『ほんとにあった! 呪いのビデオ』を企画し、世に出した張江肇さん『ほんとにあった! 呪いのビデオ』を企画し、世に出した張江肇さん
一般の視聴者から寄せられた不可解な映像を紹介していく『ほんとにあった!呪いのビデオ』。"心霊ドキュメンタリー"の元祖にして今もなお圧倒的な存在感を放つシリーズ企画だ。今回は24年前に『ほん呪』シリーズを立ち上げ、現在も製作者として作品に関わり続けている張江肇(はりえ・はじめ)さんにインタビュー。企画を始めた経緯や制作時のエピソード、24年間の永きに渡ってシリーズが継続している秘訣などを聞いてみた。


■『ほん呪』はどのように始まったのか?

そもそも『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズは、どのような経緯から生まれたのか?

「当時はビデオメーカー会社を設立して8年ほどで行き詰まりを感じていて、『何かヒットする企画を出さなければ』という状況でした。そこで前年にヒットした『リング』をヒントに『ホラーがいいのでは?』と思いついたのがきっかけです。

ただ、受け手である一般の視聴者にも作品づくりに参加してもらおうと思いました。その頃はもうビデオが一般的になっていたので、家庭にあるビデオに"呪い"が映っていたら、それを送ってもらって検証する作品を作ろうとしたのが『ほん呪』の始まりです」

1999年にリリースした『ほんとにあった! 呪いのビデオ』1作目と、今月リリースした『102』のジャケット写真。1作目の演出・構成を担当したのは、『殿、利息でござる!』(2016年)や『決算! 忠臣蔵』(2019年)などの中村義洋監督。2001年の『7』までと『Special』の演出・構成を、『3』から最新作までナレーションを務めている1999年にリリースした『ほんとにあった! 呪いのビデオ』1作目と、今月リリースした『102』のジャケット写真。1作目の演出・構成を担当したのは、『殿、利息でござる!』(2016年)や『決算! 忠臣蔵』(2019年)などの中村義洋監督。2001年の『7』までと『Special』の演出・構成を、『3』から最新作までナレーションを務めている
企画の内容には絶対の自信を持っていた張江さんは、かつて勤めていた東映ビデオのお偉いさんに『ほん呪』の企画を持ち込むことにした。

「自信満々で提案したのですが、『ワケがわからない。そんなインチキくさいものをウチが出すわけにはいかない』と(笑)。『だったら自前でやるしかない』と思って、前から知り合いのパル企画という制作会社の鈴木ワタル社長と一緒に『ほん呪』を作ることにしたんです」

当初は一般の視聴者から"呪いのビデオ"が本当に集まるか不安もあったが、「実際にやってみてダメだったらボツにすればいい」と制作をスタート。すると、予想以上に数多くの"呪いのビデオ"が張江さんたちのもとに寄せられた。

作品として成立しないビデオもたくさんあったが、「この企画はいけそうだ」と手ごたえを感じた張江さんは、記念すべき第1巻を1999年8月に、『2』は10月、『3』は12月と、立て続けにリリースすることに決める。つまり、『1』の評判や売上を知る前から続編を制作することにしたのだ。

2017年に刊行した『ほんとにあった! 呪いのビデオ 恐怖のヒストリー』を懐かしそうに眺める張江さん。同書には74作目までのデータベースや歴代監督のインタビューが掲載されている。ちなみに張江さん自身はこれまで「本当の裏方なので」とほとんど表舞台に出てこなかった2017年に刊行した『ほんとにあった! 呪いのビデオ 恐怖のヒストリー』を懐かしそうに眺める張江さん。同書には74作目までのデータベースや歴代監督のインタビューが掲載されている。ちなみに張江さん自身はこれまで「本当の裏方なので」とほとんど表舞台に出てこなかった
「当時はホラーといえば夏が定番。でも、『一年中ホラーがあったらおもしろいかも』と、年間5本ずつ出すことにしたんです」

実際に『ほん呪』がリリースされると、ホラーファンを中心に瞬く間に話題を呼び、レンタルが異様なほど回転した。"呪いのビデオ"も視聴者から数多く送られ、多いときには月に20~30通の応募があったという。シリーズは完全に軌道に乗った。

「『このビデオ、大丈夫か?』と、本気で怖がっている人からハガキや電話をたくさんもらいました。それで『本作品はお祓いを済ませております』などのテロップも入れるようになったんです。それだけウケたことで、年間5本リリースする自信もつきましたね」

根拠のない自信はときおり降りてくるそう。張江さんは「百発百中とはいかないですけどね」と苦笑いしていた(笑)根拠のない自信はときおり降りてくるそう。張江さんは「百発百中とはいかないですけどね」と苦笑いしていた(笑)
『ほん呪』が始まる前年の1998年に映画『リング』が公開され、2000年にビデオ版『呪怨』がリリース。2000年代初頭から"ジャパニーズ・ホラー"ブームが到来する。張江さんの『ほん呪』に対する自信は、このブームを予見したものだったのだろうか。

「『ほん呪』に対しては、何の根拠もなく『いける』と思いました(笑)。僕も業界は長いので、独特の勘が働くんです。特に"逆風"の時ほど、よいアイデアが出やすい。僕の会社は大手ではなくインディペンデントですから、ここぞという時には勝負をかけなければいけません。

実は2000年代の韓流ブームが起こる直前にも、僕は誰もよりも早く韓流ドラマ・映画を日本に輸入しました。当時は心配しましたが、結果はご存じのとおり。ちょうど『ほん呪』の人気が落ち着いたころは、それこそペ・ヨンジュンに救われました。『ほん呪』も僕は自信がありましたが、社員は否定的で総スカンを食らっていたんですけどね(笑)」

■演出家が交代しても貫かれる『ほん呪』らしさとは?

張江さんは、『ほん呪』シリーズを製作・販売する会社の社長であり、演出やプロデューサーという立場ではない。本来なら張江さん自身は作品制作に関わらなくてもおかしくないはずだ。

「シリーズの企画者ですから、全作品でナレーション原稿やラフ編集の映像をチェックしたりしています。もちろん、映像全編を確認して最終的にジャッジもします。プロデューサーに『こういう切り口で取材を進めてみたら?』とアドバイスすることもありますよ。却下されてしまう場合も多いのですが(笑)。20代の頃、ずっと映画制作の現場で働いていたので、できるだけ現場に関わっていたいんです」

『ほん呪』は、数年ごとに演出家が交代するのも特徴だ。これには何か特別な意図があるのだろうか。

「このシリーズは年間5本のうち、夏は『夏の三部作』として3か月連続で出しています。そうすると、演出家の人たちが疲れちゃうんですね(笑)。1年も2年もずっと"呪い"について考え続けなければいけないわけですから。ヒットしているシリーズだというプレッシャーもあるでしょう。

ただ、『ほん呪』を辞めた演出家が、他社でホラーを作ったり、ホラーでない映画を撮ったりしているとうれしいですね。『ほん呪』が才能あふれる若い監督たちの登竜門になっているわけですから」

2019年には20周年イベントも開催。歴代の監督を務めた中村義洋監督、白石晃士監督、福田陽平監督、川居尚美監督、そして「ほん呪」好きで有名な小出祐介(Base Ball Bear)を招いて、作品の制作エピソードが語られた2019年には20周年イベントも開催。歴代の監督を務めた中村義洋監督、白石晃士監督、福田陽平監督、川居尚美監督、そして「ほん呪」好きで有名な小出祐介(Base Ball Bear)を招いて、作品の制作エピソードが語られた
演出家は変わっても、「『ほん呪』らしさ」はシリーズを通して守られているようにも感じる。張江さんが作品制作において大切にしているものとは何だろう?

「最後まで面白く観られることです。ホラーというと怖さを追求しがちですが、それだけだと面白くない。怖さや悲しさもあり、かつ喜怒哀楽の感情を呼び起こすものになっているといいなと思います。

ただ、それを演出家に強制することはしていません。それぞれの個性や感性で作ったほうがいいですから。演出家も『ほん呪』らしさを汲み取ってくれているので、うまくいっているのでしょう」

ブームになってしまったが故の問題も数知れず、その頃苦慮したことが今では良い思い出となっていると話す張江さんブームになってしまったが故の問題も数知れず、その頃苦慮したことが今では良い思い出となっていると話す張江さん
作品の中では、演出家をはじめスタッフが怪異に巻き込まれることも。張江さん自身は「そのような目に遭ったことはない」と話すが、シリーズ存続の危機もあったという。

「ある学校の怪現象について取り上げた時のことです。もちろん、特定できないようにしたんですが、たまたま『ほん呪』を観た人が気づいて学校に連絡してしまったんですね。『呪われた○○』って表現していますし(笑)。それで、教頭から呼び出されまして、『ああ、これでこのシリーズも終わりかあ......』と思いました。

でも教頭はとてもフランクな方で、理解もしていただけて、発売中止は免れました。『噂は知っていたけど、まさか作品で取り上げられるとは』とおっしゃっていました」

■100巻を超えた『ほん呪』の今後は?

現在、他社からも数多くの"心霊ドキュメンタリー"がリリースされている。その礎(いしずえ)を築いた張江さんは、現在の状況をどのように見ているのだろうか。

「とても喜ばしいことですよ。みんな『ほん呪』方式(怪異の映り込んだ投稿映像を紹介するスタイル)でやっているわけで、それ以上のものはいまだに出てきていないでしょう。それはつまり僕が24年前に考えたアイデアがよかったということですから。

他社の"心霊ドキュメンタリー"を観て『こんな斬新な切り口があったのか』と感心することもあります。ただ、あまりに怪奇現象の数が多すぎて、"八百万の神"とは言うけれど、『さすがにそれは嘘だろう!』と思ったりもしますけどね(笑)」

"心霊ドキュメンタリー"は世にあふれているものの、出来栄えは玉石混交で、消えていくシリーズも多い。そんななか、『ほん呪』は24年もの間、ヒットし続けている。その理由を張江さんはどう分析しているのか。

「やはり、演出家が有能であったことに尽きます。そして彼らが何年かごとに交代していったのがよかったのだと思います。演出家が変わると、作品のタッチも変わって、それまでと異なる怖さや面白みが出ます。それがうまくファンに受け入れられたのでしょう。中村義洋さん(『1』~『7』、『Special』、『100』を演出)、児玉和土さん(『22』~『41』を演出)や岩澤宏樹さん(『42』~『55』を演出)など、歴代の演出家それぞれのオリジナリティが加わることで『ほん呪』の世界を大きく広げてくれたと思っています」

記念すべき『100』は劇場にて現在、公開中。待ちに待った公開に、「ほん呪」ファンたちが連日訪れている記念すべき『100』は劇場にて現在、公開中。待ちに待った公開に、「ほん呪」ファンたちが連日訪れている
『ほん呪』シリーズは、最新巻『102』が8月4日にリリース。『103』も9月6日に発売を控えている。さらに記念すべき『100』は劇場で公開中だ。劇場版では、『1』~『7』と『Special』の演出を務め、『3』から最新巻までナレーションを担当している中村義洋監督が演出として再登板している。これにはファンも色めき立った。

「『100』は劇場公開しよう、そしてぜひとも中村さんに演出を引き受けてもらいたい、と思っていたので、実現できてよかったです。実は映画館にお客さんが来てくれるか不安でした。でもふたを開けてみると、連日満席で劇場の人もびっくりしています」

『100』では、『ほん呪』としては珍しい喜怒哀楽の「楽」を感じることができる。シリーズは新たな境地に達したともいえる。張江さんは『ほん呪』の今後の展望をどのように考えているのだろうか。

「仮に僕が社長を退いたとしても、誰かに続けてほしいですね。ホラーのありかたも変化していくだろうし、もっと大胆に表現してもいい。『こんなところに幽霊が出るわけないだろ!』という場所に出てくるとか(笑)」

張江さんの最も好きなタイトルは「ほんとにあった!呪いのビデオ special 5 」に収録されている「疾走!」だそう。「まだ見られていない人は是非見てください」とのこと張江さんの最も好きなタイトルは「ほんとにあった!呪いのビデオ special 5 」に収録されている「疾走!」だそう。「まだ見られていない人は是非見てください」とのこと
最後に『ほん呪』を観る人たちに向けてメッセージをいただいた。

「小学生の頃から観ている人もいてとても驚いています。『親子で楽しんでいます』とか。親子で観る作品かなあ......?とも思うけど(笑)。永くシリーズを続けていると、途中で離れてしまう人もいるかもしれませんが、ぜひ"卒業"せずに観続けてほしい。そして、『ほん呪』のファン同志で交流したりして、仲間をどんどん増やしていってほしい。そんなふうに想っています」

おわかりいただけただろうか。これまでほとんど語られることのなかったシリーズの舞台裏が少し明らかになったかと思う。

『ほん呪』は100巻を超え、ファンとしては今後も"呪いのビデオ"を観続けなければならない。張江さんのお話を聞いて、そんな使命感を抱いた。それは『ほん呪』シリーズがわれわれにかけた"呪い"、とでもいうのだろうか。

●張江肇(はりえ・はじめ) 
株式会社日本スカイウェイ代表取締役。20代 映画制作に関わり1981年東映ビデオに入社。同社企画制作部で活躍。1991年独立。同年、ビデオメーカー・日本スカイウェイ設立。邦画、洋画、韓国映画・韓国ドラマ、中国ドラマの配信、ビデオレンタル、及び映画配給

●劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100 
ビデオ作品としてリリースを重ねてきた『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズの記念すべき100作目。同シリーズの根幹を作った中村義洋が、構成・演出・ナレーションを務めることでも話題に。池袋シネマロサほか、全国順次公開中
公式サイト【https://honnoro100.broadway-web.com/