『サクラ大戦』をはじめ、ゲームやアニメ、舞台などさまざまな業界でエポックメイキングな世界を生み出してきた広井王子

令和元年、吉本興業から誕生した「少女歌劇団ミモザーヌ」でも立ち上げから携わり、総合演出を務めている。

エンターテインメント業界が復活の兆しを見せる今、昭和、平成、令和といつの時代も"芸能史"を刻む広井氏を直撃した。

■ゲームと同じ声優で舞台がやりたかった

1996年に発売され、ヒットしたゲーム『サクラ大戦』。少女たちが「帝国華撃団(かげきだん)」として戦い、"歌劇団"として舞台に立つ。シリーズ化され、アニメや舞台に発展し、2.5次元カルチャーの先駆けともいえる作品だ。そんな大作を手がけた広井王子が今、リアルな少女歌劇団をつくっている。

――少女歌劇団ミモザーヌさん、撮影させていただきありがとうございました!

広井 一般の方々に認知してもらうには時間がかかるかもしれませんが、彼女たちは確実に進歩しています。

少女歌劇団ミモザーヌのメンバー25人

――まずは広井さんご自身のお話からお聞きしますが、『サクラ大戦』にも登場する歌劇団、その発想のベースになるものはあったんですか?

広井 子供時代、叔母がSKD(松竹歌劇団)【*1】の戦後の第1期生だったんです。東京・浅草にあった国際劇場で踊っていたので、子供だった僕は楽屋に入るのもフリーパスでした。レビューショーとおしろいのにおいが記憶の中に染み込んでいます。芸能好きの一家だったので、学生時代はばあちゃんに新国劇【*2】に連れられ、かあちゃんと新派【*3】)、姉ちゃんと歌舞伎、ひとりでも映画に行く日々でした。

【*1】1928~1996年まで、東京でレビュー公演を行っていたレビュー劇団
【*2】剣劇を創案し、大正時代から昭和にかけて人気を集めた大衆劇団
【*3】明治期の1880年代に歌舞伎とは異なる大衆的な現代劇として始まった新派劇

――そこからクリエイターになるまでの経緯は?

広井 働き始めたのは23歳、石に絵を描いて原宿で売っていました。1個も売れなかったですが、そこでロッテの代理店の方と出会って「面白いね。事務所に来る?」と声をかけられて。お菓子のおまけをデザインする会社だったので、『スーパージョイントロボ』『ネクロスの要塞』とかをザーッと作りました。当時は食玩の専門家がいなかったので、アイデアを出しながら図面を書いて。

――その後、『魔神英雄伝ワタル』ではアニメのプロデュースに挑戦されて。今までにない3頭身のロボットに、子供たちが夢中になりました!

広井 ビックリマンシールって正方形ですよね。当時、ビックリマンチョコがはやっていたので、ロボットも同じ形状がいいと思ってデザイナーに正方形の紙を渡したんです。「この紙いっぱいにロボットを描いて」ってね(笑)。

――それで3頭身に!?

広井 四角の中にロボットを収めようとすると、必然的に潰(つぶ)れるんですよ。大人から見るとコミカルでも、子供たちがカッコいいって言うんだから作ろうって思って。

――そのアニメ制作からゲーム業界に入ったきっかけは?

広井 『魔神英雄伝ワタル』のスポンサーがハドソン(現:コナミ)だったんです。「天才! うちに来い」って言われて、ゲームを作る流れになって。ゲームなんて作ったことないし、教わってもさっぱりわからない。そもそもCD-ROMが世の中にない時代でしたからね。

――ゲームといえばカセットでした。そこから『天外魔境 ZIRIA(ジライア)』を作られて。

広井 僕以外もCD-ROMがわからないから試行錯誤して、1本作るのに3年かかりました。ピコピコ音じゃなくて生音にこだわりたかったので、ゲーム業界は初の坂本龍一さんにお願いして。シリーズでは久石譲さん、加藤和彦さん【*4】にも依頼しました。最初は、ジョン・ウィリアムズを提案したんですよ。

【*4】元ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで『あの素晴しい愛をもう一度』などの作曲家としても活躍

――映画『スター・ウォーズ』などの作曲家の!?

広井 スタッフはビビってましたが、それじゃダメなんですよ。だって、ものづくりは平地。本気で何かを作ろうと思った瞬間は、スピルバーグだってルーカスだってみんな同一線上に並んでいる平地なんです。いいものを作れば世界中の人が集まる、それが多様性じゃないの? 僕はいつもそう思っています。

――ゴールを目指すことが大事で、予算的なことは後からついてくるものだと?

広井 そう思います。みんなで一生懸命、新しいものを作ろうとしたんだよね。今は当たり前のようにCGで動かせますが、僕は当時からやりたくて。会話シーンから戦闘シーンに、ストレスなく入りたかった! できなかったことが今は可能になっていますし、スマホでもゲームができるようになって。新しいことを始めるには時間もお金もかかるものなんですよ。

――それこそゲーム『サクラ大戦3』では舞台をフランスのパリに移し、現地まで行かれたそうですね。

広井 いいものを作るには、現地に行って見たほうがいいと思います。制作費も相当なスケール感でした。だからこそ、オープニングはCGでグルーッと動かすことがやっとできた! 当時の技術ではあれが目いっぱいでした。

――2.5次元コンテンツの先駆けというか、『サクラ大戦』は真宮寺さくら役の横山智佐さんなどの声優陣を起用し、「サクラ大戦・歌謡ショウ」として舞台化されました。

広井 作品と同じ声優が舞台に立つことを絶対やろうと思っていました。ゲームやアニメの舞台化が出てきた頃、『美少女戦士セーラームーン』の舞台を見に行ったら、来ていた子供が「声が違う」って言ったんです。それがヒントになりました。声も同じでいいじゃんって。最初から、舞台や自主ライブの経験がある声優さんを見つけて、あのメンバーがそろったんです。

――作品と同じ役で舞台に立つことに声優さんたちは戸惑われなかったんですか?

広井 戸惑いもあったと思います。世間からは後ろ向きの意見もありましたが、舞台が始まってからの反響はすごかったです。目の前に本物が出てきたんだもん(笑)。観客が「きゃー」って声を上げて喜んでいましたから!

――10年かけたメソッドは、『ラブライブ!』や『ウマ娘 プリティーダービー』といった、作品の声優がリアルなライブ活動もする2.5次元コンテンツにつながっています。

広井 メソッドにはならなかったんですよ! 当時は「広井王子の趣味」って言われましたから(笑)。でも、今回は違う。少女歌劇団は、未来の商売として見てもらえる。うれしさが全然違います!

「ただ舞台が好きで必死に向かっている彼女たちを見ると、僕も8ミリカメラ持って映画を撮っていた頃を思い出す。大人の方もファンになってほしい」と話す広井氏

■歌劇団をやりたいと提案したはずなのに

――2019年に結成された「少女歌劇団ミモザーヌ」。なぜ今の時代に、少女歌劇団をつくろうと思ったんですか?

広井 吉本興業の会長の大﨑さん(大﨑洋)にお会いして、一緒に何かをやろうって話になったんです。「歌劇団をもう一度やりたい」と提案したら、「いーじゃん! 少女歌劇団」って。あれ? 少女がついちゃったと思って(笑)。

――大﨑さんは吉本興業で、「堺少女歌劇団」もお手伝いしています。

広井 そう、やっているんです。少女歌劇団について調べたら、大正時代には日本各地に30団体くらいあって。

――そんなにあったんですね。

広井 『少女歌劇団の光芒』を書いた辻則彦さんに連絡を取って、お話も聞いたんです。宝塚少女歌劇団も松竹少女歌劇団も戦後になると、"少女"を取って歌劇団になりました。つまり、長く商売するには少女限定だと難しいってわかったんです。だから、「少女歌劇団はムリですね」と報告したら、大﨑さんが「それは面白い、やろう!」って。意味がわからないですよ(笑)。

――きちんと調べて、できないと結論を出したのに!?

広井 "少女"はムリだってちゃんとレポートまで書いたんです! 確かに、卑弥呼(ひみこ)の時代から少女崇拝があるように、少女って神聖なものなんです。でも戦後にはないんです。ないならやろう、この世にないものをつくろうってことなんでしょうね。

ミモザーヌの公演はオリジナル曲を中心に1公演で20曲ほどを披露。芸人が登場するトークコーナーもある

――"少女"がついたので、ミモザーヌは20歳で卒団します。やっと育ったところで手放すのはもったいないですね。

広井 将来、ミモザ出身者たちがエンタメ業界で活躍してくれたらうれしいですよ。そこに価値がある! 世界に飛び出していけるようなスキルはつけてあげようと思っています。英語も推奨していますし、少なくともシェイクスピアくらいは原語で読めるように。

――最初はどんな育成プランを考えて?

広井 ノープランです。カリキュラムに合わせるのではなく、人を見てから考えようと思っていました。まずは基礎レッスンだと思ったので、あのコたちの体幹を確認したらボロボロで! ダンスの経験者がたくさんいるのに、基礎が全然できてなかった。ダンススクールって基礎をやらないんですよ。つらくて泣いちゃうし、つまらないから(笑)。

――基礎は大事とわかっていても続けるのは大変ですよね。

広井 基礎レッスンを1年続けると、徐々にやる意味に気づくようになるんです。1期生は、コロナ禍で公演が3回も延期してリモートになって、メンタルも鍛えられました。1期生のみあい(すずき みあい ムェンドワ)もやっと自信が出て、センターに立てるようになってきて。

「みあいはミュージカル界にとって貴重!」と広井氏が絶賛する、すずき みあい ムェンドワ。観客の心に響く歌唱パフォーマンスは夏公演でぜひ!

――昨年、冬公演を見させていただいたとき、圧倒的な歌唱力で存在感がありました。

広井 今の時代、顔を黒塗りして黒人の役をやることが世界的にもできなくなりました。だからこそ、日本で生まれて日本語が話せる黒人のコは貴重なんです。ミュージカル界には黒人を描いた曲も多いので、みあいはそんな作品に抜擢(ばってき)される第1号にしたい! 『ポーギーとベス』もそうだし、彼女ならできる役がいっぱいある! 今は彼女を含め6名が選抜にいるのですが、選抜になればまた新しいレッスンが待っています。

――学校みたいですね。

広井 海外にはアクターズスタジオという俳優のための学校があるじゃないですか。演技とは日常や人をどう観察するか、映画や音楽、文学はいかに多様性があるかが大事なんですよ。ひたすら吸収して、自分で自分を磨けるようになってほしくて。将来は、学校法人にしたいですね。

――それこそ、吉本興業さんにはNSCがありますね。

広井 そうなんです。吉本には親和性があるし、僕がやりたいことがそろっていました。芸人を少女に置き換えただけで、ある意味、少女歌劇団ミモザーヌはNSCのアレンジ版だと思っているんですよ。ただ、0からつくることはなかったので、そこはワクワクします! 年を取ると仲間たちがいなくなっていくじゃないですか。でも僕は、このコたちと一生エンタメの話ができる! なんて幸せなんだろうって、立ち上げから3年たって気づきました。舞台や映画、音楽の話をしながら、きっと病院のベッドで死ぬ瞬間もミモザのみんなが来て歌ってくれると思うんです(笑)。こんな人生ないでしょう!

●広井王子(Oji HIROI)
1954年2月8日生まれ、東京都出身。1976年にレッドカンパニーを設立(現:株式会社レッド・エンタテインメント)。ゲーム『サクラ大戦』シリーズや『天外魔境』シリーズなど数々の作品でヒットを出し、ゲームやアニメのプロデュース、マンガや舞台演出など幅広いジャンルで活躍。2019年結成の少女歌劇団ミモザーヌでは、総合演出を務めている

●少女歌劇団ミモザーヌ
2019年に1期生メンバーで結成。今春から4期生が加入し、11~18歳のメンバー28名が在籍(3名休団中)。8月18日(木)に大阪・東大阪市文化創造館、8月23日(火)に東京・大田区民プラザにて夏公演「Traveling Summer」を開催予定。「夏公演のテーマは、レビューが中心にある『アラウンド・ザ・ワールド』。各国の音楽をやって世界を巡ります!」(広井)

★少女歌劇団ミモザーヌのグラジャパプロフィール

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