映像作家の川上アチカさん。日本唯一の浪曲の定席、浅草・木馬亭の前にて。毎月1~7日の昼間(12~16時頃)に浪曲を堪能できる。入場料は現在一律2400円(25歳以下半額) 映像作家の川上アチカさん。日本唯一の浪曲の定席、浅草・木馬亭の前にて。毎月1~7日の昼間(12~16時頃)に浪曲を堪能できる。入場料は現在一律2400円(25歳以下半額)

もはや「ブーム」の粋を超えた人気を誇る落語と、革命児・神田伯山の活躍で注目される講談。これらふたつの寄席演芸に追いつけとばかりに、今確かな熱気を発しているのが「浪曲」だ。

独特の節回しで物語を「唸る」浪曲師が、楽譜もなく即興で三味線をかき鳴らす曲師とつくり出すその世界は、ラップやフリージャズをも彷彿とさせる。

ある伝説的浪曲師を追ううちに、浪曲界の濃密な人間ドラマを映像に収めてしまった映画監督に、新時代の到来を予感させる浪曲の魅力を聞いた。

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■異界から響くフリースタイル

浪花節(なにわぶし)――この浪曲(ろうきょく)の異名は、しばしば「お涙頂戴」の「クサい」物語を指す蔑称としても用いられてきた。

落語、講談と並ぶ〝日本三大話芸〟に位置づけられながらも、日本経済の高度成長と反比例するかのように浪曲の人気は衰え、今や浪曲の定席は東京・浅草の木馬亭だけ、あとは寺やホールを借りての寄席(よせ)がいくつかある程度である。

しかし最盛期の明治末期から昭和初期には、全国に3000人の浪曲師が存在し、芸能人長者番付上位10人の実に7人を浪曲師が占めたこともあった。

最盛期の再現とまではいかないが、最近では平成生まれの演者たちがデビュー。現在の木馬亭には昔ながらの愛好家と浪曲の「熱」に引き寄せられた新しいファンたちが入り交じる。

ドキュメンタリー映画『絶唱浪曲ストーリー』を撮った川上アチカ監督もまた、浪曲の発する正体不明の「熱」にわしづかみにされたひとりだ。

「数年前、尊敬するフランスの映像作家に、〈魂を震わせる音〉を撮りたいから探してほしいって頼まれて、いろいろリサーチしたんです。

そんなとき、ある方に『港家小柳を見たほうがいい』と、小柳師匠の出番に印のついたチラシをいただいたんです。それで予備知識もなく見に行ったら、師匠だけがほかの方とは毛色がまったく違って見えたんですね」

聴く者を魔法にかける、伝説の芸豪・港家小柳の唸り。©Passo Passo+Atiqa Kawakami 聴く者を魔法にかける、伝説の芸豪・港家小柳の唸り。©Passo Passo+Atiqa Kawakami

港家小柳(五代目)は1945年に吉田小一若に入門し、約40年にわたって旅芸人として芸を鍛えてきた女性浪曲師。いわばドサ回りの、切った張ったの世界で生きてきた人物だ。

「言ってみればストリートの世界から出てきた人で、人気浪曲師の玉川奈々福師匠の言葉をお借りすれば、小柳師匠の浪曲は『旅の風雪に耐え抜いた』芸なんですね。立ち姿だけでも迫力があるし、演目を唸(うな)りはじめると、こちらが想像力を働かせなくても情景がリアルに浮かび上がってくる。

物語の時代に連れていかれ、登場人物と一緒に橋のたもとにたたずみ、見上げると雪がちらちら降ってくる、ほとんど魔法みたいに感じられたんです。

浪曲の物語は序破急(じょはきゅう)の構成になっていて、急のところを『バラシ』というんですが、バラシで一気に畳みかけてくる迫力もとにかくすごかった。そのときの曲師も沢村豊子師匠という名人で、かき鳴らす三味線は小柳師匠と丁々発止、ふたりでエネルギーの渦を起こして観客を巻き込んでいく。

フリースタイルのラップやジャズにも似た、でもまったく知らない世界があることに衝撃を受けて、翌々日も見に行って、これは間違いなく本物だと確信しました」

■浪曲を唸り、浪曲を生きる人々

映画は小柳とその弟子である小そめ、2022年に100歳を迎えた現在も現役曲師として活躍する玉川祐子の3人を軸に展開していく。

祐子が愛猫「あんちゃん」と暮らす赤羽の団地の一室は、木馬亭に出演する際に愛知・犬山から上京してくる小柳の定宿でもある。持病持ちの小柳のことを、姉御肌の祐子はしきりに気にかけるが、小柳はアハハと受け流す。

そこに小そめがやって来ると、祐子の三味線に合わせてお稽古。稽古が終わればお茶の時間。小そめがお茶を入れる間に、卓上にお茶請けを並べる祐子は、まるで遊びに来た孫を歓待するようにウキウキして見える。

名披露目に向けて、小柳のいない玉川祐子(右)の自宅で稽古に励む小そめ(左)。©Passo Passo+Atiqa Kawakami 名披露目に向けて、小柳のいない玉川祐子(右)の自宅で稽古に励む小そめ(左)。©Passo Passo+Atiqa Kawakami

「浪曲界には『弟子はおなかをすかせて帰さない』という鉄則があって、弟子だけでなく私のような部外者までも『食べていきなさい!』と、木馬亭の向かいの食堂でごちそうになったりとか、そういうことが何度もありました。

映画でも、落語で言えば二ツ目昇進にあたる小そめさんの名披露目興行(2019年)のために、常連さんたちに『ご祝儀はいいからとにかく来て満席にしてくれ』と頼み込んだという方が出てきますが、演者と席亭、そして常連さんたちとの支え合いが強いと感じます」

小そめはもともとチンドン屋の師匠に弟子入りし、90年代後半から各地で活動してきた女性だ。13年夏、偶然に入った木馬亭で小柳の浪曲を見て衝撃を受ける。翌日も木馬亭で小柳の浪曲を見て、2ヵ月後には弟子になっていたという。撮る側と撮られる側が写し絵のように、同じ人物に惹(ひ)き込まれているのが面白い。

時折映し出される小柳の芸は、スクリーンからも異様な熱が伝わってきて恐ろしいとさえ思わせるが、祖母ふたりと孫、そして猫が織りなす「一家」の日常はいたって穏やか。

しかし小春日和のような光景は、長くは続かない。小柳の病状は悪化し、ついに舞台を降りて、娘の住む犬山に引っ込んでしまう。

小そめはなんとかもう一度舞台に立たせようと犬山に向かい、ベッドで病に伏せている師匠に、その全盛期を録音したカセットテープを聴かせる。横たわる師匠の表情は映らないが、布団の中で体が節を取っているのがはっきりとわかる。

「師匠の体調がよくないことはわかってはいたのですが、それでもまだまだこの日々が続くし、まだまだ師匠を撮れると思っていたので、現実が目の前を足早に過ぎていくことがショックでした。

浪曲の演目はだいたい30分ほどですが、ある公演で5分ほどで師匠が絶句し、『大変恐れ入りますが......』と言って舞台を降りたときは、楽屋も騒然としていました。もちろん小柳師匠の体も心配だし、興行全体の構成も変わってしまうしで、大騒ぎでした。

その中で講談の一龍齋貞心先生が、小柳師匠の演目の続きをやろうと申し出る。こんな支え合いがあるのかと驚きました」

映画では小そめが「(浪曲師や曲師は)爺さん婆さんなんですけど、みんなパンクで烈(はげ)しい。老人はおとなしくて心が広いという概念を覆されまして......」と語るシーンがある。

小そめは続ける。「今の世の中はきれいできちんとしている半面、息苦しくてしんどい。だから昔の人を見るとよけいにいいなと思う」。ここでも撮る側と撮られる側が二重写しになる。

「師匠方もみんな感情むき出しで、豪胆なところもあるし、いわゆる『カタギ』とは別の価値観で生きてきた人たちが、互いに迷惑をかけ合いながら生きているコミュニティなんですね。

浪曲の演目は義理人情とか、仇討ちとか、道ならぬ恋だとか、現代人の目からすれば時代遅れの世界ですが、年配の師匠方になるほど演じる側もその昔かたぎの人間関係を生きている。

私も勝手がわからず粗相をしてしまったこともありましたが、取材を拒まれたことはありません。皆さんにかわいがってもらいましたし、何度もおなかいっぱいにしてもらいました(笑)。本当に正直で居心地がいい世界なんです」

■会えるうちに会いに行く

舞台を降りた「祖母」に代わり、もうひとりの「祖母」が弟子に手を差し伸べる。祐子が小そめに稽古をつけるあの部屋に、小柳はいない。

孫を見るようなまなざしは消え、「汚い声も出せ!」と、稽古は熱を帯びていく。「親子だもんな。血のつながりはなくとも芸のつながりはある」と小そめを指さす祐子の姿は、浪曲や講談がしばしば描いてきた「生みの親より育ての親」の世界そのもの。

やがてふたりの師匠の教えを受けた弟子は、名披露目の日を迎える。

万感の思いで名披露目に臨む港家小そめを、玉川祐子が三味線で支える。©Passo Passo+Atiqa Kawakami 万感の思いで名披露目に臨む港家小そめを、玉川祐子が三味線で支える。©Passo Passo+Atiqa Kawakami

「名披露目は師匠がご贔屓筋に頼んで支援をお願いし、立派なテーブルかけも師匠が贈るのが習わしだそうです。

代わりに祐子師匠と常連さんが支え、小そめさんが自分で準備をし、テーブルかけは小柳師匠が使われていたものはそのまま残しておきたいと、名前が入る湯飲みかけだけを新調していました。

常連さんが『名披露目だけは赤飯のようにビシーッと客が詰まってなきゃいけないんだ』とおっしゃるのは、その大変さがわかっているからですよね」

映画には小そめのほかに、その姉弟子にあたる金髪姿が印象的な港家小ゆき、舞台や映画でも活躍する富士綾那といった浪曲師のニューウエーブたちが登場する。

祐子や沢村豊子といった曲師の大ベテランたち、各方面の芸能・音楽とコラボレーションを続ける玉川奈々福やコントユニットを結成し小劇場で活動していた玉川太福など、若手・中堅・ベテランが潮目のように入り交じる浪曲界は、これからどんどん面白くなるのではないか。

「でも『小柳師匠の芸を見たい!』と思っても、もう見ることはできません。200時間以上カメラを回して、師匠の演目も何度も撮影させていただきましたが、あのスゴさを撮ることはついにできなかった。撮れなかったものへの思いは強く残っています。

小柳師匠以外にもスゴい芸を見せてくれる師匠方はたくさんいますが――こんなこと言ってはいけないのですが――いつまでお元気でその芸を見せてくださるかわかりません。

小そめさんも名披露目で『もっと犬山に通えばよかった』とおっしゃっていましたが、会いたい人には会いたいときに、会えるうちに会っておくしかないんですよね。レジェンドたちがご健在のうちに、新旧入り交じる浪曲の世界に、ぜひ足を運んでいただきたいと強く思いますね」

●川上アチカ 
1978年生まれ、神奈川県横浜市出身。フリーの映像作家としてドキュメンタリー、音楽家とのコラボレーション、ウェブCM、映画メイキング等、幅広く制作。『絶唱浪曲ストーリー』は初の長編ドキュメンタリー映画となる。

●『絶唱浪曲ストーリー』 
映画『絶唱浪曲ストーリー』は横浜シネマリン(8月5日~)ほか全国順次公開中。詳細は公式ホームページにて。