東京吉本所属の若手芸人のネタを28年間見続けている、お笑いライブ作家の山田ナビスコさん。山田さんは、多い年では年間約3000本以上のネタを見て、若手芸人にダメ出しをしていることから、"若手芸人のネタ視聴数日本一"の作家と言っても過言ではない存在だ。
今回刊行された著書『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』は、漫画『あしたのジョー』の丹下段平(たんげ・だんぺい)のごとく、リングサイドで若手芸人たちを長きにわたって見続けてきた山田さんだからこそ書けた一冊。これまで山田さんが目にしてきた東京吉本芸人について、お話を聞いた。
* * *
――ライブ前にネタをチェックする「ネタ見せ」で、山田さんは売れる前の芸人さんのネタをたくさん見てきていますよね。
山田 初めてトレンディエンジェルのネタを見たときに、「自分たちはカッコいい」みたいな普通のネタをやっていたんですよ。だから、「薄毛を武器にしたほうがいいんじゃない?」って言ったんです。そしたら、ふたりとも、「え? この人は何を言っているの?」みたいな顔をして。彼らは自分たちの薄毛を認めていなかったんですよ(笑)。
――認めてないといっても、当時から薄毛だったんですよね?
山田 はい、そこそこの薄毛でした。斎藤(司)さんは会社勤めを経て芸人になっているので、社会人時代に薄毛をいじられてきていないからこそ、そういった発想がなかったんだと思います。
――その後、どれくらいで薄毛ネタを取り入れるようになったんですか?
山田 1年弱ぐらいですかね?
――認めるまでにけっこう時間がかかりましたね(笑)。
山田 周りの芸人から相当いじられたと思います。そこからは薄毛ネタで覚醒して、ずっと面白いですね。
――11回目の『M-1グランプリ2015』(ABCテレビ/テレビ朝日)でトレンディエンジェルが優勝します。しかし、それ以前のM-1では東京吉本出身者の優勝がなく、あまりいい結果が出ていませんが、何か理由はあるんですか?
山田 東京吉本はコントが主流だったんですよ。トータルテンボスももともとコントでしたし、ロバート、インパルス、森三中もコントでしたから。
――確かにそうですね。
山田 彼らの見てきたものがとんねるずさんであり、ダウンタウンさんの『ごっつええ感じ』(フジテレビ)のコントであったりするので、漫才を見てきていないんですよ。
――大阪みたいな漫才の文化がなかったんですね。
山田 あとは1999年に『爆笑オンエアバトル』(NHK)が始まるまでは東京吉本はネタにそこまで真剣じゃなかったと思います。ネタを練って磨き上げるという考えがなかったんですよ。それよりも一度、ネタをお客さんに見られちゃったら笑わないから、次は何をするかというフリートーク的な発想の人が多かったんです。
――オンバト以降はどうなったんですか?
山田 ネタをちゃんと作るようになりましたね。みんな、オンバトに向けてネタを作っていましたから。ただ、それもコントが多かったんですよ。
――結果が出るのに時間がかかったと。しかし、2015年のトレンディエンジェルの優勝以降はマヂカルラブリーも優勝するなど、結果が出始めました。
山田 マヂカルラブリーはすごいですね。自分たちが面白いと思うものに対して、1ミリもブレていないんですよ。2006年か2007年ぐらいにM-1対策で7組ぐらいの芸人がネタを3本ずつやる「漫才三番勝負」というライブをやってたんです。M-1で勝つにはネタのバリエーションが必要だと思っていたのに、マヂラブだけは3本とも今と同じスタイルのネタだったんです。
――今も山田さんは「囲碁将棋のオマエらには負けねえから!~後輩漫才師たちとガチネタバトル~」とい"M-1対策ライブ"をやっているそうですね。
山田 はい。若手芸人はM-1の予選会場になる「ルミネtheよしもと」の舞台にあんまり立てないんですよ。だから若手に大きい会場の空気を少しでも味わわすために、ルミネでのライブを囲碁将棋にお願いしたら快諾してくれました。
――アフタートークライブもあるそうですが、どんな話をしているんですか?
山田 雑談形式で「あのツッコミはもっとこうしろよ」みたいなものを先輩からアドバイスしてもらっています。
――そのライブに出ていたヨネダ2000とダイヤモンドがM-1決勝に進出して、結果も出ましたね。M-1前になると、山田さんにアドバイスを求めに来る漫才師も多いそうですね。
山田 オズワルドはライブのネタ終わりに来たり、時間が合わないときはネタの動画を送ってきたりすることもあります。
――どんなアドバイスをするんですか?
山田 「ボケは面白いけど、話の導入はエッジをかけすぎているから、もっとストレートにしたほうが、お客さんに話が入りやすいんじゃないの」とか、そういうぐらいですけど。今年もいいネタだったので決勝に行けると思ったんですけど、M-1は難しいですね。
――普段のライブのウケ方と、M-1は違うんですか?
山田 はい。「ヨシモト∞(むげんだい)ホール」で、お客さんの投票だけで順位を決めるライブが昔あったんですが、スリムクラブはお客さん票がめちゃくちゃ悪くて。4段階のランクがあって、スリムクラブは一番下にいたんですよ。でも、芸人は全員、「スリムクラブは面白い」って言ってて、その年のM-1で準優勝したことがありました。
――来年のM-1で期待しているコンビはいますか?
山田 ダイタクにはぜひ決勝に行ってもらいたいです! 去年は準決勝まで行きましたが、今年は準々決勝で敗退して。でも、あと2年チャンスがあるので。双子ネタの縛りがあるのに、ネタの見せ方を変えているという技術が異常です。ネタごとに漫才の立ち方も変えるんです。
――どう変えるんですか?
山田 ちょっと肩を入れたり、向き合ったり、立ち位置を離したり。若手の誰に聞いても、「技術はダイタクがずばぬけている」って言いますね。だから彼らが世の中に出ないのはおかしいと思っています(笑)。
●山田ナビスコ
1969年生まれ。大学卒業後、カルチャー誌ライターなどを始める。1994年夏、吉本銀座7丁目劇場の求人募集に応募し、座付き作家となる。以降、東京吉本の若手ライブに関わるようになる。キャリア初期にテレビ番組に携わるも、不向きだと感じたため、以降ほぼ30年の作家人生の大半を若手芸人のライブシーンに注ぐ。現在も年間数百本のライブに携わり、東京吉本所属芸人たちの間ではレジェンド(都市伝説的存在?)としてその名を語られる
■『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』
宝島社 1760円(税込)
お笑い関連の著書はたくさんあれど、これほどまでにテレビでは決して知ることのできない、お笑いライブに特化した内容のものは見たことがない。極楽とんぼ以降の東京吉本芸人の歴史をほぼ知る、劇場作家の山田ナビスコ氏による一冊だ。『M-1グランプリ』などの賞レースが始まる以前の芸人が、どのようにしてネタを作り、どのようにしてお笑いライブへ取り組んでいたのか? 世に出る前の人気芸人の素顔など、お笑いファン必読の内容!