小山田裕哉おやまだ・ゆうや
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。
よゐこの有野晋哉さんがレトロゲームに挑戦するCSフジテレビONEの人気番組『ゲームセンターCX』が昨年11月、20周年を迎えた。
公式YouTubeチャンネルの開設、1万5000人を集めたさいたまスーパーアリーナでの記念イベント、新作ゲームの発売など、ファン待望の企画が目白押しの20周年イヤーについて、有野さんにたっぷり話を聞いたインタビューの前編をお届けする。
――『ゲームセンターCX』は昨年11月、ついに20周年を迎えました。振り返っていかがですか?
有野 有難いけど、そんなにやってる実感はないんです。でも、スタッフは入れ替わっているから、イベントでみんなに会うと時間が経った事が分かる。みんな偉くなっていますし、毛量が減った人もいるし、太ってる加賀(16代目AD)もいる。
――20年って言うと、番組が始まったときに生まれた子どもが成人するほどの年月です。
有野 イベントやると元スタッフがお子さんを連れてくるから、それ見て、「大きい!」って驚く。笹野(2代目AD)のところが一番大きいのかな。さいたまスーパーアリーナでも来てました。もう笹野より大きいやんって。あと10年前の映画(『ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック』)では、東島(初代AD)のお子さんにも出てもらいましたね。そこで初めて長い番組やなって思います。
――それこそ、「子どもの頃から観ていました」と話かけられることも増えたのでは?
有野 小さい子は任天堂のYouTube「よゐこの○○で○○生活」の方が言われるかな。「課長!」って呼ぶのはやっぱり大人のほうが多いですよ。でも、親の影響で有野課長好きに育てられた女子高生とかもいますからね。グレてない良い子が多いです。
――今や家族ぐるみで観るコンテンツにもなっているから、昨年10月のたまアリ公演に1万5000人も集まったんでしょうね。
有野 当日会場見た時は、「こんなに埋まんの?」って話してたけど、始まってみたら、「埋まった!課長凄い!」って思いましたね。
――今でこそゲーム実況のイベント自体は珍しいことではないですが、有野さんが最初にやったときは「ゲームをやるだけでイベントになるの?」って衝撃を受けたのを覚えています。
有野 ですよね!もっと言ってください(笑)。もうみんな感覚が麻痺してんですよ。2006年に初めて、一ツ橋ホールでやったときは600人程やったかな。それも好きな人だけ集まってくれる。クリアして奇跡って言われたもん。失礼な話やで。
――まだYouTubeが日本上陸すらしていない時代ですから、間違いなく「ゲーム実況」のパイオニアですよね。ちなみに、初めて人前でクリアに挑戦したときって、どんな感覚だったんですか?
有野 この「挑戦部屋」と同じでうれしい。ただ、失敗したら、「なんでそこでジャンプしちゃうんですか」とかスタッフに怒られる、それがイベントだと大人数の怒号と落胆。でも、クリアした時の歓喜も堪らない。
――人前だとプレイに集中できないとかもなかった?
有野 それはYouTuberと課長の違いじゃないですかね。僕は何度も舞台に立っていたから、集中はしてるけどお客さんとの掛け合いもする。みんな課長の腕前を知ってるから、良い所見せよう!って緊張もない。
大人数の前でやるのは楽しいですよ。ここもそうですけど、学生の頃に友達んちに集まっている感じ。みんなワイワイRPGやってて。「そこで薬草使え!」って気づいた奴が言う。今回はその友達んちに1万5000人集まったってだけ。まあ、よゐこライブでも経験してなかった動員数ですけど(笑)。
――学生の頃に戻れる感じは今もある?
有野 ありますね。僕は下手やったから、人がやってんのを応援する係でしたけど。下手くそ!って言われんのがイヤで。プレイは上手いやつに任せて、自分は観ている側でした。でも、この番組やっていて思いますけど、プレイが下手な人のほうが観ている側は盛り上がるみたい。
――応援する側も熱が入りますしね。
有野 でも、僕は上手くなりたいんです。「このラスト1機で決められたらカッコええよな」とか思ってやるんですけど。
――あ、そういうことは思っている。
有野 思ってるわ!でも、出来ひん。最後きれいに終われたのって、この20年で5回もないんちゃうかな。ただ不思議なことに、「クリアできませんでした」っていう回のほうが記憶に残ったりするんですよね。20周年のイベントでも失敗して。いやあ、1万5000人の怒号はひどいもんでした(笑)。
――今回のイベントは、10周年の武道館での有野さんの発言(「今度(イベントが)あったらスーパーさいたまアリーナでやります!」)が10年越しに実現したものでした。ただ、今回はさすがに、「次は東京ドームだ!」とは言わないでくれと事前に注意されたそうですね。
有野 「フリじゃないですからね!」って言われて。「あ、ほんまのやつね」って(笑)。
――その代わり、「次は全国ツアーだ!」とおっしゃって。
有野 以前、20周年博覧会を全国5カ所でやってて、各地のお客さんが、「たまアリ行きます」って言ってたから、今度はこっちから行きたい!って言っちゃった。盛り上がったなー。終わってすぐ、「無理です」ってスタッフに怒られたけど(笑)。
――コロナ禍が収まったので、今後は再び海外ロケもあるかなと思っているんですが。
有野 行きたいですね。
――有野さんが行ってみたいところは?
有野 僕、ずっとオーストラリアに行きたいって言ってるんです。見たことないゲームがありそうやから。でも、プロデューサーは、「勝手に行ってください」って(笑)。僕が行ってみたいところは却下される。20年経っても思い通りにならない番組です(笑)。
――20年を振り返った話もお聞きしたいのですが、『ゲームセンターCX』って、もともとは「挑戦」がメインの番組ではなかったですよね。
有野 ゲームを作るクリエイターのインタビューがメインの番組でした。
――でも、それが次第に「挑戦」だけの番組になっていきました。その変化を有野さんはどう感じていたんでしょう?
有野 当時のCSが1シーズン10回ごとの放送やったから、「次のシーズンどうする?」ってなったときに、「とりあえず『挑戦』だけでやってみましょう」となって。次のシーズンにはインタビュー番組に戻るんだろうって。気づけば27シーズンまで来ました。
実際、2シーズン目の途中で、プロデューサーから、「どうします?」って聞かれたんですよ。挑戦できるタイトルを10回分確保していなくて、このままやるなら収録しながら探すけどって。でも、それまでが楽しかったから、僕も「やっちゃいましょう」と言うて。
ただ、DVDが出たときは、「挑戦企画一本でいけんねや」とは思いました。「面白い番組ですよね」って話しかけてくれる人も、「挑戦」のことばかり言うし。ニーズがあるなら番組は合わせたほうがいいですからね。クリエイターインタビューより反響があった。
――それだけ当時の「挑戦」に対する人気はすごかったんでしょうね。
有野 たしか当時のスタッフが2ちゃんねるの反響を全てプリントアウトして持ってきたんですよ。「普通は否定的な意見ばかりなのに、肯定が多くてすごい」って。
――それ、読んだんですか?
有野 「読みます?」って聞かれたけど、絶対イヤやって断った(笑)。タウンページくらい分厚い量。そんでDVDを出すとなって、宣伝のためにイベントを始めたんじゃないかな。
――それがどんどんエスカレートしていって、たまアリまでたどり着いた、と。ただ、スタッフが歌や芝居を披露するっていうのも、番組のイベントとしては珍しいですよね。
有野 悪ふざけですよ。どこで歌い出したんやろ?
スタッフ 「24時間」のときです。
――2009年8月ですよね。日テレの『24時間テレビ』の裏でCS史上初の24時間生放送をして。エンディングでは7代目ADの中山さんが番組オリジナル曲の『ラストコンティニュー』を歌っていました。
スタッフ 多分、『サライ』を意識したんじゃないですかね。
有野 そうか。本家の裏だからね。
――ゲーム番組でその発想もすごいですけどね。
有野 毎年の恒例イベントにしたかったのかもしれないですね。でも実際に24時間やってみたら予想以上にしんどかったので、もうやってません(笑)。本家はいろんな番組をつないでやるけど、こっちは一つの番組で24時間やから、スタッフも大変でした。
――でも、そこで生まれた歌が番組の象徴となり、後にはこれもスタッフが歌う『戦え! 課長ファイター』というアンセムも誕生しています。今やイベントに欠かせない要素となりましたが、有野さんもゲーム以外のことをやってみたいと思ったことはありますか?
有野 ないよ。ゲームしかしたくない(笑)。何かを練習して、それを披露してくださいってなったら、プレイに集中できひんと思います。
――有野さんにはプレイに集中してほしいから、その他の部分はスタッフが担うことになった?
有野 そういうのもあるんでしょうね。でも、イベントで出てもらう元スタッフは、テレビの世界から離れている人も多いから、演出の意図とズレてしまうこともあって。
たまアリでいうと、初代ADの東島が最初にプレイして失敗して、有野課長が登場!東島のリベンジを!って流れは分かるのに、東島が頑張りすぎて見事クリアしてしまった(笑)。
――有野さんが出る前に達成感が生まれてしまった。
有野 裏からずっと見てたんですけど、「あいつなにしてんねん!」って(笑)。
――昔のテレビって、視聴者がスタッフのことを知っている番組も多かったじゃないですか。
有野 そうそう。とんねるずさんのとか。裏方さんを放送に出すっていうね。
――それで視聴者が番組そのものにも愛着を持ちやすくなっていたんだと思うんですが、『ゲームセンターCX』はまさにそれをやっていますよね。だから、「スタッフに会いたい」っていうファンも多いのでは?
有野 そうなんですよ。何度か年末にやった秋葉原のスタンプラリーなんて、有野課長は行きませんからね。スタッフからスタンプをもらうためにたくさんのお客さんが来る。タレント抜きで番組イベントが成立するんだって驚きました。
――演者としては複雑だったり?
有野 そら嬉しいです。辞めたスタッフも手伝いに来てくれるし。写真撮ってファンサービスもしてくれる。それを僕はSNSで見てるだけ。
――たくさんの番組に出演されていますが、そんなことは珍しい?
有野 普通は嫌でって辞めていくから(笑)。でも、この番組は「イベントやるでー」って言うたら遠くからわざわざ来てくれる。で、一曲歌って帰る。
――(笑)。
有野 不思議ですよね。番組は好きやけど、業界が疲れたのかな。
――有野さんにとって、この番組の皆さんはどういう存在ですか?
有野 学校っていうより、近所の友達みたいな感じです。年齢関係なく話せる感じ。スタッフも楽しかったから来てくれるんだろうし。ただ、こんな現場は異質です(笑)。
――『ゲームセンターCX』はテレビ業界のスタンダードではない。
有野 演者とスタッフが一緒にゲラゲラ喋りながらご飯食べる番組は、ほかにないですよ。理想の距離感やけどね。
――スタッフの熱唱がイベントの恒例になることもないし。
有野 でも、石田プロデューサーが歌うとイベントが締まるんですよ。
――たまアリでも最後に『戦え! 課長ファイター』を歌っていました。会場の一体感がすごかったですね。
有野 でも、センターで歌ってるのは石田P。課長は手拍子だけ。変な番組やね。
◆後編は2/18(日)13時配信予定です。
■ニンテンドーDSで発売された「ゲームセンターCX 有野の挑戦状」と「ゲームセンターCX 有野の挑戦状2」が『ゲームセンターCX』20周年を記念し、1つのソフトになってリマスター! Nintendo Switch向けソフトとして2月22日(木)に発売!
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。