ここ最近、大ブレイクの兆しを見せる芸人がいる。彼の名は「街裏ぴんく」。イカつい風貌と笑わない目、全身から漂う「胡散臭さ」。そんな彼が人を笑わせることに人生を賭けた最大の武器、それが「ウソ漫談」だ。
彼のネタは「ありそうでありえない話」という、絶妙なラインを保ったまま進行する。初めて彼のネタを見た多くの人は困惑するだろうが、最後は手を叩いて大笑いすることになる。
そんな唯一無二の世界観に魅せられた者は多く、放送作家の鈴木おさむは「第2のタモリ、鶴瓶」と絶賛し、笑福亭鶴瓶やカズレーザー、バナナマンなども同様に彼の実力を認め讃えている。
今や人気者の仲間入りを果たし、単独公演は即完売という街裏ぴんくだが、芸歴は紆余曲折の連続。遅咲きの大型新人はこれまでどんな人生を歩んできたのか? 「ウソみたいな本当の話」を交えながら語ってもらった。
■地元大阪の「おっさん」
――最初にお笑いを志したのはいつから?
街裏 大学時代ですね。当時やっていたのは大阪にいた変わったおっさんをネタにした漫談でした。今思えば「ウソやろ?」と言いたくなる出来事ばかりでしたね。おっさん漫談は僕の原点とも言えます。
――お笑い好きは子供の頃から?
街裏 そうですね、でも高校時代に夢中になったのはヒップホップです。あの自由な感じが僕にはカッコよく映りましたね。
朝から晩までヒップホップを聞いていると、立ち振る舞いや歩き方もラッパーぽくなっていくんですよ。ラッパーでもないのに、いつも斜に構えて怖い顔してました(笑)。ケミストリーの川畑さんの真似をして、黒い水泳帽みたいなのをかぶって、上から下まで黒ずくめの服しか着ていませんでした。
その後大学1年でお笑いを始めて、コンビを組んでいたこともあったんですが、一人っ子ということもあり、ピンでやるのが気楽だと気がつきました。一人なら自分のやりたい笑いができますから。
――大学を出て、そのまま芸人に?
街裏 はい。その頃住んでいたのは、激安スーパーでお馴染みの「玉出」という街です。家賃が安くて、難波の劇場にも近くて便利だったんですが、近所には変わったおっさんがたくさんいたんです。当時は、大阪の街で見かけた変わったおっさんのことを話す「西成漫談」をようやってました。
ある日の夜、路駐してある白のセダンの車が揺れてたんですよ。そうなるともう「アレ」としか思えませんよね。まあ、20代前半の血気盛んな若者にとって、人様の「アレ」ほど興味津々なことはありませんから、ギシギシ揺れている車にそっと近付くわけです。「どんな体位でしてるんかな?」と思ってそっと窓からのぞいたら、おっさんが一人でただただ痙攣してたんです(笑)。あのときはビックリしました。
いつも鳩を追っかけてるおっさんもいましたね。毎日のように観察していたら、どうやら白い鳩を追っていることがわかったんです。おっさんは僕が見ているのに気がつくと「白はすばしこいなあっ」て(笑)。おっさんが本気で捕まえようとしたら、白い鳩は飛んで逃げたんですよ。おっさん「飛ぶんかい!」って叫んでましたよ。そらそうでしょう(笑)。
ゴミの山を延々と登ったり降りたりしてるおっさんもいました。働いてるわけじゃなく、ただ上下してるだけなんです。でも本人はそれが労働のつもりだったのかな? 僕と目が合うと、「さあ、明日から忙しくなるぞ!」って言ってましたね。嘘つけ!と思いましたけど(笑)。
■「ウソ漫談」が生まれた東京時代
――大阪時代を経て、東京に出てこられたのはいつですか?
街裏 27歳のときです。その頃はぼんやりとですが漫談を武器にしたいと思っていました。ボヤキ漫談やキレ芸をやってたけど、東京では本当にウケないんです。そこから「月20本ネタをやる単独ライブ」という修行を始めることにしました。
――今、街裏さんがやられている「ウソ漫談」は、どこで生まれたんですか?
街裏 その頃から少しずつ形ができた感じですね。月20本のライブは本当に大変で、まずネタを作るペースが追いつかないんですね。その中で「ホイップクリームが流れる滝」のような架空のネタを使った「ウソ漫談」が生まれていったんです。
ここにネタ帳があるんですが、まずネタのタイトルを書いて、日々スマホにメモったものをこのネタ帳に落としていきながら、ネタのかけらを拾い出していきます。どうやったらウソで笑わせるのかって考えるとワクワクしますね。『街裏ぴんくです』っていう自己紹介以外は、全部ウソですから(笑)。
――最近はテレビで見かけることも増えてきています。
街裏 先日は『ラヴィット!!』にも注目の芸人として呼んでいただきました。ありがたいことです。本業の芸人以外にも、僕の見た目を面白がって、ドラマや映画なんかにも呼んでいただくこともありますね。
数年前に『雨が降ると君は優しい』という、佐々木希さん主演のドラマに出させていただきました。僕は、佐々木さん演じるセックス依存症の主人公と肌をあわせる中年役で、ワンシーンしか出番はないんですが、衣装合わせがあったんです。
当日は大塚(恭司)監督とスタッフが30人くらいいて、わざわざ監督が選んでくれた星柄のパンツ一枚の姿でみんなの前に立たされたんですね。監督はパンツ姿の僕を2分くらいじっと見て、「......はいOK!」って。あの2分間はなんだったんでしょうか(笑)。
――実際の演技はどうでしたか?
街裏 佐々木希さんと関係を持った後の様子を、顔だけで演技しなくちゃいけないという役で。監督が撮影の10分前になって、急に「ひらめいちゃった」って言うんです。聞けば「この男は口で相手をイカせるのが好きな男なので、それを表現してくれ」と。
色々考えた結果、本番では舌をなめずりまわす演技をしたんです。結果的にはただのゴリラにしか見えませんでしたが、監督はここでも「......はいOK!」って。すごく褒めていただきました。
■街裏ぴんくの「オトンとオカン」
――先日は沖縄で単独公演もあり、日本全国にファンが広がっているように思います。
街裏 沖縄に行けたのは嬉しかったですね。大阪から両親も来てくれて、一緒に沖縄観光も楽しみました。うちの両親はちょっと変わっていて、オカンがお土産を探しているときに、「シークワーサーの置物がほしい」って言うんです。オトンがすかさず「シークワーサーちゃうやろ、シーザーや!」って。いやオトン、それではサラダやとツッコんでおきました(笑)。
あと、オカンがランチに入ったお店で「ガーリックシュリンプ食べたい」っていうから、旅っぽくていいチョイスやなと思ってたんですけど、「エビいらない」って。それはただのガーリックや(笑)。不思議な両親なんです。
でもね、やっぱり家族が応援してくれるのは嬉しいんです。これまでたいした稼ぎもなく肩身の狭い思いをしてきたけど、家族の理解があってここまでやってこれましたから。借金はこさえましたけど、ようやく好きなことで生活ができるかも?という兆しが見えて、それだけで幸せだなって思っています。
――街裏さんのこれからの目標は?
街裏 最終的には、単独ツアーで日本全国を回ることです。僕の芸のいいところは、ライブでいちばん伝わると思うんです。なので、もっとたくさんの方に生で見ていただきたいと思っています。ウソ漫談、見たことない方がいらしたら、ぜひ僕のライブにお越しください。
街裏ぴんく(まちうら・ぴんく)
1985年2月6日生まれ 大阪府出身
身長178㎝ 体重110㎏
〇ウソだか本当だかわからない奇妙な漫談で、
今年ブレイク必至の芸人。
公式Twitter【@Machiura】
第十四回 街裏ぴんく漫談独演会『六人のマーチ』
3月18日(土)18:00~
座・高円寺2にて
イープラスでの生配信も実施。
以下サイトにて、視聴券を販売中!
https://eplus.jp/machiura/