漫画家の猿渡哲也氏と俳優・歌手の小林 旭氏漫画家の猿渡哲也氏と俳優・歌手の小林 旭氏

無類の映画狂、漫画家・猿渡哲也が烈(はげ)しい人生を辿ってきた〝侠(おとこ)〟たちに肉迫。第一回は、およそ70年にわたり現役を貫く〝生ける伝説〟こと、俳優・歌手の小林 旭。命を懸けた現場、歴史に残るスターとの交遊、知られざる数多の逸話が今ここに!!

* * *

■本当は菅原文太主演ではなかった!?

猿渡 小林さんは、昭和30年代(1955~64年)の日活映画黄金期を支えた大スターですが、僕が一番衝撃を受けたのは、『仁義なき戦い』シリーズの3作目、『仁義なき戦い 代理戦争』(73年)での武田 明役です。ただ、そこまで出番は......。

小林 脇役でしたからね。

猿渡 でも、続く『仁義なき戦い 頂上作戦』『仁義なき戦い 完結篇』(共に74年・東映)では、主役級の扱い。後々その立ち位置にするという条件を提示されて、出演を決めたんですか?

小林 いや。もともとは、東映の俊藤浩滋さん(『昭和残侠伝』シリーズのプロデューサー)が昭和44、45年(69、70年)あたりに企画を持って、わが家に来られたんですよ。鶴田浩二、高倉 健、若山富三郎、そして俺の4人で正月映画を作りたいと。

で、その後に違う狙いのヤクザ映画を俺を頭にして考えてたらしいんだ、俊藤さんは。

猿渡 豪華メンバーですね。でも、その正月映画への出演の話を断ったそうですね。

小林 話の途中で〝面通し〟って言葉を俊藤さんが使われたんです。それが引っかかったんだ、俺としては。確かにその4人の中で俺は一番年少だったけども、昭和30年代の映画全盛期、互角に看板争いしてきたライバルというか、仲間だっていう自負があって。だから頑として断った。

ちょうど、『ついて来るかい』(70年)って曲がはやり出して、歌の仕事も忙しくなってたしさ。そしたら、俊藤さんも最後には「小林 旭は俳優やないわ! 歌うたいや!」って、怒って帰っちゃった(笑)。

猿渡 それがどうして出演することになったんですか?

小林 ある日突然、俊藤さんが日下部五朗(『仁義なき戦い』シリーズのプロデューサー)を連れてやって来たんだ。新しい狙いがあるからって。

『仁義なき戦い』(73年)で菅原文太が演(や)ってたのがまさにそうで、合点がいった。つまり、俺が4人の正月映画に出ていれば、その後に俊藤さんが俺で考えてくれていたのは『仁義なき戦い』みたいな路線だったわけだ。

でも、俺が蹴っ飛ばしたもんだから、文太に行って。結果的に文太に合ってたわけだから、それはそれでいいと思った。

猿渡 でも、俊藤さんたちは再び食い下がってきた、と。

小林 そう。要するに、いろんな組がうごめくところにスパイスみたいな感じで、ビシッと締める形で入ってくれと。で、笠原和夫さん(脚本担当)が書いてくる本を読んだら、面白くてね。

あと、やっぱり(美空)ひばりと一緒だった時期に彼女の親父代わりだった田岡一雄さん(山口組三代目組長)から「(俺は)あんたのおじきみたいなもんだ」と、盃(さかずき)を出されたわけだし、日本全国の親分衆とはようお付き合いさせてもらったんでね。

そこも、俊藤さんたちはわかってたからさ。「あんたが出てこないとダメなんや」って。

■「あんた、わしを演るそうだが、頼むわな」

猿渡 演じた武田 明のモデルとされる方とは、役作りとかで実際にお会いしましたか?

小林 うん、服部 武さんね。最初にお会いしたのは、大きなキャバレー。お客さんがみんなはけて、シーンとしててさ。暗がりの中で服部さんだけがスポットライトを浴びたかのようにハッキリ見えた。足が震えましたよ。

よく目を凝らしてみると、若い衆がずらっと並んでいて。すげえなって思った。で、話はすでにご本人に伝わっていて、「あんた、わしを演(や)るそうだが、頼むわな」と。

猿渡 震え上がりますね。

小林 後に、美能幸三さん(菅原文太が演じた広能昌三のモデル)ともお会いして。美能さんがその頃経営されてたホテルでディナーショーをやってくれと声がかかって。車椅子姿で、「わしも糖尿で足が利かんようになったからあかんわい」なんてね。でも、貫禄は十分、すてきな方でしたよ。

猿渡 実際にモデルとなった方々に会うって、貴重ですよね。

ちょっと話は横にそれますけど、『あゝ決戦航空隊』(74年・東映)で戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫さんを演じられてましたよね。やはりご本人には会われたんですか?

小林 もちろん。当時、児玉さんとは家が近所同士で。戦時中の武勇伝をたくさん聞いたよ。ネクタイとシャツも頂いてね。シャツはサイズが合わなかったけど、ネクタイを劇中で着用させてもらった。

猿渡 かけがえのないものですね、どの思い出も。

小林 やっぱり、田岡さんをはじめ、服部さん、美能さんにしても、組織を束ねる人間っていうのは、いろんな意味でスケールがデカい。知識は豊富、度胸もあるし。勉強になったね。

俳優・歌手の小林 旭氏俳優・歌手の小林 旭氏

猿渡 小林さんの演じる武田は非常にリアルで。忘れられないのが、『代理戦争』の病室でのシーン。病に臥(ふ)せているところに山守組長(演者は金子信雄)がやってきて、組の若頭を任せるとたきつけられて。いつもビシッとキマっているのに、髪の毛はボサボサ。あの姿はご自身のアイデアですか。

小林 病気で寝込んでるわけでしょ? 普通、手入れなんかしないわな。髪の毛は洗った後、そのまんま。で、撮影前日から一睡もせずに当日現場入り。

猿渡 だから、目がぼやけてたわけですか! めっちゃリアルでした。本当に具合悪そうで。

小林 現場では眠たさをこらえるのに必死だった(笑)。

猿渡 一転、組に復帰すると、サングラスにスーツ姿。衣装なんかもご自身の提案ですか?

小林 サングラスはね、作さん(深作欣二監督)の提案。「旭さん、目が優しいからなぁ。ちょっとサングラスかけてみようか」ってね。

猿渡 なるほど! あと、名場面とされる『頂上作戦』のラスト近くのシーン。粉雪吹き込む裁判所の廊下で出くわした武田と広能はふたりそろって素足に草履。武田が寒さこらえて足をくっと丸めるのは、これまた超リアルで。あの場面についてはいかがですか?

小林 やっぱり寒い所にいたら、自然とそうなるじゃない。で、作さんに足をこう丸めるのはどうかって見せたら、「ああ、画(え)が見えた!」ってね。だから、やたらと足のアップのカットが長いでしょ(笑)。

猿渡 確かに(笑)。

小林 でもさ、あれだけの群像劇だから、俺も参加する以上、際立つものをやらんといかんって思って。ただし芝居くさくならないように、本物っぽく演る。その努力は怠らなかったな。

■スタント失敗により35日間、昏睡状態

猿渡 リアリズムの追求といえば、日活でのアクションは基本スタントなし、ご自身でなさっていたそうで。

小林 そう、何回か死にかけた(笑)。『爆弾男といわれるあいつ』(67年・日活)のクライマックスシーンは新潟県の銀山湖(奥只見湖)のダムでさ。湖面から150mの高さ、その上にあるクレーンのてっぺんで立ち回り。

命綱なし、片手一本で細い欄干部分にぶら下がってたら、ちょうど溶接したつなぎ目あたりをつかんでたもんだから、折れかかってね。

猿渡 危うく落下ですよね。

小林 うん。あとは『黒い賭博師』(65年・日活)で玲子(演・冨士真奈美)を抱えてのアクション。2階から飛び降りトランポリンの反動を使って7mの高さの荷物の上に着地する流れでさ。

ひとり練習のときは難なくできたんだ。でも、実際彼女の代わりに重さ30㎏の人形を抱えて本番をやったら......重石を抱えてやってるようなもんだから、バウンドが想像以上で、荷物をはるかに飛び越えて墜落しちゃったんだよ。

落ちる寸前、セピアカラーの中で親父やおふくろ、兄弟たちが真っ白な顔で「あーっ」って言ってる映像が走馬灯のように見えた。いわゆる臨死体験ってやつだな。そこから35日間昏睡状態だったよ。

猿渡 まさに命懸けですね。だから、ジャッキー・チェンやジョン・ウー監督が小林さんを信奉するわけなんですね。

漫画家の猿渡哲也氏漫画家の猿渡哲也氏

小林 リアリズムでいえば、拳銃や刀なんかも、当時は本物を使ってたんだよ。

猿渡 え!?

小林 撮影になると、所轄の警察署の広報部が拳銃を茶封筒に入れて持ってきて。終わるとまた回収して帰ってくんだ。

猿渡 今じゃ考えられない話ですね(笑)。

小林 刀もさ、本身を使って。『縄張はもらった』(68年・日活)では、日野(演・宍戸 錠)を相手に竹やぶの中での立ち回りで本身を使った。3寸ちょっと(約10㎝)の短刀だから振り回せるんですよ。でも、錠さんは「いや~、怖(こえ)え」って、青ざめてたけど(笑)。

猿渡 それは怖いですよ(笑)。

小林 渡 哲也にも、現場で「旭さん、さっき俺のこと本気で殺そうと思ったでしょ」って言われたときがあって。俺は「当たり前だろ、バカヤロウ」って返した。やっぱり、真剣に殺すぞっていう気迫を出さなきゃ。俺らが全力でいかないと、お宝(お金)を持って見に来るお客さんに申し訳が立たないって思ってたよ、常に。

■今だから話せる裕次郎、ひばりのこと

猿渡 小林さんのお話を聞いていると、何事にも真摯(しんし)で、しかも豪気ですよね。プライベートもずいぶんとダイナミックだったんでしょうね。酒の席とか。

小林 うん、飲み出すと止まらなかった(笑)。勝(新太郎)さんは俺より年上なんで「てめぇ、生意気なんだ、この野郎」って、いつもね。でも、勝さんとの酒は、いい酒だったな。三船(敏郎)さんは酒の席で怒らせると大変だったけど(笑)。

裕ちゃん(石原裕次郎)は、一緒に飲むと必ずボトルは2、3本空いてた。途中でどっかに中抜けして、帰ってくると酔っぱらったフリしてさ。

で、俺が抱えて成城の自宅まで送り届けてた。あの頃は銀座で飲んでたりすると、ヘネシーの輸入元の社長が大きなボトルをプレゼントしてくれたりさ。粋な人がたくさんいたよ。

猿渡 また錚々(そうそう)たるメンバーですね。あと、冒頭でお名前が出ましたが、美空ひばりさんとの結婚はいかがでしたか?

小林 それこそ、きっかけをつくったのは集英社さんだよ(笑)。『週刊明星』のファン投票、男性と女性の1位同士の対談を組まれてさ。「あなた、恋人いるの?」って聞かれて、「いねえ」ってカッコつけて答えたんだ。

猿渡 普通、カッコつけるなら「いる」って答えませんか(笑)。

小林 いや、その頃、浅丘ルリ子と結婚秒読みとかって騒がれてて。いるとか言ったら、彼女に迷惑かかると思ってね。

猿渡 なるほど。そしたら、ひばりさんからの攻勢が。

小林 銀座で行く店、行く店、「加藤さん(美空ひばりの本名)という方からお電話です」って店の人に言われてさ。要は田岡さんのところの人たちが全部情報を伝えるわけだ。「小林旭、今、〇×って店にいます」って(笑)。

で、電話に出ると、付き人が「お嬢さん(美空ひばり)がごはんの支度をしてお待ちです。お願いします」と。で、だんだんと距離が縮まって、当時、四谷にあった旅館に呼ばれて。

にぎやかな宴会やってるなと思いきや、水原弘はじめ歌手が勢ぞろいで「よっ! 待ってました、若旦那」って。宴席の上座のど真ん中、ひばりとひばりのおふくろさんの間に席がひとつ空いてて。そこへ手を引かれて、まんまとね(笑)。

猿渡 力業というか(笑)。

小林 まぁ振り返ってみると、目まぐるしい人生だったな。

猿渡 でも、見た目が全然お若いし、現役バリバリですよね。僕、65歳になるんですけど、〝終活〟とか考え始めていて。

小林 まだまだ、これからだよ! 俺も2025年で芸能生活70周年になるけど、あと10年ぐらいは頑張りたいもんな。

猿渡 今日はめっちゃ励みになりました。親父が生きてたら、どんなに喜んだことか。「小林 旭に会うのか!」って。最後にお尋ねします。元気でいられる秘訣(ひけつ)ってなんですか?

小林 肉だな。脂身を全部そぎ落とした赤身。今も毎週5㎏手に入れて、一度に250gはペロッとね。それと、大好きな言葉が〝一生懸命無我夢中〟。がむしゃらに生きることさ!

●小林 旭(こばやし・あきら) 
昭和13年(1938年)生まれ、東京都出身。昭和30年(55年)、日活へ入社。以降、『渡り鳥』シリーズや"流れ者"シリーズなどで看板スターに。歌手としても『昔の名前で出ています』、『熱き心に』などが大ヒット。現在も、公式YouTubeチャンネル『マイトガイチャンネル』公式X(旧Twitter)【@mightyguy_akira】など、精力的に活動を続けている。

●猿渡哲也(さるわたり・てつや) 
昭和33年(1958年)生まれ、福岡県出身。『海の戦士』(週刊少年ジャンプ)で漫画家デビュー。格闘漫画『高校鉄拳伝タフ』『TOUGH』『TOUGH 龍を継ぐ男』のシリーズは累計1000万部超の大ヒット。