2023年にデビュー30周年を迎えるTRF。数々の国民的ヒットソングを持ちながら、それに甘んじることなく、各自が常に進化し、スタンバイOKの状態を保つ。グループ結成の瞬間から今もなおフレッシュでパワフルな理由を聞いた。
■必要とされる場所で気負いなく自然体で
――来年ついにデビュー30周年。少し早いですが(笑)、おめでとうございます!
DJ KOO(以下、KOO) これはもう本当に応援してくださる方たちのおかげです。TRFを愛してくれる皆さんに僕らはずっと励まされてきたんですよ。
YU-KI 今まで以上に時間の重みを感じます。当たり前でなく、奇跡に近いなと。「よくここまできたね」と自分たちを認めてあげたいです。
――なぜ続けてこられたと?
SAM 必要とされる場所があることを全員が感じていたからでしょうね。「演(や)れる場所があるなら」と気負いなく自然体で思えたからこそ、個々の活動も並行してできたと思うんです。
YU-KI ボーカル、DJ、ダンサーという3つのセクションがあって、普段は違う現場で活動していますが、それについてお互い報告し合ったりはしないんです。でもひとたびTRFとして集まると外で得てきたものをそれぞれがグループに還元しようとする。そこで新しく生まれる何かが、ファンの皆さんに「元気」とか「フレッシュさ」に映っているんじゃないかなと。
――TRFのパフォーマンスは、鍛錬し続けていなければできないはずと拝見していて思います。日々、どんなメンテをしているんでしょうか?
CHIHARU もう精進あるのみです(笑)。「変わらない」を維持するため、年々トレーニングメニューは増えていきますね。もちろん、無理は禁物でケアしながら。ただそのケアも従来どおりでは足りないことも多いので、試行錯誤していますけど。
ETSU 昔は毎日動いてないとダメっていうところがあったんですけど、今は休養も必要。休んで、蓄えて、また動かすというやり方を私も自分なりに模索中ですね。
SAM 僕も還暦を迎え、体と相談しつつトレーニングするようになりました。ただ、「60歳なのにあんなに動けてすごい」とは言われたくないんです(苦笑)。ダンスは純粋にダンスとして評価してほしいので。
年齢に抗(あらが)うのではなく、この年齢だからこその動きを考えるようにもなりました。「TRFっていい年のとり方してるね」って言ってもらえたらなと。
――より熟成されたダンスが見られそうですね。
SAM 僕の場合、何をしていても最終的にすべてがダンスに行き着きます。TRFはひらめきを試せる場でもある。それが自分にとって欠かせないベースになってます。
――ボーカルのYU-KIさんは"声"のメンテをどうされていますか?
YU-KI もちろん気を使っていますが、主治医によれば特に女性は年齢とともに声が低くなるのが普通なんだとか。そこは変えようがないので今ある声を大切にして、今歌える歌をカッコつけずに歌えばいいと思っています。
あと年を重ねて確実に言えるのは、前よりも音楽が好きになっているということ。聴き方、歌詞の解釈に深みが生まれてきた。そういう面も表現できればと。ただ自分で言いますけど、TRFのボーカルは大変(笑)。キーも高いし、テンポも速い。それでも一緒に育ってきた宝物なので、大切に取り扱っていきたいです。
――バラエティ番組などでもご活躍のKOOさんは?
KOO どんどん元気になっている感じがありますね。最近、ゲームから盆踊りまでさまざまなコンテンツでTRFが取り上げられることが増えて。世代や国境を超えて愛されているという手応えを感じるとともに、現場で出会う人たちからの刺激で、自分をアップデートできているんじゃないかなと思います。
■テレビに出始めた頃もどこか人ごとだった
――TRFは洋楽のダンス作品を数多くリリースしていたエイベックスの邦楽アーティスト第1号。『EZ DO DANCE』(1993年)でブレイクした印象が強いですけど、当初どんなふうに結成されたんですか?
YU-KI 『EZ...』の前に1stアルバム(『trf~THIS IS THE TRUTH~』/1993年)があって、そのお披露目的なライブをしたんです。思えばそれがTRFの最初だったかも。
KOO ロンドンではやっていたレイヴ(夜通し行なわれるフリーな音楽パーティ)を小室哲哉さんが自分の音楽で紹介するというイベントだったんですよね。
――TRFは、TK RAVE(レイヴ) FACTORYの略でしたね。
KOO はい。だから僕はTRFの1stアルバムを小室さんのソロ作品というイメージでとらえてました。
SAM そのライブも単発のイベントで、僕ら自身その後、グループとなって続くとは全然思ってなかったんです。
――そうなんですか!?
SAM もともとダンサー3人は当時「MEGA-MIX」というチームで活動していて、小室さんから「オリジナル曲で踊ってみる?」と言われていて。「えっ、曲をくれるんだ?」と待ってたら、曲だけでなくボーカルとDJもいたという(笑)。
CHIHARU 本当に最初は疑問符だらけでしたよ(笑)。
SAM その後、YU-KIちゃんとKOOちゃんはレコーディングをするなかで、小室さんからグループとしての話も聞いてたと思うんですけど、僕らは何も。たまに招集がかかると「えっ、今、こうなってるの!?」って(笑)。雰囲気で状況を把握して、次を想像するしかなかったです。
――ではグループとしての実感はブレイクとともに?
SAM いや、テレビに頻繁に出始めたときでさえ全然ピンときてなかったですね。
CHIHARU 街中でTRFの曲を耳にしても「これ知ってるー」って(笑)。
ETSU どこか人ごとでね。
SAM 「YU-KIちゃん、ヒットよかったね」と思う一方、俺らダンサー陣はグループ内での役割をつかみ切れてなかったんです。ボーカル、DJ、ダンサーって編成なんて、当時どこにもないから周りも自分たちもグループとしての認識が追いついてなくて。
――それが変わったのは?
SAM 忘れもしない1994年の1stツアー初日の静岡公演です。楽屋にいたら小室さんもスタッフも「満員だよ」って。でも全然信じられなくて本番前、客席を偵察しに行ったんです。
KOO すると本当に満員!驚きました!
SAM お客さんの熱気もすごくて、しかもダンサー陣まで名前を呼ばれる。そこで、自分たちがちゃんと認識されていると初めて知って、「よし! 頑張ろう!」とスイッチが入ったんです。そこからですね。
――TRFという画期的なダンスミュージックグループが誕生した瞬間だった!
SAM そんないい日にKOOちゃんが置き去りにされる事件もあったけどね(笑)。
KOO あははは! 僕らがエイベックスの日本人アーティスト第1号ってことで、スタッフも業務のイロハがわかってなかったんです。僕は激励に来てくださったエイベックスの会長さんと握手して初日の感動を報告していたのに、段取りミスで気づいたらみんなホテルに戻っていた(笑)。
一同 そうそう(爆笑)。
――そのツアーを皮切りに、TRFのライブは常に満員になります。グループとしての実感が生まれた後、メンバーの一体感が生まれたのは?
YU-KI 私はずっとレコーディングに追い立てられていたので正直、それは全然わからないです。音が出来上がらないと振り付けもできないし、みんなとも会えない。グループ内にボーカルがひとりという恐ろしさと、人知れず闘っていたので。
SAM 僕が思うに、あまり表に出なくなった2000年代のa-nation(エイベックス主催の夏フェス)だったんじゃないかな。
――だいぶ後なんですね。
KOO そうだね。そこでお客さんが爆アガリしてくれたのが一体感につながったかも。
YU-KI 5人がライブという空間を長い間、共有してきたんだって意識をお客さんの熱気を通じ味わわせてもらって。「TRFはずっとこのメンバーでやってます」と、実感できたというか。
KOO 確かにウチらだからこそのライブの形があるなと思えた瞬間でもありましたね。
YU-KI 時代が進むにつれ業態も音楽の聴かれ方も変わりましたよね。でも、TRFには誰もが知っている曲があって、フェスに出ればみんなが信じられないくらい笑顔になる。その光景を目の当たりにしたときに、素直に幸せだなと思いました。オーディエンスが5人のパワーというものを証明してくれた。だから私たちもパワーを送れる人でありたいと思えたんです。
ETSU 曲に対するお客さんの反応が、本当にずっと変わらないんですよね。私もひとりの音楽ファンとしていろいろな曲を聴いてきましたけど、なかなかないことですよ。
――今や3世代でライブに来る人も珍しくないですよね。
KOO 僕のTikTokにも幅広い世代の方が来てくれて「娘と一緒に踊ってます」みたいなコメントも多い。TikTokきっかけで、TRFのライブにファミリーで来てくれたらうれしいですね。
SAM 何より小室さんの音楽が今も色あせてないんです。僕らにとって「小室さん」は大事なキーワード。TRFの活動により小室さんも色あせないでほしいし、その逆もという関係でありたいですね。
■ダンスは今やシニアの健康増進にも貢献
――先ほど、TRFみたいなグループがいなかったとお話しされていましたが、だからこそ存在や楽曲などすべてがパイオニアだったと。
KOO 僕もさんざん「あいつ後ろで何やってるんだ?」って言われました(笑)。それでも、DJという存在をどうにか表現しようと頑張ってきた。同じような葛藤はメンバーそれぞれにあったと思います。それを乗り越えてきたからこそ30周年を堂々と迎えられるんだなと思います。
――お互いの関係って言葉にするとどんな感じですか?
SAM 友達ではないよね。
CHIHARU うん(笑)。プロ同士の仕事仲間かな。
ETSU ま、リスペクトし合えるプロ集団ではある。
KOO 昔から知ってる親戚みたいな、家族みたいな?
SAM 20歳超えたら家族もこんなにしょっちゅう会わないけどね(笑)。
――30周年を記念してスペシャルな動きはありますか?
YU-KI 具体的にはまだ何も決まっていませんが、感謝はしっかりと届けたいです。個人的には、全国のクラブをさんざん回っていた頃のストリート魂を忘れず、何かできたらと思っているところです。
KOO 未来に向けてということだと、バーチャルな世界とか新しい形のオーディオにもすごく興味があるんです。これからのツールやシステムのなかにTRFを登場させて、新鮮な形で次世代に楽曲を残していけたらなと。
SAM 「次は35周年を目指そう!」ではなく、「みんなが元気でいれば、35周年だって迎えられるよね」という気持ちでいたいですね。
KOO そうそう、ここにいるダンスチームが今年出した『リバイバルダンス』(医学・脳科学・ダンスが融合した60歳からの筋トレ・脳トレDVD、ショップジャパン)は、僕もやらせてもらってるんですよ。
若者の文化といわれたダンスを、今やシニアの人たちが健康増進に役立ててくれている。それこそ30年前には思いもつかなかった未来だなと思います。
●TRF
1992年、小室哲哉プロデュースにより結成、翌1993年2月デビュー。『EZ DO DANCE』(1993年)、『survival dAnce~no no cry more~』(1994年)ほか数々のヒット曲を発表し、トータル2100万枚以上のCDセールスを記録、また1995年には『輝く!日本レコード大賞』を受賞するなど数多くの栄誉に輝く。ボーカル、DJ、ダンサーという編成は画期的で、日本において「ダンス&ボーカル」ジャンルの礎を築いた