現在、ソロデビュー25周年を迎えているアーティスト・カジヒデキ。
バンド『ブリッジ』としての活動を経て、1996年にソロデビュー。以降、渋谷系を代表するアーティストのひとりとして、時代を超えて愛されるエヴァーグリーンな楽曲を生み出し続けている。
そんな、カジヒデキさんにインタビューで直撃。前編となる今回は、25年経って「変わったものと変わらなかったもの」をテーマに話を聞いた。
──まずは、ソロデビュー25周年を迎えた率直な感想を聞かせてください。
カジ 25年もやったような感じはしないですけど、素直に25って数字はすごいなと思います。よくがんばったなと......。って、まだ終わったわけじゃないんですけど(笑)。
でも自分が90年代にソロデビューをして、もちろんずっと音楽活動をしたいという思いは漠然とありましたけど、自分が50代になっても音楽をやってる姿はあまり想像はできてなかったんですよ。
そういう意味では、すごくありがたいです。あと、こうして音楽を続けてこられたのは自分ひとりの力じゃできなかったな、いろんな人のおかげだなっていうのはすごく感じますね。
──デビュー当時と今で変わったことは何かありますか?
カジ 僕はもともとブリッジというバンドをやっていて、ソロデビューしたのが29歳。それまで好き放題にやってきたのでその歳でも世間のことを全然知らなかったんですよ。人としてダメなところがたくさんあった。ソロで活動していく中で、これじゃいかんと気づくことが多かったですね。まあ変わらずダメなところもありますが(笑)、でも昔よりは人間として少し成長したかなと思います。
──どんな部分が成長したんですか?
カジ 人に優しくですね(笑)。
──(笑)。音楽に対してはどうですか? 趣向性は広がってはいるけど、好きなものに突き進む姿勢みたいなものは変わってないように見えます。
カジ そこは変わらないですね。僕は高校ぐらいからパンク、ニューウェイヴ、インディロック、インディポップといったいわゆるオルタナティブな音楽を聴いてきたんですけど、そういう趣味はほんとに今も変わらないなって。例えば、自分が崇拝してるアーティストに対して今でもずっと同じ気持ちで好きでいられるのはすごくいいなと思いますね。
──どうして変わらずに好きでいられると思いますか?
カジ 好きになったものをとことん好きになるっていう自分の性格もあると思うんです。あと、好きになった人が、今も変わらずみんな第一線で活躍してるっていうのもありますね。
やっぱりフリッパーズギターの2人、小山田(圭吾)くんと小沢(健二)くんは大きな存在だと思います。2人とも今でもすごいじゃないですか。
僕は、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーだったり、パステルズのスティーブン・パステルだったりにもすごく影響受けてるんですよ。そうした僕が20歳くらいからすごく憧れてる人たちが、今もみんな面白いことやってるのはすごくうれしいですね。
──しかもカジさんは古いものだけが好きってわけじゃなく、新しいバンドをずっとチェックしてますよね。
カジ そうですね。レコードを買ったり音源をチェックして新しいアーティストを見つけるっていうのは10代からやってきてるんです。その面白さを知っているので、新しいものを絶えずチェックしちゃう自分がいるんですよね。それは変わらないです。
年上でも同世代でも、やたらと小さなところに固執してる人っているじゃないですか。そういうのって広がりがないし全然面白くないし、若い頃から、自分はそういう風にはなりたくないなって思ってたんですよ。自分が大人になって、そうなってなくてよかったです(笑)。
でも、無理して新しいバンドを聴かなきゃって感じではないんですよ。ずっと自然体でやってきてるだけって感じです。
──音楽リスナーであり続けながらアーティストとして音楽を作り続けているってことですね。
カジ その感覚はありますね。そういう部分では、僕はヒップホップ、ネオソウルだったり今の音楽も聴くし、すごくいいじゃんって思うんです。でも、自分を表現するかとなったらそのジャンルはちょっと違うのかなって。好きだからといってなんでもできるわけじゃないですし(笑)。
僕が作るものは、やっぱりギターポップ、オルタナティブなものって基本があるので、その中にかっこいいものをエッセンスとして取り入れられたらなって思ってます。
──まさにカジさんの音楽は、インディポップ、ギターポップといったオルタナティブなサウンドの影響を、自分の音楽に明確に投影していますよね。
カジ 僕は基本的に音楽を作るときに、何かの影響とかインスパイアみたいなものを考えて作るんです。もともと自分が曲を作り始めた20歳くらいのときって、ヒップホップ的なサンプリングをする文化、オマージュするっていうのがすごく大事だったんです。いわゆる渋谷系って言われてたものです。
当時はものすごい勢いでレコードを買ってて、ディグった中からいいものを見つけて、それを元ネタにして音楽を作るって感覚がありました。20歳くらいの頃の僕は、そういうスタイルで音楽を作り始めたんです。
──渋谷系と呼ばれたアーティストの方々は、引用したものを再構築して新しい音楽として作り上げるというスタイルが基本のフォーマットとしてありました。
カジ もちろん、ただただ曲ができるときもあるけど、何かにインスパイアされて作ることに重きを置いてたし、しかも、その元ネタがどんなものかがすごく重要だったんです。自分ですごくいいなと思ったものを、自分で違う形で表現していこうってスタンスだったんです。
──誰もが知ってるありきたりな曲じゃなく、あまり知られてないけどすごくいいものを元ネタにして使う。ある意味、自分の音楽を通じてリスペクトする音楽を紹介するって感覚もありましたよね。
カジ ハイ、まさに渋谷系にはそういうところがありましたね。
──そんなカジさんですが、2005年に連載が始まったマンガ『デトロイト・メタル・シティ』では、逆にカジさんが元ネタ的存在になっていて、2008年に映画化された際には、カジさんも楽曲提供もされていました。それまでのファンとは違う一般層にも広まりましたし、そこからカジさんのファンになった人も多かったと思います。
カジ 確かにそうですね。僕がソロになる前に活動していたブリッジは、インディポップとかフレンチポップを主軸にしたいわゆる渋谷系と呼ばれるバンドだったんです。自分たちはマニアックな音楽をやろうとしてたわけじゃなかったんですが、傍から見たらきっとマニアックなバンドと思われてたと思うんですよ。
でもソロデビューしたときに、そういうところにずっといるのは嫌だな、もっと普通の人にも届く音楽を作りたいなってすごく思ったんです。例えば、スピッツが好きな人にも届くものを作りたいって純粋に思いました。だから、ファーストアルバム『MINI SKIRT』は、自分の中でそれをすごくがんばって作った作品なんですよ。
──1997年のファーストアルバム『MINI SKIRT』は、当時オリコンチャートの4位を獲得しましたね。
カジ ありがたいことに『MINI SKIRT』は新しい層のお客さんも取り込めて、ある程度セールスもあって、大きい会場でライブができたりしたんです。でも、僕は中学高校の頃からオルタナティブな音楽を聴いてきたので、自分の中で「これでいいのか?」みたいな気持ちが出てきちゃったんです(笑)。
──自分の根っこにある、大衆性を良しとしないパンクスピリットが出てきてしまったと(笑)。
カジ そーなんです。もちろん『MINI SKIRT』がダメってことじゃないんですよ。すごく大衆的なものと、そうじゃないもの、どちらもあっていいんじゃないかなって自分の中のせめぎ合いがずっとあるんです。
『デトロイト・メタル・シティ』は、自分がソロデビューして12年目くらいのときだったんです。マンガの中で主人公の根岸くんが歌う曲は自分の『MINI SKIRT』あたりの影響があるので、そうした曲をお願いしたいってオファーがあったんです。なので、自分的にも「甘い恋人」「サリーマイラブ」はわりと『MINI SKIRT』の頃をすごく意識して作ったんです。
──「甘い恋人」は、自分オマージュ的な感覚で作った楽曲だったんですね。
──『デトロイト・メタル・シティ』は渋谷系をちょっとディスる印象もある作品でしたが、渋谷系ど真ん中のカジさんが曲を書くってかなりすごいなと思いました。実際、映画の依頼が来たときはどう思いましたか。
カジ 僕はうれしかったです。もともとマンガの3~4巻が出たくらいの頃に、ファンの人から教えてもらってマンガを読んだときにすごく面白いなって思ったんですよ。っていうのは、2000年代の前半くらいって90年代の渋谷系文化みたいなものがわりと悪く言われることが多かったんです。
自分たちもそうだったんですけど、世の中って大体自分たちより上の世代のカルチャーを否定したりするじゃないですか。ほんとは好きだけど、自分たちの文化をカウンターにする上で批判するみたいな。それで、90年代の渋谷系みたいな文化は最低だってすごく言われた時期があったんです。
そのタイミングで『デトロイト・メタル・シティ』ってマンガが出てきた。あれも一見、渋谷系をバカにしてるような感じがあるけど、読んですぐにそこには愛情があるなって感じられたんです。
──好きなものへの自虐的な表現でしたよね。
カジ 実際、作者の若杉(公徳)さんにはわりと早い段階でお会いしたのですが、やっぱり渋谷系のアーティストがすごい好きだって言っていました。だから、あの作品が映画化になったときに、僕のところに話が来たときには純粋にうれしかったです。映画の音楽プロデューサーだった東宝の北原京子さんから、なんで僕にやってほしいかって説明を受けたんですがそれがすごくよくて、もうがんばります!って感じでした(笑)。
だから、作業自体すごく楽しんで作れたんです。「甘い恋人」はもともと別々の2曲があって、北原さんに「こことここをミックスしたらもっとよくなりそう」って言葉をもらって合体させて作ったんです。そういうのも勉強になりましたし、『デトロイト・メタル・シティ』を通じて自分も気づかされることが多かったです。
⇒カジヒデキさんが『デトロイト・メタル・シティ』を通じて気づいたこととは? 後編に続く。
(取材協力/下北沢T)
●カジヒデキ
1967年5月8日生まれ、千葉県富津市出身。1986年にゴスバンド『Neurotic Doll』にベーシストとして加入し、本格的に音楽活動をスタート。1989年にネオアコースティック・バンド、BRIDGEを結成。1995年に解散し、翌年の1996年に「MUSCAT E.P.」でソロ・デビュー。1997年1月に発表したファースト・アルバム「MINI SKIRT」は30万枚を超える大ヒットを記録した。2008年には映画「デトロイト・メタル・シティ」の音楽を担当。主題歌「甘い恋人」がスマッシュヒットした。
〇最新シングル『SUMMER SUNDAY SMILE』がデジタル配信中。10月30日(日)にソロデビュー25周年記念公演「ALL ABOUT MINI SKIRT AND TEA」を開催する。公演の詳細はカジヒデキ公式サイトでチェック。
公式Twitter【@hidekikaji】
公式Instagram【@hideki_kaji】