『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はバラエティでも活躍するレジェンド・手島優(てじま・ゆう)さんの前編。
手島さんは幼い頃より女優を目指し、10代の頃からドラマのエキストラなどで活動。2004年、ファーストDVD『INPULSE』でグラビア活動をスタートさせる。2008年に「日テレジェニック2008」に選ばれるほか、『ゴッドタン』『ロンドンハーツ』など人気バラエティにも出演。タレント・グラビアアイドルとしての人気を不動のものに。『週刊プレイボーイ』には2010年11号(3月1日発売)に初登場。以降、9回にわたってグラビアの誌面を賑わせた。
昨年、結婚・出産し、現在はマイペースで芸能活動を続けている手島さん。今回はそんな彼女のデビューまでの経緯や初グラビアの思い出などを聞きました。
ーー「初グラビア」に関するお話を、その前後とあわせて伺っています。手島さんは小さい頃、ずっと女優志望だったそうですね。
手島 そうなんです。テレビっ子だったんですよ。それで物心ついた頃から芸能界に興味を持つようになって。特に一色紗英さんに憧れ、自分も女優になりたいと思うようになりました。
ーー一色さんかわいかったですよね。それで劇団に所属を?
手島 はい。仲のいい友達に「劇団のオーディションがあるから一緒に受けない?」と誘われて。思い切って応募したら合格! 地元・栃木から東京まで通い、舞台中心に活動するようになりました。
ーー小さい頃から水泳もやっていたんですよね。しかもジュニアオリンピックの候補生だったとか。
手島 自由形の選手でした。中学までですけど、めちゃくちゃ本気でやってましたね。
ーー劇団に入って、水泳でも大活躍。もちろん学校では人気者?
手島 生徒会の一員でもあったし、目立っていたと思います。小学校の卒アルの「将来、芸能人になりそうな人ランキング」で一位も取ったし(笑)。でも普段は地味にしていましたよ。当時、地元にはヤンキーが多かったんです。生意気だと目をつけられたら終わり。自分からは目立たないようにしつつ、でも明るく振る舞ってました。
ーー男子にはモテました?
手島 どちらかいえば女子にモテたかな。あ、でも高校の時は学校で一番人気の男のコと両想いになりました。まぁ、「芸能人=スキャンダルNG」だと思ってたのでそんなに入れ込まずに終わりましたけど。恋愛はデビューしてからは大爆発しました(笑)。
ーーその後もずっと劇団に?
手島 高校から芸能事務所に所属しました。やっぱりテレビに出たかったんですけど、「テレビ」であれば劇団員より芸能事務所所属のほうがいいと聞いて。雑誌に載ってた事務所のオーディションを片っ端から受けて、小さいところに入りました。仕事はドラマのエキストラがメイン。芸能人を間近で見て「すげ~、私も頑張るぞ~!」と燃えまくっていました。
ーーそんな女優になるため燃える手島さんがなぜグラビアの世界へ?
手島 事務所の社長が「女優をやりたいなら、グラビアをやって名前を売った方が早いよ」って言葉を鵜呑みにしたんですよね(笑)。
ーーなるほど。そもそもグラビアを見たことは?
手島 ありました。当時、井上和香さん、小池栄子さん、MEGUMIさんら胸の大きな方たちがバラエティに出たり、女優をやったりして人気だったんです。自分も胸が大きいから同じ枠でやっていけるんじゃないかって(笑)。
ーー手島さんも当時から胸が大きかった?
手島 父親の家系の女性が全員ダイナマイトな体型で、その血をひいたみたい。水泳を辞めた後、膨らんでいって、高校生でFかGはあったと思います。朝、電車でも「お!ボイン来たよ!」みたく言われたりしたし(苦笑)。
ーー胸の大きな方の多くは学生時代、コンプレックスだったと聞きますけど、手島さんは?
手島 全然。私自身、胸の大きい芸能人が好きなんで、「やった! 自分も大きくなったぞ! みんな見て~!」って感じでした(笑)。
ーーグラビアという仕事とは出会うべくして出会ったのかも。最初の水着仕事というと?
手島 正直、曖昧なんですけど、21歳頃に出たDVD(『IMPULSE』2004年)かな。媒体やDVDメーカーに顔見せに行きまくり、やっと決まって。でも顔見せはしんどかったですね。「顔が無理」とか「胸の大きい子はたくさんいるから」とか散々なことを言われました。それこそプロフィールを目の前で捨てられたこともあるし、いまじゃダメだと思いますけど、破られたことも。思わず「見てろよ! いつか見返してやる!」って思いましたけど、やはり相当凹みましたよね。
ーーそれはキツいです......。DVD出演が決まったときは?
手島 もうめちゃくちゃ嬉しかったです! 決まった瞬間、「よし、売れたぞ!」ってガッツポーズしました。当時「デビュー」=「売れる」だと思っていたんです。今思えば、勘違いもはなはだしいですけど(笑)。
ーーあははは。撮影の思い出は?
手島 よく覚えてないけど、終始楽しかった記憶はありますね。確か沖縄ロケかな。嬉しかったのはヘアメイクさんが付いたこと。ちゃんとメイクしてもらうのも初めてだし、何より私にひとりつくわけじゃないですか。おー! なんだか芸能人みたい! って思いました。
ーー芸能人「みたい」って(笑)! 水着になることへの抵抗は?
手島 ゼロです(きっぱり)。もともと水泳をやっていましたし。しかもビキニなんて競泳水着に比べ、パットは入ってるし、ハイレグでもないし、カワイイもんですよ。それにグラビアをやると決めた時からカラダは作っヒモていたので自信もあったし。現場ではあまりに楽しすぎて、「肩ヒモを外しましょうか?」なんてカメラマンさんの指示以上の露出を自分から提案しました(笑)。
ーー手島さんはその後もDVDをコンスタントに出していきます。どの作品も好評で、かなり順調だったんじゃないですか?
手島 順調といえば順調だけど、楽ではなかったです。次作を出せるかどうかの時「前作より露出がないとダメだけど頑張れる?」みたいなことはよく聞かれました。
ーーそれで変わった衣装を着たり?
手島 変わった衣装ばかりです(笑)。
ーー面積の小さいビキニとか?
手島 「小さい」じゃなくて「なかった」です(笑)。ニップレスだけとか指で隠すとかザラで。当時のグラビアDVDって「何を使ってを"隠せるか"大喜利大会」で、今思えば意味不明な競い合いがあったんです。日用品で隠したり、遠近法で隠したり。普段から「あのコ、今回は"シジミ"で隠してたね」みたいな会話をスタッフさんとよくしていました(笑)。
ーーシジミ!? どんどんエスカレートしていったと(笑)。
手島 そう。私自身も何より少しでも売れたいし、無我夢中だったから後先考えずなんでもやりました。いやー、本当によくやったよ(しみじみ)。
ーーそんな中、2004年に『週刊ヤングジャンプ』のケータイサイト『ケータイヤングジャンプ』の読者投票企画「ぷるるん選手権」に出場。見事グランプリを獲得しましたね。
手島 「有名雑誌に出られるかもしれないよ!」って事務所に言われて応募したんです。で、撮影現場に行ったら、有名なグラビアのコが何人もいるんです。これは絶対に勝てないと思って、周りが普通のカワイイ水着を着る中、私だけ露出多めの衣装に挑戦しました。
ーー露出多め? 一体、何を着たんですか?
手島 カーテンの紐を巻き付けました(笑)。そうしたらそれがめちゃ受けちゃって結果、なんとグランプリ!! やったぞ~! って。でも本音を言うと悲しかったんですけどね。私だけなぜここまでしなきゃいけないのかと思うと。それにやった後の後悔もあったし。
ーーあの姿が世に出るのか、みたいな?
手島 そうそう。でも後で聞いた話だと他の事務所の人が「ウチもカーテンをやればよかった」って悔しがってたそうなので、スッキリしましたけど。
そもそもグラビアに出るコはみんな可愛いし、スタイルもいいんです。所属事務所も大手だったりするし。一方で自分にはそれらが全部足りない。であればそのコらと同じことやっても絶対ダメなんですよね。印象に残ることをやらないと埋もれちゃう。そうだ。私はインパクト勝負なんだな! ってその時、思いました。ちょっと反則だったかもだけど、勝ったわけですからね。
ーー以前、顔見せで無下にされた雑誌の編集やDVDメーカーの人に「どうだ!」って思ったんじゃないですか。
手島 めっちゃ思いました(笑)。何より嬉しかったのは読者が認めてくれたこと。自信になりましたよ。そして知名度を上げれば自分はもっと上に行けるはず、やるぞって気合いが入りましたね。
【後編は3月17日公開予定】
●手島 優(てじま・ゆう)
1982年8月27日生まれ 栃木県出身
身長165cm B95W58H86
○10歳で劇団に入り、芸能活動を開始。2008年よりプラチナムプロダクションに所属し、グラビア、バラエティなどで活躍。現在は矢口真里とYou Tube『やぐてじチャンネル』の配信も精力的に行なっている。
公式X【@piyoteji】
公式Instagram【@tejimayuu0827】