1983年7月15日。任天堂から「ファミリーコンピュータ」、通称「ファミコン」が発売された記念すべき日である。ファミコンが当時の社会や文化に与えた衝撃は大きく、その影響は40年経った現在まで脈々と受け継がれている。
あれから40年。新型ゲーム機や、それ以外の娯楽が数多く蔓延する中で、今なおファミコンを愛し続けている人がいる。芸能界屈指のゲーム好きで、ゲームコレクターとしても知られるゲーム芸人のフジタもそんなひとり。
今回はそんなフジタに、ファミコン全盛期の思い出とともに、彼の考える「ファミコンが現代社会に与えた影響」について語っていただく。前後編に渡ってお届けする。
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◆ゲームセンターが家に来た!
――本日はお忙しい中ありがとうございます。なかなか難しいテーマだと思いますが、フジタさんのファミコン知識を活かしてお話いただければと思います。
フジタ よろしくお願いします!
――まずお聞きしたいのは、当時ファミコンはどういった点が革新的だったんでしょうか?
フジタ 一言で言うなら、「ゲームセンターが家に来た」と言ってもいいくらいのクオリティでしょうね。当時は「Atari 2600」(アタリ/1977年発売)とか「カセットビジョン」(エポック社/1981年発売)とか、ファミコンより早く発売されていたゲーム機もいくつかあったんですけど、価格がすごく高かったり、キャラが点と線だけで表現されていてあまり面白いものではなかったりしたんですよ。でもファミコンの登場で、ゲームセンターレベルのゲームが家で遊べるようになった。もう一気に時代が進んだ気がしましたね。
ファミコン本体と同時発売だった『ドンキーコング』なんて、本当にゲーセンそのままでしたから。当時はアーケード版も人気で、中には筐体(きょうたい)を買う人もいたんです。たしか当時80万円くらいだったんじゃないかな。『こち亀』で両さんも買ってました(笑)。でも、ファミコンだったらゲーセンと遜色ないレベルのものが、本体約1万5千円、ソフト約4千円の合計2万円弱で買えたんです。
――フジタさんも『ドンキーコング』はやり込まれたんですか?
フジタ そうですね、メチャクチャ遊びました。とにかく当時のファミコンは品薄で買いにくかったので、デパートのおもちゃ売り場の試遊台に行列ができるくらいだったのを思い出します。『ドンキーコング』の次にやり込んだのは......『ドラゴンクエストⅡ』ですかね。ちなみに世間的に人気なのは『ドラゴンクエストⅢ』ですが、僕が一番好きなタイトルは『ドラゴンクエストⅣ』なんです。
◆「AI」が流行ったのはファミコンのおかげ!?
――初代『ドラクエⅠ』でも定番の『Ⅲ』でもなく、『Ⅳ』というのは意外ですね!
フジタ 小6の春休みかな。少しでも早く進めたくて寝ないでプレイしていました。なんといっても『Ⅳ』の魅力は、おそらく全ファミコンソフトの中で最も優秀なポーカーゲームが遊べる点ですね。ちょっと普通とは違う観点だと思いますが(笑)。
――えっ!? ストーリーでもキャラでもなく、カジノのポーカーですか?
フジタ そうです。あのポーカーは、ファミコンソフトの中で一番優秀な出来だと思いますね。ポーカーが遊べるソフトは結構あるんですけど、ダブルアップのあるポーカーって、おそらくそれまで一本もなかったはずです。
『ドラクエⅣ』と言えば、賛否は分かれますがAIが搭載されたのも注目ポイントですよね。当時としても画期的で、エニックスさん的にも勝負した部分だったと思います。オムニバス形式のストーリーも良かったし、音楽も外せない。テレビにラジカセを繋いでカセットテープに録音して、ウォークマンで聞いていた記憶があります(笑)。
――『ドラクエ』は音楽面でも革新的なことをやっていましたね。
フジタ ファミコンは容量が少なかったので、同時に鳴らせる音は最大で4音だけ。そんな中でいろんな工夫をして、多くの名曲を生み出したすぎやまこういち先生は、並々ならぬ努力をされていたと思いますよ。それこそ『ドラクエⅠ』でも、竜王の城を下りるとBGMがスローになっていくんですが、それだけの工夫なのになぜか怖さが増すという。
――大ヒットした『ドラクエⅠ』や『スーパーマリオブラザーズ』は、序盤から親切丁寧に作られていた印象もあります。
フジタ そう、今でいうチュートリアルのようになっていて。『ドラクエ』発売以後は、それを真似たようなタイトルもいっぱい出たんですけど、『ドラクエ』ほど親切なつくりではなかったものが多かった。ユーザーにお任せ的な要素が強くて。
――そういう意味では、今のオープンワールド系のタイトルに近いかもしれませんね。人によっては、オープンワールドは自由度が高すぎて苦手という人もいて。
フジタ それで言うと、『ロックマン』はどのステージからやってもいいというのが革新的でした。ステージの難易度やボスに有効な武器の相性がうまく作られていて、ある程度やり込める要素もあって、すごく出来が良かった。シリーズ的には『2』→『1』→『3』の順で好きかな。
――ちなみに、フジタさんが今でもプレイしているタイトルはありますか?
フジタ ファミコンはしょっちゅう遊んでいますが、最近やり直したのは『MOTHER』ですね。『ロックマン2』も定期的に遊んでますし、『スーパーマリオ』『スーパーマリオブラザーズ2』は日課みたいなものですしね。
――今でも新しい発見はありますか?
フジタ さすがに『スーパーマリオ』はほぼないんですが、今でもRTAの世界大会が行われていて、プレイヤーのテクニックはほぼ極まっています。そうなるともう、システムの穴を突くようなプレイが増えてくるんですよね。世界記録はクリアまで5分切るくらいなんですが、僕のクリアタイムも5分くらいにはなったんで、世界大会で戦えるレベルだと思います(笑)。さすがに100回くらいやって、ようやく1回出るようなレベルですが。
でも『アトランチスの謎』なら、世界ランカーとして戦えると思います。大会自体ほとんど見たことないですが(笑)。
◆職人が生み出した8bit音楽とドット絵
――音楽に話を戻すと、今ではオーケストラなどで演奏されるようになった「ゲーム音楽」も原点はファミコンになるのでしょうか?
フジタ いや、さすがに最初はアーケードでしょう。でもファミコンの音楽は使える音が限られているのに、印象に残るBGMが多いのがすごいですよね。初期はBGMがついている作品というのは一部だけでしたし、キャラの歩行音がBGM代わりになっていたり、あれもプレイヤーを飽きさせないような工夫だったんでしょうね。初期はクラシックや映画音楽のアレンジ曲が流れるパターンも多かったので、ゲーム音楽がオーケストラで演奏されるようになったのは文化の逆輸入現象とも言えるかもしれないです(笑)。
――ファミコンの特徴といえば、当時は当たり前だった「ドット絵」も、今では芸術といっても過言ではないですよね。
フジタ 確かにそうですね。「ATARI」はまだ頑張っていた印象がありますが、「カセットビジョン」なんかはほとんど棒が動いてましたから。今だとCGでドット絵「風」の画面は簡単に作れると思いますが、当時のドッターさん(※ドット絵を作る専門スタッフ)レベルの職人は、もうほとんど残っていないみたいです。当時は20代の若者でも、今は60歳を超えてらっしゃるでしょうし。
――ドット絵を作るのは大変な作業でしょうからね。
フジタ 目がやられそうですよね(笑)。例えば16×16マスの大きさの中で、限られた色を組み合わせて求められたものを作らないといけない。人によっては、ブラウン管テレビのにじみや人間の目の錯覚も計算に入れて描かれたものもあったようです。まさに職人芸ですよね。
――フジタさんがドット絵で印象に残っている作品はありますか?
フジタ ケムコのアドベンチャー三部作『ディジャブ』『シャドウゲイト』『悪魔の招待状』ですね。とにかく3作とも絵が綺麗で、特に『悪魔の招待状』に登場する、日傘をさした女性の幽霊の絵が綺麗で怖かった。
それ以外だと『悪魔城ドラキュラ』『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』あたりでしょうか。ドット絵はCGが主流になった現在でも再評価されていますし、現代の映像表現にも影響を与えていた...と言うとさすがに大げさかもしれませんが、少なくとも当時のクリエイターに何かしら影響があったのは間違いないでしょうね。
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●フジタ
グレープカンパニー所属のゲーム芸人。1977年7月21日生まれ、東京都吉祥寺出身。全所有ソフトは3万本を超える国内屈指のゲームコレクターで、独自の視点でゲームにツッコミを入れるネタのほか、日本全国でファミコンソフトを買い集めるYouTube動画も人気。近年は、認知症の父との確執に迫った『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)も話題に。
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