1980年代の日本の音楽といえばシティポップでしょ! そんなイメージが定着しつつある中、半世紀以上にわたり数多のアーティストを現場で取材してきた音楽評論家、田家秀樹(たけ・ひでき)氏が『80年代音楽ノート』(ホーム社)を出版。そして、80年代の音楽にまつわる著書を多数持つスージー鈴木氏との対談が実現! 時代を超えて、今こそ語り継がれるべきアーティストは誰なのか?(全2回の前編)
■「80年代=シティポップ全盛期」は歴史改ざん?
ーーおふたりがお会いするのは初めてですか?
スージー 今日が初対面です。
田家 実は僕がお会いしたいとお願いしたんです。これはもう本当に掛け値なしで、『80年代音楽ノート』を書こうと思ったのはスージーさんがいたからでして。
スージー いやはや、恐縮です。
田家 1940年代~50年代生まれで音楽を書いている人たちは、ほとんどが自分では音楽をやれないんですよ。自分で演奏したり、コード進行を分析することはできないし知識もないけれど、音楽が好きだっていうことだけで書いてる人が多かったんですね。僕はある意味、その代表のようなもので(笑)、音楽の世界にいたいということだけでこうなっちゃった人間です。
スージーさんが書かれた本を読んで、ああ、もう僕らの時代は終わったと思ったんです。楽曲に向かうという形でコード進行の分析や評論をされていることに拍手を送るしかない。
でも僕らは当時、現場にいたので、そこにいた人間にしかわからないこともあるだろうからと、『80年代音楽ノート』を書こうと思ったんですね。今日お会いできて、さきほど「面白かったです」って言ってくださったんで、これでもう目的は果たせたかなと感じております。
スージー よしてください(笑)。確かにコード進行がどうこうという話は本に書いていますけど、僕はもともとサラリーマンで、ミュージシャンに直接会うことも少ないし、田家さんのようにツアーに同行したなんていう経験はないですし、音楽評論を始める前から家の中には田家さんの本がたくさんありましたから。
田家 ありがとうございます。
スージー 一番を選ぶとしたら『小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島』ですけれども、一番初めに田家秀樹というクレジットを見たのは、雑誌名は忘れてしまったんですけど、確か80年代後半にブルーハーツのことを書いてらっしゃって。
田家 音楽雑誌じゃないですね。『スコラ』かな?
スージー 『最近、世の中ではがんばろうっていうポジティブなメッセージソングが多いけれども、ブルーハーツ「人にやさしく」の歌詞にある「ガンバレ!」は他と違う。なぜならば当事者意識があるからだ』と書いていらしたんですね。世の中に当時から溢れ始めた、がんばれば夢は叶うというのとは違う、甲本ヒロトという存在が自らがんばっていることがわかるから、こっちは本物だって。
レコードを売ろうと思って「がんばれば夢は叶うよ」って言っている曲なのか、血反吐を吐いてがんばっている本人が言ってるがんばろうなのか、その違い、分類方法を教えてもらったのが田家さんの原稿でした。こういうブルーハーツの批評があるんだ、書いているのは僕と同年代だと思ったら、20歳上だった。そこは驚きましたけど(笑)。今でも自分のものの見方につながっていますね。
ーースージーさんは『EPICソニーとその時代』をはじめ、『80年代音楽解体新書』『サザンオールスターズ1978−1985』『1984年の歌謡曲』など、80年代の日本の音楽にまつわる著作が多数あります。
スージー そうですね。でも最近、仕事をいただくときに、「80年代ってシティポップブームでしたよね? クリスタル族で、今よりもバブルでよかったですよね」って言われることが多いんですけど、時代錯誤も甚だしいですよね(笑)。明らかな歴史改ざんが行なわれてて。ちょっと待てと。
田家 僕もまえがきで触れましたけど、「80年代はシティポップ全盛だったんでしょ」って言われることが引っかかっていて。確かにこれだけの月日が経って、あの頃の音楽が再評価されていること自体は素晴らしいと思うんですけど、当時は違ってたんだよ、それだけじゃなかったんだよっていうことを言っておかないと、当時苦労した人たちも居心地悪いんじゃないかなと思って。
スージー 同感ですね。僕もいろいろなところで「はっぴいえんど中心史観」っていう言葉をよく使うんですけれど、今の音楽のちょっとマニア向けの雑誌は、シティポップや山下達郎、はっぴいえんどを過度に取り上げてると思っていて。はっぴいえんど周辺のことを語れば知的に見られるということがあるからだと思うんですけど、僕は少し違和感を抱いていて。
例えば、音楽雑誌で「70年代アルバムTOP50」という特集があると、はっぴいえんど『風街ろまん』やシュガーベイブ『ソングス』、細野晴臣『トロピカル・ダンディー』ばかりが上位を占める。で、サザンオールスターズ『熱い胸さわぎ』やキャロルは入ってなかったりする。ある意味では吉田拓郎(当時はよしだたくろう)『元気です。』が1位でもいいんじゃないかと思うんですけど。
とはいえ、実は僕はもともとナイアガラマニアではっぴいえんど大好きだったので(笑)、その反動で吉田拓郎に出会うのが遅かったんですよ。今から10年ぐらい前です。
田家 ナイアガラマニアだったの?
スージー 大好きですね。だから、近親憎悪みたいな感じなんですけど(笑)。吉田拓郎『伽草子』(おとぎぞうし)を聞いたら、こんなにかっこいいのになんで語られてないんだろうと思って。田家さんの本を参考にして聞き直したのが10年前ぐらいです。知らなかったです、こんなに良かったことを。
■吉田拓郎が80年代音楽の地盤を作った
田家 拓郎さんはね、音楽ジャーナリズムなんて言葉がなかった70年代という時代の被害者ですよ。「俺はフォークじゃない」って言い続けているように、彼の音楽の始まり方や趣味嗜好、ずっとやってきたものをたどれば、フォークじゃないんですよ。
でもあの時代に自分で作って自分で歌ってギターを弾いてれば、みんなフォークにされちゃった。歌謡曲、演歌、フォークっていうカテゴライズしかなかったので、その中に押し込められて。しかも彼は派手でしたから、やってきたことが。
スージー 派手だし、かわいい顔してるし、かっこいいし、面白いし。そこで損した感じはありますよね。
田家 風雲児扱いされちゃって。騒ぎを起こす人みたいなレッテルを貼られてしまった、メディアの最大の被害者ですから。スージーさんがやっていらっしゃるような方法で、拓郎さんの楽曲をきちんと1曲ずつ、コード進行やリズムを分析して語っている人はいないんですよ。
スージー 『元気です。』に入っている「高円寺」っていう短い曲はフォークギターでやってるんですけど、これはジェームス・ブラウンだなと思って。
田家 そうですよ。そうそう。
スージー この前、中村正人氏(Dreams Come True)が僕のラジオ番組にゲストで来られたときに、「吉田拓郎が好きだ」とおっしゃっていて。『伽草子』の「からっ風のブルース」はリズム&ブルースだと思うって言われてました。彼も吉田拓郎大好きで、同じようにフォークじゃない、吉田拓郎は吉田拓郎というジャンルだって。その辺が全然語られてない。
田家 昔、FM東京で拓郎さんの番組の構成をやっているときに、中村さんも番組をやっていたんです。収録日が同じだったので、中村さんは必ず挨拶に来てました。本当に拓郎さんが大好きで、心酔しているという話はずいぶんしてましたね。
スージー 話は飛びますけど、グラミー賞で歴史的な音楽家をリスペクトするコーナーとか、亡くなった人を弔うコーナーが僕は好きなんですけど、そういうものが日本にはないのかなって。例えば、あいみょんは「浜田省吾が好きだ」と言っていて、その浜田省吾は吉田拓郎が作った広島フォーク村と関わりがあったとか、昔と今の音楽をつなげる話をする装置がないのは良くないと思っていて。
田家 僕はそういう存在になりたいんです。それだけでやってましたよ。
スージー つなぐ人になりたいってことですか?
田家 FM COCOLOで2014年から「J-POP Legend Cafe」という、日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当てて、本人や関係者と話して掘り下げていくという番組をやっているんですけど、僕はひとりで「ロックの殿堂」「J-POPの殿堂」を作りたかった。50歳を過ぎた頃くらいからずっとそう思っているんですよ。
もし自分で殿堂を作るとしたら、この人は入れたいなとか、この人は将来入ってくるなとか、そういうミュージシャンと仕事したいという思いはいまだにありますね。
――この場で田家さんとスージーさんが殿堂入りを選ぶとしたら、第1回受賞者は誰になりますか?
田家 やっぱり拓郎さんかな。
スージー ですよね。僕もこの話の流れで言うと、吉田拓郎です。世の中に残した功績が語られていないというギャップの度合いは吉田拓郎が一番大きいと思います。あれだけ多くの人にギターを持たせて、あの歌い方を発明して。
今日もここに来るときに「春だったね」を聞いてきたんですけど、よく「字余り唱法」っていわれるじゃないですか。メロディの音符に言葉を詰めるということを発明したこともそうなんですけれども、普通の若者が当時、日常会話で喋ったことをメロディに引き寄せてる。これがすごいなと再確認して。
田家 自分でメロディを書いているからああいうふうになったっていうことでしょうね。
スージー 一般的にボブ・ディランの影響といわれてますけど、それがあったとしても、あのときにディランをちゃんと自分のものにしてるのがすごいし、ディランの写真を見てハーモニカホルダーを自作したというエピソードもすごい。かつ、日本語の若者の日常会話をメロディにぶっこんだのもすごい。僕も第1回受賞者は吉田拓郎です。生きてらっしゃるうちに届けたいです(笑)。
田家 シティポップが再評価されたように、吉田拓郎の再評価の気運が高まることもあるでしょうね。
スージー そうですね。だから僕が心がけているのは、シティポップブームが起きたらそれを否定するわけじゃなく、うまく便乗して別の話をするっていう(笑)。桑田佳祐に便乗して、キャロルの矢沢永吉のボーカルの話をするとか。あいみょんから浜田省吾を経由して吉田拓郎を引きずり出してくるとか。
80年代の音楽の多くの部分は、吉田拓郎が地盤を作ったんじゃないかと考えています。吉田拓郎が土地を作って、井上陽水が耕して、ユーミンがちょっとおしゃれな部屋をデザインし、桑田佳祐がでっかいビル建てる、みたいな。その地ならしは吉田拓郎がやってますよね。
田家 そうですね。ブルドーザーみたいな人です。
スージー だから、第1回殿堂入りは吉田拓郎に決定ですね!
*後編⇒佐野元春、浜田省吾、中島みゆき、サザン...音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が語り継ぐ「80年代に格闘した挑戦者たち」
●田家秀樹 (たけ・ひでき)
1946年、千葉県生まれ。音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、ラジオの音楽番組パーソナリティー。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者になる。文化放送「セイ!ヤング」などの放送作家、「レタス」(サンリオ)などの若者向け雑誌編集長なども経験。放送作家としては、民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門で最優秀賞(2001年)や優秀賞などを受賞。著書に『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』、『オン・ザ・ロード・アゲイン 浜田省吾ツアーの241日』など多数。
●スージー鈴木(すーじー・すずき)
1966年、大阪府東大阪市生まれ。音楽評論家。小説家。ラジオDJ。bayfm『9の音粋』月曜DJ。BS12『ザ・カセットテープ・ミュージック』出演。著書に『中森明菜の音楽1982-1991』『桑田佳祐論』『EPICソニーとその時代』『平成Jポップと令和歌謡』『恋するラジオ』『80年代音楽解体新書』『いとしのベースボールミュージック』『イントロの法則80s』『サザンオールスターズ1978-1985』『1984年の歌謡曲』『1979年の歌謡曲』『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる~OSAKA MOTHER'S SON 1980~』など多数。
■『80年代音楽ノート』
田家秀樹著/発行:ホーム社 発売:集英社/1870円(税込)