2019年の連続テレビ小説「なつぞら」でドラマデビューを果たして以来、さまざまな映画、ドラマ、CMと活躍の幅を広げている女優・鳴海唯

そんな彼女が9月14日より配信されているディズニープラス「スター」のオリジナルドラマシリーズ『すべて忘れてしまうから』に出演している。日本から全世界に向けて配信される同作の見どころや、役者を目指した経緯など、いま注目の若手女優に大いに語ってもらった。

■「このキャストの中に自分の名前があることが信じられない」

――鳴海さんが出演したドラマシリーズ『すべて忘れてしまうから』は、作家・燃え殻さんの同名エッセイが原作です。この作品にどんな印象を抱きましたか?

鳴海 燃え殻さんの実体験を描いているはずなのに、私が読んでも、どこか懐かしさを覚えてしまう不思議な作品でした。それは原作をフィクションに脚色した、このドラマの脚本を読ませていただいたときにも感じました。

――燃え殻さんは鳴海さんの倍くらい年上ですが、それでも懐かしさがあったと。

鳴海 自分が経験したことじゃないのに、共感できるところがたくさんあるんです。私は本を読むのがあまり得意じゃないタイプなのですが、燃え殻さんのエッセイはすごく描写がリアルで、そこが面白かったです。

――ドラマ版は阿部寛さんが演じるミステリー作家のMを主人公に、その恋人のFという女性が失踪するところから始まります。

鳴海 でも、それは大事件というわけではないんです。物語が進んで失踪の理由が見えてくると、誰にでも起こりうることなんじゃないか、とわかってきます。燃え殻さんの原作みたいに、「ああ、わかるな」ってシーンがたくさんあるので、大人なら誰しも共感できる作品になっていると思います。

――鳴海さんは、Mが常連として通う「Bar灯台」で働く女性スタッフのミトを演じています。

鳴海 私が演じたミトちゃんは、作品のキーになるキャラクターです。オーナーもお客さんも40代、50代が中心のお店で、自分よりも年上の人たちと毎日接しているから、若いのにどこか達観したところがある。しかも、お話が煮詰まってきたときに核心を突いたことを言うんです。

――周囲よりも若いから、みんなと違う視点で物事を眺めているわけですね。

鳴海 そうなんです。ミトちゃんが登場して何か言うと物語が展開していくので、ドラマのスパイスになっている役柄だと思います。

――主演の阿部寛さんをはじめ、「Bar灯台」のオーナーを歌手のCharaさん、そこで働く料理人を脚本家の宮藤官九郎さんが演じるなど豪華キャストがそろいました。

鳴海 ほかのキャストの方々を知ったときに、この中に自分の名前があるって信じられませんでした。本当に光栄です。

――現場は緊張しましたか?

鳴海 緊張しましたけど、みなさんとっても優しくて。Charaさんは娘さんが私と同世代ということで、共演したときのことを話してくださったり、すごく雰囲気がいい現場でした。その空気感はドラマにも反映されていると思います。

■「ここにいたらダメだ!」といきなり大学を辞めて上京

――主人公のMは恋人の失踪の理由を探るうちに、身近だったはずの人の知らない顔や秘密に直面していきます。そういった「周囲に知られているのとは別の顔」は鳴海さんにもありますか?

鳴海 ありますよ。でも私の場合、自分としては隠しているつもりでも、実は友達にはバレていたりするんですよね(笑)。

――周囲にはどう思われがちなのでしょう?

鳴海 ほんわかした天然の女のコだと思われることが多いですね。でも、実際は男勝りな性格なんです。共演した方からも、「そんなにサバサバしているとは思わなかった」とよく言われます。

――始球式(2021年6月3日開催のセ・パ交流戦)に出た際の印象が大きいかもしれないですね。バックスクリーンに向かってボールを投げようとしたり、そもそもボールを持っていくのを忘れてしまったりと、ハプニング連発ぶりはニュースにもなりました。

鳴海 たしかにやらかすときは派手にやらかしてしまうので、天然という印象を持たれるのは仕方ないですね(笑)。でも男兄弟の中で育ったから、本当はけっこう気が強いんです。


――じゃあ、普段からあまり悩まないタイプ?

鳴海 こうと決めたら早いです。でも、それまではずーっと悩んでしまいます。

――役者になるために上京するまでも、かなり悩まれたとか。

鳴海 それこそ10代はずっと悩んでいました。11歳のときに俳優になろうと思ったんですけど、大学1年生まで悩んで。ただ、もう沸騰寸前だったんですよね。ちょうど地元で『ちはやふる-結び-』という映画の撮影が行われたときに、私はエキストラで参加したんですけど、同世代の俳優さんたちが現場ですごい堂々とお芝居しているのを見たら、「ここにいたらダメだ!」って一気に沸騰してしまったんです。ストッパーが外れたみたいにいきなり大学を辞めて、東京でお芝居の勉強を始めました。

――どうしてそんなに悩み続けてしまったのでしょう?

鳴海 私は兵庫県の西宮出身なんですが、周りで劇団に入っている子とか一人もいなくて、俳優になるという夢に現実感を持てなかったんです。関西の大学の舞台芸術専攻に入って初めて、「俳優になりたい人がこんなにいるんだ」と知ったくらいでした。それまでまったく言えなかったんです。


――でも、そこは演劇人を養成する学部ですよね。進学を志望した時点で周りも俳優になりたいとわかったんじゃないですか?

鳴海 当時の私はそこまでの想像ができていませんでした。実は、関西の大学だけではなく東京の大学も受けていたんです。東京に行けば何か変わるかもしれないと思って、演技とは関係ない情報系の学部も受けてました。

――俳優の夢とはまったく関係ない学部じゃないですか。

鳴海 とにかく東京に行けば芸能事務所もたくさんあるから、俳優へのきっかけがつかめるかもしれないって思ったんです。

――本当にやりたいことは黙っていたわけですか。

鳴海 そうなんです。周りからも、「どういうことなの?」って言われましたけど、それでも俳優になりたいとはっきり言えませんでした。

■俳優が夢の仕事になった『のだめカンタービレ』

――そこまで俳優の夢をひた隠しにしていた理由は?

鳴海 「お芝居をやりたい」って言うことが恥ずかしかったんだと思います。東京の大学を志望した理由も、「テレビ番組の制作に興味があるんです」とごまかして。自分の中では「芸能界に関わる仕事だから嘘はついていない」って思いながら進路指導を受けていました。

ただ、最初の最初は、ちらっと「大学でお芝居を勉強してみたい」と先生に打ち明けてみたんです。でも、「それはサークルでやってみたら?」と言われて、「やっぱりそうですよね」となってしまいました。多分、私がどこまで本気なのかわからなかったんだと思います。

――しかし、それでも夢は捨てなかった。

鳴海 生まれつき人前で何かをするのが好きだったんです。私が5歳のときに、いとこの前で桃太郎の一人芝居をやったら爆笑してくれたのが今も記憶に残っています。とにかく笑ってくれるのが楽しくて、その子のお母さんを笑わせ、おばあちゃんも笑わせ......と何度もやりました。実家に帰るといまだに、「あの桃太郎は面白かったね」と言われます。

小学生のときも自分で作詞作曲した歌を発表会で披露したり、演劇のクラブで『白雪姫』の一番ドジな小人を演じたり、いろんなことをやりました。人前で芸をして、楽しんでもらうっていう経験が幼い頃からあったんです。

それで11歳のときですね、テレビで『のだめカンタービレ』のドラマが放送されていたんです。主演の上野樹里さんのお芝居を観たときに、「この道に進みたい!」と強く思うようになりました。あのドラマはコメディタッチだったから、何かの役を演じて、人を笑わせることが仕事になるんだと感動して、これが自分のやりたいことだって確信を抱いたんです。

――では、中学や高校で演劇部に入ったり?

鳴海 私が通った学校には演劇部がなかったんですよね。中学はバレー部でしたけど、高校は軽音楽部でボーカルをやっていました。

――それは人前に立つという経験を積むため?

鳴海 私が夢を打ち明けていた唯一の友達に勧められたんです。私としても、「いつか俳優をやるうえで役に立つかもしれない」と思ってやっていました。

――ちなみに何を歌っていたんですか?

鳴海 学園祭で「おどるポンポコリン」をロック調にして演奏しました。めちゃくちゃ盛り上がりましたね。あと、うちの高校にはクラス対抗の演劇祭もあって、そこでも桃太郎をやって優勝しました(笑)。

――高校の演劇で桃太郎っていうのも珍しいですね。

鳴海 かなり脚色した内容で、普通の女子高生が桃太郎の世界にタイムスリップする話だったんです。

――異世界転生ものだ。

鳴海 クラスの男のコが考えたオリジナル脚本で、私が主演をやりました。しかも自分で手をあげて(笑)。

■「自分には無理と思い込んでいたのは私だけじゃなかった」

――それほど人前に立つことに前のめりなのに、俳優の夢を隠していたっていうのもすごいですね。

鳴海 もちろん、「芸能界に行ったら?」と冗談では言われました。でも、俳優っていうのは子役からやっているような特別な人たちがなるものだとみんな思っていて。私自身もそう考えていました。

――テレビや映画に出ているのは、自分たちとはかけ離れた世界の人々だ、と。

鳴海 そうですね。だから地元では今も、「本当になるとは思っていなかった」と言われます。初めてテレビに出たときなんて、みんなびっくりしていました。


――初のドラマ出演が連続テレビ小説「なつぞら」ですからね。鮮烈なデビューでした。

鳴海 でも、それが20歳のときだったのでデビューとしては遅いほうなんです。だから、もっと頑張らないとみなさんに追いつけないという思いはずっとあります。

――夢を叶えた今、「自分には無理だ」と思っていた頃を振り返って、どう感じますか?

鳴海 大学を辞めて東京に出てきたとき、実は地元の同級生が同じ養成所に入ってきたんです。その子も俳優になりたいとは全然言っていなかったからびっくりして。でも、話をしてみたら、私がやり始めたことで背中を押されたと言ってくれたんです。「実はずっと挑戦してみたいと思っていた」って。

その言葉を聞いたときに、「ああ、私だけじゃなかったんだ」と思いました。自分の行動が人に影響を与えることができたのもうれしかったです。私は一歩を踏み出すのに人より時間がかかってしまったけど、今は本当に決心して良かったと思っています。

●鳴海唯(なるみ・ゆい)
1998年5月16日生まれ、兵庫県出身。2018年に映画『P子の空』で女優デビュー。その後は、NHK連続テレビ小説『なつぞら』、ドラマ『ムショぼけ』などに出演。また、『レバテック』や『ワコール』など、CMにも多数起用されている。昨年12月には、『偽りのないhappy end』で映画初主演を果たした。最新出演作『すべて忘れてしまうから』がディズニープラスにて独占配信中。
公式Instagram【@narumi_05】