貴重な全員集合4ショット! 男闘呼組の(左から)高橋和也、岡本健一、成田昭次、前田耕陽貴重な全員集合4ショット! 男闘呼組の(左から)高橋和也、岡本健一、成田昭次、前田耕陽

現在、全国ツアーの真っ最中で、8月には日本武道館でのラストライブを開催予定。さらに新バンドを結成し、アルバムもリリースした4人が胸アツすぎる秘話や今後のビジョンを語ってくれた。

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■コロナ禍での27年ぶりの再会

――突然ですが、皆さんは『週刊プレイボーイ』って読まれたことありますか?

前田耕陽(以下、前田) 僕は毎週買っていました! 火曜日発売ですよね?

――ありがとうございます。今は月曜ですが、以前はおっしゃるとおり火曜日でした。さて、昨年7月の活動再開以来、大反響を呼んでいる男闘呼組(おとこぐみ)の皆さんですが、この状況は想定していたものでしょうか?

高橋和也(以下、高橋) 想定を超えています。実は昨年、再始動後初のライブを行なう東京ガーデンシアターを視察に行ったんですね。そのときは会場のあまりの大きさに「こんなにお客さんが来るのか?」と話していましたから。でも、実際はチケットの争奪戦が展開されたと聞きました。

Vo&Ba. 高橋和也Vo&Ba. 高橋和也

――改めて、まさかの再始動が実現した経緯について教えてください。

高橋 男闘呼組は1993年に『スラブ・ボーイズ』という舞台の千秋楽後に活動休止になったのですが、その日以来、メンバー4人全員が顔をそろえることはなかったんです。

特に、10年以上前に芸能界を離れた(成田)昭次とは音信不通になっていて、僕ら3人は彼と連絡を取る手段がなかった。ところがあるとき、僕が共通の知人を通じて昭次のメアドを知ることができたんです。

――それでまず、高橋さんがメールを送ったと。

高橋 ただ、彼がどこで何をしているか、どんな気持ちでいるかわからなかったので、「元気? 和也だよ」とだけ送って。そうしたら、約1週間後に「久しぶり和也、元気だよ」って返事が来ました。

成田昭次(以下、成田) それが2016年ですね。僕はそのとき地元の名古屋に住んでいて、音楽からも離れ、会社で働いていました。

高橋 で、(岡本)健一と耕陽に「昭次と連絡が取れたぞ!」と知らせて。そこから徐々にメールの交換が始まります。

Vo&Gt. 成田昭次Vo&Gt. 成田昭次

――ほかの3名にはなんらかの接点があったんですね。

岡本健一(以下、岡本) 舞台を見に来てくれたり、そうしたことが何回かあったよね。

高橋 僕は健一とも耕陽とも、ずっとつながっていました。

前田 でも、僕と健一はなぜか会っていない(笑)。

岡本 このふたりにはあまりドラマが生まれない(笑)。

前田 それなのに、みんなでいるとこのふたりが一番しゃべったりするんですけど。

――そういう友達関係ってありますよね。

岡本 ありますよね。それがまたよかったりする。

高橋 とにかく、昭次とつながってからは、少しずつ交流が復活していったんです。

前田 3人で昭次に会いに行くことになったのが20年だったよね。

高橋 コロナ禍の影響で3月、5月と2度流れて、ようやく実現したのが8月でした。

成田 みんなが楽器を持って名古屋に来てくれて、27年ぶりにスタジオでセッションをやったんですよ。

Vo&Gt. 岡本健一Vo&Gt. 岡本健一

――まず、「飲みに行こう」「メシでも食おう」じゃなかったのですね。

岡本 そんな時間はいらなかったってことだよね。

高橋 もちろん終わってからは行きましたよ。でも、俺たちが再会するのはスタジオだろうと。遊びとしてスタジオで音を出してみようと。

岡本 4人がそろったらどんな気持ちになるのか? スタジオで今の俺たちが音を出したらどんな感じなのか? それが知りたかったですね。そのために曲を選んで、曲順を決めて。

前田 「コンサートやるのかよ」ってくらいに健一がカッチリと決めていた。

成田 紙を見たら、「え、これセットリスト?」みたいな。曲の途中に「MC」と書いてあってね(笑)。すごく本格的じゃないかと。

岡本 遊ぶなら、本格的に遊びたかったんだよ。

Vo&Kb. 前田耕陽Vo&Kb. 前田耕陽

――音楽から離れていた成田さんをその気にさせようという思惑があったのですか?

岡本 それは全然なかったですね。せっかくの時間を有効に使うにはどうすればいいかを考えたんです。舞台の世界では「稽古も本番だ」なんて言いますが、その感覚です。

高橋 当時は、昭次が今でも楽器をやっているのかどうかも知らなかったですからね。

岡本 まあでもね、名古屋で会ったときは感動的でしたよ。みんなで手を取り合ってね。高校生に戻ったような新鮮な気持ちでした。

■再始動は成田の決断ありきだった

――27年ぶりのセッションはどんな感じでしたか?

岡本 いざ音を出したら、ちゃんと出たんだよね。遊びと言いつつ、みんな本気で楽器を練習してきていたし。

前田 そりゃ練習しますよね。「あいつはあかんな~」って言われたくないもん。

成田 4人そろうから出せる音みたいなのがあるんです。

高橋 「ああ、この感じだ。これが男闘呼組だよ」って。

成田 言葉では言い表せない不思議な感じだよね。

岡本 だから、音を合わせて鏡に映っているみんなの姿を見て、僕は「これはいける! 人前でやりたい! 見せたい!」と思ったんですよ。

――すぐに 「また4人でやろう」となったのですか?

高橋 その時点では全然そんなことはなかったですね。

成田 普通に働いていましたし、僕の中で現実的じゃなかった。だから、その後、健一から「再始動」という言葉が出てからも、すぐに答えを出せなかったですね。

――そこから、最終的には50代にして、人生を大きく左右する決断をしたわけですね。

成田 1993年に男闘呼組が活動休止になったので、ツアーも中止になりました。そのツアーを見に来ようとしてくれていた人がいたわけです。そのことがあったので、30年近くたっても心のどこかに「このままじゃいけない」という気持ちが残っていたんですね。それが、決断する上で原動力になりましたね。

――ただ、生活を180度変えるのは大変なことですよね。

成田 そうですね。でもありがたいことに、東京のとんかつ店で働かせてもらいながら音楽活動をやる環境をつくることができました。

岡本 昭次はほかの3人にはない経験値を持っています。それでいて、男闘呼組のメンバーとして以前より強いエネルギーが出ているところにちょっと感動しています。

成田 不思議なんですよ。事前の個人練習では「できるのかなあ」と思っていたことが4人そろうとできる。4人いないとできない。そうしたことが本当にあるんです。

高橋 もともと僕らは、エンタメの世界でいろいろなことを経験していたことがバンドとしての大きな特徴でした。そして今は、活動休止後のキャリアを取り入れることができている。だから、29年前よりも自分たちが進化していることを実感できます。

成田 今となっては、長かった空白期間が財産だよね。

前田 その空白があったから、 今、これだけ爆発できているんだと思いますね。

■4人の音楽活動は新バンドで続く

――男闘呼組には女性ファンが多いですが、SNSなんかを見ていると、皆さんがカッコよく復活したことに勇気づけられた同世代の男性も少なくないようです。

高橋 同世代の人たちにアピールできているのは、僕らの誇りです。だからこそ、これからもパワーダウンしないで走り続けていきたい。

岡本 僕らより上の年代の人たちから「人生は50歳からが楽しいぞ」なんて言われていたんですが、以前はその感覚がわからなかった。だけど、実際こういう経験をして、「あ、これだな」と実感しました。今の年齢でこのようにエネルギーを費やせるものがあることに感謝していますね。

――男闘呼組とは別で結成された「ロックオン・ソーシャル・クラブ」についても伺います。この新バンドはどんな位置づけなのですか?

高橋 男闘呼組の活動は今年8月25日の日本武道館で終わりです。でも、その後、4人が一緒にやらないのはあまりにも惜しい。「もっとやりたい」と僕らが望んで模索した答えが新しいバンドでの活動でした。プロデューサーとして寺岡呼人さん、僕らより若いドラマーとキーボーディストが加わる編成です。

――男闘呼組は終わっても、4人の活動は終わらないという理解でいいですか?

高橋 OKです。メンバーがそれぞれの仕事をしながらも、ある時期は「ロックオンやろうぜ」と集まれる場所をつくったんです。同時に、これは未来に向けての新しい挑戦でもあります。

前田 ロックオン・ソーシャル・クラブという新しい世界によって、男闘呼組というブランドではできなかったことに挑戦できています。例えば、今回のアルバムでは初めてラテンの曲をやっていますし。そういう可能性が無限に広がるんだろうなと。

高橋 でも、その前に男闘呼組のラストツアーがあります。そこでは集大成をお見せして、完全燃焼したいですね。

――いやあ、泣ける話と熱い話しかなかったですね。本日はありがとうございました。

全員 ありがとうございました。ライブ来てください。

●男闘呼組(おとこぐみ) 
1988年に4人組ロックバンドとしてデビューシングル『DAYBREAK』をリリースし、オリコン週間チャート初登場1位を記録。以後、『秋』『TIME ZONE』『CROSS TO YOU/ROCKIN' MY SOUL』などのシングルを連続ヒットさせる。1988年に第30回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、同年『NHK紅白歌合戦』に初出場、翌年の1989年には東京ドームでコンサートを開催。メンバーそれぞれが俳優活動を行ない、デビュー前に全員が出演した『ロックよ、静かに流れよ』は複数の映画賞を受賞するなど作品として高い評価を得ている。4人そろって出演したテレビドラマには『ぼくの姉キはパイロット!』(TBS)、『オトコだろッ!』(フジテレビ)がある。また、『アイドル花組おとこ組』(テレビ東京)、『ここんちプラネッと!』(テレビ東京)、『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)などバラエティ番組でも活躍した。バンドとしての後期は自作曲体制となり、1992年にはオリジナルアルバムを3ヵ月連続でリリースするという意欲的な姿勢を見せていた。1993年6月30日、出演していた舞台公演の終了とともに活動休止に。2022年夏に29年ぶりの再始動が実現。

●Vo&Gt. 成田昭次(なりた・しょうじ) 
1968年8月1日 生まれ、愛知県出身。男闘呼組のメンバーとしては音楽面でのリーダー的存在だった。俳優としては、男闘呼組としての出演作以外ではテレビドラマ『お茶の間』(よみうりテレビ)に主演、映画『新・極道の妻たち 覚悟しいや』に出演。男闘呼組の活動休止後はソロとしてもデビューしたほか、いくつかのバンドのメンバーとしてライブハウスを中心に活動していた。2009年より音楽活動を休止。2020年11月にソロとして音楽活動を再開。現在は、男闘呼組、Rockon Social Clubのほかに、成田商事という音楽ユニットとしても活動中。

●Vo&Ba. 高橋和也(たかはし・かずや) 
1969年5月20日生まれ、東京都出身。ライブハウスを経営する父親の影響で幼少時より音楽に親しむ。男闘呼組メンバーとして、メッセージ性の強い楽曲を作ることが多かった。男闘呼組活動休止後も、ソロやさまざまなジャンルのバンド、ユニット活動を展開しており、近年はカントリーミュージックのアルバムのリリースも。俳優としては男闘呼組時代から、映画、ドラマ、舞台と数多くの作品に出演を続けており、その確かな演技力は高く評価される。声優としてはイ・ビョンホンの吹き替えで知られる。ナレーターとしての仕事も多い。

●Vo&Gt. 岡本健一(おかもと・けんいち) 
1969年5月21日生まれ、東京都出身。男闘呼組結成以前よりギターに傾倒していた。男闘呼組のメンバーとしてはリズムギターを担当。また、1991年よりクラブイベントを主催するようになり、そこに集まったメンバーでADDICT OF THE TRIP MINDSというバンドを結成。その後はFloorというバンドでも活動を行なった。俳優としては映画、テレビ出演も多いが舞台での実績が突出する。第45回菊田一夫演劇賞、第55回紀伊國屋演劇賞、第71回芸術選奨文部科学大臣賞など数々の賞を得ているほか、 2022年春には紫綬褒章を受章した。

●Vo&Kb. 前田耕陽(まえだ・こうよう) 
1968年8月16日生まれ、東京都出身。男闘呼組結成当初はドラムを担当していた。男闘呼組時代から俳優として単独で映画『いとしのエリー』、ドラマ『トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)、『君の瞳に恋してる!』(フジテレビ)などに出演。男闘呼組の活動休止後はいくつかのバンドを結成し、高橋和也らとのMidnight Angel での活動もある。現在は大阪を拠点とし、俳優業のほか、関西のバラエティ番組に出演することが多い。YouTubeチャンネル『Team54.ch』では、トークの披露、男闘呼組のセルフカバーの公開も行なう。

■男闘呼組 2023 THE LAST LIVE
4月28日(金)~7月30日(日)
名古屋国際会議場センチュリーホールほか全国21都市、48公演予定

■男闘呼組 2023 LAST FOREVER
8月16日(水)、17日(木)、24日(木)、25日(金)の日本武道館4公演
最新情報はオフィシャルホームページなどでご確認ください。