニメーションを描いてきた安藤監督の手

■当初は作画監督としての参加のつもりだった

――本作の企画の経緯は?

安藤 僕が今いるProduction I.Gに原作の映像化の話が持ち込まれたのがきっかけです。とにかく動物がたくさん出てくる作品なので、「安藤はどうだ?」と。

――『もののけ姫』での経験を買われて。

安藤 でも、その時点では作画監督としての相談だったんです。それから映画の方向性に対して意見を言っていくうちに、「いっそ監督も」に変わっていきました。大ボリュームの原作なので、これを2時間の映画にどうまとめるかというのが当初から難題でした。とにかくいろんな方向があり得るので、どんどん意見を言っていかないと何も進まない。

それこそ日芸の先生だった池田宏さん(アニメ演出家)の教えなんですけど、「最良の批判は代案である」と。漠然と「良くないなあ」って言うだけでは作業が止まってしまうから、そこに関わる人たちが「じゃあこうしてみよう」と意見を出すことによって作品は前に進んでいくんだと教わったんです。

――実際に監督の依頼があったとき、自分ならできるという確信はありましたか?

安藤 いやあ、なかったですね。でも、ここまで関わったからには、誰かが音頭を取らないと作品が前に進んでいかないとも感じていました。だから責任を取るってわけじゃないですけど、企画の初期から携わっていた自分が監督をやることで、作品をまとめていく推進力になればと引き受けました。

安藤さんの初監督作品となった鹿の王

■『もののけ姫』の影響をいかに消化したか

――原作は架空の時代を舞台にした長編ファンタジー小説で、2つの国の戦乱を背景に、戦士・ヴァンと孤児の少女・ユナとの旅の軌跡を描くだけでなく、蔓延する謎の病との戦いまで盛り込まれた情報量が非常に多い作品でした。

安藤 ファンタジーでありながら、政治劇でもあり、医療ミステリーでもある。その複雑さは映画化するうえで難しいポイントではあったのですが、同時にそれこそが原作の魅力でもあるとも感じていました。ひとつのテーマを抽出して、シンプルにまとめるだけでは魅力を伝えきれないのではないかと。

主人公のヴァンの背景だけでも、原作には膨大な設定があります。それをどこまで映画では描くのか。どこをすくい取れば、観客に想像力を働かせてもらうことができるのか。共同監督の宮地さんや、脚本の岸本さんも交えながら、シナリオの方向性を探っていきました。

その結果、原作のすべてを表現することはできないので、人物の描写から背景を匂わせるかたちになりました。特にヴァンは原作よりも寡黙になっていて、「過去に傷がある男」というのを言葉として伝えるのではなく、観客に感じてもらうつくりになっています。

ある意味では不親切な表現だとは思いますが、そこは「観ながら考えてもらおう」と割り切りました。その決断ができたことで、作品が進んでいったと思います。だから、考えるための材料は映画内に十二分に仕込んであるはずです。

本作の主人公である戦士・ヴァン

――原作者の上橋菜穂子さんはジブリ好きで有名であり、その影響が自作にあることを公言してらっしゃいます。実際、『鹿の王』は『もののけ姫』を連想させる作品です。その『もののけ姫』に作画監督として深く関わった安藤さんが監督を務めるうえで、ジブリ的なテイストはどのくらい意識されましたか?

安藤 気にしない、ですね。意識的に離れようともしないし、意識的に近付けようともしませんでした。もちろん、今のアニメ業界で動物をたくさん描く機会は滅多にないので、『もののけ姫』の経験が役に立ったという実感はあるし、こちらから既に存在しているイメージの中にある先入観を借りることで、対比図を手っ取り早く作り出そうとした所もあります。

初めての監督作なんて、自分の引き出しからどれだけのものを引っ張り出せるかですよね。その意味ではジブリだけでなく、今敏さんたちとやってきたことの影響も作品には出ているはずです。

もし僕が「ジブリに似ないように」とこだわっていたら、制作中に動けなくなってしまったと思います。だから、「ジブリっぽい」と言われるのは当然だし、気にしないようにしています。

〇後編に続く

●安藤雅司(あんどう・まさし)
1969年1月17日生まれ、広島県出身。1990年にスタジオジブリに入社し、アニメーターとしてのキャリアをスタート。ジブリの多くの作品で原画を担当し、『もののけ姫』(1997年)や『千と千尋の神隠し』(2001年)では、作画監督を務めた。2003年よりフリーに転身。以降も、今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)や『パプリカ』(2006年)、沖浦啓之監督の『ももへの手紙』(2012年)、新海誠監督の『君の名は。』(2016年)などで作画監督を務めている。

■映画『鹿の王 ユナと約束の旅』は全国劇場公開中!

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