高円寺の名店として誰もが知るタロー軒。細長い立地はたまたま区画整理から外れたため。手前のカウンターは立ち食い席高円寺の名店として誰もが知るタロー軒。細長い立地はたまたま区画整理から外れたため。手前のカウンターは立ち食い席
東京・高円寺。個性的な古着屋やライブハウスが立ち並ぶ若者の街というイメージだが、グルメの激戦区でもある。中でも生き残るのが難しいのはラーメン店とカレー店。しかし、そんなふたつのメニューを武器に住民から長く愛されているのが「タロー軒」だ。今年の6月で創業50周年を迎えるにあたり、今もなお店に立つ社長の荒木覚(さとる)さんに愛される理由を聞いてきた。

■74歳の現在でも朝まで働くことも

丸の内線の新高円寺駅から徒歩2分。JR高円寺駅からだと徒歩10分ほどで到着する。店の前には大通りが走っており、ひっきりなしに車やバイクが行き交う。

高円寺名物の阿波踊りでは、大通りを進む踊りの"連"のゴールとなるのが、タロー軒の前だ。混雑の度合い次第だが、ラーメンとカレーを食べながら見物なんていうのもオツだろう。

すぐ近くのバス停は「タロー軒前」と改名した方がよさそうすぐ近くのバス停は「タロー軒前」と改名した方がよさそう
店の作りはいわゆるオープンエアで、立ち食いスペースとふたつのテーブル席がある。そして、何といっても特筆すべきは24時間営業ということ。従業員は3交代制で勤務に就くが、荒木さんが深夜から朝の時間帯に店に立つこともある。

朝方でもタクシー運転手や飲み屋の店員など朝まで働く人たちが、仕事終わりに訪れるという朝方でもタクシー運転手や飲み屋の店員など朝まで働く人たちが、仕事終わりに訪れるという
「だって、誰も入りたがらねえんだもん(笑)。昔、鍛えてたから体力的にも全然問題ないしね。あとは、とにかくたっぷり寝ること。従業員? 今は10人。ほとんどがもともとお客さんで、従業員募集の貼り紙を見て応募してくれるパターンだね」

荒木さんのポリシーは、絶対に残業をさせないこと。つまり、1日8時間の勤務が終わったらさっと帰宅できる。「働きすぎると疲れちゃって愛想が悪くなるのよ」というのが持論だ。そのような環境のせいか、高円寺店のオープンから45年間、無遅刻無欠勤の従業員もいるそうだ。

■働いていたレストランのチーフに「ラーメン屋をやりたい」と相談

荒木さんの出身は兵庫県の明石市。高校卒業後に上京し、新宿のマルイで働いた。

「デパートの仕事はビシッとスーツ着てかっこいいじゃん。ただそれだけの理由。女房ともそこの職場で知り合ったんだよ」

2年ほど勤務したのち、埼玉県所沢市にあったレストランへ転職。料理に興味があったわけではなく、単に賄い目当てだった。「来る日も来る日も玉ねぎの皮を剥いてると、指先が真っ黒になっちゃうんだよ」と笑う。

食いっぱぐれないように手に職をつけるため、第二種運転免許も取得しているという荒木さん食いっぱぐれないように手に職をつけるため、第二種運転免許も取得しているという荒木さん
やがて、牛肉の筋取りやコーヒーのドリップなど、任される仕事も徐々に増えていく。そんなある日、荒木さんに転機が訪れる。

「当時はちょうどファミレスができ始めたころでね、もっと手軽に外で食べられるようになると思ったんだよ。それで店のチーフに『俺、屋台のラーメン屋をやりたいんですよ』って言ったの。ラーメンが好きだったし、屋台なら金もかからない」

チーフの返答は「ラーメンなら俺が一緒に考えてやる。うちだって鶏ガラやらでブイヨン作ってるじゃないか」。

■1973年に所沢でオープンさせた1号店は大盛況

そこからはチーフと二人三脚でレシピの研究が始まる。評判の店を食べ歩き、試行錯誤の末に「見た目はさっぱりだけどコクがある」という理想のラーメンを完成させた。定休日の日にオーナーが店の厨房を使わせてくれたのもラッキーだった。

「結局、チーフはレストランに残って俺はひとりで所沢にタロー軒の1号店を出した。1973年だからちょうど50年前。地元の新聞に載ったこともあって、お客さんはいっぱい来てくれたよ。カレーを出したのはレストランで出会った女房の得意中の得意料理だから。盤石のラインナップというわけ」

オープン当時の高円寺店。当初はカウンターのみで、現在より少し間口が狭いオープン当時の高円寺店。当初はカウンターのみで、現在より少し間口が狭い
その後、中野区野方や三鷹市に出店。そして1978年に高円寺店をオープンさせた。

「きっかけは野方店でタクシーの運転手さんから聞いた『店を出すなら高円寺にいい場所があるよ。俺たちはいつもそこで仮眠するんだ』という情報。すぐに見に行ったら、本当にずらりとタクシーが休憩しているんだよ。今みたいに駐禁にうるさくなかったからね。ここならやれると思って即決した」

■ラーメン屋の店員も足繁く通うというラーメンの秘密

やがて、人手が足りなくなったため他の店舗を畳み、高円寺店に集約。現在の店舗は17年前に建て替えたものだ。なお、メニューは創業当初と同様、ラーメンとカレーの二本柱。一番人気は昔から変わらず「ラーメンと半カレーセット」(930円)だ。

ラーメンの中細麺は、160gと通常より多め。甘みのあるスープにジューシーなチャーシューが合う。カレーはやや辛いが、コクがありクセになる味わい。男性客が多いため、ガッツリ食べられる「ラーメンと半カレーセット」が人気ラーメンの中細麺は、160gと通常より多め。甘みのあるスープにジューシーなチャーシューが合う。カレーはやや辛いが、コクがありクセになる味わい。男性客が多いため、ガッツリ食べられる「ラーメンと半カレーセット」が人気
あっさりした昔ながらのラーメンは、近所のラーメン屋の店員も足繁く通うという。スープには豚骨、豚足、鶏の胴ガラ、鳥のモミジのほか、大量の玉ねぎ、にんじん、生姜、にんにくなど野菜のうまみも。そして味の決め手になるのは、鰹節や昆布などを入れた自家製しょう油ダレだ。

「しょう油ダレは店の命だね。大手メーカーのものより断然美味い。地震が来たら真っ先にあれを持って逃げないと。スープに背脂も入ってるけど、あっさり感じるのはしょう油ダレのおかげ。俺なんて毎日食べてるけど、それでも飽きないんだから」

煮込む途中で絶対に水を足さないというこだわりのスープ煮込む途中で絶対に水を足さないというこだわりのスープ
一方のカレーはずっしりと重い銀の皿で提供される。「カレーはラーメンのスープで作るから美味いのは当たり前。チャーシューの切れ端も入れてるよ」というようにラーメンとの親和性も高い。

普通を含めると全部で9通りの楽しみ方ができる普通を含めると全部で9通りの楽しみ方ができる
ところで、この店には何度も訪れている筆者だが、麺の硬さ、しょう油とスープの味が選べることには気付かなかった。荒木さんによれば多くの客が好みのオーダーするという。

「酔っ払いには普通のを出すけどね。『はい、こってりー』って言いながら(笑)。中には、さっぱりで具はネギだけでいいっていうお客さんもいて、その時はラーメン屋として気合いが入るねえ」

■「店はちっちゃくやれ」という父親の遺言を守り続けた

ちなみに、タロー軒という店名は書類の見本によくある「太郎」が由来で深い意味はないそうだ。しかし、荒木さんは店名の登録商標を取っている。

「何かの時のためにね。だから、カップ麺も出せるしチェーン展開もできる。でもやらない。『店はちっちゃくやれ』『借金はするな』『家族と従業員を愛せ』というのが親父の遺言なんだよ。『酒、たばこ、ギャンブルもやるな』とも言ってたけど、当の本人は大酒飲みでたばこもバンバン吸ってた」

屋根の上に掲げられた看板には(R)の文字屋根の上に掲げられた看板には(R)の文字
父親は「俺が死ぬ時はタバコを辞める時だ」と言っていたそうだが、辞めてから本当に1ヶ月で亡くなったという。荒木さんにとっては今でも遺言を守り続けるほど大きな存在だった。

「女房は『あなたは私と結婚できたことが一番運がいいんだから』って言うけどね」と笑う荒木さん「女房は『あなたは私と結婚できたことが一番運がいいんだから』って言うけどね」と笑う荒木さん
「幸せと成功は違うんだよ。俺は幸せならいいと思ってる。特別いいことはしないけど、悪いこともしない。それで今の幸せがある。あと、ここまで来れたのは先祖が与えてくれた運のおかげ。だって、ラーメンとカレーしかないんだもん」

■子どもだった客が自分の子どもを連れて来ることも

高円寺で45年経ち、地元で知らぬ人はいない老舗となったタロー軒。訪れる人はさまざまだ。

「9割は常連さん。20年以上通う人も多いよ。最近は若い女のコも食べに来るようになったけど、ほとんどは男性だね。吉田拓郎が高円寺に住んでいた頃はファンの女のコで埋まったこともあったけど(笑)。常連さんの中には若い芸人さんとかもいて、よく店でネタ合わせしていて。頑張ってほしいね」

そして長く商売を続けていれば、思わぬ再会もある。小学校低学年ぐらいの子どもが親と来店したものの、背が低いから立ち食いができない。荒木さんが一斗缶を持ってきてそこに立たせてあげたところ、おいしそうに食べていたそうだ。

「その子はうちのラーメンが気に入ったらしくて、年中食いに来てたんだよ。そうしたら何十年後かに自分の子どもを連れてきてくれてさ。『おじさーん』『おお、あの時のはなたれ小僧』って。お互いによく覚えているもんだね。こういう話はいくつもあるよ」

ここで、仕事の手を休めた荒木さんは常連客が食べているテーブルの向かいに座って「チャーシューが口の中でとろけるでしょ。まあ、ゆっくりしてってください」と話し掛ける。

常連客と談笑する荒木さん。料理だけでなく、こうした交流があるからこそ地元で愛される店になっている常連客と談笑する荒木さん。料理だけでなく、こうした交流があるからこそ地元で愛される店になっている
そうしている間も、荒木さんは「いらっしゃいませー」「ありがとう、どうもねー」という声掛けを怠らない。ところで、50年の歴史の中でメニューを増やそうとは思わなかったのだろうか。

「全然思わなかった。レシピも昔からずっと変わってないよ。10年ぶりに来たお客さんから『同じ味でほっとしたよ』って言われたこともあるね。結局、ラーメンもカレーも普段から食べる日常にあるもの。特別おいしくなくていいんだよ。安心できる味であれば、食べたくなるんだろうね」

高円寺という街の風景にすっかり溶け込んでいるラーメン店。2代目以降も味と歴史を継ぎながら、ぜひ100周年を目指してほしい。