『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はバラエティでも活躍するレジェンド・手島優(てじま・ゆう)さんの後編。
手島さんは2004年、グラビア活動を開始。2008年に『ゴッドタン』『ロンドンハーツ』など人気バラエティにも出演し、タレント・グラビアアイドルとしての人気を不動のものに。一昨年に結婚・出産を経験し、現在はマイペースで芸能活動を続けている。
前回はそんな彼女のデビューまでの経緯や初グラビアの思い出などを聞きましたが、今回は『週刊プレイボーイ』の初登場グラビア(2010年11号)の思い出や、グラビアへの熱い想いをたっぷりと語ってもらいました。
ーー2008年に手島さんは所属事務所をプラチナムプロダクションへ移籍します。大きな転機になったと思いますが、それはどんな経緯で?
手島 それまで所属していた事務所が解散するというので、知り合いを通じて紹介してもらいました。プラチナムには若槻千夏さんが所属していて、大好きだったんです。ずっと前から入りたい事務所だったので、決まったときは本当に嬉しかったです。胸の中でガッツポーズしちゃいました(笑)。
ーー当時のプラチナムには若槻さん以外に、女優の岩佐真悠子さんや「日テレジェニック」(日本テレビのイメージガールプロジェクト)のメンバーでもあったグラビアアイドルの愛川ゆず季さん、相澤仁美さん、木口亜矢さんらが活躍していました。入所した手島さんも後を追うように、「日テレジェニック2008」を受賞し、グラビア誌の表紙や誌面を飾るなど活躍します。
手島 正直、びっくりしましたね。「事務所が変わるとこんなにも違うのか」って。どんどん仕事が決まっていくんですよ。しかも以前、塩対応だった媒体関係者の対応も180度、違うんです!
ーー前回、媒体に顔見せに行って「目の前でプロフィールを捨てられた」ってお話しされていましたよね。
手島 そう。あと「廊下の端っこに座って待ってて」と言われたこともありました。廊下の端っこって何もない......つまり"床"。そこで待っていろと! で、移籍した途端、ちゃんと椅子が用意されている! もう人間不信になりましたよ!
ーー床から椅子って、リアル『芸能人格付けチェック』の世界ですね(笑)。とはいえ、仕事で呼ばれたら、嬉しいわけでしょう?
手島 はい(笑)。すっごく。
ーーですよね(笑)。さて『週刊プレイボーイ』ですが、手島さんは2010年11号(3月1日発売)に初登場されました。
手島 お話をいただいた時は感激しました。週プレさんはずっと出たいと思っていた雑誌ですから。「ここまできたぞ!」って充足感がありましたね。
ーータイトルは「獣(けもの)がれ、全ての女たち」(撮影/中山雅文)。ラブホテルを舞台に、"肉食女子"を彷彿させる手島さんが読者を挑発するグラビアです。
手島 カッコいいですよね。このグラビアはテレビの収録が終わった後、撮影に行ったんですよ。場所は確か千葉にあるラブホテル。ひと仕事終えて、さらにグラビア撮影だなんて。私、めっちゃ芸能人じゃん!って、体はヘトヘトなんだけど、ウキウキしていたのを覚えています(笑)。楽しくて本当、あっというでした!
ーーこれに限らないですけど、最初のDVDなどから比べると、手島さんのグラビアはかなり強いイメージのものが多いですよね。
手島 基本的にダークなものばかりでしたね。衣装も黒が多かったし、数えきれないほど豹柄を着たり。素の私は"メルヘン系"キャラなので(笑)、内心ではフリフリのついた白い衣装とか着たいのにな~、なんて思っていたんですけどね。
ーー当時もう20代半ば。フリフリより強くてカッコいいお姉さんキャラのほうがいいと周囲が判断したんですかね。
手島 それはあるかも。日テレジェニックでもメンバーが五人いる中で私が一番歳上だったので、グラビアを撮る時も一番セクシーなイメージでしたし。あと当時はアイドル全盛期。可愛いものだと埋もれちゃうのもあったでしょうね。私自身もグラビアアイドルのプライドをかけて、「こっちはここまでできるから!」って思ってました。
ーーあー、負けないぞみたいな。
手島 そう。私のグラビアって笑顔がないじゃないですか。グラビアの内容的に「笑わないでくれ」「にらみつけてくれ」とよく言われてましたけど、自然にそうなった部分もあって。とにかく「誰にも負けたくない」「一番になりたい」って気持ちが強かったんです。だから撮影中は戦闘体制(笑)で、笑う余裕がないんです。それくらいグラビアには集中していたんですよ。
ーーグラビアで活躍する一方、ある時期から手島さんはバラエティで活躍する「面白いお姉さん」キャラに転身しましたよね。それは正直、意外というか。
手島 それは自分も想定外で(笑)。『ゴッドタン』に初めて出演した時、私、バーンって思い切り鏡にぶつかっちゃったんです。目が悪いから、鏡があるってわからなくて。そうしたら「お前は蝿か!」と周りに言われちゃって。いきなりそんなだから一気に正統派でなくなっちゃった。
ーー『ロンドンハーツ』の「格付け」コーナーに出演されてましたけど、そこでもよく9位とか10位とかオチにされていましたね。
手島 そうなんです。あれも本当は1位になりたいんですけどね。
ーー以前、伺ったお話しでは、テレビの企画でアマゾン川に飛び込んでアナコンダを素手で捕獲したこともあったとか。
手島 ありました! 本当に最悪でしたよ。アナコンダだけでなく、ピラニアがいる沼にも入ったし、あの時ほど死を覚悟したことはないです(きっぱり)! 本当にテレビではイジられて、体を張ることばかりでしたよね(しみじみ)。
ーーそういう扱いって、内心、辛かったんじゃないですか。
手島 それはそうですよ! それこそトイレや楽屋でよく泣いていました。「あのコと私はそんなに違わないはずなのになぜ、私だけこんな目に?」とか愚痴ったり、泣いて実家に電話もしました。とはいえみんなが喜んでくれるわけですから。なんとかメンタルを戻してまた次に臨んでいました。
ーーそうでしたか。グラビアで辛い思いをしたことは?
手島 一度もない、まったくないです! バラエティではいじられてばかりだったけど、グラビアの現場ではみんな褒めてくれるし、いじろうとする人なんていないです。芸能人って自分を見て欲しいし、みんな一番になりたいじゃないですか。グラビアはそれを満たしてくれるんですよね。だからグラビアの現場が待ち遠しかったし、現場に行くといつも安心しました。辛い時もグラビアがあったから乗り切れたんだと思います。
ーー手島さんは週プレのグラビアに合計9回登場していますが、その中で特に印象に残っているのは?
手島 一番、最初のと、あとは3年前のかな。
ーープラチナムのタレントさんたちが大勢登場した「プラチナム20周年記念号」(2021年7号/2月1日発売)に掲載されたグラビアですね。タイトルは「花嫁解禁」(撮影/小塚毅之)。多幸感あふれる内容でした。
手島 笑顔をたくさん見せて、白いフリフリのドレスを着ました。「記念号」だからなのもあっただろうけど、やりたかったことを存分にやらせてもらって、めちゃくちゃ楽しかったです。写真も気に入っていて、なんなら遺影にしてもいいかなと思ったくらいです(笑)。
手島 素の自分とは違う手島優になれることですね。衣装を着て、ヘアメイクをしてもらって、撮影だぞって瞬間はたまらないです。すべてが完璧な自分になって、これで誰にも負けないぞって自信が湧いてくる。それが最高ですね。
ーーそれでは手島さんにとってグラビアとは?
手島 う~ん。「育ての親」かなぁ。表現やポージングをはじめいろんな勉強をして、いろんなことを吸収して。あと誰もが温かく迎えてくれる家みたいな場所でもありますね。いずれにせよ、グラビアがなかったらいまの手島優は絶対にいないです。
ーーこれは皆さんに聞いていますが、手島さんは昔のグラビアを見返します?
手島 します。落ち込んだ時とかグラビアを見て、自信を取り戻します。まだまだやれるぞって。見るかどうかでなく、むしろ手放せないですよ。
ーーご結婚、ご出産をされましたけど、グラビアを引退する話はしていませんよね。今後もグラビアを!?
手島 普段から食事制限するなどして、体型維持も頑張っていますし、お声をかけていただけるのであればいつでも大丈夫です。でも昔みたいにどぎついのは避けたいですよね。もう若くないし、きっと痛々しくなっちゃう。せめて布一枚もらえると嬉しいですね(笑)。
【前編はこちら→グラビア界のレジェンド・手島優が語る初グラビアの記憶「プロフィールを目の前で捨てられて、いつか見返してやる!って」】
●手島 優(てじま・ゆう)
1982年8月27日生まれ 栃木県出身
身長165cm B95W58H86
○10歳で劇団に入り、芸能活動を開始。2008年よりプラチナムプロダクションに所属し、グラビア、バラエティなどで活躍。現在は矢口真里とYou Tube『やぐてじチャンネル』の配信も精力的に行なっている。
公式X【@piyoteji】
公式Instagram【@tejimayuu0827】