『たけし城』を最もよく知る伝説の家老・東国原英夫さん(左)と伝説の隊長・谷 隼人さんが『たけし城』を最もよく知る伝説の家老・東国原英夫さん(左)と伝説の隊長・谷 隼人さんが

あの伝説的なバラエティ番組『風雲!たけし城』がパワーアップして令和に復活! そこで、令和版&昭和版出演陣に見どころや思い出を直撃!

1980年代、全国の視聴者を熱狂させたゲームバラエティ番組『風雲! たけし城』。約100名の一般応募者からなる攻撃軍の戦績は127戦中8勝118敗1分け。まさに難攻不落だった。

当時、敵対関係にあった谷隊長と家老の東国原氏のふたりが、今だからこそ明かす秘密と番組復活への思いとは?【『風雲!たけし城』が帰ってきた!③】

■「俺が指名したんだ」"谷隊長"誕生の背景

――令和版でも攻撃隊長を務める谷隼人(はやと)氏と、87年5月から三太夫(さんだゆう/家老役)を引き継いだ東国原英夫さんにお越しいただきました。おふたりがお会いするのはどれぐらいぶりですか?

谷隼人(以下、) 東くんが宮崎県知事になられたときに、番組のリポーターで行ったことがあるんですよ。

東国原英夫(以下、) 知事を務めたのが2007年~11年だから、ちゃんとお会いしたのはもう十数年ぶりですね。

――谷さんはどんな経緯で『たけし城』に参加されることになったのでしょうか?

 俳優でコメディアンの石倉三さぶ(郎)ちゃんから殿(ビートたけしさん)を紹介されての流れですね。殿は三ちゃんと浅草の下積み時代からのダチで。85年公開の映画『夜叉(やしゃ)』(東宝)に殿が出演するとなったとき、高倉健さんやら三ちゃんやらを通じて役者陣を紹介してもらってたんだよ。

殿は、うちの東映映画(かつて高倉健さんや谷さんは東映の看板スターとして活躍)が大好きで、俺の映画なんかもよく見てくれていたの。それで、まず三ちゃんを通じて殿と知り合ったんです。

 僕らたけし軍団もいる、番組制作に向けた打ち合わせと称した飲み会のときに「谷さんはどうか」って話になったんです。何人か候補が出たんですけど、もう師匠(ビートたけしさん)の中には映像のイメージがあったんでしょうね。石倉三郎さんが家老の三太夫で、攻撃隊長は谷さんにするっていうのが。

1986年~1989年 『痛快なりゆき番組風雲!たけし城』TBS系列で放送され、80年代に一世を風靡した一般参加型バラエティ番組。城主・ビートたけしと家臣・たけし軍団たちが守る「たけし城」を落とすために、谷隊長が一般参加者100人以上を率いて難関ゲームに挑んだ1986年~1989年 『痛快なりゆき番組風雲!たけし城』TBS系列で放送され、80年代に一世を風靡した一般参加型バラエティ番組。城主・ビートたけしと家臣・たけし軍団たちが守る「たけし城」を落とすために、谷隊長が一般参加者100人以上を率いて難関ゲームに挑んだ

 そんな裏話があったんだ。そういえば以前、殿が出てる番組のスタジオを訪ねたことがあってね。そこで殿から「俺が隊長を指名したんだ」と聞いて、俺はプロデューサーの桂(邦彦)さんが決めたもんだと思ってたからびっくりしちゃった。

 僕は、師匠が桂さんと演出の三角(みすみ/英一)さんに「谷さんキャスティングできないかな」と言ってるのを現場で見てますから。当時、「マジメな路線の谷さんが出てくれるかな」ってダメもとでオファーしたみたいですよ。

 一切そういうバラエティに出てない頃だからね。この番組が始まったときは東映側からボロクソよ。「おまえ、おかしくなったのか」みたいな(笑)。でもね、今あれをやってて良かったなと思うの。「素人さんにどうツッコむか」みたいな部分は、今の仕事にも生きてますからね。

――では、東国原さんが新家老に抜擢(ばってき)されたきっかけは?

 86年12月のフライデー襲撃事件(ビートたけしさんとたけし軍団の計12人が『フライデー』編集部に押しかけた事件)です。僕ら軍団は半年の謹慎で済んだから、ラッシャー(板前)がたけしさんの着ぐるみを着て出演することになって。

同時に「三太夫の毛色も変えよう」ってことで、僕に白羽の矢が立ったんです。石倉三郎さんはたけしさんとセットで生きる方という番組側の意向でしょうね。それで、師匠の復帰後も三太夫を継続することになったんですよ。

1989年3月24日に放送された最終回のカート戦。当初は水鉄砲だったが、リニューアル後は光線銃に1989年3月24日に放送された最終回のカート戦。当初は水鉄砲だったが、リニューアル後は光線銃に

■全体の構想や配役などすべて殿が提案した

――そもそも『たけし城』が始まった経緯は?

 最初はTBSさんが「バラエティの新たな"芯"をつくりたい」と考えたんです。それまではザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS)とかしかなくて、屋外の運動会みたいなバラエティは考えられなかった。師匠も演芸畑だから、『たけし城』の前に桂さんと『笑ってポン!』(TBS、83年)ってコント番組をやったんだけど当たらず。

そんなときに師匠が「外でどろんこ遊びしようよ」と提案されて。そこから「『スーパーマリオ』みたいなゲーム性を取り入れよう」と広がった。さらに軍団がたけしさんを「殿」と呼んでいたから、「殿様は城主だよな」ってことで『たけし城』につながったと記憶してます。

 え、『たけし城』の前から「殿」って呼んでたの?

 83年あたりに軍団ができて『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)の「THEガンバルマン」をやり始めた頃に、たけしさんが「師匠と呼ぶな」と言い始めたんですよ。たぶんむずがゆかったんでしょうね。それで代わりに「殿と呼べ」と(笑)。

ただ僕は80年に「弟子にしてください」と直談判した一番弟子だったものですから「いやいや、無理!」と思って、僕だけ「師匠」のままなんです。

飛び石を使って向こう岸まで渡る名物ゲーム「竜神池」。石の半数はダミーなので、沈む前に走り切る勢いが重要飛び石を使って向こう岸まで渡る名物ゲーム「竜神池」。石の半数はダミーなので、沈む前に走り切る勢いが重要

戦場レポーターは柳沢慎吾さんや稲川淳二さん(上)らが務め、主に敗退者へのインタビューやミニコントを担当した戦場レポーターは柳沢慎吾さんや稲川淳二さん(上)らが務め、主に敗退者へのインタビューやミニコントを担当した

――ゲーム企画はどのように練られていったんですか?

 桂さんや三角さんとかと飲みながら打ち合わせしてましたね。参加者とタレントが相撲で対決する「すもうでポン」の「くじ引きで強いヤツと弱いヤツを入れよう」ってアイデアは早い段階で出ていました。

 うまいんですよね、そういうトコが。弱い人に当たれば次に行ける。けど、一方で(元十両の)大富士というモノホンの相撲取りがいたりするわけですよ(笑)。それから亜仁丸(アニマル/レスリー)や城(じょう)みちるさんなどもキャスティングされて。

 城さんのほかに、すがぬま伸さんも入ってたんです。師匠の後輩で、ギター漫談をされる芸人さんです。自称「たけし軍団のリーダー」で、僕らの大先輩なんですけど、相撲が本当に弱くて。くじ引きで挑戦者に一番有利なのが城さんとすがぬま伸さんでしたね(笑)。100%勝てるから。

手の形をした巨大な着ぐるみを着て取り札を取る「カルタでお勉強」。読み手は主に城みちるさんが務めた手の形をした巨大な着ぐるみを着て取り札を取る「カルタでお勉強」。読み手は主に城みちるさんが務めた

大洋ホエールズファン必見!「がんばれホエールズ」では、クジラをかぶせた自転車で、コースを走り抜ける大洋ホエールズファン必見!「がんばれホエールズ」では、クジラをかぶせた自転車で、コースを走り抜ける

 いたいた!(笑)。細身でメガネかけてたよね。番組が始まる前の段階でもう具体的な構想があったの?

 ありました。番組を始めるためにはゲームを10個ぐらい作らなきゃいけないというので、制限時間内に高い塀を乗り越える「国境の壁」、たくさん部屋がある館を抜け出す「悪魔の館」とか吊り橋を渡る「ジブラルタル海峡」、5つの穴のどれかに入って敵に遭遇しなければクリアになる「人喰い穴」、そして最後に水鉄砲で敵の的を射る「カート戦」などが早い段階でありました。

 そこに「まわってコマネチ」(回転する2本の平均台を渡ってゴールするゲーム)とかもありながらだよね。

 全体の構想や谷隊長のご指名もそうですけど、ゲームのキャスティングも全部師匠が案を出されてました。本来キャスティングはプロデューサーに権限があるんですけど、桂さんが「たけちゃん、どうなの?」って聞くんですよね。

例えば「悪魔の館」なら、「ストロング金剛(こんごう)さんとか丹古母鬼馬二(たんこぼ・きばじ)さんで」っていうのを隣で聞いてましたから。

 「人喰い穴」は俳優の大念寺(だいねんじ/誠)くんと元WBA世界ライトフライ級王者の渡嘉敷勝男(とかしき・かつお)さん。あと、具志堅用高さんもいたよね。参加者が穴に落ちて来ると、「ちょっちゅね~」って言って(笑)。

 ある回で参加者がハズレの穴に落ちたのに、具志堅さんが「ちょっちゅね~」を言い忘れて再挑戦になったこともありましたね(笑)。

■斬新なカメラワークと公共事業並みの制作費

――『たけし城』はカメラワークも斬新でしたよね。

 テレビで車載カメラを使ったのは『たけし城』のカート戦が最初じゃないですかね。攻防の臨場感が出る映像は、当時かなり先鋭的だったと思います。それと、今みたいにドローンがないから、上空から撮る映像は十数mあるクレーン車を使ってました。

 ありえないぐらい高いクレーンだったね。「人喰い穴」や「悪魔の館」でやっていたけど、動く人を俯瞰(ふかん)で撮るってアイデアがすごい。

 しかも、まだクレーンにカメラをつけて下で自動操縦する技術もなかったはず。だから、高いクレーンにカメラマンが乗ってね。配電線工事とか高層ビルのガラスを拭くゴンドラみたいな感じですよ。

 クレーンもあるし、簡易トイレやプレハブもあったよね。1階で出演者が仮眠を取って、2階は衣装部屋があって。そこでシャワーを浴びたり飯を食ったりしてるんだから、もう飯場だよ(笑)。工事現場の作業員のよう。

少しバランスを崩せばすぐに倒れてしまう巨大なだるまの着ぐるみも番組名物。さまざまなゲームで使われた少しバランスを崩せばすぐに倒れてしまう巨大なだるまの着ぐるみも番組名物。さまざまなゲームで使われた

「インターナショナル大会」では、チャック・ウィルソンさん(左)が副隊長として英会話をサポート「インターナショナル大会」では、チャック・ウィルソンさん(左)が副隊長として英会話をサポート

 ほとんど公共事業ですよ。たけし城の建設費に1億円かかってますからね。一度台風で屋根とかが飛ばされたときがあって、その補修費に数千万。山を切り開いて新しいゲームのセットを作るのに数百万かかるわけで、とんでもない制作費ですよ。

スタジオの周りには土建屋さんもいるし、プロデューサーの桂さんなんかまさに現場監督そのもの(笑)。また似合うんだ、いっつも豚汁作ったりしていてね。

 弁当には必ずサービスで豚汁付き。これがたまらなくうれしいのよ。「ダメだよ~」って言いながら(笑)。寒いときは火を焚(た)いてくれて、その周りをみんなで囲って。アットホームなところがあったね。

 番組作りというより、何か一緒にものを作ってる感覚でしたね。ちなみに「キノコでポン!」「すもうでポン」ってゲーム名は桂さんの番組『笑ってポン!』が由来。今でもよく使われますが、よくよく考えると「ポン」ってなんなんでしょうね(笑)。

「『すもうでポン』には大富士というモノホンの相撲取りがいたり、細身の城みちるさんなんかもいてね(笑)」「『すもうでポン』には大富士というモノホンの相撲取りがいたり、細身の城みちるさんなんかもいてね(笑)」

■「そろそろ出すんだな」今だから話せる裏話

 当時はコンプライアンスもクソもないですから、ケガしたらケガしたまんま。特に軍団は、毎週誰かしらが毎回ケガするんです。ただ、ちょっとのケガや骨折ぐらいじゃ上に申告しません。欠席になるとギャラをもらえないから。だからみんな休まないし、「痛い」とも言わない。

今なら大問題ですよ。片手ブラブラしてるやつもいましたから(笑)。一方で、大ケガになると申告します。労災(認定)が下りれば給料より高くなるからチャンスなんです(笑)。

 もうネタなのかなんなのか(笑)。一応言っとくとね、その頃の出場者に「菊地剣友会」っていうアクション俳優をやってる連中がいて。始まる前は、必ず彼らが参加者に「膝曲げてください」とかって伝えてくれてたの。一般の人のケガが一番怖かったから。

そういえば、88年のリニューアルでカート戦が水鉄砲から光線銃になったときに「殿の的に当たったのに反応してない!」ってクレームがあったの。そしたら、殿が「電源のスイッチ入れてなかった」って言ってたこともある(笑)。

「あつあつカップル大会」などのペア大会には、息の合ったプレーが求められるゲームも多数登場した「あつあつカップル大会」などのペア大会には、息の合ったプレーが求められるゲームも多数登場した

「都道府県選抜全国大会」は、選抜高校野球大会の開会式ばりの入場行進でスタート! アツい戦いを繰り広げた「都道府県選抜全国大会」は、選抜高校野球大会の開会式ばりの入場行進でスタート! アツい戦いを繰り広げた

水が流れる坂を、大きなおわんで滑っていく「どんぶらこっこ」。着水時に、おわんから落ちなければクリア!水が流れる坂を、大きなおわんで滑っていく「どんぶらこっこ」。着水時に、おわんから落ちなければクリア!

 水鉄砲だったときにも「当たったのに的が破れてない!」ってクレームがあったんですけど、あれは時々厚紙を使ってました(笑)。

 勝てば賞金100万円だから、そこ重要よ(笑)。本当!?

 あくまでも厚めの紙だから、間近にいた僕でも見た目じゃわからないんですよ。普通の障子紙を何重かにしてあるんだけど、触ってみると明らかに厚い(笑)。「あ、今回は100万円出ないな」って思ってましたもん。逆に薄くなってると「そろそろ出すんだな」って。今やったら「ヤラセだ!」って大変でしょうね。

 だけど、そういうのも含めて演出の面白さだよね。

東 あと約3mある武者人形の「よろい注」は、『8時だョ!全員集合』の「ジャンボマックス」の中の人がやってました。着ぐるみもジャンボマックスを改良したんじゃないかな。桂さんが「倉庫に残ってたんだ」みたいなことを言ってた気がします。

 もう『全員集合』も終わってた頃だしね。

「たけし城の建設費は1億円。新しいゲームを作るのにも数百万。とんでもない制作費ですよ」「たけし城の建設費は1億円。新しいゲームを作るのにも数百万。とんでもない制作費ですよ」

 ゲストもすごかったですよね。70年代にボウリングブームを巻き起こした中山律子さんとか、プロ野球史上唯一シーズン400奪三振超えを樹立した江夏豊さんとか、揺るぎないキャリアを築き上げた人たちが、出演するメリットがあるとは思えない番組でバカバカしいゲームに真剣に臨んでくれた。

中山律子さんなんか「どこかでスプリットかけますか?」とか聞いてくれて。「いやいや、そんなこと聞かなくていいですから! どうぞご自由に」って(笑)。

 参加者がピンのかぶり物を着てるわけで、ボウリング場とはまったく別物なんだけど、真剣にやってくれるんだよね(笑)。番組の大ファンだってことで、スター歌手の舟木一夫さん親子まで出てくれたんだから、すごいことですよ。

 断ったゲストっていないんじゃないですかね。むしろ声かけられたら光栄みたいな。本当にありがたかったですね。

■いまだに超えられない番組のフォーマット

――『たけし城』は後続のバラエティや海外への影響も大きいですよね。

 『筋肉番付』『SASUKE』(いずれもTBS系)みたいな番組は『たけし城』が起点でしょうね。

 『関口宏の東京フレンドパークⅡ』(TBS)とかもね。ただ、『たけし城』は単に運動神経でクリアするんじゃないんだよ。俺たちの番組は、運の要素が大きくて、その上、女性に優しい(笑)。

プロデューサーが本番の前々日とかに赤坂や新宿の店で飲むと、お姉ちゃんに自分の名前を書いたコースターを渡して「当日スタジオにこれ持って来て」とかやっちゃうから、それを持って参加する女性が毎回4、5人必ずいたの。

 今やったら大変なことになりますよね(笑)。それから、カラオケの「街かどテレビ」もそう。歌詞を見ないで全部歌えたら通過ってゲームで、あれもいろんなカラオケコーナーの原点でしょうね。

 それも、TBSの『街かどテレビ11:00』(82年~91年まで放送された歌謡バラエティ)に出てた大木凡人さんがそのままやってくれてね。懐かしいね。「やって来ました、街かどテレビ」。

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 そんな『たけし城』が今の時代に配信されるのは懐古意識だと思います。お笑い番組のフォーマットって80年代に新しくできて、そこから変わってない。日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』系、フジテレビの『オレたちひょうきん族』系、TBSの『たけし城』系。

それまではドリフと萩本欽一さんのフォーマットしかなかった。それを変えたのがたけしさんで、90~00年代は基本的にアレンジして作っている。その原点が懐かしくなってるんじゃないのかな。逆に言えば、結局そのフォーマットを超えられなかったのかもしれません。

 『たけし城』の放送が終わってから、イギリスで日本のオリジナル版を放送した局があったんだよ。裏で放送するエリザベス女王の戴冠60周年記念特集番組に対抗したいってことで。

結果、うちのほうが視聴率良かったらしいの。その中でわかったんだよ。海外でもウケたのは、「ゲーム性」はもちろん、「参加者の一生懸命さ」と「それをくすぐるプロの腕」があったからなんだなって。

 あの頃は軍団もリアクション芸でやってたけど、ゲーム中に素人さんが見せる一発芸やケガを恐れない一生懸命さにはかなわないんですよ。参加者のリアクションは魅力のひとつでしょうね。

 令和版はたけし軍団ではないけど、かつて番組を見てファンだったといういろんなタレントさんたちが『たけし城』の世界をサポートしてくれてね。昭和版とはまたひと味違ったニュー『たけし城』として楽しんでもらいたいね。

谷×東国原

 今年3月、軍団の40周年の芝居『ウスバカゲロウな男たち』がありましてね。僕もちょっと挨拶に行ったんだけど、いやあ年取りましたわ。みんな首や腰が曲がってるし、今回参加できなくて寂しいとかの以前に動けませんよ(苦笑)。そう考えると、令和版は「谷さん元気だなあ」って感じられるのも醍醐味(だいごみ)ですよね。

 去年の夏に緑山スタジオに行ったんだけど、まぁ懐かしくてね。本当に涙が出そうになった。暑い中、首までしっかりボタンが留まったジャケット着て、膝のあたりまである革のブーツを履いて。

でも、「隊長はこうじゃなきゃ」って思ってね。実際に令和版に出演できてうれしかったし、楽しかったし、いい夏だったなぁ~! いまだに日焼けの跡が残ってるのが、ちょっと感慨深いんだよね。

●谷 隼人(たに・はやと)
1946年生まれ、鹿児島県出身。東映アクションスターのひとりとして映画『網走番外地』シリーズなどで活躍。"和製アラン・ドロン"とも呼ばれた

●東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)
1957年生まれ、宮崎県出身。80年にビートたけしの一番弟子となり、そのまんま東として活躍。2007~11年まで第52代宮崎県知事を務めた

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