山下リオ
W不倫をテーマに夫婦の愛憎劇を描いた人気ドラマ「わたしの夫は―あの娘の恋人―」(テレビ大阪)の主演を務めているほか、今年に入ってホラーサスペンスの配信ドラマ「ガンニバル」や、現在公開中の映画『零落』といった話題作への出演が相次いでいる女優・山下リオ

30歳を節目に事務所を退所しフリーランスとなった彼女の素顔に迫ったインタビューの後編では、独立後の心境の変化のほか、これまで明かしてこなかったデビュー時の葛藤についても聞いた。

■「もっと深く作品に関わりたい」

――山下さんは昨年、14歳から所属していた事務所を退所されましたが、フリーランスになって仕事への向き合い方は変わりましたか?

山下 子役からやっているのに、こんなにも業界について知らないことが多かったのかって。役者以外の部分で、どうやって映画が作られているのか、プロデューサーの仕事は何かっていうことを、今まで全然知らなかった。事務所にいた頃も隠されていたわけじゃないですし、マネージャーさんに聞いたら教えてくれたとは思うんですけど、積極的に知ろうという気持ちがなかったんですよね。

でも、今はスケジュール管理もギャラ交渉も自分でやっているので、予算の配分とかも把握しているんですよ。そういう裏側も知ったうえで作品に関わることで、よりチームとして一体感を持てるようになったと思います。

――今は自分から、もっと深く作品に関わりたいと思っている?

山下 そうですね。以前は、自分のお芝居のことだけしか考えられていませんでしたし、良いアイディアがあっても、監督に自分の意見を言うこともなかったのですが、作品そのものへの愛情と欲が出てきたことで、台詞ひとつにしても、役柄的に腑に落ちないところは、監督とお話させていただくようになりました。結局作品は監督のものだと思いつつ、より素敵なものを作るために、嫌われてもいい覚悟で意見をぶつけることもあります。

――自分の思いをぶつけてみたくなったことで、たとえば「あまちゃん」で共演されたのんさんも同世代で監督デビューされていますし、山下さんもやってみたいという思いは?

山下 どうでしょうね。興味はありますが、監督には役者とは違うプレッシャーがあると思いますし、自分にゼロから何かを生み出す力はあるだろうかと......。

■デビューしてすぐ「役者は向いていない」と思った

――山下さんは趣味の絵をテレビ番組で披露したこともありますし、もともと演じる以外の表現もできる人なんだと思っていました。

山下 でも、私は自分の絵がうまいとは思っていないんですよ。表現に欠かせない湧き上がるパッションみたいなものが昔からなくて。似顔絵とか何かを見て描くことはできるけど、あくまでそこ止まりの人間だと思っているんです。私にはない表現の爆発があるのが、例えばのんちゃんだと思うからすごく尊敬しています。

――自分にはまっさらの状態からの表現はできない、と。

山下 それが今もコンプレックスです。自分としては思っていることがいろいろ、いっぱいあるんですよ。その感情の断面を表現できるのが、今まではお芝居しかなかった。でもフリーランスになって、それだけでは表現しきれない部分も何かで出すことができたら、この先もっと楽しいだろうなとは思うようになりました。

――ちょっと昔の話もすると、美大に入ろうとしたこともあったそうですね。

山下 競馬の騎手を目指していたこともありましたよ。

――それはいつ頃ですか?

山下 それこそ14歳でデビューした頃です。性格的に役者に向いてなかったんです。いつも緊張でお腹が痛くなっていたし、現場に向かう電車に乗っても降りられなかったりすることもよくありました。

本来の私は引きこもりがちで、役者になったのもそんな自分を変えたかったからなんです。でも、いざ挑戦してみたら、「やっぱり無理」となって。それなのにどんどん仕事は決まる。次第にキラキラした現場と普段の自分とのギャップに耐えられなくなっていきました。そのときに何が自分は好きかなって考えたら、「乗馬だ」って。

――それは何がきっかけだったんでしょう?

山下 小学4年生のときに家族旅行で北海道に行ったとき、初めて馬に乗って衝撃を受けたんです。もともと動物は好きだったんですけど、そのときから、いつか馬に関わる仕事がしたいと思うようになりました。

しかも、当時はまだ女性の騎手が少なかったので、「これだったら自分が先駆者になれる」みたいな思いもあって。だから役者に向いていないとわかったときに、「騎手の学校に行きたい」となったんですけど、そこから一気に背が伸びてしまってあきらめました。

それでなんとなく役者を続けて。高校は「親御さんのもとで育ってほしい」という事務所の方針もあって地元の徳島から通ったんですが、中学校はろくに行ってなかったし、入れるところはヤンキーが多い高校しかなくて、相変わらず馴染めませんでした。友だちもできないし、東京のお仕事との世界の違いが大きくなって混乱する一方で、あの頃はずっと精神的に不安定でしたね。

■「ずっといろんなことを考えている人間ですよ」

――そんなときに美大進学を考えたわけですか。

山下 卒業を目の前に、役者一本でいくのか、他の道も探すのか、いよいよ決めないといけなくなって、ずっと趣味だった絵を本格的に学んでみようと思ったんです。オープンキャンパスにも行ったんですよ。でも、行きたかった大学が都心からあまりにも遠かったので、最終的に仕事しながらは現実的じゃないよねってなりました。

――つまり、「役者をやりたい!」っていうよりは、ほかの選択肢がなくなっていく中で、なし崩し的に俳優を続けることになった。

山下 今振り返るとそうですね。デビューしてからずっとお仕事が入っていたので、仕事があるのは普通のことだと勘違いしてましたし、先行きがわからない仕事だっていう不安も当時はありませんでした。

――演技自体は楽しかったんでしょうか?

山下 楽しいっていうよりは、難しかったですね。オフの自分とお芝居の切り替えがうまくできなくて引きずってしまったり......。自分に向いていると思ったことはなかったです。

――映画『あのこは貴族』で共演された水原希子さんが、「ずっと口角が上がっている人」と山下さんを評していたように、明るい印象が強くて、それだけいろいろと悩んできた人だというイメージはありませんでした。

山下 もう、寝てる時間以外はずっといろんなことを考えている人間ですよ。笑

――もしかして、そういう自分をリセットするために一人旅に行かれるんですか? SNSによく旅行の様子を投稿していますよね。

山下 それはあります。一人旅は20歳から始めて、ずっと定期的に行っています。最近はコロナ禍で行けなかったんですけど、今年は久しぶりにタイに行きました。海外では余計なことを考えなくなるんです。日本だとすごく人の目を気にしてしまうけど、海外なら普通にぼったくろうとする人と喧嘩することもあります。

一人きりだと、失敗しても自分のせいですよね。だから落ち込むのではなくて、その失敗をどう楽しむのかっていう姿勢になれるんです。日本にいると守られた環境でぬくぬくしてしまうから、サバイバル精神を忘れないために行っています。

■「今は初めていい具合に調子に乗れています」

――そうやって「自分の行動に自分で責任を負いたい」という思いがもともとあったからこそ、30歳の節目を機にフリーランスになったんでしょうか?

山下 そうかもしれないですね。今まで考えてなかったですけど、言われてみればたしかにそうですね。多分、昔から挑戦はしてみたかったんですよ。人にどう思われようが、すべて自分の責任なんだっていう立場に。

私はずっと自分に対して好きと嫌いが共存していて、この「嫌い」っていう感情をいかに消していくかっていうことを課題にしてきました。今も感情の波はあるんですけど、フリーランスでネガティブな気持ちを引きずっていたら何もできないですよね。仕事の結果に対して言い訳できない立場だから、自分のことは自分で何とかするしかない。そうなったことで、むしろ今は前向きに生きられている気がします。

――自分に対する言い訳を消す作業が独立という選択だった。

山下 今思うと、みんなの目を気にしていたときのほうが孤独だったかもしれません。今は孤独さえ楽しいです。能動的に動くようになるまで時間がかかってしまった自分ですけど、こんなに人間は変われるんだってすごく思います。前向きな人生を実践できている今は、大変なことも多いですけど、初めていい具合に調子に乗れていると思います。だから、めっちゃいい感じです(笑)。

●山下リオ(やました・りお)
1992年10月10日生まれ、徳島県出身。身長165cm
〇2006年の芸能界入り以降、女優・モデルとして多くの作品に出演したほか、2007年には「三井のリハウス」12代目リハウスガールにも選ばれた。近年の主な出演作にドラマ『わたしの夫は-あの娘の恋人-(テレビ大阪・BSテレビ東京)』、ドラマ『ガンニバル』、映画『零落』、映画『Ribbon』など。
公式Twitter【@rio_y10】
公式Instagram【@rio_yamashita_official】