今年2月27日より公開されるや、ジャズに魅せられた男たちの熱すぎる物語が口コミで話題を呼び大ヒット。興行収入10億円、観客動員数69万人(4月12日時点)を記録したアニメ映画『BLUE GIANT』がロングラン中だ。
世界的ピアニスト・上原ひろみが音楽を手掛け、日本指折りのプレイヤーが演奏を担当していることも魅力の本作は、各地の"音自慢"の映画館が競うように本作を上映している。
「ここが日本で最も『BLUE GIANT』の音の感動を味わえる映画館だと思っています」
そう語るのは、兵庫県丹波市氷上町にある映画館「ヱビスシネマ。」の支配人・近兼拓史氏だ。
都会から遠く離れたこの小さな映画館で、『BLUE GIANT』の2週間限定の公開が始まった。はたしてこの映画館ではどんな音で、テナーサックス、ピアノ、ドラムを響かせるのか。近兼氏に話を聞きながら、実際に現地で鑑賞してみた。
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■"オーバークオリティ"の映画館
兵庫県丹波市氷上町(ひかみちょう)は、同県中東部に位置する人口2万人弱ほどの小さな町だ。日本海と瀬戸内海を挟んで本州のちょうど真ん中に位置し、山々に囲まれた小盆地に美しい水田が広がっている。
「ヱビスシネマ。」はそんな町の中央部にある市街地の少し狭い街道の途中にある。
元六代目山口組系事務所の建物をリフォームして、21年7月にオープンしたミニシアターだが、「音に特化した」(近兼氏。以下同)という点で普通の映画館とはかなり違う。
「通常のミニシアターに設置されるスピーカーは2~8個程度ですが、ここでは通常では13個、『BLUE GIANT』の上映には18個のスピーカーを使用しています。定員は50人ですが、この音響設備は500人規模のものに相当します」
劇場は80席入る広さがあるが、あえてゆとりある空間にした。密集状態を避けて、音の通りをよくするためだ。ほかにもスクリーンや壁の素材にいたるまで、極上の音響を実現するために妥協なくこだわり抜いた。
「映画本編についてもそれは同じ。音のデータをオートで流すのではなく、映画の世界にいるような臨場感が出るように、ひとつひとつのチャンネルの音をリミッター無しのマニュアルで丁寧に調整しています」
近兼氏は自虐気味にこう笑う。
「鑑賞料金は普通の映画館と同じくらい(一般:1800円)。自分で言うのもなんですが、明らかに"オーバークオリティ"。経営的には完全に間違っていますね(笑)」
■こだわりの「真空管」音響
4月28日、大阪から車で訪れたという常連客(50代男性)がいたので話を聞いた。
「ここでは最新の映画ではなく、その少し前にヒットした作品を上映することが多く、お気に入りの作品がやっているときに訪問しています。ほかの映画館では聴くことができない音響だけではなく、ゆっくりとくつろげる雰囲気が好きです」
この映画館での上映作は、観客のリクエストをもとに選ばれることも多い。そのなかで『BLUE GIANT』は全国公開が始まった当初から「ぜひ"エビスサウンド"で鑑賞したい、との声が多くありました」(近兼氏)という。
ただ、「最初は乗り気じゃなかった」と近兼氏は話す。
「初めて映画『BLUE GIANT』を見たとき、『これをウチで上映するのは、めちゃくちゃ手間がかかるな』と思ったんですね。
ただ良い音響で流すだけではダメ。本作に登場する3人のジャズプレーヤーは、繊細な天才、個性派の熱血漢、熱い初心者と、それぞれ音の質がまったく違う。それをどうやって映画館の音場で再現するか。準備と調整に膨大な時間を費やすことになるのは容易に想像がつきました」
それでも、常連客の途切れない熱いリクエストに押されて覚悟を決めた。
「生演奏を聴いているみたい、ではやる意味がない。映画製作者がスタジオで聴いているマスターサウンドを、映画館のお客さんに聴いてもらう。そんなレベルの音響を目指しました」
今回の上映のために近兼氏が組み上げたのは、3つの真空管アンプを使用した前代未聞のステレオ6chという音響システムだ。
真空管とは、電極を封入した真空状態のガラスや金属の容器(管球)のことで、筒の中で電子が飛び交うことで音を大きくする。
音の信号を「アンプ」で増幅させて、「スピーカー」から鳴らすのがオーディオの基本的な仕組み。アンプで一般的に使われているのはトランジスタ(半導体)アンプだが、レコードのようなアナログ特有の温かみのある音質を再現できるのが「真空管」を使用したアンプだ。
「真空管による音には、人間的なゆらぎや響き、余韻があり、上質なアーティストの演奏の再生ほど差が出ます。特に真空管の王様と呼ばれる『300B』の名がつくものは、音の再現力が高くジャズの演奏に向いています。3人の個性を表現するために、それぞれ違う真空管アンプと真空管、そしてスピーカーをセレクトしました」(近兼氏)
●沢辺雪祈(ピアノ)の音響システム
●宮本大(サックス)の音響システム
●玉田俊二(ドラム)の音響システム
■「デジタル上映」と「真空管上映」を体験してみた
今、「ヱビスシネマ。」では、ふたつのスタイルで『BLUE GIANT』を上映している。
ひとつは大迫力の音響が魅力で、上映中に拍手OKな「デジタル上映」。もうひとつが先述した真空管アンプを使用した「真空管上映」だ。こちらは細かい音の響きを感じてもらうために拍手はNGとなっている。
本誌記者はふたつのスタイルで『BLUE GIANT』を鑑賞したので、短く感想を述べたい(本作のネタバレが少しあるので注意)。
「デジタル上映」は触れ込みどおり、音圧が強烈。なかでも印象的なのがドラム・玉田俊二の"音の成長"だ。特に終盤で彼が見せる堂々たるソロ演奏は、足元がビリビリ揺れ、音が腹に響いて気持ちがいい。
「真空管上映」について、本誌記者はこの時点で3回目の『BLUE GIANT』鑑賞だったが、ある場面で「こんな音が鳴っていたのか」という驚きがあった。音の輪郭がよりクッキリしていて、数回鑑賞しても気づけなかった音を発見する楽しみがあった。デジタル上映に比べると音圧は少し控えめなので、とてもリラックスして鑑賞できたのもよかった。
■ベストな音響の模索は上映中も続く
『BLUE GIANT』は4月28日から5月11日までの上映だが、音響の模索はこの期間でも続いている。
「お客さんの反応を見て、その都度、ベストな音響とするため微調整を続けています。ライブツアーのように初日と最終日で、音の様相が変化しているというのも『ヱビスシネマ。』の面白いところです」(近兼氏)
最後に近兼氏はこう胸を張った。
「タイトルの『BLUE GIANT』とは、あまりに高温なため赤を通り越して青く光る巨星のことで、ジャズ界では世界一のプレイヤーのことを指しているそうです。では、『JASS』(主人公たちが組むジャズバンドの名前)の演奏がいちばん青く輝いて聞こえる劇場はどこか。私は、本気で『ヱビスシネマ。』だと自負しております」
新神戸駅から車で約1時間、電車だと最寄り駅まで1時間30分以上かかり、そこから現地に行くのもひと苦労だ。決してアクセスしやすいところにはない。しかし、最高の『BLUE GIANT』体験をしたい方はぜひ足を運んでみてほしい。
●「ヱビスシネマ。」
所在地:兵庫県丹波市氷上町263-3
電話番号:0795-88-5910
『BLUE GINAT』の上映は5月11日(木)まで
・13:00~15:00 デジタル上映
・15:30~17:30 真空管上映
その他の詳細はホームページをチェック!
■『BLUE GIANT』
原作:石塚真一「BLUE GIANT」(小学館「ビッグコミック」連載)
監督:立川譲
脚本:NUMBER 8
音楽:上原ひろみ
声の出演/演奏
宮本大:山田裕貴/馬場智章(サックス)
沢辺雪祈:間宮祥太朗/上原ひろみ(ピアノ)
玉田俊二:岡山天音/石若駿(ドラム)
全国公開中
© 2023 映画「BLUE GIANT」製作委員会
© 2013 石塚真一/小学館