枡野書店店頭にたたずむ「古本興業」店主・若林凌駕氏 枡野書店店頭にたたずむ「古本興業」店主・若林凌駕氏

歌人の枡野浩一が運営する東京・南阿佐ヶ谷の「枡野書店」を間借りする形で、古本屋「古本興業」が4月26日にオープンした。店主は、吉本興業の養成所を卒業した22歳の放送作家・若林凌駕氏で、放送作家の仕事の合間に古本屋を営んでいる。

爆笑問題やウエストランドに憧れ、5月から芸人・文化人としてタイタン所属になった枡野浩一の力も借りながら古本屋を始め、近所で出会い、なぜか「先生と舎生の関係」になったという、水道橋博士(浅草キッド)にも気に入られている若林氏。プロインタビュアーの吉田豪氏を招いたトークイベントを開催したり、夜間の営業や、銭湯に出向いての書籍の販売を行ったりと、異彩を放った営業を行っている。

なぜ芸人志望だった若者が古本屋をやることになったのか? なぜ本屋に芸人が集まるのか? 今後の展望は? 古本興業で若林氏を直撃した。

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■「宮古島初の引きこもり」がNSCに入り、放送作家に

――そもそも若林さんはなぜ、古本屋を開業しようと思ったんですか?

若林 高校を卒業して吉本の養成所のNSCに入ったんですけど、芸人としてはうまくいかなくて。東京に出てきて放送作家として活動しつつも、フリーになって片手が空いたので、お笑い以外で何か別の好きなことをやりたいなって思って、本が好きだったので「じゃあ本屋を自分でやろう」って思ったんですよね。

――NSCに通ってた人が放送作家になるのは順当な流れだと思うんですけど、さらに本屋もやる。その流れはユニークですよね。

若林 僕は沖縄の宮古島出身なんですけど、「島で初の引きこもり」なんて言われるくらいの存在で。あんな太陽さんさんな土地で引きこもる子ってなかなかいないんですよ。その時に出会って救われたのがお笑いと本で、最初にお笑いに衝撃を受けたからお笑いの道へと進んだんです。もし本の衝撃が先だったら小説家を目指してたかもしれないですね。

――最初に衝撃を受けた芸人さんというのは?

若林 千原ジュニアさんですね。ジュニアさんは昔、テレビ東京で「ざっくりハイタッチ」っていう番組を小藪(千豊)さんとフットボールアワーさんとやってらして、その番組でジュニアさんを見た時に衝撃を受けたんです。その時、僕は14歳だったんですけど、ジュニアさんに興味を持って読んだ本がちょうど『14歳』(講談社)っていう小説で、引きこもりの少年の話だったんです。それが自分の境遇と重なるところがあって、すごく引き込まれたんですよね。

しかもジュニアさんは、宮古島の観光大使もされている。そういうところにすごく運命的なものを感じました。結局、高2の途中まで不登校がちだったんですけど。

――引きこもりや不登校を経験した少年が、高校を卒業して芸人を目指すっていうのもすごいですね。

若林 高3の時にクラスで人気者の明るいヤツがいて、めちゃくちゃ嫌いだったんですよ。でも僕と正反対のタイプだから、あえてそいつと漫才コンビを組んだら面白いんじゃないかと思って。そしたら沖縄のテレビに出られたり、大会で3位になったり。「ハイスクール漫才」っていう大会でも準決勝まで行けちゃったんです。

でも、結局そいつは芸人にはならなかったので、NSCでは入学前に僕の漫才を見てくれてた別の人とコンビを組みました。まあ、その相方ともうまいこといかず、結局解散してしまったんですが。

そんな時に、NSCで講師をやられていた木村祐一さんに「中学からネタを書いてきたなら、芸人じゃなくて作家のほうが向いてるんじゃない?」って言われて、それがきっかけで放送作家になったんです。

店番をするのは学校机で。元芸人だけあって、暗い過去も巧みな話術で暗く感じさせない若林氏 店番をするのは学校机で。元芸人だけあって、暗い過去も巧みな話術で暗く感じさせない若林氏

■小説すら読めなくなった人に、1行で、どこから読んでもいいような本を

――本はどういうものが好きなんですか?

若林 中2の頃にすごく読んでたのは、太宰治とか、坂口安吾とか、無頼派と呼ばれる人たちですね。これはお笑いにも通じるんですけど、恥ずかしい部分をさらけ出して笑いや感動を生むっていうところにすごく惹かれるんです。自分が引きこもってたこととか、「自分なんてダメだ」って思ってたことも、笑いとか文学に変換できるんやって。

『堕落論』なんてもう完全に、もっと人間は落ちるとこまで落ちるべきだっていう、人間のダメな部分を肯定してくれる作品じゃないですか。ああいうのを読むと、どんなに負い目を感じていても「君はそのままでいいよ」って言ってくれるような気分になるんです。

――歌人の枡野浩一さんの仕事場兼フリースペースである、ここ枡野書店にお店を間借りすることになった経緯は?

若林 本屋を始めたくていくつか物件を探してて、その中で最初に有力だったのが京都の銭湯の2階だったんです。最近の昭和レトロブームとかもあって、古本屋と銭湯って通ずるものがあると思ったし、古書店のちょっと臭くておじさん店主がにらみつけてくるような雰囲気とかも僕は好きなんですけど、苦手な方もいますよね。銭湯の上ならそういうところも払拭できるんじゃないかなと思って。でもそこでの話は流れてしまったんですね。

そんな時に枡野さんがXで、「枡野書店を辞めようと思っているけど誰か継いでくれる方いませんか」ってつぶやかれていて、家からも近いし一度連絡してみようと思ったんです。それで一度ご飯に行ったら、「1回来てみる?」って言われて、その日のうちに「じゃあここでやってみるか」みたいな流れになって。枡野さんは「明日からでもいいよ」って言ってくださったんです(笑)。

でも枡野書店を間借りするからには、きちんと準備をして開店まで盛り上げないといけないと思って、銭湯をロールモデルにしようとしていた名残で開店日を「よい風呂の日」(4月26日)に設定して、開店準備の模様をSNSやYouTubeで毎日発信するようにしました。

その時点でもう風呂は関係なくなっちゃってるんですけど、それもあって枡野書店での営業時間以外で、銭湯を回って店先で本を売るっていう活動を今でも続けています。

――古本興業の品揃えはどういうコンセプトですか?

若林 枡野書店を間借りしているからには、まず詩歌の本を揃えたいと思っていて。僕が19歳の時、お笑いでつらいことがあった時に小説すらも読めなくなってしまって、そういう時は詩集や歌集にものすごく救われたんです。その中には枡野さんの短歌もありました。

「やめようと誓った行きとやめるのをやめようかなと思った帰り」(初出『ますの。』実業之日本社刊)っていう短歌が特に印象に残っていて。ああいう、1行で、どこから読んでもいいような本をたくさん揃えたいと思っています。

他には、こんな名前の店だからこそ芸人さんの本のコーナーがあったり、中央線の駅がテーマの本を駅順に並べてたり、喫茶店の本を並べたり。サブカルっぽい本はサブっていうくらいだから端に置いたり、僕が暗いときに読んでた本はうつむきがちな人に気付いてもらえるように下の方の棚に置いてたりします。

取材時は左側の棚に枡野浩一の私物の詩歌の本が並んでいたが、現在はなくなっている。中央の絵はしりあがり寿が描いた枡野の似顔絵。胴体にあたる部分には枡野の著作が発売順に積み上げられている 取材時は左側の棚に枡野浩一の私物の詩歌の本が並んでいたが、現在はなくなっている。中央の絵はしりあがり寿が描いた枡野の似顔絵。胴体にあたる部分には枡野の著作が発売順に積み上げられている


■枡野さんは父親でもない師匠でもない、特別な存在

――お話に出た枡野浩一さんはどういう存在ですか?

若林 枡野さんの作品は、歌集も『ショートソング』(集英社文庫)も読んでいたから最初お会いした時は緊張しましたけど、憧れの存在というよりも、こちらは放送作家で枡野さんは歌人で、全然畑が違う存在だと思っていました。

今こうやってお店を間借りして、いろんなことを一緒にやっていく中で、時として僕のポンコツぶりが原因で枡野さんと衝突してしまったことも何度かあるんですけど、心情としては父親でもない、師匠でもない、特別な存在ですね。

その一方で、5月からは枡野さんがタイタン所属の芸人にもなられたので、元芸人養成所生の放送作家としては、何か協力できることもあればいいなと思っています。

――先日、枡野さんと若林さん、そして吉田豪さんの3人で、古本興業の開店記念トークイベント「ほんねのね」が開催されました。本音なのかイジリなのかは分かりませんが、枡野さんからは「店がオシャレすぎる」「品揃えがビレバンぽい」など若林さんへの苦情も出ていました。

若林 枡野さんは本当に思ってることしか言わないし、それをああやってエンタメ的にも話せる方なので、全部本音だと思います(笑)。それに対して「確かにな」って思う部分もたくさんあるんですけど、それで「分かりました。全部枡野さんの言う通りにします」って萎縮しすぎるのも枡野さんは嫌がる気がするんです。

古本興業の来客用ノートの1ページ目に、枡野さんから僕へのメッセージが書いてあるんですけど、そこに書いてあるようにいつかは店を出て、「若林が道で本を売ってたから買った」っていう存在になりたいと思いますね。今はそのために修行を積んでる感じです。

来客用ノートの1ページ目。枡野のメッセージの横に若林が詠んだ短歌が書かれている。ふたりの関係性が垣間見える 来客用ノートの1ページ目。枡野のメッセージの横に若林が詠んだ短歌が書かれている。ふたりの関係性が垣間見える

――お店にはどういったお客さんに来てほしいですか?

若林 銭湯ブームやサウナブームが起きて、普段行かない若者が銭湯に行くようになったみたいに、普段本を読まない方にこそ来てほしいと思ってますね。そのためにも、普段本を読まない若者はどういう本なら読むのかとか、つらい人にどういう詩歌を薦めたらいいかとか、もっと本を読んで勉強しなきゃいけないと思います。

一応、放送作家として鍛えた企画力も活かして、先日のトークイベントのような催し物もどんどん開いていこうと思っています。イベントがきっかけでお店を知ってくださったお客さんにこそ薦められる本もあるんじゃないかなと思うので。

もうひとつやりたいのが、僕みたいに生きにくさを感じている人のための「茶会」です。僕が茶道を習っているというのと、枡野さんが「自分の本が古本として売られていることに抵抗がある」とおっしゃっていたこと、それから日曜の夜と月曜の朝に自殺者がいちばん多いという話を聞いたことがあって、それらを合わせて考えたのが日曜の夜に開く茶会です。

2名以下の予約制で、お茶を振る舞ってお話をしたうえで、茶会の代金をいただく代わりにその人に合った本をお渡しする。そんな、お店・作家・お客さん、三方よしのイベントができたらなとも思っています。

■ジュニアさんにお礼を言わなきゃいけないし、枡野さんや博士にも恩返しをしたい

――お店の正式オープン前から値付けの模様をYouTubeで生配信していましたが、その時からお店にちょくちょく水道橋博士が顔を出していました。博士のブログにも若林さんが頻繁に登場されていたり、お店では博士のサイン会も行われたりしていますが、博士との関係は?

若林 博士とはたまたま阿佐ヶ谷の古本屋で出会って、挨拶したら、なぜかその日1日行動を共にすることになり、最終的にその日は博士のYouTube Liveに6時間半も出ることになりました(笑)。もちろん放送作家をやっている話もしたんですけど、博士は「君は裏方だけでなく出演者側もやったほうがいい」とずっとおっしゃってくれていて、それで呼んでくれたんだと思います。博士も、もうひとりの父親的存在と言いますか、かわいがっていただいている存在です。

――枡野さんにも博士にも一夜にして気に入られる、若林さんのこの「気に入られ力」「後輩力」っていうのはなぜなんでしょう?

若林 家庭環境が複雑で、15歳から一人暮らし同然の生活をしてたんですけど、芸人をやるにしても居酒屋でバイトするにしても、コミュニケーション力がないと生きていけなかったんですよね。そういう、その場しのぎのコミュニケーション力がいつの間にか活かされてるのかもしれないです。でも、枡野さんには僕の距離感について指摘されることが多いので、この店や銭湯で本を売ってる時も、いきなり懐の深くに入り込まないようにはしています(笑)。

――枡野さんは芸人「歌人さん」としてタイタンの所属になり、爆笑問題やウエストランドの直属の後輩になりました。一方で水道橋博士はビートたけしさんの13番目の弟子ということで、そんなふたりがNSC出身の人の父親的存在というのも不思議な縁を感じます。

若林 それは本当にたまたまだし、おふたりともタイタン所属だから、TAP(元・オフィス北野)所属だからということで近付いたわけではないんですけど(笑)。放送作家が、銭湯をロールモデルに古本屋を始める。もうその時点で沖縄のチャンプルー料理みたいにいろんな要素が混ざってますよね。いろんな要素を掛け合わせていったら、共通項がお笑いで、いろんな芸人さんが集まる場所になってきたというか。

――本棚には、爆笑問題の本も、水道橋博士の本もありますね。

若林 もちろん置いてはあるんですけど、そこはあまり意識しすぎないようにしています。トークイベントで枡野さんに「タイタン所属の僕の店を元吉本の子がやってて、そこに博士の本も置いてるんですよ」って言われた時は、ちょっと胸がきゅっとしましたけど(笑)。ちょうど今日売り切れちゃったんですけど、ジュニアさんの本もどんどん売りたいですし、同じくらい大好きな又吉(直樹)さんの本『東京百景』(KADOKAWA刊)などもどんどん売っていきたいですし。

――放送作家で売れっ子になってしまったら?

若林 それでも合間合間で本は売りたいと思っています。有名になったから本屋はやめるとかじゃなくて、枡野さんのメッセージにあったように、道端で本を売ってるような存在になりたいです。

でもその前に、枡野さんへの恩を返さないといけないですね。今までは、歌人とその店を間借りしてる人という関係だったけど、これからは芸人と放送作家という関係にもなる。枡野さんとは本に限らず、いろんなことを一緒にできたらいいな、それで恩返しできたらなって思いますね。

――今後の目標は?

若林 中2の引きこもってた頃にジュニアさんを見て芸人になりたいって思ったように、今引きこもってるような子が自分を見て本屋をやってみたいと思ってくれたら、もうそれだけでいいですね。本をたくさん売りたいとか、そんなことよりもそっちのほうが嬉しい。

でもその前に、僕自身がジュニアさんにお礼を言わなきゃいけないし、枡野さんや博士にも恩返しをしたい。まだ後輩にバトンタッチしてる場合じゃないんですよね(笑)。

開店からしばらくは「古本興業 と 枡野書店」と記されていた店先の看板が、いつの間にか「VS」に。両者の関係は良好なのだろうか? 開店からしばらくは「古本興業 と 枡野書店」と記されていた店先の看板が、いつの間にか「VS」に。両者の関係は良好なのだろうか?

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■水道橋博士から古本興業へのメッセージ

生国沖縄の22歳の若造が手前で古本屋を経営する夢を叶えるために、全国の銭湯行脚を重ねて啖呵売をしているのを見ておりますと、応援せずにはいられないのが還暦超えのオヤジの人情というものです。

しかもあの歌人の枡野浩一さんのお弟子さんともなると、ますます力を貸そうとしてしまうのが、我々のような徒弟制度出身モノの心情です。

ましてや10代から親元を離れ高校時代から漫才の経験者ともなると、口八丁手八丁の"ヤング寅さん"と言っても過言ではないのです。
放送作家兼任の古本興業に、趣味が読書しか無かったあっしのようなものは偏愛を注ぐしかないのです。

以後、見苦しき面体、お見しりおかれて、今日こう万端ひきたってよろしくおたのみ申します。

水道橋博士(たけし軍団のメンタル傷痍軍人)

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■枡野浩一から古本興業へのメッセージ

吉田豪さんを迎えてのトークでも話したし、日経新聞夕刊連載にも書きましたが、彼は(私もですが)マイペースすぎて共同運営者には向いていません。古本興業に占領されて、枡野書店で枡野が仕事をできなくなってしまいました。

銭湯などでの出張販売をやる才能が突出しているので、そちらをメインにしたほうがいいと思う。一日も早く枡野書店から巣立ってほしいです(本心)。

人あたりが異様にいいけれど、たぶん本当は一匹狼タイプだから、若林くん一人で借りられる店舗物件を探してほしい。阿佐ヶ谷や高円寺界隈で、ちょうどいい変わった物件があれば、彼に教えてあげてください。酒が強く、若くて体力があり、頑張り屋で、ずるいことはせず、あやまちをきちんと認める、いいやつです。

水道橋博士さんは若林くんを枡野の弟子と思っているようですが、ちがいます。でもこれからも、何らかの形では、付き合いが続きますように。トークイベント2回目はいつ?

枡野浩一(歌人)(「歌人さん」という芸名のピン芸人としてタイタン所属)

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若林凌駕(Ryouga Wakabayashi)
古本興業店主、放送作家。沖縄県宮古島出身。古本興業は、歌人で芸人の枡野浩一の事務所兼フリースペース「枡野書店」を間借りするかたちで不定期で営業中 
枡野書店(古本興業):東京都杉並区成田東5丁目35-7 
X:https://x.com/furuhonkogyo

酒井優考

酒井優考さかい・まさたか

週刊少年ジャンプのライター、音楽ナタリーの記者、タワーレコード「bounce」「TOWER PLUS」「Mikiki」の編集者などを経て、現在はフリーのライター・編集者。

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