その芸風とは裏腹に、政治や社会問題に対して一家言ある"時事芸人"の顔も併せ持つ西川のりお師匠が、新たにYouTubeチャンネルを始動!
その経緯から、維新や万博で揺れる大阪の見方、今のお笑い界への思い、5月に逝去した上岡龍太郎さんなどについてたっぷり語ってもらった!
■なぜ大阪は維新と吉村を支持するのか
――まず、なぜYouTubeで政治を語るチャンネルを立ち上げたのでしょうか?
のりお もともと、BS11(イレブン)で政治ジャーナリストの鈴木哲夫さんと『西川のりおの言語道断』という政治家との対談番組をやってたんです。
その番組が終わってしばらくしたら、昨年末に鈴木さんから電話がかかってきて「死ぬ前に一度、のりおさんと一緒に政治のYouTubeをやりたかった」なんてオーバーなことを言うて。それでやることになったんです。
――のりおさんにご意見を伺いたいのですが、今の大阪は大阪維新の会がメディアを巻き込む形で局所的な人気を得ている印象を受けます。大阪在住の有権者として、この状況をどう見ていますか?
のりお まず説明せなあかんのは東京と大阪の風土の違い。東京は学歴とかその人の持ってるモノが好きなところなんです。
だから、芥川賞を取った石原慎太郎さんが大好きやし、カイロ大学を卒業していて『ワールドビジネスサテライト』をやってた小池百合子さんも大好きなんですよ。
一方で、大阪は違う。大阪府民は、維新が好きというより自民党が嫌いなんですよ。「自民党やから通る」みたいな考え方がイヤなんです。
だから今までの大阪府知事で、自民党からなった人は意外と少ないです。昔、横山ノックさんが知事になりましたよね? あの人はまったくの無所属で、自民党を敵に回したんです。でも、通った。
別に大阪府民はノックさんが政治家としてできるなんて思ってないです。ただ単に、あのときの選挙で、自民党が官僚の平野拓也さんを出したことに、「官僚が東京から来たら通る思てんねやろ? 大間違いやぞ、けったくそ悪い!」という大阪人の気質でノックさんを当選させたんです。
その後、ノックさんがあんなこと(強制わいせつ事件で有罪)になり、その数年後に橋下徹さんが登場します(当初は自民党系候補で当選したが、その後自らを党首とする地域政党「大阪維新の会」を設立)。
橋下旋風が起こった後、松井一郎さんになって、入れ替え選挙があり今の吉村洋文さんになりましたよね。つまり、自民党に対して「そっちの本部で想定していたようにはいかんぞ」と。大阪の小選挙区で自民が弱いのは当然なんです。つまりわかりやすく言うとね、大阪は阪神で東京はまさに巨人なんですよ。
――アンチ巨人と同じ意味合いで、アンチ自民ということなんですね......!
のりお だから、巨人対阪神戦に象徴されてるわけです。あれって東京と大阪が戦ってるわけですよ。阪神は大阪で絶大な人気ですやん。それが、今の維新であったり、ノックさんであったり、うちの師匠(西川きよし)なんですよ。巨人は球界の自民党なんです。
――結局、吉村人気というより構図として吉村知事の立ち位置が大阪人の気質にハマっちゃってると。
のりお そうです。「俺が票を入れたからおまえは政治家になったんやぞ」みたいなのが、大阪は大好きなんです。
――ちなみにのりおさんは、吉村知事を応援してますか?
のりお 僕は別に応援してません。でも、別に嫌いでもない。普通ですね。ただ、吉村さんがやったことで、都構想を2回繰り返したのはダメだと思います。あれはすでに住民投票で結果が出たことやのに、もう1回やったでしょ?
で、2025年には大阪万博やりますよね。正直言うとね、僕はやる必要ないと思うんです。なんでかって言うたらね、昭和45年(1970年)にも大阪で万博をやってるからなんですよ。
あのときの日本は高度成長期で、今みたいに携帯も何もなかった時代。すべてがびっくりやったんです。でも、現代はCGも出て、AIも出て、それらがもう僕らに身近でしょう。「いまさら人を集めて何を見せんねん?」と。
東京五輪も2回やって失敗やったでしょう。これから伸びていきそうな発展途上国とかやったら世界へのアピールという意味もあるだろうけど、もう博覧会やスポーツ大会をやって経済がどうのこうのって時代じゃないんです。それよりも阪神優勝のほうが経済効果ありますよ(笑)。
――ところで話は飛躍するんですが、のりおさんは政界への出馬を打診されたことは今までなかったんですか?
のりお 渡辺喜美さんと福島みずほさんからありました。ただ、僕はそのときにね、「2億出せ」って言うたったんですよ。
――2億円ですか!?
のりお うん。だって普通、ひとりの人間に2億も出さんでしょ?(笑)。あわよくばの感覚で「タレントやから、出たらひょっとしたら通る」ぐらいの軽い気持ちで依頼してるんやったら、それはごめんですよ。
僕としてもやる以上、本気でやりたいじゃないですか。選挙は金がかかるし、「ほんなら金出さんかい」いうことなんです。そこで「2億円出す」って言うたら僕としても「あ、本気やな」と思うんですけど、渡辺さんも福島さんも「冗談やない」みたいな顔になったんですよ。
それを見て、「俺はそれほどの価値はない人間やねんな」と。だから、出ませんでした。
■上岡龍太郎が横山ノックに詰め寄った夜
――5月に上岡龍太郎さんがお亡くなりになりました。実は、のりおさんは若い頃、漫画トリオ(横山ノックや上岡が所属したトリオグループ)に入りかけたという話を耳にしたんですが......。
のりお そうですねえ。あのときの横山ノックさんは選挙でスベって、「解散した漫画トリオを復活させたい」と動き出してたんです。で、当時の僕はまだのりお・よしお(西川のりお・上方よしお)を結成する前でね。
そしたら、ノックさんに「君、よかったら一緒にやるか?」と言われて。「やるんやったら、いっぺんうちの家に来い」と誘われて、ノックさんの家に行ったんです。一方、その頃の上岡さんは名古屋のラジオを中心に仕事をされてました。
で、3人でノックさんの家に集まって、ネタ合わせをしてみたんです。そうこうしているうちに、朝方の4時半くらいでしたかね。「記者会見どうする?」という話し合いが始まりまして。
――"漫画トリオ復活"の記者会見についてですね。
のりお 「え、記者会見? 新聞に載んの? 俺えらいことになるな。まだ、世の中に全然知られてへんのに」と思ってウキウキしてたら、上岡さんが突然ノックさんに「あんた、あのとき急に『解散や』って言うたやろ」と詰め寄り出したんです。
――1968年にノックさんが参院選で当選し、漫画トリオは活動停止したんですよね。
のりお 僕は「上岡さん、急に変なこと言うなよ」と思って。そこから、「あのとき、あんたに突き放されて俺がどんなことになった思てんねん。急に『選挙出るから解散や』言いやがって、俺は路頭に迷ったんや。
皆にそっぽ向かれて、名前も変えて、大してギャラももらえへんラジオの仕事しかない。大阪のラジオ局も使うてくれんかった」と。「あんた、俺がどれだけツラい思いをしてるかわかってるか? だから、先に俺は聞きたいねん。もう、選挙出えへんよな?」って言うて。そしたら、ノックさん黙ってるんですよ。
で、「いや、聞いてんねん。あんたがやりたかったら俺は本気でやる。ただ、あんたが次の選挙に出るまでの場もたせみたいなもんやったら、俺はやらんぞ。どやねん?」って。もう、朝の5時を回ってましたわ。
僕はその場で黙ってたんやけど、心の中では「別に選挙出てもええがな。ノックさんが次の選挙に出るまでの短期間でも、俺は世に出られるからやりたいねん。上岡さん、よけいなこと言わんでええのに」って思ってましたよ(笑)。
――のりおさんは、次の選挙があるまでの数年だけでもやりたいと(笑)。
のりお 上岡さんは「出んのか出ないのか、どっちや? はっきり言うてくれ!」って言うて。でも結局、ノックさんは「出る」とも「出ない」とも言わんかったんです。上岡さんは「言われへんいうことは、出んねんな? 『出ない』言わんいうことは、俺は『出る』と取ったで」と。
それで漫画トリオの再結成はお流れになったんです。その数年後、やっぱりノックさんは選挙に出ました。せやから、上岡さんの選択は間違ってなかったんです。
――そこでもし漫画トリオを復活することになったら、上岡さんが名古屋で開拓されたラジオの仕事は?
のりお なくなります。だから、上岡さんは冷静ですね。
――のりおさんにとっても、漫画トリオに入ってたら後ののりお・よしお結成は......?
のりお ないです。流れが違っていきますからね。
■漫才を採点すること自体がおかしい
――現在の賞レースが最重視されているお笑い界の状況をどうお考えですか?
のりお 僕は、漫才は競技じゃないと思います。だけど、吉本もホリプロもサンミュージックも芸人の学校をやってるでしょ? そしたら、落としどころがいるわけですよ。
自動車学校行ったら普通免許が取れるじゃないですか。料理学校行ったら料理うまくなるじゃないですか。「芸人学校は何になれる?」ってなりますよねえ。そこで、「『M-1グランプリ』に参加しなさい」となるんですよ。
でも、そもそも漫才を一発勝負で決めることがおかしい。漫才って、ウケたりウケなかったりするもんなんです。そのときの漫才に合うお客さんがいれば、合わないお客さんもいます。漫才師自身のコンディションもあります。10回出て10回ウケる漫才師なんて僕らのキャリアでもいないですよ。
自分の中で会心の出来と思える舞台は、ひょっとしたら2、3回かもわからないです。実際はそんなもんなのに、一発勝負で決められるわけがないんですよ。もし一発勝負でおもろかったとしたら、それは偶然なんです。
――バイオリズムの勝負みたいになってきますね。
のりお 僕は『M-1』は数年に1回やるくらいがいいと思うんです。毎年毎年、そんなおもしろい漫才師なんて出てこないですよ。
――一時期、「申年(さるどし)にブームが来る」みたいな説がありましたよね。漫才ブーム(1980年)もそうでしたが。
のりお 漫才ブームの頃の『THE MANZAI』は、コンクールちゃいますからね。パッと普通に出てネタやるだけですから。そもそも、漫才なんて採点したらダメですよ。笑いの好みって、人それぞれでしょ。もともとは好き嫌いで評価してたのに、ひとつの基準で採点し出すからおかしなことになるんですよ。
あと、なんぼ出場者より先輩だとしても、芸人自身が同じ芸人を審査してるのも僕としてはおかしい話なんです。自分自身も舞台に出てウケたりウケなかったりしてる人間なんですよ?
フィギュアスケートなんかでは違うじゃないですか。審査するのはあくまでも第三者的な人間でしょ。どっかの素人のサラリーマンとか主婦とか学生とかがやるんやったら、まだわかるんですけどね。
正直言うとね、今の漫才師は受験で合格する漫才を目指してるような印象です。もちろん練習してもいいんですけど、やっぱり漫才って"味"なんですよね。
同じ言葉でも「あいつがその言葉をしゃべったら、言い回しがものすごくおもしろい」とか。今は言葉にその人の説得力や深みがなく、ただ暗記してしゃべってるだけに感じるんですよね。
――今の中堅・若手勢で「いい線いってるな」という芸人さんはいらっしゃいますか?
のりお 難しいですね。
●西川のりお
1951年生まれ、大阪府出身。本名、北村紀夫。高校卒業前に西川きよしに入門し、1975年に西川のりお・上方よしおを結成。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)など多くのレギュラー番組を持ち、暴走キャラクターで人気を得る。アニメ『じゃりン子チエ』ではチエの父、竹本テツの声優を担当
■『のりおくんチャンネル~俺にも言わせろ!~』
政治や経済について、西川のりおが疑問や持論をジャーナリストの鈴木哲夫に投げかけ、彼の解説を基により深く掘り下げていくトーク番組