赤嶺総理。『ONE PIECE』が大好きで、コミックスにイラストが掲載されたことも 赤嶺総理。『ONE PIECE』が大好きで、コミックスにイラストが掲載されたことも

神保町よしもと漫才劇場で異彩を放つ女性ピン芸人がいる。その名も「赤嶺総理」。ネタは主にフリップネタだが、彼女が一番得意とするのは「大喜利」。フリップネタはもちろん、大喜利回答にも独特の視点があふれていて、誰しもが容易に想像できるのに、誰も思い付かない回答ばかりだ。

そんな赤嶺総理の独自の視点の源は、中学・高校生時代に愛読していた『週刊少年ジャンプ』の読者投稿ページにあるという。そこで今回は彼女を集英社にお呼びし、ハガキ職人時代の思い出を振り返りながら、一般人でも役立つようなアイディアの出し方、発想力の鍛え方についてもうかがっていく。

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読者投稿にハマっていきなり優勝!

――総理、と呼ばせていただきますね(笑)。総理のフリップネタや大喜利の回答の原点が、ジャンプの読者投稿ページにあるとお聞きしたのですが。

赤嶺 はい、そうなんです。中学生の頃から現在まで毎週ジャンプを買っていて、今でも大好きな『ONE PIECE』を始め、『ボボボーボ・ボーボボ』とか『魔人探偵脳噛ネウロ』とか『BLEACH』とか、とにかく全部の作品が好きでした。当時は時間が有り余っていたので、ハシラ(雑誌の端のスペース)とか隅々まで読んでたし、沖縄出身なので懸賞の当選者が載ってるページの「沖縄県」の欄に「友達載ってないかな」って探したり。マンガ賞の寸評のコメントまで全部読んで「松井優征先生はコメントでこんなことまで言ってくれるのか」とか、全ページ読んでました。

それで、当時の読者投稿コーナーの「じゃんぷる」も読んでいて、いつしか「自分も送ってみたいな」と思ったんです。というのも、入賞したらゲーム機がもらえると書いてあって(笑)。それでゲーム機目当てで投稿を始めました。

そしたらその最初に送ったハガキが採用されて、当時は初掲載の人は500円分のクオカードがもらえて「50円のハガキを送ったら500円になったぞ!」と味をしめたのがハマるきっかけでした。中3なので、14歳だったと思います。

赤嶺総理のジャンプ初掲載ネタ。週刊少年ジャンプ2005年23号「じゃんぷる」より 赤嶺総理のジャンプ初掲載ネタ。週刊少年ジャンプ2005年23号「じゃんぷる」より

――ジャンプの読者投稿ページの採用倍率は結構高かったと思いますけど、最初から素質があったんでしょうか。

赤嶺 どうなんでしょう(笑)。絵を描くのが好きで、「爆笑オンエアバトル」とか「内P(内村プロデュース)」とかお笑い番組を観るのも好きで、その両方を注ぎ込めるものとしてたまたま読者投稿があったんです。私がネタを送り始めたのが「じゃんぷる」の最終レース(2005年)で、翌年から始まった「ジャンプ魂」に一番よく投稿してましたね。

――で、総理のすごいところが、そのまま「ジャンプ魂」の初代チャンピオンになってしまうところで。

赤嶺 運がよかったです。そこからすっかり読者投稿にハマってしまって。(当時のジャンプをめくりながら)あっ! 脇くんの広告(俳優・脇知弘が載っているテアトルアカデミーのオーディション広告)だ! 懐かしい~! 脇くんネタは投稿ページとかマンガで相当使われたんですよ。

こういう間の広告とか、一番後ろに載ってた筋トレグッズの広告とか、王道のバトルマンガとか学校が舞台のマンガとかから「少年マンガあるある」や「学生あるある」を相当吸収しましたね。

――少女マンガではなく少年マンガだったんですね。

赤嶺 いや、「りぼん」「なかよし」「ちゃお」「マーガレット」とかは通りましたし、特にCLAMP先生の作品が大好きなんですけど、当時の少女マンガ誌ってイラスト投稿コーナーはあってもネタを投稿するようなページはなかったと思います。

――なるほど。ハガキ職人時代の思い出は?

赤嶺 やっぱりジャンプを買ったら、真っ先に一番後ろから読んでたことですね(笑)。あとは、掲載されるためのコツをつかもうとしてたとか。「すでに載ってるものと似たことをしちゃダメだな」とか、「自分が送ってボツになったのと似たようなネタでも、言い回しがうまかったり短かったり、研ぎ澄まされてるものが載ってるな」とか、そういうものは自然と学んでいきました。

2005~2006年はコウメ太夫さんとか(レイザーラモン)HGさん、長州小力さんらがテレビによく出てたんですけど、そういう流行っている方たちをネタに使うノリがあったので、どう取り入れたら採用してもらえるのかとか、こういう使い方をすれば他人とカブらないなとか。私が好きでよくやってたのは、全然関係ないネタにそういう芸人さんの顔を描くとか。そういう自分なりのコツをつかもうと、自分なりに頑張ってたのも思い出です(笑)。

あと、2コママンガの1コマめが用意されていて2コマめを考えるコーナーでは、2コマの蝶の絵を点描でめちゃくちゃ綺麗に描いてみたりして。そこまでしなくてもいいような、無駄かもしれない労力を注ぎ込んでましたね。

ザリパイ(アメリカザリガニ平井)が描いた1コマめに2コマめを描き加えるコーナーでは点描で大賞を獲得。週刊少年ジャンプ2012年7号「ジャン魂G!」より ザリパイ(アメリカザリガニ平井)が描いた1コマめに2コマめを描き加えるコーナーでは点描で大賞を獲得。週刊少年ジャンプ2012年7号「ジャン魂G!」より

――「ジャンプ魂」の初代チャンピオンになった当時の感想って覚えてますか?

赤嶺 本誌に載る前に、たしか井沢さん(井沢どんすけ・ジャンプ魂の構成担当)か担当編集の中路さんから電話がかかってきたんです。でも、東京の集英社からいきなり電話がかかってきて「優勝です」って言われても実感がなくて、急には喜べなかったんですよね(笑)。なぜか明るく喜べなかったのを今でも覚えています。

その後に沖縄まで来てくれて、取材したり首里城の前で写真を撮ったりしてくれたんですが、母さんが心配だからって一緒についてきてくれました(笑)。

週刊少年ジャンプ2006年29号「ジャンプ魂」より 週刊少年ジャンプ2006年29号「ジャンプ魂」より



週刊少年ジャンプ2006年31号「ジャンプ魂」より 週刊少年ジャンプ2006年31号「ジャンプ魂」より

感情のフックを持っておく

――その後、読者投稿はいつまで続けるんですか?

赤嶺 優勝したのが高1の時で、その後は大学受験があったりして送ったり送らなかったりの波があって、上京のタイミングで辞めちゃったんですよね。でも、『ケータイ大喜利』(『着信御礼!ケータイ大喜利』NHKの大喜利番組)やラジオに投稿するようになって。

ラジオはいまだに大喜利色が強いコーナーにこっそり送ってますし、高校の時は俳句部に入ってて、俳句も好きなので、自由律俳句のコーナーに投稿したりもしています。俳句と大喜利って結構似ている部分があるんですよ。日常の隅っこに目を向けるところとか、写真を見て俳句を詠むこともあるんですけど、大喜利の「写真で一言」を考える時の視点の動き方と一緒だし。

――ジャンプの読者投稿から始まり、全部「言葉で遊ぶこと」で繋がっているんですね。

赤嶺 そうですね。全部根幹では繋がっていると思います。小中高と図書委員で本を読むのも好きだったし、マンガも好き、言葉を扱うのもずっと好きですね。

――先ほどお話のあった「日常の隅っこに目を向ける」とか、投稿のために面白いネタを溜めるというのは、意識的に行っていることなんですか?

赤嶺 中高の頃は、見つけたあるあるネタとか、流行ってる芸人のフレーズを小さなノートにメモしたりはしてました。今も「大喜利でこのロゴをうまく描けたら面白そうだ」みたいなものは描き留めたりしますけど、ネタを覚えておく、っていうのとは少し違うんですよね。

覚えておくというよりも、「なんかこの感情好きだな」っていうフックをしっかり持っておく、みたいな。私は特に「ほっこり」と「切ない」という感情が好きで、そのフックを持っておくようにしています。

例えば「遊園地」というお題が大喜利で出たとして、たぶん一般的には「観覧車」とか「ジェットコースター」とかそういうところに目が行くと思うんですけど、「ほっこり」とか「切ない」の感情のフックを持っていると、「小さな子供用のパーツのでかい乗り物」とか「休憩中の着ぐるみの中の人」とか「おみやげ売り場で売れ残ってるおみやげ」とか「遊園地のそばの小さな公園」とか、そういうところが引っかかるんですよね。過去に訪れた遊園地で、自分の感情がちょっとフワッと動いたところに意識を持っていく。そうすると、面白ネタをフレーズで覚えていなくてもスッと回答できるんです。

――例えば「お弁当」で言ったら、「食べられずに残ってるバラン」的なことですか?

赤嶺 今パッと浮かんだのは、ご飯に漬け物の色がちょっと移ってるシーンですね(笑)。

――(笑)。その独特の視点はどこから来てるのでしょう?

赤嶺 ひとつは私が内向的な性格だから、というのもあると思います。たぶん遊園地なら「ジェットコースター」とか、お弁当なら「唐揚げ」に目が行く人は、もっと明るいところにいる人で。そういう人が唐揚げをガーッと食べながら「次は何しよう?」って考えてる横で、私はお弁当を食べながら、割り箸の袋に書かれたちょっとした一言をずっと読んでたり、紙のおしぼりがちょっと分厚くてうれしいと思ったりしています(笑)。もちろん明るくてそういう視点を持ってる方もいますけどね。


母の影響で絵が好きになった赤嶺総理。「ジャンプ魂」からはネット投稿も可能になったが、ハガキ大の紙にネタを手書きし封書で送る投稿にこだわっていた 母の影響で絵が好きになった赤嶺総理。「ジャンプ魂」からはネット投稿も可能になったが、ハガキ大の紙にネタを手書きし封書で送る投稿にこだわっていた

大喜利ができるなら芸人でも裏方でもいい

――そんな内向的な赤嶺総理が、表舞台に立つ芸人になろうと思ったのはなぜですか?

赤嶺 高校を卒業するくらいの時に、芸人か作家さんになろうと思ったんです。それはたぶん「内P」の影響が大きくて、「危機的状況回避大喜利」っていうコーナーがあったんですけど、それを見て「大喜利ってなんて楽しそうなんだ」って思ったし、さまぁ〜ずの大竹さんのように普段はおとなしそうな人でもあんな面白いことができるのかって思ったんですよね。大学生になってからは、ピースの又吉さんとかにも同じことを感じたし。

それで、通っていた沖縄の大学を3年で中退して、1年バイトでお金を貯めてNSCに入学しました。

――NSCで印象的だったことは?

赤嶺 NSCでも大喜利の授業があって、講師があの木村祐一さんで。木村さんからお題が出て、みんな手を挙げるんですけど、もうその手の挙げ方から大喜利が始まってるんです。元気よく全身で「ハイハイハイ」って叫ぶ人がまず当てられて、私なんかそんなんじゃ埋もれてしまうからノートに手を描いてそれを無言で掲げたりしてなんとか当ててもらえて。そういうのも読者投稿と同じで、周囲を見ながら自ずと学んでいきましたね。

――当時からピン芸人だったんですか?

赤嶺 もともとコンビでネタをすることに憧れてNSCに入ったので、当時はコンビを組んでコントをやってました。でも2年くらいで解散して、以降はずっとピンでやっています。プロになってからは渋谷の∞ホールの所属になって、今は神保町漫才劇場の所属です。

――その一方で、作家としても活動されていて。

赤嶺 作家と芸人の活動の比重は半々ですけど、収入としては9:1で作家のほうが多いですね。いろいろな芸人さんのネタ作りを手伝ったり、ウェブアニメの台本を書いたりもしています。それも『ケータイ大喜利』の繋がりで紹介していただいたお仕事で、昨日もライブと作家仕事の締め切りが3つ重なったりとか、ひっそりと小忙しくしています(笑)。

――目指す芸人像というか、芸人なのか作家なのかも含めて、総理が目指している方向性はどこなんでしょう?

赤嶺 一番やりたいことは大喜利なので、大喜利ができるなら芸人でも裏方でもいいと思っています。もっとたくさん大喜利の場にいたい、というそれだけですね。主催の大喜利ライブも定期的にやってるんですが、大喜利ライブってなかなか観に行こうって思わせにくいんですよね。

――「今度お笑い観に行くか」って思った時に、どうしてもネタのライブのことを考えちゃいますよね。そのライブのいちコーナーとして大喜利があるかも?くらいの印象で。

赤嶺 そうなんですよね。でも大喜利ライブって実はすごく面白くて、その時限りの回答があったり、他の出演者をイジる回答とか、人の回答を活かして流れが生まれたり。あとその日起きた時事ネタを取り入れたお題とかもあって、本当にその時だけのナマの面白さがあるのが魅力で。

出演側としては、手ぶらで何の準備もナシに行けるというのも大きいですね(笑)。ネタだと、その人の見た目とか性別とかがアドバンテージになることが割とあるんですけど、大喜利は、みんな同じ紙とペンを持って、ひとつのお題が与えられて、っていう条件のもとでやるので、自分では変えられないものによる差が小さくなる。だからみんなで同じ遊びができるんだと思います。

今YouTubeで話題になってる「大喜る人たち」っていう動画チャンネルは、プロもアマも関係なく一緒に大喜利をするんです。あと、「タカサ大喜利倶楽部」っていうザ・ギース高佐さんの動画チャンネルは、「どういう大喜利をするか大喜利」をずっとしていますね。

だから誰でもできる遊びを、ギスギスせずに誰とでも楽しめて、単純な楽しさも実験的な楽しさも味わえる。そこが大喜利の大きな魅力だと思います。

根っからのジャンプ好きである赤嶺総理。自身のネタが掲載されているジャンプを見て、当時の連載陣の話を熱弁 根っからのジャンプ好きである赤嶺総理。自身のネタが掲載されているジャンプを見て、当時の連載陣の話を熱弁

――最後に、そんな大喜利好きの総理に聞きたいんですが、一般人でも発想力を鍛える方法ってありますか?

赤嶺 社会で役に立つかは分からないですけど、ひとつは「最初から最後まで細かく想像する」ということですね。さっき言った「遊園地」が大喜利のお題だった時を例にすると、いきなり遊園地に行って遊ぶんじゃなくて、「遊園地に行く前日」から考えて、「外観」「入場料」「受付」「遊び終えて出てきた人」......そういうところも全部細かく考えます。時間経過を考えて、夕方や夜になったら見え方が変わるな、とか、遊びに来てるお客さんだけじゃなく従業員の視点でも考えてみようとか。

そして、自分が大喜利をたくさんやってきたからか、過去の自分が出した答えがその光景のそこらじゅうにあるので、そこの近くやそこ以外を見てみる。そういうことをやっていくと、自分が考えたことのない視点の角度が増えて、新たな発想が生まれる。もしかしたらそういうことは他の仕事とかでも役に立つかもしれないですね。

――常識の外のことを考える、ということですかね?

赤嶺 外というより、「普段見てないところを見てみよう」ですね。視界に入ってはいるけれど見てはいないところを見てみよう、っていう。新しいお題になるたびに想像の中でうろうろキョロキョロしています(笑)。

それから大喜利力を鍛えると、人間関係にも活かせるかもしれないです。ムカつくことがあった時でも、その相手がなぜそういう嫌なことをしたのか勝手に想像して、勝手に自分の中で許してみたり(笑)。社会だったら、「面白い上司になれる」というよりかは「面白くない上司にならない」ようにはできるとかですかね。

私自身、人間関係がそんなにうまいほうではないんですけど、大喜利力を活かせる場面はいろんなところであるんです。

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■赤嶺総理(あかみねそうり) 
吉本興業所属、沖縄県出身の女性ピン芸人。NSC東京校19期生。2014年からコンビで活動し、2016年からはピン芸人として活動。現在は神保町よしもと漫才劇場所属。フリップネタ、大喜利を得意としており、構成作家としても活動している。 
X:https://twitter.com/akaminesouri

酒井優考

酒井優考さかい・まさたか

週刊少年ジャンプのライター、音楽ナタリーの記者、タワーレコード「bounce」「TOWER PLUS」「Mikiki」の編集者などを経て、現在はフリーのライター・編集者。

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