長く続いたコロナ禍の影響で、自宅で過ごす時間が増えるなど、人々のライフスタイルが大きく変化する中、日本でも犬や猫などのペットを飼う人が増えたといわれている。
毎日の暮らしにペットという小さな命が加わることは、日々の生活に喜びや楽しみを与えてくれる一方で、犬や猫は飼い主よりも早く年老いて、いつかは先に旅立ってゆく。
39歳で犬を飼い始めたお笑いコンビ、エレキコミックのやついいちろう氏が、それから10年を経た今、老犬となった愛犬「こぶし」の終活と向き合う日々を柔らかなタッチで描いたのが、本書『うちの犬がおじいちゃんになっちゃった 愛犬こぶし日記』だ。
* * *
――やついさんはパグのこぶし君と出会うまで、生き物はカブトムシぐらいしか飼ったことがなかったそうですね。
やつい 最初は犬を飼うつもりなんてなかったんです。実家は団地で犬が飼えなかったし、大学で東京に出てきてひとり暮らしを始めてからも、ペットを飼う余裕はありませんでした。
その後、結婚して引っ越してから奥さんが「猫が飼いたい」と言い出して、なんとなく僕は「飼うなら猫より犬のほうがいいかな」と思っていたときに出会ったのが、こぶしでした。
ただ今思うと、たぶん犬が飼いたかったんですよね。小学生のときに友達と小犬を2匹拾って、それを「みんなで飼おう」みたいな話になったんだけど、親に「飼えない」って言われて、結局どこかに引き取られていっちゃった......。
もしかすると、あのコたちは殺されちゃったのかもしれないけど、そういう忘れてた子供時代の思い出の影響もあったのかもしれません。
――犬を飼い始めたことで、生活はどう変わりました?
やつい 一番の変化は免許を取ってクルマを買ったことですね。体重が2㎏とか3㎏の犬ならいいですけど、10㎏を超える犬は電車に乗せるのも大変なので。あと、パグってメチャクチャ毛が抜けて服につくので、抜け毛が目立つ黒っぽい服は着なくなりましたし、旅行も、こぶしと一緒に泊まれる宿を探すようになりましたね。
――それって、今までの自分のスタイルを変えたり、制約を受けたりすることだと思うのですが、それは苦にならない?
やつい そうですね、なぜかいやとは思わない。「犬に合わせて生活を変えた」というと、文句みたいに見えるんですけど、それが全然いやじゃないのが不思議ですよね。
あと、この本にも書いたんですけど、こぶしと暮らすようになってから「ああ、今日はなんにもしてないなあ」と思うことがなくなりました。当たり前ですけど、犬を飼っていると、常に「やること」があるんですよ。ごはんをあげたり、散歩に連れていったり、遊んであげたり、甘えてペロペロ舐めてきたり。
そんな感じで、こぶしの世話をしているうちに、一日が終わっていくみたいになってるんだけど、それも不思議と「犬に時間の自由を奪われている」とは感じないんですよ。
――なぜなんでしょう?
やつい とにかくもう、かわいいんですよね(笑)。犬って人間と違って、こっちが何かやってあげたことに対して、シンプルに喜んでくれる。だから、こっちがいやな気持ちで散歩に行ってもめちゃくちゃ喜ぶし、「めんどくせえな」とか言いながらごはんをあげても喜ぶし、触ってあげたら喜ぶし。
こっちの気持ちよりも、やってあげたことに素直に反応してくれるところにグッときちゃうんですよね。あまりにも純粋で、人間みたいに裏を読まないというか。
逆に、僕自身はかなりあまのじゃくな人間なんだけど、そういうこぶしを見ていると「素直ってかわいいな」と思うようになりましたよね(笑)。
犬ってすごく「無防備」なんだけど、無防備って実は最強なんじゃないかな? 自分は普段からガードが堅いけど、そんなにガードしないほうがいいのかな......みたいに思うようになったのは、自分も変化してきてるのかもしれません。
――この本の大きなテーマのひとつが、自分より先に老いていく犬と向き合う「ペットの終活」です。こぶし君を飼い始めたときから、いつか来るその日のことは考えていましたか?
やつい そのことは考えていたし、頭ではわかっているつもりでしたけど、元気に走り回っていたこぶしが年を取って、ヘルニアで足が震え出したとき、リアルに「ああ、このコは、自分を追い越しておじいちゃんになっちゃったんだ。あと、何年かしたら、お別れしなきゃいけないんだ」と実感するようになって、それと同時にこぶしのことがますますかわいくなりました。
変な言い方に聞こえるかもしれないけれど、病気してからのほうが倍ぐらいかわいくなってて、それってなんでだろうと思ったんですけど、まだこぶしを飼い始めたばかりの頃に「老犬が一番かわいい」って言っていた人がいて、このことなんだなと思いました。
――老犬が一番かわいい?
やつい なんかね、自分にピッタリ合ってきている感じなんですよ。もちろん、子犬のときもかわいいですけど、そこから10年、ちゃんと世話をしながら一緒に生きてくると、かわいさのレベルが相当上がるというか、老犬になると、子犬のときとは比べものにならないほどの耐え難いかわいさなんです。
例えば子供を持つとか、弟子とかもそうかもしれないけど、人って、やっぱり何かにコミットしないとダメだと思うんです。ほかの誰かと一緒になって生活する......みたいなコミットの大きさでしか得られないものってあると思います。
――コロナ禍で犬を飼った人が多い一方で、途中で手放してしまう人も多いそうです。
やつい いろいろな事情の人がいると思うけど、老犬になる前に手放しちゃうのは、本を最後まで読まずに捨てるのと同じでもったいないと思います。
もちろん、犬も年を取れば病気もするし、お金もかかって大変なこともありますけど、そういう老犬と一緒に暮らしていると、少なくとも毎日、自分が犬の役に立ったり、喜ばしたりすることができているので、誰も助けなかった日がないというか、無駄な日は一日もないんだと実感できる。
そこが面白いところで、犬に感謝されているつもりで、実は自分も救われているというのがイイんですよね。
●やついいちろう
1974年生まれ、三重県出身。1997年にお笑いコンビ「エレキコミック」を結成。2000年にNHK新人演芸大賞、演芸部門を受賞。芸人活動と並行してDJを始め、2005年「COUNTDOWN JAPAN」DJブースにてフェスデビュー。音楽イベントのDJとしても全国を駆け回っている。2012年より音楽とお笑いのエンターテインメントフェス「YATSUI FESTIVAL!」を主催。TBSラジオ『エレ片のケツビ!』に出演中。著書に『それこそ青春というやつなのだろうな』(PARCO出版)
■『うちの犬がおじいちゃんになっちゃった 愛犬こぶし日記』
カンゼン 1650円(税込)
39歳までペットと縁がなかったお笑いコンビ、エレキコミックのやついいちろう氏が犬を飼い始め、それから10年を経ておじいちゃんになった愛犬こぶしとの日々をつづるエッセイ。「ペットの終活」に直面し、「自分より先に死ぬという現実」と向き合い、生きる上で大切な何かを教えてくれる老犬との暮らしから見えてきたものとは