いつもはあまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していく連載コラム『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』が、『週プレ プラス!』にて好評連載中だ。
"カメラマン側から見た視点"が語られることで、グラビアの新たな魅力に迫る。週プレに縁の深い人物が月一ゲストとして登場し、全4回にわたってお送りする。
第11回目のゲストは、8月2日に発売された劇団4ドル50セント・安倍乙の『吐息の温度』を担当している前 康輔(まえ・こうすけ)氏。乃木坂46の写真集をはじめ、ここ数年でグラビアのオファーが急増中。"グラビア初心者カメラマン"の彼が語る、グラビアの魅力とは。
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――第一話では、カメラマンになるまでのルーツを聞かせてください。まず前さんがカメラを始めたきっかけは、何だったんですか?
前 おしゃれの延長です(笑)。ガーリーフォトブームの火付け役であるHIROMIXさんたちが出てきた90年代後半、古着を着て、カメラを首からぶら下げて街中を歩くのが若者の一部の間で流行ったんです。それまでカメラというと "おじさんの趣味"だったんですけどね。
そういったファッションに憧れて、高校2年生のお正月にもらったお年玉で、初めてカメラを買いました。6万円くらいだったかな? 同級生たちとファミレスに行ったり、洋服を買ったりするだけの高校生活だったので、新しい遊び道具を手に入れたみたいな感じでしたね。
――最初はおしゃれの一端だったんですね。当時はどのような写真を?
前 身近な友達を撮ることが多かったですね。あと、地元の風景写真。「原爆ドーム」と「月」とか。高校生にしては渋い写真を撮っていました。高校2年の終わりには、半ば勢いで写真部にも入りましたよ。もともとやっていた応援団と掛け持ちで。
――応援団!? あの体育祭の盛り上げ役の、ですか?
前 はい(笑)。姉の同級生たちに唆(そそのか)されるがまま、入ってしまったんですよね。下駄を履いて、ハチマキを巻いて。当時でも珍しいくらい、古き良きスタイルのガチな応援団でした。団員は、髪の毛をリーゼントに固めたヤンキーたちがほとんど。正直、僕だけちょっと浮いていましたね。
――写真部と応援団を掛け持ちしている人、そういないでしょうね(笑)。
前 まぁ、写真部と言っても大した部活じゃないですよ。顧問は、写真の知識なんてまるでない先生がひとり。部室には、現像液、停止液、定着液というフィルムの現像に使用する3つの液体が並んであるんですけど、使用済みのまま放置されていて砂利が混ざっていましたし、何も気にせずに、その部室でタバコも吸っていましたから。今思うと、相当ヒドイ環境でしたね(笑)。
――とはいえ、写真部にまで入ったんですから。相当カメラにハマったご様子ですね。高校卒業後の進路はどのように考えていたんです?
前 保育士になるつもりでいました。親に「私大は経済的に厳しい」と言われていたので、国公立の教育学部を目指して勉強を頑張っていて。ただ、高3の夏休みに、島根に住むおじいちゃんの家に行ったんですよ。
小さい従兄弟の子守をしながら、おじいちゃんの家が民宿で、海の貸しボートの小屋もやっていたから、その手伝いもして。そんな状況で、集中して勉強できるわけがないじゃないですか(笑)。「もういいや、辞めちゃおう」って。後先考えずに、勉強を放棄してしまいました。
――受験生のいちばん大事な時期に......!
前 夏休みが終わって、現実を突きつけられましたよね。今から勉強を頑張ったって、国公立は厳しい。かといって、高卒で就職する選択肢はなかった。ほかにあるとすれば、専門学校に行って美容師になるとかだけど、それもピンと来ない。
今みたいにインターネットがないから、どんなルートでどんな職業を目指せるか、とにかく情報が少なかったんですよ。手もとに残っているのはカメラだけ。撮るのは楽しいし、ちゃんと学んでみるのもアリかもしれないなと。それで、進路指導室にあった本で見つけたビジュアルアーツ専門学校大阪の写真学科に進学しました。
――やっぱり、どこかにカメラマンを目指したい気持ちがあって?
前 いや、単純に、高校卒業後の次のステップとしか考えていなかったですね。写真は普通に好きだったんですよ。カメラを持ち始めてから、広島パルコにあったリブロ(書店)で洋書や写真集をたくさん見るようになりましたし、カルチャー誌『SWITCH』(スイッチ・パブリッシング)などに載っている写真にも惹かれていましたし。
荒木経惟さんの写真を見て、感動した経験もありました。カメラマンの仕事が何なのか、写真家として自分の作品を発表するのと何が違うのか、細かいことは分かっていなかったものの、良い写真が撮れるようになりたい気持ちが芽生えていたのは確かですね。
――なるほど。その専門学校ではどんな勉強を?
前 とにかく街に出てスナップを撮っていました。学校に、写真家の森山大道さんが講演会をしに来てくださったことがあって、「君たちはまだ分からないかもしれない。でも、分からなくてもいいから、とにかく"数"を撮れ」と言ってくださっていたのに、強く影響を受けて。
自宅でプリントができるよう引き伸ばし機を買って、授業をサボってスナップを撮る日々です。多いときは、月に36枚撮りフィルムで150~200本撮っていたんじゃないかな。
――そ、そんなに!? "数"もスゴいですけど、そもそも森山さんに言われたことを、ちゃんと行動に移しているのがスゴいです。
前 当時、仕事以外でこれだけ撮っていたのは、日本一、いや世界一かもしれない(笑)。現像したら、一本分、家の天井しか写っていないフィルムもありました。それでも、"数"を撮ることに意味があると信じてやっていましたね。
実際、森山さんの言う通り"数"を撮っていると、分かってくることがあるんですよ。「撮る」というのは、「自分の写真を見る」ということ。撮った数だけ自分と向き合わざるを得ない。撮れば撮るほど、自分の写真に夢中になりましたよね。
学校に行くとすれば、週に1回ある、みんなの前で自分の写真が講評される授業くらい。卒業単位はギリギリだったと思います。
――専門学校を卒業されたあとは?
前 スタジオマンになりました。周りの同級生に話を聞くと、みんな口を揃えて「専門学校の次は、上京してスタジオマンになるんだ」と言っていたから、「そういうものなんだ」と思って。意外と王道なルートを辿っていますよね。
しかもラッキーなことに、わざわざウチの専門学校に、東京のスタジオが5社ほど合同面接に来てくれたんですよ。ひとり3社まで申し込みOK。校内で一気に選考が受けられたんです。第一希望含め、応募したスタジオの面接は全て合格しました。まぁ、喋りに自信はあったので、落ちる心配はしていませんでしたが(笑)。
――おぉ~、さすがです! スタジオマンというと、最初は雑用メインで撮影の現場には入れないと聞きますが、前さんはどうだったんです?
前 僕が行っていたスタジオは、かなりゆるい方で。有名なタレントさんの撮影に、ライティングを変えて100個のドアノブをひたすら撮っていくドアノブカタログの撮影まで、最初のうちからいろんな現場に立ち合わせてもらいましたよ。
さすがにドアノブの撮影を手伝っているときは「ダメだ。おれ、カメラマンになれないかも......」と思いましたが(笑)。
ただ当時は、このスタジオで撮っているどのカメラマンよりも良い写真が撮れる自信がありました。スタジオマン時代に、キヤノンの写真新世紀で賞ももらいましたし。まぁ、佳作だったので、表彰式には行かなかったんですけど。
――「優秀賞じゃないのか」って?
前 そうそう。佳作でももらえるだけありがたいとはいえ、賞金30万円と3万円の差です。生意気ですみませんが、30万円もらうつもりでいた若造からすれば、納得のいく評価じゃなかったですね。
――トガっていますね(笑)。賞をもらったのはどんな作品だったんです?
前 専門学校時代に付き合っていた彼女との日常写真、そしてスナップをまとめた作品です。フラれたあとにまとめたので、タイトルは『泣いてばかりいた』にしました。......って、改めて言うと恥ずかしいですね(笑)。
――あはは。切ないタイトルですね。
前 彼女の裸の写真。歯磨きしているだけの何気ない写真。付き合っているときは楽しい気持ちで撮っているからこそ、別れた後に見るとジーンとしちゃうんですよね。フラれて、悲しくなって、彼女の顔を見たくなって、現像をして。
コンテストに出すときは、一応、本人に連絡しましたよ。「ギャラリー展示もあるし、嫌だったら訴えてください」って。まぁ、訴えられることはなかったです。次の彼女にフラれたときも、同じギャラリーで写真展を開きました。ギャラリーの人からは「失恋写真家だ」って言われていましたね。
――うぅ、やっぱり切ない。
前 荒木さんや森山さんの写真が好きだった影響もあって、基本的には、リアルな写真が好きなんですよね、僕。スタジオマン時代、周りがスタジオに新人のモデルさんなんかを呼んで作品撮りをしているなかるなか、僕は、終電まで六本木でスナップを撮っていたんですよ。
だって、呼んできたモデルさんを撮っても、全然リアルじゃないから。友達を撮るのもそうだし、街で声をかけた人を撮らせてもらうのもそう。感覚的には、常にドキュメンタリーです。作り物にはあまり興味がありませんでした。
――まだ駆け出しにもかかわらず、それほど自分の写真に自信があったのは何故なんでしょう? まだお若かったから、というのもあるとは思いますが。
前 森山さんに言われた"数"を撮る行為を続けていたからですね。結果的に、学生時代からスタジオマンを辞めるまでの約4年間は続けていたので。完全に、"数"に裏打ちされていると思います。「森山さんが言っていたのはこういうことか」と。まだ何者でもない僕なりに、いろいろ理解しはじめていたような気がします。
前康輔 編・第二話以降は『週プレ プラス』で配信中! 自信はあっても認められない苦しさ......。必死な思いで起こした大胆な行動が、運命の出会いを呼ぶ!
●前康輔(まえ・こうすけ)
写真家。1979年生まれ、広島県出身。
趣味=写真、パチンコ
2002年ごろより、カルチャー誌やファッション誌、広告などを中心に活動。
主な作品は、田中圭『R』、与田祐希『日向の温度』、樋口日奈『恋人のように』、井上小百合『存在』、弘中綾香『ひろなかのなか』など。三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、村上龍『空港にて』、吉田修一『春、バーニーズで』(挿絵写真)など、書籍のカバーも担当するほか、自身の写真集『倶会一処(くえいっしょ)』、『New過去』も。劇団4ドル50セント・安倍乙ファースト写真集『吐息の温度』好評発売中!
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