高校1年生から7年間、K-POP練習生として厳しいトレーニングを続けたチャ・ユジョン氏だったが、メジャーデビューの夢は叶わなかった 高校1年生から7年間、K-POP練習生として厳しいトレーニングを続けたチャ・ユジョン氏だったが、メジャーデビューの夢は叶わなかった
世界的な人気を確立し、音楽業界に数々の金字塔を打ち立てているK-POP。その基盤となっているのが、独自の養成システムだ。事務所所属の練習生となり、数年間にわたる熾烈な競争を勝ち抜いた人にだけスターの門戸が開かれる。

韓国メディアによれば、K-POPスターを目指す練習生の数はおよそ100万人。そのうちメジャーデビューできるのは0.1%ほどだという。だが、デビューしても売れる保証はなく、BTSやBLACKPINKのように栄光を手にする人間はごくわずかだ。一方で、デビューできなかった多くの練習生たちのその後について、知られることは少ない。

「K-POPブームで、海外からも練習生が殺到しているのを見るといたたまれなくなります。『どうやって生きていくんだろう?』と。成功すれば良いけど、失敗すれば全てダメになるから」

そう語るのは元アイドル練習生で、現在はDJとして国内外で活躍するチャ・ユジョンさん。「DJ Chayou」の名で2020年に「ワールドDJフェスティバル」、2022年にはウォーカーヒルフルパーティー、バンヤンツリーフルパーティー、ハミルトンフルパーティーなどといった大型イベントに出演してきた。

彼女は7年間の練習生生活を経て、2016年に「Heart」というグループでデビューが決定していたが、直前にして事務所都合で白紙になった苦い経験を持つ。

「幼い頃から音楽がとても好きで、BoAさんに憧れていました。そしてソウルでスクールに通い、事務所のオーディションに受かって練習生になりました。高校1年の時です」

■まるで軍隊のような練習生生活

ユジョンさんが飛び込んだ練習生生活は、過酷なものだった。

早朝から体力づくりのための運動をした後、10時間以上にわたるダンス、ボーカル、個人レッスン、グループレッスンを行うのが基本的なスケジュール。来る日も来る日も、その繰り返しが続いた。

「連休も日曜もつねに練習室にこもりっきりでした。正月や連休に家族と会えなかったのが一番辛かったですね。学校は午前の授業だけ出席し、午後にソウルへ往復3~4時間かけて上京していました。学校の思い出はほとんどありません。修学旅行も行かれなかったし、給食も食べた記憶がない。友達を作る時間もありませんでした。

そして、毎日10時間以上にわたってダンス、歌、ダンス、歌......最初の事務所ではそんな生活が3年間続きました。グループレッスンでは、一人でも動作が合わなかったら最初からやらされるので、軍隊のようでした。

事務所は大学に行くことに対してあまりいい顔をしなかったので、大学受験は放棄しました。それについては、今この仕事をするうえでさほど後悔はありませんが......」(チャ・ユジョン氏)

遠い地方から来た人は宿舎生活になるが、給与がないので家が裕福であったり、安定的な収入源がなければ生計を立てるのは難しい。大きな事務所ではアルバイトを禁じる代わりに生活費を少しばかり支給することがあるが、ほとんどの場合は無給だ。そのため、カフェなどで働く練習生も多く、ユジョンさんもモデルの仕事で交通費を賄った。

私生活も制限された。携帯はレッスン前に取り上げられSNSも禁止。恋愛もご法度だった。隠れてする人はいたが、ユジョンさんは「私は体力的にも時間的にも無理でした」と話す。

また、長時間のレッスンに加え、事務所の方針が二転三転する点にも悩まされた。デビューさせると言いつつ、延期を重ねる状況に不信感が募っていった。そこでユジョンさんは事務所に直談判し、移籍を決めたのだった。

「『学業もできなかったし、デビューもできず心身ともに疲れている。私の人生の責任を取ってくれないのであれば、どうか広い心で受け入れてください』と話しました。正直、怖かったです。私がそう言うであろうことすら、見透かされていたので。

でも私がグループのリーダーだったので、責任感がありました。大人の嘘に我慢がならなかった。今では少しは事情がわかりますが......」(チャ・ユジョン氏)

■中途退所には高額な違約金も

ちなみに、練習生のレッスンにかかった費用は本人の「借金」となる。デビュー後にはヘアメイク代や衣装代、アルバム製作費なども含めて3~4年間かけて精算するのが通例だという。

「ダンス講師、ボーカル講師代、施術代、宿舎費などは事務所にとっての投資です。練習生を途中で自ら辞める場合は、違約金を払わなければなりません。そのせいで、やめたいのにやめられない子も多いです。

違約金の金額は事務所によりけりですが、私が聞いたのは大体1000万ウォン(約100万円)ほど。悪質な会社だと、その10倍請求したりします。正規の契約期間を終えたとしても、事務所を説得するのはとても大変です」(チャ・ユジョン氏)

そして、交流があった他社のキャスティング・マネージャーの伝手(つて)で入った2社目で、再び一年半ほど練習生生活を送った。そしてまた、イジメにも遭遇した。

「ひとりで残って練習しようとすると、『抜け駆けは許さない』といった雰囲気になりました。社長に褒められでもすると嫉妬されて、練習をできないように妨害されたり。仲間はずれにされることもありました。

もしデビューしたら、ファンの前ではこの人たちと仲が良いふりをしなければいけないのだろうか? と思うと耐えられませんでした」(チャ・ユジョン氏)

■脱落組は「下流」職業へ!?

結局、そこでも先行きは曖昧なまま。悩んだ末、最後のチャンスに賭けてみようと3社目に移籍した。

脱落していく人も多かった。「月末評価」または「週末評価」というトレーニングの成果を評価する試験が定期的に行なわれ、そこで実力の向上が認められなかった場合は最悪、事務所を去らなければならない。いかに長年練習生として過ごしても、現実は無情だ。

「デビューできなかった人の進路はさまざまですが、バーやカフェなど、韓国ではいわゆる『下流』と呼ばれる仕事に就くことも少なくありません。私が知る限りでは、ダンスが上手い人はダンス講師、歌が上手い人はボーカル講師になったりもする。最近ではYouTuberになる人もいますね」(チャ・ユジョン氏)

逆に、評価が高ければデビューに限りなく近い位置にある「デビュー組」に属することができる。ユジョンさんは厳しい競争を潜り抜け、3社ともにデビュー組に居続けることができたが、依然として現状は変わらなかった。

「今思えば、どうやって耐えていたのかわかりません。先が見えないのに、頑張り続けることはとても苦しかったです。一年ごとに歳は取っていくし、まさか30歳になるまで続けることはできない。

それに、あまりにも長く一般とかけ離れた生活をしているので、自分は社会に適応できるのだろうかという不安も募りました。練習生へのメンタルケアもなかったし、会社もそれを望まなかった。マネージャーには言いましたが、誰に相談しても同じなので......不安になったときはひたすら音楽を聴きました。音楽が唯一、私に力をくれた」(チャ・ユジョン氏)

デビューは実力ばかりでなく、「運」も大きく左右すると言われ、タイミングや事務所とメンバーとのケミストリーも重要な要素となる。遅く入った人がグループの中心になることも珍しくなく、「1~2ヶ月練習しただけでデビューすることもある」とも言う。

また、デビューして3~4年間パッとしなかった後に「逆走行」(※ブレイク、または再ブレイクの意)する場合もある。そんな限りなく不確かで不安定な世界に多くの練習生たちは青春を費やし、身を削るのである。

現在はDJ Chayouとして活躍するチャ氏。しかし彼女のように「軌道修正」がうまくできず「下流職業」に就く元練習生もいるという 現在はDJ Chayouとして活躍するチャ氏。しかし彼女のように「軌道修正」がうまくできず「下流職業」に就く元練習生もいるという
そんな中、ユジョンさんの不安が最も膨らんだのは5年目。アイドルブームが絶頂を極め、ライバルが多く成功する確信は得られなかった。別の道をはっきりと意識するようになったのは、7年目のある日のことだった。

「とある音楽フェスティバルに行ったのがきっかけです。舞台がすごく大きくて人も多くて。そこでDJが一人で舞台を掌握し、人々がそれに熱狂する姿にすっかり魅了されたんです。それまでの私は、井の中の蛙でした。『こんな世界があったんだ』と思いました」(チャ・ユジョン氏)

ほどなくして、転機は訪れた。7年目にしてようやく掴んだデビューのチャンスが霧散したのを機に、ユジョンさんはDJの道を歩み始めた。

「正直、寂しかったのですが、とても良いきっかけでした。DJの世界を知ったし、ずっとここに捉われていたらさらにキツくなるとわかっていたので、未練はありませんでした。練習生の頃はいつも地下室にいましたが、今は太陽の下で自由に生きていくことができます」(チャ・ユジョン氏)

辛く長い時代を経て、ようやく自分の道を見つけたユジョンさん。「今では昔の事務所とも良好な関係」ともいう。K-POPの勃興の裏で、無数の練習生たちが礎となり消えていく。だからこそ選ばれしスター達は、燦然と輝きを放つのだろうか...。