49歳とは思えない見事な肉体を披露した史上初の完全制覇者、秋山。「ベンチプレスとか、スクワットとか、誰でもやれるような、特別なことじゃないですけど、SASUKEを引退してからも10年間続けていました」と語った 49歳とは思えない見事な肉体を披露した史上初の完全制覇者、秋山。「ベンチプレスとか、スクワットとか、誰でもやれるような、特別なことじゃないですけど、SASUKEを引退してからも10年間続けていました」と語った
1997年に誕生し、現在では世界160以上の国と地域で親しまれているTBSのモンスター番組『SASUKE NINJA WARRIOR』。その第40回記念大会が本日18:00から放送される。

39回の大会を重ね、延べ3900人が挑戦してきた25年の歴史で、完全制覇を達成したのはたったの4人。

――不可能に挑み続けてきた名もなき男たちの生き様を伝える短期集中連載、週刊プレイボーイプレゼンツ「SASUKE完全制覇者の肖像」。最終回は秋山和彦さんが登場です!!

第40回記念大会の収録日に、この完全制覇者たちの取材をした。4人の中で最後に撮影ルームに現れたのが初代完全制覇者、秋山和彦だった。

実は、その中では秋山の撮影を一番危惧していた。何せ、最後にSASUKEの舞台に立ったのが10年前の第28回大会。4人のうち現役から最も遠ざかっていたのが秋山で、しかも今年49歳になったという。

「完全制覇者の肉体美を見せる」という企画が、果たして成立するか――そんな懸念は、秋山が上裸になった瞬間に霧散した。

見事な逆三角形を披露する秋山 見事な逆三角形を披露する秋山
まさに「筋肉の北の国から最終章」。

現役時代と変わらぬ、いや年齢を重ねた分、さらに味わいを増した金剛像のような肉体がそこにはあった。

「10年間、筋トレは普通にしていたんですよ。欠かさず、定期的に。もちろん、そこまで追い込んだことはしないですけど。やったほうが楽なんですよね。腰痛とか肩とか。やらないと怖くなってくるんです。それが嫌で」

その感覚は、よくわかる。以前、SASUKEガチ勢のゴールデンボンバー樽美酒研二(今大会は不出場)も同じようなことを言っていた。

しかし、10年。

10年もの間、黙々と自らに向き合い、続ける――。気が遠くなるような長い月日の果てに、ようやく辿り着く至高の境地。秋山の肉体には、ひたむきに、誠実にトレーニングを重ねてきたという確かな説得力があった。すごい、を通り越して、尊い。思わず拝んでしまいそうになる。

「本当はやりたくないんですよ。つらいし、面倒くさいし。嫌々やってた感じの10年間でもありますから、そんな大層なものじゃない。

実家が漁師で、その手伝いをしたときに、動きが鈍くなったと思われるのも嫌だから。その程度で維持するくらいで。本当にきつくやったのは、今年に入ってから――ここ10ヵ月くらいですかね」

秋山の元に40回大会への出場の打診があったのは、昨年の放送後のことだった。番組総合演出の乾雅人氏は、秋山が引退してからのこの10年間も、欠かさず連絡を取っていたことをSNSで明かしている。

「しっかり体を作らないと逆に迷惑をかけちゃいますから。最低でも怪我しないように鍛えていきます、と答えたんですけど、途中からはやっぱり気持ちが入ってきて。ちゃんとやっていましたね」

引退してからも、SASUKEは必ず観ていた。録画も第1回大会から全部録ってあるという。

またあのステージに立ちたい――。引退してからの10年で、そんなふうに思うことはなかったのだろうか?

「出たいな、という感じでは観ていなかったです。あくまでも10年前に引退した身で、番組でも盛り上げてくださって、それはありがたかったですから。だからそういう感じはなくて、『このエリア、ちょっとやってみたいな』とか思うくらいでした。

今の3rdステージをとにかくやってみたいですよね。走ったり飛びついたりというよりは、純粋に力で行く。そういうのが一番好きなので」

前回大会の3rdステージ。第39回大会は、出場者100人全員が3rdステージまでで散った 前回大会の3rdステージ。第39回大会は、出場者100人全員が3rdステージまでで散った
収録場所の緑山スタジオに行くとわかるのだが、1stステージ、2ndステージにもそれぞれの趣きはある。1stはまるでゲームの世界のような華やかさとお祭り感が。2ndにはダンジョンに飛び込んでいくような不気味さと、深閑とした存在感がある。

しかし、なんと言っても「美しい」のは3rdステージだ。一切の無駄のない、強者だけが立ち入ることを許された聖域。純粋な力と力の勝負。研ぎ澄まされた鋭さと、厳粛な美しさがそこにはある。

もちろん秋山も、3rdステージに辿り着くためにはまず1stを超えなければいけないことを自覚している。

「トランポリンを跳んで、その後つかまるというのが(あまり得意じゃない)。以前のジャンプハングのときは、どこかつかまれば後は衝撃に耐えればよかったんですけど、今のドラゴングライダーは、バーが1本しかないので。あれをつかめるかどうかですよね。跳んだ瞬間、たぶん僕、わからないと思うんです。自分がどこにいるのか」

かつてあったジャンプハングのエリア。秋山は過去、第6回(2000年)から第8回大会(2001年)まで3大会連続でジャンプハングを失敗した経験がある(写真は第7回大会) かつてあったジャンプハングのエリア。秋山は過去、第6回(2000年)から第8回大会(2001年)まで3大会連続でジャンプハングを失敗した経験がある(写真は第7回大会)
昔からのSASUKEファンの間では周知のことだが、秋山は極度の弱視を抱えている。秋山が第4回大会で完全制覇を達成した後に番組内で明らかにされたのだが、「『ハンディがあっても、普通の人にできないこんなすごいことができるぜ』と語ることは、意味があるんじゃないか」という前出の乾氏の説得もあり、公表に至った経緯がある。

10年ぶりの出場となる秋山だが、「お客さん」で帰るつもりはさらさらない。

「その前のフィッシュボーンも、成功した人の話を聞くと、目印にすべきバーがあるんですよね。あとはテンポよく、多少ぶつかっても落ちないとか、抱きついたらダメとか、アドバイスはいろいろもらいました。

それから本当に初歩的な、最初の転がるところ(ローリングヒル)で落ちたりとか、そうなっちゃうとただ記念大会にゲストで来ただけになっちゃいますから、それは避けたいと思っています」


秋山が最初の完全制覇を達成してから23年、SASUKEが誕生してから25年の月日が流れた。あの頃、こういう未来を想像していたかと訊ねると、秋山は首を振った。

「いや、想像してなかったです。自分が完全制覇して、SASUKEが終わってまた違う企画、番組が始まると思っていたので。こんなに長く続くとは......ましてや、世界中で有名になり注目されるようになるなんて、誰も想像してなかったと思います」

今大会には、秋山と一時代を築いた"ミスターSASUKE"山田勝己(今大会はゼッケン3996)、"SASUKE皆勤賞"の山本進悟(同ゼッケン3995)ら、「SASUKEオールスターズ」の面々も出場する。

「なんか、久しぶりに会った感じがしないんですよね。一緒に戦った仲間。練習も一緒にしたり、あの頃は頻繁に連絡も取り合って、エリアの攻略法とかいろいろ話した仲間なので、たぶん何年会わなくても、いつ会っても変わらないんでしょう。

やっぱり、こういう企画がなければ知り合うことがなかった人たちなので。そういう意味では、SASUKEというのは人生の仲間と出会える場だとも思います」

"毛ガニの秋山"として完全制覇を達成した秋山は、その後、鍼灸の仕事をしていたはずだ。そのことを訊くと、秋山はかぶりを振った。

「今は休業中なんです。いろいろ、コロナがあったりした中で、今、模索中で」

今も"毛ガニの秋山"と呼ばれることに対してどう思っているのか訊ねると、こんな答えが返ってきた。

「それはもう暗黙の了解というか。全然、嫌とかはないです。だから今回もスタート台では毛ガニと、ハーフパンツも昔のまんまです」

毛ガニを背負って今大会のスタート台に立つ秋山。SASUKEの風物詩のひとつである 毛ガニを背負って今大会のスタート台に立つ秋山。SASUKEの風物詩のひとつである
今回は記念大会ということで10年ぶりの出場となったが、秋山の勇姿をこれからも見たい往年のファンは少なくないだろう。今後、本格的な復帰はあり得るのだろうか。

「1回引退しているので、今回は25周年と40回大会というのが重なっての出場なので。その次となると、可能性としては30周年記念とか、50回記念とか、5年後、10年後になるんじゃないでしょうか。

そういう記念の大会に呼んでいただくためには、今の若い人たちが活躍して、視聴者の皆さんが楽しんで、そして視聴率が上がってくれないとなかなかそうはならないでしょうし。

――今の小、中学生、高校生の人たちがSASUKEを好きで、完全制覇したいという人たちがこれからもどんどん出てくれば......また自分が毛ガニを背負ってスタート台に立つ日は来ると思います」

SASUKEは毎回、100人しか出場できない。今年は10年ぶりに予選会が開催されたが、突破して本戦に辿り着けたのはわずかふたり。例年オーディションもあるが、非常に狭き門だ。SASUKEの舞台を夢見て日々トレーニングし、しかし未だその夢を叶えられていない兵たちが日本中にいる。

彼らに何かアドバイスをするならば。そう訊ねると、秋山は穏やかにこう答えた。

「とにかくあきらめずに毎年応募して、スタッフの目に留まるようなパフォーマンスを見せること。――やっぱりキャラクターよりも、パフォーマンスが一番大事だと思うので。動けなければ話にならないし、目にも留まらない。

自分らがやっていた以上に、今の新世代や森本君(裕介、同ゼッケン4000)の世代以上に練習して、印象づけて、あきらめずに頑張ってほしいなと思います。あきらめたら終わりなので」

最初の完全制覇者として、今後SASUKEにどうあってほしいか。その質問にはこう答えてくれた。

「やっぱりずっと続いてほしい。今は年に1回ですけど、25年続けてきた結果が近代五種の1種目へ、そしてそのまま五輪につながる可能性が出てきているということで。

本当に続けることは大変なんですけど、でも、実際(続けていれば)何があるかわからないという楽しみがたくさんあると思うので。それは誰にもわからないことだと思うんですよ、続けていかないと。

自分も、SASUKEを引退した後でも体を鍛え続けていたから、こういうふうに声がかかったときにも、準備して行けることができたので。なかなかこんなふうに呼んでもらえることって、芸能人でもなんでもない素人ですから、ないので。

......だから、なんでも欲を出さずに続けること。目標を持って続けることも大事ですけど、欲を出さずに続けることもいいんじゃないかなというのは、自分の経験ですけど、思っています」

――あなたにとって、SASUKEとは。

「時が経つごとに変わってはきているんですけど......今は、年をとってきて、日常生活でいろんなつらいことや苦しいことがあったときに支えになっているのがSASUKEであり完全制覇。

たとえ完全制覇していなかったとしても、SASUKEで一生懸命頑張ったということは事実なので。あれだけ頑張ったんだから負けられないという、支えになっているものがSASUKEです。

完全制覇した人間が大したことないって言われたら、やっぱり嫌じゃないですか。自分だけじゃなくて、SASUKEに出ているみんなにとっても。これから年を重ねて弱くなればなるほど、自分の中の励みになっていくものだと思います」

あのケイン・コスギも「(収録現場で)ずっと見ていた」と認める、秋山の背中。荒々しい肉体とは裏腹に、しゃべり方や言葉の端々に静かな情熱と知的さがにじむ あのケイン・コスギも「(収録現場で)ずっと見ていた」と認める、秋山の背中。荒々しい肉体とは裏腹に、しゃべり方や言葉の端々に静かな情熱と知的さがにじむ
●秋山和彦 Kazuhiko AKIYAMA
1973年1月3日生まれ、北海道出身。身長、体重、非公表。25歳、1998年開催の第2回大会でSASUKE初出場。99年の第4回大会で史上初の完全制覇を達成。2012年開催の第28回大会を最後に引退するが、第40回記念大会で10年ぶりに復帰を決意。ゼッケン3997を背負う