言わずと知れた世界的スーパースターでありミュージシャン、エルヴィス・プレスリーの物語が、バズ・ラーマン監督の手により映画化された(映画『エルヴィス』7月1日(金)より全国公開)。

そんな、今注目の映画を『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学:愉しい音楽の語り方』の著書で知られる、長﨑励朗(ながさき・れお)氏(桃山学院大学社会学部准教授)に解説してもらった。

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■誰がエルヴィスを殺したのか?

エルヴィス・プレスリー。言うまでもなく、史上最も売れたソロ・ミュージシャンであり、世界での累計レコード販売枚数は30億枚にのぼる。腰を振りまくるダンスに女性たちは黄色い声を上げたが、反対に保守的な年配者たちは怒り狂い、警察権力による弾圧すら加えられた。

......ここまで語ると、すぐにプレスリーを「反逆児」などと位置づけたくなる。しかしそれは、のちの時代にできあがった「ロック=抵抗の音楽」という図式を過去にあてはめた「後知恵」というものである。

本作は、「彼は誰よりも早くこんなことを始めた」式の先進性をあげつらう凡百の伝記映画とは似て非なる作品だ。むしろ、プレスリーの後進性に光を当てることで歴史の真実をあぶり出した快作、いや怪作である。

このことを最も象徴しているのは、プレスリーの報酬を搾取し、晩年の彼をホテルのショービジネスで飼い殺しにしたことで悪名高いマネージャー、トム・パーカーを語り手に配置していることだろう。

物語冒頭、移動遊園地や見世物小屋の興行主として登場するパーカーは言う。

「人々が楽しんでいいかどうか戸惑うようなものこそ、最高の見世物だ」

日常生活において、人間は社会の内側にいることに安心感を抱く。しかし同時に、非日常においては大衆道徳を逸脱した怪しいものにこそ魅力を感じてしまう。ショービジネスに不可欠なそうした哲学と嗅覚をパーカーは持ち合わせていた。

そんな彼にとって、プレスリーの"腰ふりダンス"は究極の見世物であり、逆に言えばそれ以上でもそれ以下でもなかった。パーカーの視点を本作の中心に置くことで、プレスリーを「反逆の音楽」の先駆としてではなく、「見世物」の伝統の尻尾として描き出すことに成功しているのだ。

こうした過去からの伝統の中にプレスリーを位置づけようとする姿勢は、彼の音楽について描く際にも一貫している。ブルースやゴスペル、R&Bといった黒人音楽とのつながりが繰り返し描かれ、プレスリーがその官能的、そして宗教的ともいえる魅力を活動の原動力としていたことが示される。

これによって、当時の人々がプレスリーを白人の若者の担い手とするカウンターカルチャーではなく、黒人音楽の後継としてとらえていたことがオーディエンスに自然と伝わる仕掛けになっているのである。

では、そうしたプレスリーの後進性を軸に置いているからといって、ロックンロール・ヒーローの出世物語としての爽快感がないかと問われれば、そこは稀代の興行主を語り手にしているだけあって、決してそうはならない。

とりわけ、前半部のスターへの階段を駆け上がっていくスピード感は圧巻で、そこで物語に入り込んでしまえば2時間半という上映時間は一瞬で過ぎる。

音楽映画としてのクオリティも高い。B.B.キング、リトルリチャードといった有名どころのみならず、プレスリーの有名曲「ハウンド・ドッグ」を最初に録音し、彼に多大な影響を与えたビッグ・ママ・ソーントンのような、知る人ぞ知るミュージシャンが随所に登場する。

おまけに当時の機材を使用しながら現代のミュージシャンに楽曲を再現させているから、音楽好きにとっては名画『ブルース・ブラザーズ』に似た感覚すら抱かせる。そこにバックトラックとして現代のヒップホップが違和感なくかぶさってきて、さながら「黒人音楽のデパート」のような様相を呈しているのだ(試写会でサウンドトラックを買えなかったのが悔しい!)。

もちろん、伝記映画に必須であるプレスリーの私生活や苦悩についても丁寧に描かれているのだが、やり過ぎにならず、エンターテイメントとしてのスピード感を損なわせないバランス感覚は見事である。

物語終盤、プレスリーは世間から「落ち目」と見なされ、極度の疲労の中で薬を打たれながら無理矢理ステージへと送り込まれる。それでも、観客の前で全力のパフォーマンスを披露し続ける彼の姿に、アーティストの苦悩を見るか、ショーマンとしての矜持を見るか......。

ただ、「誰がエルヴィスを殺したのか?」という本作の問いは、意外に深淵である。「殺した」を「過去のものにした」という象徴的な意味として捉えるならば、ミュージシャンにアーティスト性を求める我々オーディエンスの側からの価値観の押しつけこそが彼を殺したことになろう。

ラストに悪徳マネージャーのパーカーが語る答えから、そうした抽象的な意味を読み取ることも十分可能だ。

個人的には、パーカーのクズっぷりに思わずニヤリとさせられたのだが、そこは是非、映画館に足を運んで自分なりの答えを探ってみてほしい。

■「Dr.Feelgood」とロックンロール

本作では、ロックンロールに対する後知恵的な固定観念が徹底して排除されている。それは「セックス・ドラッグ・ロックンロール」というフレーズも同様だ。妻以外との女性関係も描かれはするが、「つまみ喰い」程度。そして最終的に彼の命を奪うことになったドラッグに関しても、ヒッピーカルチャー的な濫用ではなく、医師に処方されたものだったことが示唆されている。

ただ、劇中にもプレスリーの主治医として登場するニック医師ことジョージ・ニコポラウスのその後が面白い。彼はプレスリーと同時代のロックンロール・ヒーロー、ジェリー・リー・ルイスなどにも薬を処方しており、無罪になったものの、過剰な薬物処方で起訴されている。

最終的に彼は90年代に入ってから同じ罪で医師資格をはく奪されることになるのだが、その際についたあだ名がDr.feelgood(気持ちよくしてくれる医者)。

実はこのあだ名はなかなか含蓄があって、麻薬の隠語であるのみならず、古くは60年代からイギリスのJohnny Kidd & The Piratesというバンドの曲や、それに影響を受けたバンドの名前としてもロックシーンに登場する。

さらに時代がくだっては、L.A.メタルのモトリー・クルーまでが同名の楽曲を発表しているから、英語圏ではロックと結びつけられつつ、比較的よく使われる表現なのかもしれない。ただ、いずれのバンドもやはりヒッピー的な政治臭があまりしない点は共通している。

その意味では、ミュージシャンを馬車馬のごとく働かせるショービジネスに欠かせない「ヤバイ医者」であるニック医師にDr.feelgoodの二つ名をつけたのは言い得て妙である。

そしてまた、彼が医師免許をはく奪された90年代とは、トム・パーカーに象徴される見世物としての怪しさがロックの世界から急速に姿を消していく時代であったのかもしれない。

☆映画『エルヴィス』は、7月1日(金)より公開!(ワーナー・ブラザース映画 (C)2022 Warner Bros.Ent.All Rights Reserved)


長﨑励朗(ながさき・れお)
桃山学院大学社会学部准教授、京都大学博士(教育学)。
著書に『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学 愉しい音楽の語り方』など。
様々なジャンルの音楽やミュージシャンへの造詣が深い