北野 武監督が1993年に発表した『ソナチネ』と同時期に着想され、長きにわたって温めていた本作『首』がついにベールを脱ぐ。
北野監督自ら羽柴秀吉を演じ、加瀬 亮が狂乱の天下人・織田信長を怪演。信長の跡目を巡り、さまざまな欲望と策略が入り乱れる究極の戦国エンターテインメントがとにかくすさまじい。北野版〝本能寺の変〟の話を、本人に聞いた。心して刮目せよ!
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■端から死ぬ覚悟があったんじゃないか、というかね
――原作小説の『首』(2019年 KADOKAWA)が出版された時点ですでに映画化を想定していたんですか?
「そうだね。映画の前にまず小説で試してみたかったというか。小説を書くにあたって資料収集したんだけど、当時の言葉遣いなどからいろいろ調べなきゃと思って。史実を踏まえて、不明瞭な部分や情勢などいろいろ調べて書き上げたんだけど、映画では戦国時代のどこに焦点を当ててどう切り取るのかを考えて。
信長は政権が短かろうとも天下を取るためには誰が死のうと関係なく、彼にとっては、もはや天皇だって関係なかろうし、誰よりも自分のほうが上で、大事で、第六天魔王に仏も糞もあるかっていうか!っていう世界に生きている。
ある意味、完全に頭いっちゃってるけど、そのくらいじゃないと小さな戦国大名があそこまで上がってこないだろうと思うんだよ。暴力的な広がりっていうか出世にしろ。
周りの、ある程度の地位にいる(明智)光秀とか、そのほかの戦国大名やなんかで殿様や将軍らについていった公家にとっても信長なんてのは強烈で、たまんなかったんじゃないかな。
要するに、官僚が優秀な反社会的勢力の下に入っちゃったみたいなもんでさ。
イケイケヤクザの下に官僚的なやつが来て仕事して、最後にもうだめだって思ってヤケクソになったんじゃないかって感じもあるけどね」
――演じられた羽柴秀吉については?
「秀吉ってのは信長みたく正統派な武士じゃなくて、そもそも戦国武将というよりも平民から成り上がっての武将なんで、当時の侍の作法やら、戦国時代の例えば介錯(かいしゃく)とか切腹とか、そんなことにはまるっきり無頓着というか興味ねぇっていうかね。
侍は殿様の代わりになって死んだりなんかしてるけど、秀吉の権力闘争にとってはそんなことさらさら関係ねぇってイメージで。小説書いたときにそう決めたんだよね。
しょせん、平民からのし上がった秀吉がやがて天下を取ったとき、それまでのコンプレックスを徹底的に覆い隠すみたく、信長の安土城よりも大規模で豪華なものにするように金箔瓦の大坂城とか黄金の茶室とか天正大判なんか、いろんなものをジャンジャン金ピカでつくっちゃってね」
――信長、秀吉以外のキャラクターもいい狂言回しといいますか、効果的な演出がなされていましたね。
「極力、戦国三英傑 (織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)にはあまり語らせずに物語のある程度の筋道を示すような、例えば曽呂利新左衛門(そろり・しんざえもん)やら元百姓の難波茂助(なにわ・もすけ)みたいな狂言回しのような配置を考えるのがなかなか大変だったね。
例えば曽呂利新左衛門って、秀吉に御伽衆(殿様や藩主らに侍じした雑談相手)として仕えたといわれる芸人の設定なんだけど、本編では意図してボケるわけでもなく、至って普通にひょうひょうと演じてもらったんだ。
曽呂利ってなんかひと癖もふた癖もある芸人で、節目節目の場面でいかようにも動くキャラクターって感じはうまく演出できたと思ってる。
待ってましたのベテラン俳優の大芝居なんかも盛りだくさんで(笑)。そこらへんの熱もすごかったね。
キャスティングする側として考えなきゃいけないのは、演じる上で、役者の見た目っていうのはそれほど関係なくて、『あんなノーマルな見た目の人が、どうしてこんなに怖い空気を醸し出すんだろう?』っていう演出やら見せ方ができれば良質の画(え)なんだよね」
――加瀬 亮さんの信長像、強烈でしたね。
「基本的に信長のイメージって、今も若い世代とかのいろんな役者が演じてるけど、総じて彼らはやっぱりカッコいいじゃない。だけど絵で見る信長ってのはなんだかチンケな、ねずみ男みたいな感じじゃない。おそらくそんなもので、実際の人物像というのは、身長にしろ160㎝前後の小男だと思うんだよ。
ただもうあの時代の人間性として人の生き死にということに関しては全然平気で、切腹だとか介錯にしても人の命、特に一般庶民の命なんかなんとも思ってない。と同時に自分も端(はな)から死ぬ覚悟があったんじゃないか、というかね」
――槍(やり)や鉄砲を使わないだけで、政界の縮図のようで、現代の政治の権力闘争ともなんら変わりないとも感じます。
「『首』は、時代劇らしき衣装を身につけ、時代劇の映像として槍とか刀を持ってるけど、けっこうある部分、ひねくれたヤクザ映画にもなってんだよね。だから、結局人間の本質的な出世とか暗躍とか寝返りとかって、そうしたものはほとんど昔から変わってないんだろう。
というか、裏切りとか陥れる闘争の末に権力ってものが恐ろしく肥大していくんだろうけど、権力闘争ってものは何百年たっても同じようなもんだよね」
――撮影にあたって意識されたことは?
「撮影監督(カメラマン)と照明技師ってのは、いうなればパートナー同士みたいな関係でね。カメラマンによって当然、色合いとかベーシックに構えたときの画角が違うし、サイズとかアングルとかトリミングにそれぞれのセンスが出るんだ。
最初にカメラを覗(のぞ)いた枠の構図はカメラマンなんだけど、色合いを決めるのは照明技師という具合に。
当然、カメラマンによってその人のセンスやら癖があるわけなんだけど、言われたとおり撮ってしまうと自分の思う感覚の画が流されちゃうんで、監督やる人はカメラマンの癖に早く気がつかないとだね。まぁ、これまでもずっとわかってたことなんだけど。
もちろん、カメラマンの用意した画角をそのまま使うこともあるし『そこは違うな』という場合も当然あって、やはりカメラマンによって個性はだいぶ変わるよね」
――今後の北野映画の可能性は?
「映画製作の概念を少し進化させたようなイメージで、例えば、ある映画はみんな大好きで、大ヒットして、誰でも知ってるようなタイトルだと仮定する。
その作品のファーストシーンからラストシーンまで仮に30分割とかにして、それぞれのシーンをビンゴゲームみたくシャッフルさせて、1シーン、19シーン、5シーンという具合に偶然出てきた数字をそのまま並べて映像をつないでいく。
つまりデタラメな編集になるんだけど、そもそも観客はストーリーをわかってるわけだから、シャッフルさせた映像を見る人が頭ん中で整理するっていうのかな。
20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックらがキュビスムってやってんだけど、あの感じを映画においてやってみるってのも面白いかなと思って。
昔、時系列を逆向きに進行させた『メメント』(2000年)って映画もあったけどね。頭ん中で、ちょっとした映画に対する冒険のような意味合いでやれたらとも思ってるんだ」
●『首』
2023年11月23日(木・祝)全国公開!!
天下統一を掲げる織田信長(加瀬 亮)は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい戦いを繰り広げていたが、その最中、信長の家臣・荒木村重(遠藤憲一)が反乱を起こし姿を消す。信長は明智光秀(西島秀俊)、羽柴秀吉(ビートたけし)ら家臣を一堂に集め、自身の跡目相続を餌に村重の捜索を命じるが......。
製作:KADOKAWA 配給:東宝 KADOKAWA ©2023 KADOKAWA ©T.N GON Co.,Ltd.
●北野 武(きたの・たけし)
『その男、凶暴につき』(1989)で映画初監督。以降『3-4x10月』(90)、『あの夏、いちばん静かな海。』(91)、『みんな~やってるか!』(95)、『キッズ・リターン』(96)と続けて作品を世に送り出し、『HANA-BI』(98)は第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したほか、国内外で多くの映画賞を受賞。『菊次郎の夏』(99)、日英合作『BROTHER』(2001)、『Dolls』(02)に続き、『座頭市』(03)は第60回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。以降『TAKESHIS'』(05)、『監督・ばんざい!』(07)、『アキレスと亀』(08)、バイオレンス・エンターテインメント『アウトレイジ』シリーズ3部作(10,12,17)などを監督。『首』は6年ぶり、19作目の監督作品。