「(参考にしたツッコミ芸人は)初めて言いますけど、シンデレラエキスプレスの渡辺(裕薫)さん。あとは少し、おぎやはぎの矢作さん」と語るハチミツ二郎氏

漫才日本一を決める大会『M-1グランプリ』(朝日放送)や『THE MANZAI』(フジテレビ)でファイナリストに計3度上り詰めた実力派芸人、東京ダイナマイトのハチミツ二郎さん。

7月に上梓(じょうし)した『マイ・ウェイ 東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝』では、お笑い、プロレス、家族、病気など、仕事もプライベートもすべてをむき出しに綴(つづ)っている。

その26年にも及ぶ芸人人生について、かつて同じ吉本興業に所属し、芸人としての先輩でもある元ジャリズムのインタビューマン山下話を聞いた。

* * *

――二郎さんは東京NSCの1期生で品川庄司と同期。その頃、品川さんはとがっていて、養成所の授業前に「おまえら才能ないんだから、辞めろ」と同期に向かって言ったそうです。そのことは覚えていますか?

二郎 俺はそのとき、外でたばこを吸っていたんで見てないんです。でも、見ていたやつから聞きました。品川が教壇に上がっていって、そういうことをやったというのを。

――品川さんもまだ若かったというのもあったでしょうか?

二郎 当時、俺も吉本の社員に「おまえが高野(二郎さんの本名)か? 俺にケンカ勝てるか?」って、いきなり言われて。社員も変だったんですが、俺もそうだったから、「3秒あれば」って(笑)。品川も俺もイタかったんですよ。けど、お互い芸能界に残るだろうなというのは感じていたと思います。

――なぜ二郎さんは品川さんに対してそう思ったんですか?

二郎 品川は(ネタづくりに対して)研究熱心でした。あいつだけ銀座七丁目劇場の夜の部を見に行ってましたから。NSCで丸パクリのネタもやってましたけど(笑)。

――最初は皆さんマネから入りますから(笑)。

二郎 でも、お客さんをつかむネタは書いてました。品川庄司は在学中に人力舎や浅井企画の若手とのネタ対抗戦ライブに出てたりして優等生。俺は相方が決まってなかったこともあって選抜コースでもなかったし、劣等生だったんです。

――その後、吉本を辞めて、「トンパチプロ」というインディーズのお笑い事務所を立ち上げますよね。

二郎 はい。今、『東京ポット許可局』(TBSラジオ)をやっているマキタスポーツやサンキュータツオがいました。当時よく一緒にライブに出てたメンバーです。あと、U字工事もライブで一緒でしたが、あいつらには「入るな」と言いました。

――なぜですか?

二郎 当時は30歳を超えたら事務所に入れないという空気があって。マキタスポーツは30歳を超えてたけど、U字工事のふたりはまだ20歳ぐらいだったから。

――ほかの事務所に所属したほうがいいと思ったんですね。

二郎 はい。事務所を立ち上げてからは、猫ひろしが本名の「瀧崎邦明」で履歴書を送ってきて、何回も相方を代えてはネタ見せに来ていたんですよ。それで俺が猫に「どういうネタをやりたいんだ?」って聞いたら、「ジャリズムさんみたいなコントをやりたいです」って(笑)。

――今の猫さんの芸風とジャリズムは全然違いますけど(笑)。当時は僕らっぽかったですか?

二郎 ネタをやらせたら、全然違うことやってました(笑)。

――当時から違ってたんですね(笑)。二郎さんが猫さんをプロデュースしたと聞きました。

二郎 あいつはいやがってたんですけど、俺が「おまえはピン芸人だ」って言って。でも、そこから1年間はあいつをデビューさせませんでした。

――それはなぜですか?

二郎 力道山がジャイアント馬場はすぐにデビューさせたけど、アントニオ猪木は全然デビューさせなかったって育成方法にして(笑)。

――猫さんは猪木タイプだと(笑)。

二郎 その1年間で名前を「猫ひろし」にして、「昇竜拳」だったり、「ラッセッラー」だったり、みんなでつくり上げました。それで事務所のネタライブでデビューしたら、いきなり優勝して。そこからはあっという間に売れましたね。

――その後、2001年に松田大輔さんと東京ダイナマイト(2代目)を結成し、オフィス北野へ所属。『M1グランプリ2004』で初の決勝進出を果たしました。結成からわずか4年目でファイナリストですよ。

二郎 2001年12月末に結成したので、実質3年で決勝行っちゃったんです。だからネタの準備ができてなかったですね。ずっとコントばっかりやってたのもあって。

――その当時からすでに二郎さんのツッコミは今とあまり変わらないスタイルですよね。『お笑い実力刃』(テレビ朝日)で「憧れのツッコミ芸人は誰?」という質問に、錦鯉の渡辺隆さんとオズワルドの伊藤俊介さんが二郎さんの名前を挙げていました。

二郎 後輩から「二郎さんみたいなツッコミのやついますよ」ってよく聞いてて。それで錦鯉を知ったんです。

――サンドウィッチマンの伊達みきおさんも同じ系譜ですよね。

二郎 伊達ちゃんは俺の初期の頃と口調が同じで。でも、伊達ちゃんのほうが有名になっちゃって、逆に俺が「伊達ちゃんみたいだ」って言われ始めて(笑)。それでそのしゃべり方をやめました。

――二郎さんが参考にしたツッコミ芸人さんはいるんですか?

二郎 これ初めて言いますけど、シンデレラエキスプレスの渡辺(裕薫[ひろしげ])さん。

――渡辺さんは張るツッコミなので、タイプは違いますよね。

二郎 今までのツッコミはボケをひとつツッコんで次に進みますけど、あの人はツッコんだ後、さらにふたつ3つ言って笑いを取ってて。「ツッコミのほうが笑いを取ってもいいんだぞ」というのは渡辺さんを見て学びました。あとは少し、おぎやはぎの矢作(兼)さん。その人たちを含みつつ、自分のスタイルをつくりました。

――今後はどんな芸人人生を送りたいですか?

二郎 吉本の漫才の出番で、ほぼすべての劇場でトリを取ったんですけど、NGK(なんばグランド花月)だけはまだなんで、いつかあそこでトリをやりたいです。あとは浅草の劇場・東洋館に出て、俺らの看板を劇場の表にかけたいです。

東洋館の前って、今でも(ビート)たけしさんがプライベートで通るんですよ。それでたけしさんに「東京ダイナマイト」の看板がかかっているのを見てもらうのが最終目標です。

●ハチミツ二郎
1974年生まれ、岡山県出身。芸人。2001年に、松田大輔と東京ダイナマイト結成。『M‐1グランプリ2004』で第8位。『M‐1グランプリ2009』で第6位。『THE MANZAI 2013』で決勝進出、第3位。『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』のシーズン1、シーズン7に出演。8月13日(土)13時から芳林堂書店高田馬場店にて新刊発売記念トーク&サイン会を開催予定

■『マイ・ウェイ 東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝』
双葉社 1815円(税込)
憧れのツッコミ芸人として、多くの若手芸人から名前が挙がる東京ダイナマイトのハチミツ二郎。賞レースのファイナリストに3度なるものの、手が届かなかった、漫才日本一への思い。ビートたけし、立川談志、松本人志、太田光ら天才芸人たちとの知られざる交流。大仁田厚との電流爆破マッチの激闘にたどり着くまでの苦悩。心不全、コロナの後遺症、透析といった壮絶な闘病生活など、半生を赤裸々に語った重厚すぎる自伝本

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