ドリアン助川氏(右)と岩井圭也氏(左)
社会派エンタメ作家として注目される岩井圭也氏の最新刊『生者のポエトリー』が4月5日に刊行、今作のテーマはタイトルにある通り、まさに「詩」――緘黙(かんもく)の青年がライブハウスで自作の詩を叫ぶ第1話「テレパスくそくらえ」をはじめとした6編の連作で、年齢も立場も様々な登場人物が、今の時代を映し鏡として言葉の力に迫る、意欲作だ。

そこで、パンクバンド「叫ぶ詩人の会」の活動でも知られる作家・ドリアン助川氏との対談が実現! 助川氏から何度となく「嫉妬です」という発言が出るほど、共感とともに高評価を頂戴する中、政治家の響かない言葉、社会問題に絡む対話と分断、若い世代への希望まで......この世界を生き抜くべく"言葉の力"を信じる作家同士ゆえの刺激的な語らいを前編に続き、必聴!!

■弱者と強者――価値観の逆転を表現にするたくましさ

岩井 逆に、ドリアンさんは詩から小説にいかれたのはなぜですか?

助川 僕は岩井さんのようにはっきりと「小説で」「言葉で」という生き方はしてこなかったんですよね。その都度、風が吹くままで。朗読をしたら「パティ・スミス・グループみたいなことしよう」とミュージシャンが集まり、バンドでデビューしたら仕事を振ってくれる人たちがいて、その中に本があったんです。旅のエッセイから書き始めたんですけど、自分が経験していないことを書くには小説だなと。

岩井 『あん』ではハンセン病というものを和菓子と合わせて作品にされていますし、風の吹くままという一方で、ずっと持ち続けているテーマがおありになるのでは?

助川 地下茎としてはありますね。僕は詩の朗読をすることはあっても詩集は出したことはないんです。ただ、たとえ童話であろうとそこにポエジーがないものは一切やらないと思っていて、そこは譲らない部分ですね。

――その中で、色弱により就職を阻まれたりという経験から、弱者の声なき声を代弁する意識はありますか?

助川 弱者っていうのも、僕の中ではよくわからなくて。弱者が強者であることもありますしね。ただあの体験は、自分としては鮮やかな世界に住んでいるつもりでも、色覚のテストで他の人とは違う世界を見ていると判断されて、実際に思い描いていた人生が一瞬にして崩れてしまった。あの時に思ったのは「社会は随分不安定なものだな」ということで、ひとつ世の中を見る目はできましたね。

あと、2000年から2年間N.Y.にいて、9・11にビルが崩れてくるのを見ているんです。あれはその後、アフガン問題、空爆とアメリカが右旋回していく契機にもなっていて、一気に社会の雰囲気が変わったんですよ。そして今、ウクライナの戦争でネット上には日本も核武装するべきだという意見まで出ている。社会は一瞬でこんなにも変わるんですね。

だから、なぜにハンセン病の人たちに目が向いたかというと、すべての人にとってやさしい世界ではないということをいつも思っているんです。社会には物を言えない人もたくさんいるからというのもありますし。

――感じなくてもいい苦しみを得たことで、自分なりの見方ができるという強みに転じることもありますね。

助川 だから、この第1話の言葉が出てこないのに絞り出そうとするダイナミズムにみんな惚(ほ)れてしまう。欠点や短所と思っているところ、あるいは鬱屈(うっくつ)が素晴らしいエネルギーへの転換になったり、見る人によっては全然違うものにもなる。それは最近の若手のお笑いの人たちがうまくやってますね。受けてきたあらゆる苦しみや辛酸(しんさん)を笑いに変えていく、あのたくましさはパクりたいと思います(笑)。

岩井 弱者を弱者と呼んでいいのかは私も気になっていて、人が強いかどうかは環境や巡り合わせ次第で、一面的には判断できないですよね。そういう意味で、価値観の逆転を描けるのはお笑いもそうですけど、作家という仕事の醍醐味(だいごみ)ですね。

助川 書いている時は孤独でも、作品として羽ばたいていくと何かが届いてかけがえのない瞬間が訪れる。まさにこの『生者のポエトリー』でも、それぞれの言葉に羽が生えて飛んでいくわけですよね。ひょっとしたら、そこで朗読を始める人がいるかもしれないし......。岩井さんは朗読のステージは? 今度、一緒にやりませんか?

岩井 それは是非! やってみたいと思いながら躊躇(ちゅうちょ)していたので。

助川 どこかのライブハウスで、むしろざわざわした客がいる前でやってもいいと思う。酔っ払った客が合いの手を入れたりもしますし。

――お客さんの反応で、詩がケミストリー(化学変化)を起こすことも?

助川 当然あります。オンラインライブがいまひとつ根付かなかったのは、やはりライブというものはステージに立つ者とお客さんとのコール・アンド・レスポンスで生まれるものだから。ひょっとしたら、半分以上はお客が作るものですね。

岩井 僕も取材でライブハウスに行って、やっぱりそこでしか得られない空気感や熱気があって、読むのと聴くのは全然違う体験だと実感しました。それが本作にも描けていればいいと思いますし、自分でもそこに立てたら最高だと思います。

■分断が生み出す魔物――今こそ、対話と関係性がテーマ

助川 最後の話で、いきなりステージに上げられて何か言わなければならなくなるシーンがありますよね。あれは全く同じ経験をしたことがあって。

岩井 ええっ(笑)。

助川 「短歌絶叫コンサート」をする福島泰樹って人がいて、頭脳警察というバンドのTOSHI(石塚俊明)さんが太鼓を叩いていて、すごく激しいライブなんですよ。客席にいたら、いきなり福島さんが「ステージに上がれ!」って、ウイスキーをダダダッとストレートで注がれて(笑)。なぜかステージで頭に浮かんだのは、中学校の時、弱ったアオダイショウを助けようとして死なせてしまったこと。後悔が胸の中に残ってたんでしょうね。

それで激しい太鼓に合わせて「俺はアオダイショウを殺してしまったー!」と叫んだ。そうしたらお客さんから何か強烈な感じで返ってきたんだよね。自分が舞台に立つ前提では絶対に書かない詩だし、とっさに胸の中の何かが出てきた経験で。だから、その体験もどこかで見てたのかなってくらい、この作品は「あるある」の連続でした。

岩井 その状況で自分が何を語るのかに興味がありますし、追い込んでみたい気持ちもあります(笑)。

――今の世情では、自分の言葉で語れない首相と言われたり、政治家の発言にも心に訴えるものがない中で、逆にウクライナのゼレンスキー大統領の演説が世界中の心を動かしたり、言葉の力という今作のテーマにも通じて社会が問われている気もします。

助川 だから、若いコたちはお笑いとヒップホップにいくんだと思いますね。生きた言葉があるから。単独で存在できるものはないんですよ。私たちはすべて関係性の中にあって、その関係性が何かというと「対話」なんです。

例えば、満開の桜を眺めて、綺麗だなと思うだけでもいい。でも、今年も咲いたね、嬉しいねと桜と対話することは、人生の一部としてより強く関わっていくことで。桜から人間の言葉は返ってきませんけど、桜には桜の言葉があるから咲いているわけです。その広義での対話というものが、僕はポエトリーの基本じゃないかと思っています。

東大の前で共通テストの時に事件を起こした高校生のことがいろいろな側面から記事に書かれていますけど、ひとつあるのは「分断」で、どことも対話できなくなってしまった人ですよね。分断は結局、魔物を作ってしまう。なぜ彼が一般の人間を憎んで刃物で襲ったかというと、彼にとっては世の中が魔物で、でも実は本人が魔物になってしまっていた。だから今、対話をすることがより大事になっていると思います。

――その中で、今後の創作や活動のテーマをどう考えていらっしゃるのか......。

助川 今、集英社の『青春と読書』で、動物の生態と哲学者の思想を絡めて「動物哲学童話」というのを書いていますが、便宜的に童話と付けましたけど、例えば『銀河鉄道の夜』や『星の王子さま』という作品群は、童話でも子どもより大人が読むものですよね。これに対する的確なジャンルの名前がないんですよ。英語だとfableで「寓話」という日本語になりますけど、寓話でもない。単行本になる前に違う言葉で紹介したいと考案中です。

今年で還暦になるんですけど、ここから10年をどう走っていくか。その中で、童話の体裁だけど大人が読むものというのは大事な位置にあるので、そこでの自分の可能性をもう一回、自己探索してみたいですね。

――ご自分の表現とは別に大学で講義をされたり、人と人を繋ぐ役割や若い世代を応援し育てるような部分も年齢を重ねて意識されているように感じます。

助川 それはもちろんあります。まぁ岩井さんに関しては、そのお歳ですでに岩井ワールドをお持ちだし、本当のワールドにも羽ばたける方だと。もう嫉妬でしかない(笑)。時々は朗読の舞台も一緒にできればと思っていますが、今後は単行本などは?

岩井 剣道を題材にした『夏の陰』が文庫化されるのと、他社さんですが7月、10月にも単行本が出る予定で、今年は4冊出ます。

助川 働きすぎじゃないですか(笑)。

岩井 書いても書いても反応がない時代があったせいか、頂ける仕事は全部したいなと欲が出ますね(笑)。

――しかも、これだけドリアンさんからのお墨付きも頂戴し、これからその地下茎がどう芽生えていくか期待大です。

岩井 いや、本当に嬉しいです。先ほども「関係性」という言葉が出て、驚きました。私はこれまでもずっと人と人との関係性を書きたいと続けてきて、友だちでも親しい時期もあれば疎遠になる時期もあって変化していくんですけど、それでもやっぱり人はひとりでは生きていけない。

より良く、わかり合えない相手と生きていくためにどうすればいいのか。それを今作に至るまでずっと考えて、今回も大きなテーマでした。だから「関係性」という言葉が出て、考えてきたことはまさしく同じだなと。やってきたことが間違っているとは思ってなかったんですけど、やりたかった方向に進めているなと、今日のお話の中で再確認できました。

――今後のおふたりの創作が楽しみです! 本日はありがとうございました!

●岩井圭也(いわい・けいや)
1987年、大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年「永遠についての証明」で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。著書に『夏の陰』『文身』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』など

●ドリアン助川(どりあん・すけがわ)
1962年、東京都出身。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。明治学院大学国際学部教授。日本ペンクラブ常務理事。1990年、パンクバンド「叫ぶ詩人の会」を結成し話題に。作家、詩人、歌手、ラジオパーソナリティと幅広く活動し、明川哲也名義も合わせ著書多数


■『生者のポエトリー』〈集英社〉