優勝候補の筆頭だったテンダラーや囲碁将棋を打ち負かし、マシンガンズとの決勝戦ではほぼツッコミのない漫才を披露。堂々優勝したギャロップの勝因は、漫才へのひたむきな愛だった。
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■『M-1』の失敗から学び松本さんを見なかった
――まずは優勝おめでとうございます! 今の率直な思いを聞かせてください。
林 予選も決勝トーナメントも紙一重の連続で。まだちょっとフワフワしてるんですけど、大きなミスなくできたのがよかったのかなと思います。
あとノックアウトステージの2回戦から3回連続で吉本対決だったので「何回同じ会社の人と戦わなあかんねん」って複雑なところもありました。
毛利 まだほんまに実感ないです。昔の僕やったら相方に「絶対優勝するぞ!」みたいなことを言ってたんですけど、今回は「こんな大きな番組で3回漫才できたらいいな」ぐらいやったんで。リラックスして臨めたのが勝因かなあと思いますね。
――18年に『M-1グランプリ』の決勝に初進出し、悔しい思いをされていると思いますが(8位)、今回の優勝で払拭はできましたか?
林 最初で最後の『M-1』で優勝できなかったことよりも「面白くない漫才師だと思われたまま終わった」というのが一番キツい部分だったので、そういう意味では払拭できたんじゃないかと思います。
毛利 あのときは僕のしゃべり出しでちょっとリズムを崩しちゃったんですよね。本番の立ち位置上、審査員の松本(人志)さんが目に入っちゃったのもあって......。やっぱ好きやから見ちゃうんですよね。
林 今回もアンバサダーとして松本さんがいるのは本当にありがたかったんですけど、相方の視界に入るのが心配でした。
毛利 『M-1』の反省を生かして、今回は一切見ずに漫才に集中できました。そしたら今回は、うまかったですね僕~!(笑)
――決勝トーナメント3回はどれも白熱のバトルでした。
林 最初からラスボスのテンダラーさんですから。僕らが先攻だったので、後攻で全部持っていかれるかもという思いもあったんですが、むしろテンダラーさんの完璧な漫才を見た後にやるよりはよかったんじゃないかと思います。
――勝利が確定した瞬間、毛利さんの目が潤んでいました。
毛利 泣いてないです(笑)。いや、僕もなんであんなふうになったのか......。「よっしゃ、勝てた!」って安心感と、「お世話になっている先輩がここで姿を消す」っていう寂しさが渦巻いていたのかな。
林 「もうちょっと上で戦いたかった」って気持ちもあったしね。次の囲碁将棋は僕らが後攻だったので、舞台裏に聞こえる笑い声で高い点数が出ることはわかっていました。実際に284点という高得点を出されたときは、勝てないかもと思っていました。
毛利 その後、僕らの得点が出るときに「面白くなかった」の1点を入れた人がふたりもいたんですよ(囲碁将棋は0人)。そこで「あかんかぁ~」って、一瞬ほんまに諦めかけました。
――しかし、「面白かった」の2点が12人、「とても面白かった」の3点が86人(囲碁将棋は84人)と、284点で囲碁将棋に並びました。
林 実はあのとき、「3点が多いほうが勝利」っていう大会ルールが頭をよぎってたんですよ。
ただ、あの時点でガッツポーズすんのは変やし、万が一ミスったらドラフトの交渉権を間違えてガッツポーズする監督みたいになるじゃないですか。一生動画残るのは絶対にイヤやなって(笑)。そこの数秒間はどんな顔をしてたか覚えてないです。
――そこを競り勝ち、最後はマシンガンズとの決勝戦でした。
毛利 また僕らが後攻だったのでモニター越しに見てましたけど、あの人らテクニックがスゴいんですよ。
林 ご本人が「ネタない」って言ってたのはたぶん本当で。なのにちゃんとウケを取るし、イマイチやったらイマイチやったで笑いに変えてて、ほんまなんなんやろうなっていう。流れもマシンガンズさんにある感じがしたので、ネタがないならないでもっと「ない」っぽくなってくれへんかなって(苦笑)。
――対するギャロップが披露したのは、途中から林さんが一方的にしゃべり続けるという思い切ったネタでした。
毛利 それ皆さん言ってくれはるんですけど、普段から寄席(よせ)でもやっているネタだし、特に不安もなかったんです。
林 会場には審査するスイッチを持っている100人以外にも170人のお客さんがいて、全体的に温かい雰囲気だったんですよね。それもあって、フリにフっているところも、笑ってくれはったんやと思います。
■NGKの看板にコンビ名を入れたい
――優勝賞金は1000万円です。使い道は決まってますか?
林 この年になると、いつ漫才ができなくなるかわかりませんから。そこは『M-1』と違って『THE SECOND』らしく生々しい使い道を考えています。
毛利 それなら賞金で最高級の人間ドックを受けたらええやん。
林 いや、高いお金を払って何か見つかっても、「行ってよかった」って思える自信ないて。まぁ数万円でいいので「これ『THE SECOND』の賞金で買ってん」っていうものを1個ぐらい買いたいですね。
毛利 僕は、昔から叱咤激励してくださっていたフットボールアワーの後藤(輝基)さんから「ようやったな」とお電話いただいて。「賞金も入るわけやから今回はおまえにおごってもらうわ」って言ってくれはったので、賞金からドンッと出してふたりで行きたいと思います。
――優勝後、毛利さんが「劇場の出番があんまりなかった」と言っていて驚きました。
林 一日1ステ(ージ)とか、出番がない日もありますし。なんばグランド花月(吉本の総本山と呼ばれる劇場。NGK)でいうと月3回ぐらい。もちろん、われわれの実力不足なんです。大ベテラン、大師匠の方々はやめられないですし、下から若手はどんどん出てくる。出番の数自体は限られてるので当然なんです。
毛利 ただ、「売れっコが12ステとかやったらしんどいやろ? ちょっとちょうだい」って思っちゃいますよね。僕らがスベっていたら何も言わないですけど、ウケてるっていう自信と自負があるから悔しいんです。
――これからきっと忙しくなると思います! 今後の目標は?
林 普段はNGKで活動して、そこでのトリを目指したいです。劇場の正面上に中川家さんとか〝劇場の顔〟となる名前の看板が並んでるんですけど、そこに「ギャロップ」の名前を入れたい。
毛利 あの看板欲しいよな~。もちろん呼んでもらえるなら日本全国いろんな所で漫才がやりたいですね。「ギャロップはどこでも漫才をします」というスタンスで、漫才の腕を磨いていきたいです。
●GALLOP
2003年12月結成。関西を中心に活躍する吉本興業所属の実力派中堅漫才師。2008年に第29回「ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞を受賞、18年に『M-1グランプリ』決勝進出。不定期で初対面の若手芸人とツーマンライブを開催するなど、自主ライブも精力的に行なう
●林 健(はやし・たけし)
1978年生まれ、大阪府出身。漫才師としてもネタ職人としても評価が高く、若手のネタ見せライブでの講評やバトルライブでの審査員もこなす。競馬芸人としての一面も持つ
●毛利大亮(もうり・だいすけ)
1982年生まれ、京都府出身。中学卒業と同時にNSCへ入学し、高校へ行きながら通った。DJ KELLYの名でクラブDJとしても活躍。コロナ禍以前は毎週大阪市内のクラブで活動していた