インタビューマン山下いんたびゅーまん・やました
1968年、香川県生まれ。92年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも17年に芸人を引退し、ライターに転身。21年、芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している
昨年12月に『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の企画として開催された 『スベリ-1 GP』。"日本一ウケない芸人"を決める前代未聞の賞レース王者・エンジンコータローを直撃!
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――『スベリ-1 GP』優勝おめでとうございます、と言っていいかわからないですが......(笑)。
エンジン 芸人仲間からLINEをもらいましたけど、「おめでとうございます(?)」って「?」が入ってました(笑)。
――現場の雰囲気はいかがでしたか?
エンジン お笑いの大会が始まるときって、ネタの前にMCの芸人さんが会場を温めるじゃないですか。でも、『スベリ-1』はものすごい緊張感の中、アナウンサーの方が出てきてすぐ始まりました。スベる要素しかないというか。
――会場の空気のせいにしてませんか?(笑)。ちなみに披露したネタは普段のライブではウケているんですか?
エンジン お客さんが僕のことを「とっぴなネタをする人」とわかってくれている場合はウケますね。
――条件付きですが、ウケていると。放送後の世間の反響をどう受け止めていますか?
エンジン 「スベリ芸人」という烙印(らくいん)を押されたので、その印象ばかりだと思っていたんですけど、意外とSNSで「おもしろいぞ」みたいな反応もあって救われました。
――〝推薦人〟としてネタを見ていた芸人さんからは「何を言っているかわからない」という声も上がっていました。
エンジン SNSでは、「よくわからない状態」になったときに「エンジンコータローじゃないんだから」という言い回しをしている人がいました。
――「わからない」の比喩に使われてますやん(笑)。放送後、お笑いライブに出演したそうですが、お客さんの反応はいかがでしたか?
エンジン 反応は普通に良かったですね。ネタ中に靴のヒモがほどけたので結び直したんですけど、それでちょっとウケました。
――お客さんは今までより増えましたか?
エンジン 3人でした(笑)。
――ちなみに、『スベリ-1』にエンジンさんを推薦したモグライダーとは、同世代で友達だそうですね。
エンジン はい。放送はされなかったんですけど、ネタばらしのときに芝(大輔)君が出てきて、「なんか言わなあかん」と思って、「久しぶりやな......芝君」って言ったんです。でも、芝君は仕事モードで「次の展開どうしよう」って感じで......。
それで下を向いてうなだれていたら、芝君の靴が目に入ったんです。「売れたらええ革靴を履いているな......」と思いましたね。
――『スベリ-1』と対極の『M-1グランプリ』(朝日放送)は見ましたか?
エンジン 見ました。お笑い界の天井の大会ですよね。
――慶應義塾大学のお笑いサークル出身の令和ロマンが優勝しました。エンジンさんも大阪芸術大学の落語研究寄席の会出身ですが、彼らのネタはどう感じましたか?
エンジン 最近の学生お笑い出身のコらのネタはよくできているんですよね。僕らの世代は、そんなスルスルときれいなネタはできなかった。今のコらはみんなきれいなネタができるけど、できすぎるがゆえに、個性が見えなかったりするんです。
――聞いといてなんですが、誰が言ってるんですか!(笑)
エンジン だから、ものすごく言いづらいんですよ(笑)。もちろん、令和ロマンや真空ジェシカぐらいまでいけば、学生お笑い出身でも個性がありますよ。
――エンジンさんがおもしろいと思ったネタは?
エンジン さや香が最終決戦で披露した「見せ算」ですね。自分たちのやりたいことをとにかく冷静にやろうとしていた。僕からしたら、「え、これでウケへんの?」って感じで。「最終決戦で何を言い出してんねん」「ちゃんと聞かんとわからへん」というネタだったので、僕はすごくシンパシーを感じました。
――大阪芸大の落研出身者には、ミルクボーイ、ななまがり、空気階段・鈴木もぐらさん、オダウエダ・植田紫帆さんがいて、賞レース王者を数多く輩出しています。
エンジン 僕が大学4年生のときにミルクボーイのふたりが1年生でした。当時から、ほぼ今のような雰囲気の漫才をしていて、1年生なのにめちゃくちゃウケていましたね。
――植田さんは「大阪芸大落研の礎を築いたのはエンジンコータローさんです」とXでポストしていましたが、本当ですか?
エンジン それはちょっとよくわからないです(笑)。植田さんが熱くなりすぎたんですかね? 僕は落研を1年ちょっとで辞めてるんで。
――え? そうなんですか?
エンジン 辞めたんですけど、部室には入り浸っていたんです。あと、落研とは別に僕が立ち上げた「芸大漫才」というフリーライブにも、ミルクボーイは出てくれていて。
その「芸大漫才」というライブ名だけがそのままずっと継承されていったので、そのことを知っている植田さんが「礎を築いた」と書いてくれたのかもしれません。
――大学卒業後は大阪で活動していたそうですね。
エンジン はい。現在、「ネコニスズ」というコンビで活動している舘野(忠臣)君と落研で出会って、「野球家族」というコンビを組んでいました。それで吉本のライブのオーディションを受けていましたね。
――成績はどうでしたか?
エンジン 3、4年チャレンジしたけど全然受からず、2010年に上京してマセキ芸能社の預かりになりました。
――そこでモグライダーと出会ったと。上京後の13年間でチャンスはありましたか?
エンジン なかったです(笑)。
――今回がテレビ初出演ですか?
エンジン 初ではないです。『全力! 脱力タイムズ』(フジテレビ系)のエキストラで、何人かいる記者役のひとりとしてテレビに出ました。
――それはカウントしないでくださいよ(笑)。
エンジン ネタをやったのは今回が初めてです。
――今後の活動については?
エンジン 基本的にはライブ中心にやっていきたいです。今年の『R-1グランプリ』にも出場したんですが、1回戦敗退でした......。ちなみに、これまでずっと全1(全大会1回戦敗退)です。今年は『スベリ-1』で僕に興味を持ってくれた人たちにネタを届けていきたいと思っています。
1968年、香川県生まれ。92年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも17年に芸人を引退し、ライターに転身。21年、芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している