吉本新喜劇の座長を16年間務め、MCなどでも活躍する傍(かたわ)ら、「ゲスの極み乙女」のボーカルなどを務める川谷絵音(かわたに・えのん)がプロデュースする5人組バンド、ジェニーハイではドラムを担当。
そんな小籔千豊(こやぶ・かずとよ)さんが主宰する"音楽と笑いの融合"をテーマにしたフェス「KOYABU SONIC」はどのように始まったのか。そして、4年ぶりに復活する今回に向けた意気込みを直撃した!
■音楽活動の始まりは「ペニス」と100回言うラップ
――いつ頃から音楽に興味を持ったんですか?
小籔 19、20歳ぐらいのときからスチャダラ(パー)さんとか1990年代の渋谷系の方たちの音楽を聴き出して。ちょうどひとり暮らしを始めて、車の免許も取った時期だったので、FMで知ったアーティストのアルバムをカセットに落としてドライブ中によう聴いてましたね。
――そこから、音楽活動を始めるに至った経緯は?
小籔 まず2001年に吉本新喜劇に入るんです。それまでは漫才をやってたし、ラジオのレギュラーも3本ぐらいあったから、面白かった出来事やムカついたことがあれば、そうした場所で吐き出せていたんですけど、それが新喜劇に入った途端なくなって、セリフふた言だけの公演を1週間やり続けて。もうストレスで堪(た)まらんなって(苦笑)。
新喜劇やから、俺を評価せんくてセリフ少ないのはしゃあない。ただ、俺個人として「何か言わな気ぃ狂うわ」と思って、ほぼ同時期に新喜劇に入ったレイザーラモン(HG、RG)のふたりに「イベントやろうと思うねん」って伝えて。
そしたら「一緒にやらしてください」ってきたから「じゃあ3人でやろか」と。大衆向けの新喜劇とは真逆の「○○ポルノ」みたいなタイトルで、エッジの効いたコントやろうってことで「ビッグポルノ」というユニットを始めたんです。
――まずはコントのイベントを立ち上げたんですね。
小籔 そしたら、当時の(吉本の)社員から「どうせ客入らんやろ」とすごいバカにされて。コンビの頃は賞もいただいて評価されてたから、そんな仕打ち受けたことなくてむっちゃ腹立って。
その話し合いが終わってすぐに5万円で借りられる会場を見つけて「舞台監督も進行も知り合いの女のコがひとりでやるし、経費も安くいけるから」って見積もり出して説明したのに、素っ気ない態度やったんです。「コイツ絶対殺したんねん」って思て(笑)。
それでレイザーラモンのふたりに「おまえら、今バイトしてんな。辞めろよ将来。俺もバイトしてるけど、絶対金持ちになるわ」「俺ら3人で絶対1000人の前でやるぞ」って僕だけ熱なって。
あのふたりはそういう仕打ちに慣れてたから「はぁ......」みたいな感じでしたけどね。そんなときに、当時すごい人気だった同期の2丁拳銃から「大きい会場でオールナイトライブやるから出てほしい」って話が来たんです。
――まさに起死回生のチャンスですね。
小籔 夜中1時ぐらいに電話がかかってきて。聞いたら、「漫談、ひとりコント、弾き語りとかなんでもええから15分埋めてほしい」と。それで、どうせやったらビッグポルノの名前を広めるべきやと思って、3人でコントしようと思ったんです。
けど、FUJIWARAさんとか陣内(智則)さんとか人気者が出てる中に、新喜劇入りたての売れてない僕らがコントやっても印象に残らんやろうなと。
そのオールナイトライブ自体が、ネタもあるけど出演者が歌を歌ったりする音楽ライブやったから、「どうせなら『ペニス』って100回言うラップでも作って爪痕残したほうが、800人おるお客さんのうち3人くらいこっちに来てもらえるんちゃうか」と思って。
そこから、周りにDJやってる人とつなげてもらって曲を作っていただいて。「ここの部分がサビかな」とか言いながら手探りで歌詞を埋めていって、3人でネタ合わせみたいにむっちゃ練習して覚えて本番やったんですよ。
■コヤソニ開催の前夜「横で潰したろか」
小籔 一応、2丁拳銃と同期やし、会場のファンの方は僕のことを知ってるから、「手ぇ振ってくれ」みたいなこと言うとやってくれる。ただ、歌の途中でめっちゃ「ペニス」って出てくるから、だんだん顔が曇り出して(苦笑)。
歌いながら「スベったな......」と思ってたら、客席の奥のお酒を出すカウンターのところにおった男7、8人がめっちゃ腹よじらせて笑ってたんですよ。それを見て「よかったんかな」と思って。
次に僕らのイベントのエンディングでその曲を歌ったんです。まあ僕らのコントを見に来るお客さんやから笑いますよね。それで、毎回エンディングで歌うようになったんですけど、しばらくして「新曲ないんですか?」って聞かれて。
「じゃあ作るか」ってなって、次は「おっぱいの歌」、その次は「お尻の歌」「ヴァギナの歌」「金玉の歌」って作っていったら、曲数が増えてきて。ついには、コントの数を減らして曲を入れてて。イベントが音楽に侵食されていったんです(笑)。
――気づいたら音楽イベントになっていたと(笑)。
小籔 でも、お客さんはワーワー笑ってくれたので、「これもっと広めたいな」って思って。「でも、どうやってやろう」って悩んでるときに、自宅の下にあったコンビニに行ったら、『サマーソニック』ってポスターが目に入って。知ってるアーティストも知らん人も出てて。
すごい人やったんでしょうけど、僕は疎いので知らんかったから「出してぇや」と思って。吉本興業、協賛してるABCテレビ、キョードー大阪の3方向から融通してもらおうとしたんですけど、全部「あかん」となって。
後日、RGと酒を飲んでるときに「しょうもないわサマソニ」「横でコヤソニやって潰したろか」みたいな。出してもらえへん悔しさからくるボケですよね(笑)。そしたら、RGが「それ、できるんちゃいますか? 知り合いおるじゃないですか」って言ってきて。
最初は躊躇(ちゅうちょ)したんですけど、背に腹は代えられへんし、これで縁切れてもええわと思て、スチャダラさんにメールしたら「俺たちが出なきゃ始まらないっしょ!」って返事が来て。
次に曽我部(そかべ/恵一)さんに送ったら「ぜひお願いします!」と。うまくいきすぎて「ええの!?」みたいな(笑)。その流れで、スチャダラさんのライブの打ち上げでハナレグミさんを紹介してもらったりしながら、2008年の初開催に至ったんですよね。
――人脈と行動力でコヤブソニックが立ち上がったと。
小籔 スチャダラさんやハナレグミさんとかの力ですけど、3000人の前でやれるようになって。そんな大勢の前で「金玉の歌」を歌ってるときに、口からは下ネタラップ出てるんですけど、「見てるか、あのときの社員コラァ! ここまできたぞ!!」ってちょっと半泣きになっていました。
■ジェニーハイで揉まれ後輩に優しなりました
――音楽が好きになった頃から、お笑いと音楽の相性がいいなと感じていたんですか?
小籔 音楽はそんな詳しくないですけど、スチャダラさんとかの"おもしろラップ"を聴いたときに「芸人もラップやったらええのにな」とうっすら思ってたんですよ。
「音楽」から「面白い」に近づいていくものはあるんですけど、「逆に『面白い』から『音楽』に近づいていったら、おもろいもんができるんちゃう?」って。まさか自分がやるとは思ってなかったですけど。
――12年のコヤブソニックで「おもしろフリースタイルラップバトル」を企画したのは、ご自身がMCを務めていた『BAZOOKA!!!』(BSスカパー!)の「高校生RAP選手権」の影響ですか?
小籔 そうです。漠然と「海外の人がケンカの代わりにやる」ってイメージはありましたけど、その企画でちゃんとしたフリースタイルの文化を知って。
「うまいな」「すごいな」と思いながら見てたんですけど、1回目のときに言葉が出てこんくて「ドンマイ♪ ドンマイ♪ ドンマイ♪」って言う高校生がおって、めちゃくちゃ笑ったんですよ。
そのときに「これは芸人でやるべきや」と思って。最初はルミネ(theよしもと)でやったんです。ダイアン・西澤(裕介。現・ユースケ)とヤナギブソンとか、渡辺直美ちゃんと宇都宮まきとかをフリースタイルで戦わす、みたいな。それがめっちゃ盛り上がって、僕も腹ちぎれるぐらい笑って。
ラップがうまい芸人もいますけど、僕がやりたいのは「でけへんヤツらが変なケンカになるおもろさ」なんですよね。8小節を守らへんから、むちゃくちゃ長なったり短なったり(笑)、逆にうまいこといったときも笑けるし。
そういう笑える芸人のMCバトルは僕が最初やったと思います。あのときはまだ誰もやってなかったし。
――12年からドラムを始めたそうですが、ジェニーハイのメンバーになってから意識の変化はありましたか?
小籔 バンドを始めて大きかったのは「でけへんヤツの気持ちがわかった」ってことですね。今から振り返ると、僕、学生時代から何事も真ん中以下になったことなかったんです。
勉強も運動もそこそこ、部活もレギュラーになるぐらい、ゲームも一応うまいほうみたいな。割となんでもできたほうやったので、こんなに劣等感に包まれることがなかったんです。すごいそれが新鮮やし、ツラいですね。
川谷(絵音)Pにガッキー(新垣隆)、(中嶋)イッキュウさんは、バリバリのミュージシャンで、(野性爆弾の)くっきー!は芸人やしって思ったけど、よく考えればずっと音楽やってるし。ベースは初めてやるっていっても、基本的にはギターと同じやからホメられてるんすよ。
僕だけめっちゃ「ちゃうな」とか言われて、レコーディングも長いし、レッスンにもめっちゃ行くし。先生にも「外れてるわけじゃないけど、拍子に対して全体的に"後ろ"ですね」ってわけわからんこと言われて(笑)、それを理解するまでだいぶ時間かかる、みたいな。そんな感じでも基礎練習を続けたら、だんだんできるようになっていくんですよね。
その影響で、新喜劇でまったく才能ない後輩とかにちょっと優しなりました(笑)。昔はでけへんヤツの意味がわからんかったし、「なんでお笑いやってんの?」ぐらい思ってたけど。「あいつらってこんな気持ちやったんか」ってジェニーハイに入って痛感しましたね。
――音楽と笑い、どちらもやっていて思う共通点はありますか?
小籔 音楽とお笑いは基本一緒やと思っています。どちらも舞台の上で、お客さんを喜ばせて、「コイツらなんかええな」って思わせて、もっかい来てもらおうとするっていう作業。そのプレゼンの仕方が音源なのかネタなのかって違いくらい。
作曲したことはないですけど、曲もネタも、世間の想像の少し上を狙うというのも近いですよね。ベタすぎてもトガりすぎてもダメなところも同じやなあって。
――今回はジェニーハイだけでなく、千原ジュニアさんとフットボールアワーのおふたりと結成されたバンド「バレンシアガ」でも出演されます。
小籔 あの3人が大好きなブランキー(・ジェット・シティ)の曲をやるんですけど、レジェンドドラマーの中村達也さんのコピーってことで緊張しています。
ただ、(千原)ジュニアさんと岩尾(望)の上達ぶりを見に来るお客さんが多いので、変に失敗してあのふたりを邪魔せんようにちゃんとできたらええなと。たぶんバレンシアガは一度きりで解散するので、皆さんの印象に残るようなステージにしたいですね。
●小籔千豊(こやぶ・かずとよ)
1973年生まれ、大阪府出身。93年にNSC大阪校に入学し、お笑いコンビ・ビリジアンを結成。2001年に解散後、吉本新喜劇に入団。06年に座長就任、22年に勇退。17年にジェニーハイを結成し、ドラムを担当。現在は息子の影響で始めた『フォートナイト』にドハマり中