著者の辻秀一さん(右)と、漫画家のかっぴーさん(左) 著者の辻秀一さん(右)と、漫画家のかっぴーさん(左)
「少年ジャンプ+」で連載中の漫画『左ききのエレン』(かっぴー・原作、nifuni・画)。広告業界やアート界で働く人物の苦悩をリアルに描いた群像劇だ。

なぜ『左ききのエレン』で描かれている葛藤は多くの人の心に刺さるのか?

この漫画を題材に、スポーツドクターの視点から人生について深く考えた書籍『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』(集英社インターナショナル)の刊行を記念して、著者の辻秀一さんと、漫画家のかっぴーさんに対談していただきました。

■『スラムダンク勝利学』みたいな本に憧れていた

 娘(辻愛沙子)に勧められて『左ききのエレン』を読んだら、僕が専門とする人間の生き方がすごく伝わってきました。『スラムダンク勝利学』の第二弾はこれしかない!と思ったんです。かっぴーさんは人間にすごく興味を持っている人だなと思って、すぐにツイッターでメッセージを送っちゃいました。

かっぴー ありがとうございます。僕は今でもよく覚えているんですけど、17歳のときに辻先生の『スラムダンク勝利学』を本屋さんで見たんです。漫画を題材にしたビジネス書は初めてでした。漫画はただのブームを超えた瞬間にバイブルになる。その実例を見せてくれたのがこの本でした。だから、いつか自分の漫画も、誰かがこういう本を書いてくれたらいいなあ、と思っていたんです。

 それは光栄ですね。

かっぴー 夢みたいなものだったんですけど、まさか本家の辻先生に書いてもらえるとは! うれしいです。

 こちらこそ、ありがとうございます。そもそも、なぜ漫画を描くことになったんですか?

かっぴー 小学生の頃、ノートに漫画を描いていて、ストーリーを考えるのが好きでした。高校生のときは映画の脚本とか小説とかに興味があったんですけど、現実的にハードルを下げて、広告代理店のクリエーターならイメージが湧くなと。それで美術大学から広告代理店に入りました。

■『左ききのエレン』は当時の自分ができなかったことを考えながら描いた

 広告代理店ではどんな仕事をしていたんですか?

かっぴー クリエイティブです。漫画の光一君みたいな感じで、最初はデザイナーの下っ端からスタートしました。徹夜で仕事したり、鬼上司がいたり、今だったら問題になりそうですけど、厳しく叩き上げられて自分が成長するという経験が楽しかったんです。辻さんは僕のことを「人間に興味がある人」とおっしゃいましたよね?

 はい、そうですね。

かっぴー 僕は人間が好きなんですよ。だからパワハラ鬼上司に対しても、「どうしてそこまで熱くなれるんだろう?」、「どうしてそこまで自分を律せるんだろう?」と思って見ていました。自分も同じ振る舞いをしようとは思わなかったけど、そういう人にどうしたら認められるかを考えるのは楽しかったですね。

 じゃあ、『左ききのエレン』に出てくる人たちは、それに類似する人が実際にいたんですか?

かっぴー います、います。まったく同じ人はいませんけど、この人のこの部分とあの人のあの部分を足してとか。僕は、当時、本当はこう思っていたというのがあって漫画を描いているんですよ。いろんなキャラクターのおかげで主人公は成長できた。あの頃、僕は人には言えなかったけど、漫画でなら伝えられるなと思って。

 自分個人としての伝えられなかった思いみたいなものを、主人公たちに込めて表現しているわけですね。

かっぴー そうですね。あの時、自分はどうすればよかったのかを漫画で考えてるところがあります。朝倉光一が途中までダメダメでうまくいかないのは実体験なんですけど、そのあと、どうすればいいか考えて解決して成長していくところは漫画を描きながら作っていきました。だから自分ができなかったことなんですよね。

 なるほど、そうでしたか。

かっぴー 自分は修行してパワーアップしたわけじゃないんですよ。スイッチが変わったというか、バスケットボールをサッカー場で使っていてミスマッチだったのが、体育館に持っていったら、すげえ使えるじゃんとなった。ほんと、そのぐらいのことなんです。もの自体が磨かれたわけではなくて、「ああ、こうやって使ったらいいんだ」と思ったら道が開けたタイプなので、みんな卑屈にならないで、いろいろチャレンジすればいいのにな、と思うんです。

 僕もまさにそうでした。慶應病院で医者をやっていた頃は、むっちゃくちゃ頭のいい人たちと比べられて、1日20時間くらい働いて疲弊してたんです。「これでいいんかな?」と思っていた30歳のときに「パッチ・アダムス」という映画を観て、僕の居場所はここじゃないなと思いました。

かっぴー 僕も観ましたけど、どの部分が刺さったんですか?

 最後の演説でクオリティー・オブ・ライフの話をするところです。人は全員死ぬ、死なないようにする努力よりも生きている間の生活の質が大事で、それは人それぞれなんだと。

かっぴー ああ、素晴らしい。

 負けまいと頑張って生きていた自分にその話が刺さった。では自分が一番興味を持っているのは何だろうと考えたら、スポーツとメンタルだなと思って、スポーツ心理学の勉強を始めたんですよ。

かっぴー じゃあ、僕と同じですね(笑)。ちょっとピボットしたんですね。

 そう、ピボットしたんですよ。そうしたら急に、『スラムダンク』を使ってみんなに心理学を伝えられるんじゃないか、という起死回生のアイデアが出たんです。

かっぴー ええー! じゃあ、あれがスタートだったんですね?

 そうですね。バスケットボール協会を通じて『スラムダンク』の井上雅彦先生に会うことができました。下北沢の居酒屋で僕の思いを語ったら。「それは本を書いたほうがいいんじゃないですか」と言ってくださったんです。

かっぴー すごいですね! 会うところまでいくのがすごい。

 もう奇跡でした。「パッチ・アダムス」を観て、慶應病院から一歩ピボットしたら別の景色が見えた。あそこで頑張り続けていたら今の僕はなかった。ちょっとしたきっかけなんじゃないかと思いますね。

■あなたらしさってなんだろう?

かっぴー 僕は『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』を読んで、『左ききのエレン』って、こういう作品なんだという、自分の作品の見方が変わったのが面白かったですね。

 ありがとうございます。「あなたらしさ」については、どう思われますか? 世の中には自分らしく生きようとか、自分らしくあれ、という言葉が飛び交っていて、自分らしさをインドまで探しに行っても落ちていなくて、みんな苦労していますよね。

かっぴー 自分らしさは自分を知るうえで必要だし、それを肯定するのは幸せになるための条件だと思います。でも、自分らしさって何だろうって悩んじゃってる人は、なんか違うんじゃないかなと思う。僕の世代は、とくに就活の時期に「自分探しに世界一周行ってきます」っていう人がいましたが、自分らしさを探すことが目的になってしまうこともある。「彼女ほしい、ほしい」と言っている人って、チャンスを見逃しそうじゃないですか。

 わかる、わかる。あなたらしさは何か、答えがないことが実はあなたらしさなんじゃないかと僕は思っているんです。自分らしさを見つけようとしている自分が、もう自分らしいんじゃないかと。

かっぴー そうですね。幸せになろうとしているのも自分だし、結局、何を優先して生きているかという話になってくるのかなと思います。『左ききのエレン』にはいろんなキャラクターが出てくるから、それを通して考える一助になったらと、先生の本を読んで初めて思えました。

 僕は『左ききのエレン』は葛藤の話だなと思ったんです。才能か努力か、ジェネラリストかスペシャリストか、脇役か主役かのように、人生でずっと問い続けても答えがないテーマが死ぬほど入っている。僕自身も、若い頃と熟年になった今とどちらがいいかとか、専門性は必要だけど総合性もほしいとか、今も欲張りながら葛藤しています。結局、どちらがいいか、どちらが正しいのか、わからないで生きているのが人間なんじゃないかな。それを考えさせてくれることが、この漫画の最大の魅力だと思います。

かっぴー ありがとうございます。『左ききのエレン』は最後まで読まないとダメなんですよ。途中までだと「ブラック企業の話でしょ」で終わってしまう。だから、『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』で網羅的に取り上げてくださったのは、すごくありがたいです。

 普通がいいというエレンに対して、光一は普通じゃ嫌だと思っている。これはみんなが思っていることですよね。

かっぴー そうですね。普通を目指すくせに、普通じゃ嫌だって。じゃあ、お前、ジャスティン・ビーバーの人生がいいのかって言われたら、わかんないですよね。

 幸せかどうかっていう視点でいくとね。

かっぴー だから、揺れている人、全員にこの二つの作品を読んでほしい。

 そう、全ての人類にね(笑)。

言葉の数々が心に刺さりすぎて、付箋だらけになってしまった辻秀一さん所有の『左ききのエレン』 言葉の数々が心に刺さりすぎて、付箋だらけになってしまった辻秀一さん所有の『左ききのエレン』

対談後はかっぴーさんにサインを書いてもらいました。 対談後はかっぴーさんにサインを書いてもらいました。

●辻秀一
スポーツドクター。1961年、東京生まれ。北海道大学医学部卒業後、慶應義塾大学で内科研修を積む。慶大スポーツ医学研究センターを経て、人と社会のQOLサポートのため(株)エミネクロスを設立。スポーツ版パッチ・アダムスを目指す。個人や組織のパフォーマンスを最適・最大化する自然体の状態「Flow」、すなわち"ご機嫌な心"を生みだすためのメンタルトレーニングを展開。社団法人Di-Sportsの代表理事を務め、日本代表アスリートと"ごきげん授業"を実施。著書に『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)をはじめ、『自分を「ごきげん」にする方法』(サンマーク出版)、『自己肯定感ハラスメント』(フォレスト出版)など多数。

●かっぴー
1985年神奈川県生まれ。株式会社なつやすみ代表。
武蔵野美術大学でデザインを学んだ後、大手広告代理店に入社。アートディレクターを務め、WEB制作会社のプランナーに転職。趣味で描いた漫画『フェイスブックポリス』をnoteに掲載したところ一躍話題に。2016年に漫画家として独立。現在は『左ききのエレン』(少年ジャンプ+)『原作版 左ききのエレン』(note)『15分の少女たち-アイドルのつくりかた-』(週刊スピリッツ)の3作品を連載中。

■『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』
(集英社インターナショナル刊、1,540円【税込】)