今年デビュー20周年を迎えた"しょこたん"こと中川翔子が、6月8日に、約10年ぶりとなる写真集『ミラクルミライ』(講談社)を発売した。
シンプルなビキニ姿に、すっぴん、花を散らしたお風呂シーンなど、見応えあるカットが満載の本作。制作のきっかけは、中川翔子公式YouTubeチャンネル「中川翔子の『ヲ』」で公開され、1382万回再生(2022年12月現在)の大バスりを記録した水着動画だった。本人すら予期せぬ反響によって企画が進められた、まさにミラクルな一冊なのだ。
彼女が"ミラクル"と称したミライは、公式ブログ「しょこたん☆ぶろぐ」に始まり、SNSやYouTubeなどで、自ら"好き"を発信し続けたからこそ訪れた運命だと感じる。"好き"がもたらすパワー、自己発信が繋ぐミライ。無事に写真集を発売し、20周年イヤー真っ只中の今、ミラクルな彼女に迫った。
■ミラクルなミライを実感した20周年
――芸能生活20周年。そして10年ぶりの写真集『ミラクルミライ』の発売。改めて、おめでとうございます!
中川 おぉ~、ありがとうございますッ! まさかレベル37(歳)になって写真集を出せるなんて思ってもいませんでした。しかも、20年前の「ミスマガジン」(17歳当時、ミスマガジン2002でミス週刊少年マガジン賞を獲得)でお世話になった講談社さんからだなんて......。
芸能人生を通して、リアルにフラグ回収をした感じですね。こればっかりは、支えてくださるスタッフさん、応援してくださるファンの方がいたからこそ辿り着けたミラクルなミライでした。
――きっかけは、2021年8月に中川さんの公式YouTubeチャンネル「中川翔子の『ヲ』」 で公開された水着動画が大バスりしたことだったとか。
中川 と言っても、あの動画を出した時は、写真集も何も、全く考えてもいなかったです。動画を見ていただければ分かる通り、ずーっと本気で恥ずかしがっていましたから(笑)。
とはいえ、紙に印刷された写真がカタチになるって、ネットで写真がバズるのとはまた違った特別感がありますよね。思いがけないバズりをきっかけに、こんな素敵な一冊を作っていただけて、私は幸せ者すぎますよ。
――撮影はいかがでした?
中川 一発目の撮影が白ビキニのシーンだったんですけど、やっぱり、ガウンを脱ぐのが恥ずかしすぎて......。でも心強いことに、担当編集さんが同世代の女性の方で、30代で水着になることへの勇気や覚悟を同じ重みで理解してくださっていたんです。
現場では、常に「きれいです」「かわいいです」といったポジティブワードを、魔法のように乱舞させてくださいました。おかげさまで、自然と気持ちも高まりましたね。
そうそう。その編集さんは、私がカラコンを外して、ほぼすっぴん状態での撮影を決意した時に、涙を流してくださったんですよ。「そこで泣くの!?」とは思いつつ(笑)。「(自分の中で)型となっているメイクという鎧を脱いでくださって、ありがとうございます」ということなんですよね。
――基本は、ばっちりメイクを仕上げることで"しょこたん"になり、人前に立てるわけですもんね。すっぴんは、世間にお見せしている"しょこたん"になる前の状態。そりゃあ、勇気もいりますよね。
中川 もうひとつ、中村和孝さんという超ベテランのカメラマンさんが引っ張ってくださったのも頼もしかったです。撮っていただいた写真をその場で見させていただいたんですけど、どの写真もスゴくきれいだったんですよ。普段言いがちな「私なんて......」というネガティブな口癖も吹き飛びました。
「デビュー20年目で本格的にグラビアを撮ってもらえるなんて、めちゃくちゃレアなんだから楽しまなきゃ」って。写真集では、ほぼ時系列に写真が並んでいるので、徐々に気持ちがノッていく私の変化も楽しみながら見てもらいたいですね。
――先ほども「ミスマガジン」のお話がありましたが、グラビア撮影に関していうと、デビュー20周年にして10代の頃の感覚を思い出す瞬間にもなったのではないでしょうか。
中川 確かに、撮影中は走馬灯が見えていましたね。10代の時、グラビアの撮影でこんなところに行ったな、こんな会話をしたな、この時お仕事を辞めていてもおかしくなかったよな......と、誰かに共有するほどでもない些細な出来事が頭の中を駆け巡っていました。
10代の時は、20年後のミライなんて考えてもいなかったですけどね(笑)。若さゆえの勢いしかなかったので。
――今の感覚とは、やはり違いますか?
中川 全然違いますよ! 今はもう「30代なのに水着になっていいのかな」と、勢いだけでは乗り越えられない悩みが、大なり小なりありますから。でも、「この先のミライを思えば今がいちばん若いんだし」と思えた瞬間は、10代特有の勢いが少しだけ戻った感覚がありましたね。
それに今回、撮影に向けて、当時と同じ体重を目標に8キロのダイエットを頑張ったんですよ。せっかくなら、このまま若い気持ちとスタイルを維持するぞって。ミライを前向きに捉えられるようにもなりました。
――あの頃の感覚を思い出す反面、今の中川さんだから撮れたカットもあると思います。
中川 黒色のドレスにシャネルのヒールを履かせてもらっているシーンは新鮮でしたね。いわゆる"しょこたん"としては、パキッとしたカラフルな衣装とか、制服やコスプレっぽい衣装のイメージが強いと思うんです。
だから、こうしてハイブランドをあわせた大人なスタイリングに挑戦できたのは、「翔子さん」と呼ばれる機会も増えてきた今だからなのかなって、しみじみと感じました。
それでいて、真っピンクのミニスカートを履いているシーンがあるのも、対照的で面白いですよね。「翔子さん」でもあり、「しょこたん」でもあるというか。私にとって神様のような存在である松田聖子さんも、「聖子さん」でありながら、永遠に変わらない「聖子ちゃん」としても存在してくださっている。
もちろん、そのためにはスタイル維持など、裏の努力が半端ないんでしょうけど。本作の制作を通して、私もこの先のミライ、ずっとそうあれたらなと実感しましたね。
■「エア子育て、成功です!」
――中川さんといえば、"好き"を自由につづったブログです。今回、写真集のきっかけとなったYouTubeしかり、ブレがないというか。常に自分の"好き"を発信されていらっしゃいますよね。
中川 前提として、「生きた証を残したい」という気持ちを原動力に芸能活動を続けさせてもらっているんですね。
その中でブログは、まだデビューして間もない頃、お仕事がうまくいかず悩んでいた時に、せめて何か残せないかと事務所の方にお願いして始めさせていただいたものなんです。その頃はまだブログ黎明期で、"写メ日記"みたいな呼び方をしていた記憶がありますけど(笑)。
当初は、素のネガティブな言葉を書き連ねた「呪いのノート」にしようと思っていました。
でも、もし本当に私が消えたあと、誰かがこの「呪いのノート」を見つけて読んだとしても、嫌な気持ちにしかならないと想像すると、途端に気が引けて。だったらせめて、私が消えたあとでも誰かに面白がってもらえそうな「明るい遺書」のつもりで、"好き"を好きなだけ書いてみようと。
続けるうちに、だんだん気持ちが明るくなっただけでなく、ブログでの発信をきっかけに、アニメソングを歌うお仕事や、声優のオファーなんかもいただけるようになりました。
――自己発信が、"好き"を仕事に繋げたと。
中川 言霊って本当にあるんだなと、身をもって実感しましたね。ポジティブな言葉っていうのは、届いた誰かの心にパワーを与えて、その誰かから熱を持って自分に返ってくる。相手にとっても、自分にとっても、良いことしかないんです。
好きなものを、いかに多角的に、あらゆる語彙力で褒めるかを考えるのは、純粋に楽しいですしね。......ただそれは、ブログや、今でいうSNS上での意識。プライベートでは、やっぱりネガティブ思考が止まらない日もありましたよ。
――そんな日もありますよね。表に出さないだけ立派だと思います。
中川 でも今年、ようやくネガティブに飽きがきたんです(笑)。というのも20周年を迎えて、こうして活動を続けられているありがたさを感じるとともに、改めて自分の運の強さを思い知りまして。
何というか、私の人生がいい方向に転じるのは、ピンチの時が大半なんですよ。"好き"を仕事にできたブログも、お仕事に悩んでいなかったら始めていなかったかもしれないし、今回、写真集のきっかけとなったYouTubeも、コロナ禍でお仕事が減らなければ、もっと後回しになっていたかもしれない。
そもそも、マンガやアニメなど、学生時代になかなか理解されなかった"好き"が、思いもよらない明るいミライを作ってくれたんです。
長い地球の歴史の中で、SNSがある時代にタレント活動ができて、本当に救われました。そういう事実をひっくるめて考えると、こんなにも運がいいのに、わざわざプライベートでネガティブになる必要はないなって。こうして前向き思考になるのに20年もかかりました。さすがに遅すぎますよね(笑)。
――確かに今は、SNSで誰もが気軽に"好き"を発信できる時代ですが、その"好き"を語る精神においては、多かれ少なかれ、中川さんから影響を受けている人も多いと思います。特に、20代~30代前半くらいの人たちは、テレビやブログなどで、中川さんが饒舌に"好き"を語っている姿を見てきた世代ですし。
中川 そんなそんな、とんでもないです! ただ実際に、20代後半くらいのスタッフさんから「『ポケモンサンデー(ポケサン)』(※1)見てました」と言われる機会が、ここ最近グンと増えたんです。
私も子供の頃は『スーパーマリオスタジアム』(※2)というゲーム番組を毎週欠かさず見ていましたし、そういう時期に出会った好きなものや、それに関する思い出が、大人になってからも生きる力になっていると感じていたので、『ポケサン』に出させてもらっていた当時は、常に、何か子供たちの思い出に寄り添える言葉やワクワク感を届けたいと思いながら収録に臨んでいました。
当然、子供たちにいい影響を与えているかどうかなんてすぐには分かりません。でも分からないなりに、必死に頑張っていたところではあったので、時が流れた今、「見てました」と言われるだけで、めちゃくちゃ報われた気持ちになります。「みんな、大きく立派に育ったんだねー(涙)」って。エア子育て成功ですね!
(※1)2004年~2010年にテレビ東京系列で放送されていた子供向けポケモン情報バラエティ番組。中川さんは2006年より、しょこたん部長として出演。
(※2)1993年~1996年にテレビ東京系列で放送されていた任天堂のゲーム情報を扱った子供向けバラエティ番組。
――エア子育て(笑)。
中川 今となっては、アニメやゲームにまつわるワードがTwitterのトレンドになったり、大人も子供もみんながポケモンの新作を楽しんでいたり。"好き"なものを好きだと言いやすい、素晴らしい時代になりましたよね。
自分の人生を振り返っても、辛い時こそ、"好き"を言葉にし続けてきて良かった。これからまた、どんなピンチが訪れるか分かりませんけど、私は変わらず、好きなものについて語り続けるんだと思います。そしたら絶対にポジティブが連鎖するからって、今、自信を持ってそう言えるので。
■「もう何歳だし」って言葉は禁止
――歌手、タレント、声優など、"好き"を武器にマルチに活動されている中川さんにとって、今回、久々に挑戦されたグラビアの魅力を語るとすれば?
中川 うーん、難しいなぁ。あの、私はよく年齢を"レベル"と言い換えていて。それは、年齢を重ねるごとに経験値が増え、歌の表現力や深みが魔法のように高まっていくのを実感しているからこその表現なんですけど、グラビアも同じかなとは思います。レベルアップした今だから似合う衣装があったり、若い頃にはできなかった表情ができたり。今のレベルだから撮れる写真があるわけじゃないですか。
撮影の最後、カメラマンの中村さんが「30周年もね」と、コッソリ言い残して去って行かれたんですけど(笑)、私もどこかで、思わずそんなミライを想像してしまいましたよ。
――それはまたステキでミラクルなミライじゃないですか!
中川 あはは、そうですよね。大好きな松田聖子さんも、コンサートで、ミニスカートやホットパンツなどの衣装を身につけ、キラキラ走り続けていらっしゃるし、この取材の前に収録でお会いした加藤登紀子さんも、「生まれた以上、前に進むしかないんだから」とおっしゃっていました。
くぅ~、先輩方カッコよすぎます! だから日本全体、「もう何歳だし......」って、年齢を言い訳にするような言葉は禁止。むしろ、レベルが上がっていくのを楽しまなきゃと、心から思いますよ!
――来年以降、今以上にレベルアップしていく中川さんの活動が楽しみです。
中川 これまでは仕事第一で、人生における"さくせん"も「ガンガンいこうぜ」でしたけど、最近は「いのちだいじに」になってきました。
それこそ今年は、真っ赤なベンツを買い、初めて夏休みを取ってハワイに行き、プライベートを強化させた1年でしたし、最近は、世界堂で高級な色鉛筆を爆買いするのが至福の時間になっていて(笑)。それを使って、アナログで絵を書き溜めているところなので、いつかまた作品展も開きたいですね。
来年2月にはベストアルバム『超!しょこたん☆べすと――(°∀°)――!!』のリリースも控えています。特典には、64ページにわたるブックレットがついてきますので、ぜひこちらも多くの方に見ていただきたいだですね。
とにかく、今後も"好き"を好きなままに、「いのちだいじに」レベルアップしていきますので、引き続きミラクルなミライを楽しみにしていてください!
中川翔子写真集『ミラクルミライ』(講談社)
撮影/中村和孝
価格/2,970円(税込)
【プロフィール】
●中川翔子(NAKAGAWA SHOKO)
1985年5月5日生まれ 東京都出身
2002年、『ヤングマガジン』主催のミスマガジンでミス週刊少年マガジンに選ばれ芸能界デビューを果たす。その後、2004年より開設された公式ブログ「しょこたん☆ぶろぐ」が人気を博し、"新・ブログの女王"と称された。現在は、公式YouTubeチャンネル「中川翔子の『ヲ』」を精力的に更新中のほか、2023年2月22日にはベストアルバム『超!しょこたん☆べすと――(°∀°)――!!』をリリース予定。
公式Twitter&公式Instagram【@shoko55mmts】
公式YouTube「中川翔子の『ヲ』」【@shokotan_wo】